18.言伝の水霊
…
……
ケルテの空は明けようとしていた。根城で膝を抱えていたアイレーナは、テル(植物)が明け方に放つ光の胞子に起こされるでもなく、宮殿へと向かいその空を飛び続けていた。こちらに戻って来て四時間程度。地上世界では一日が過ぎようとしているはずだ。
無事で居てくれているだろうか…
それを知る由もなく思いは募り、そうして間も無く空は開けきっていくのだった…
主座に着いていたゼウスは頬杖した頭をもたげると、空中回廊を上がってきた正装(天装衣と白面を纏った姿)のアイレーナに目を向けた。
多くの天使達が若々しい姿を取るなかで、ヒゲを蓄えた初老のゼウスは公で素顔を晒す唯一であり、その眼光は威厳を示すかのようだ。
「ルシフェルの掌握は失敗に終わりました。申し訳ありません」
改まった一礼をするでもなく主座の前に立つ。
「そうか…ご苦労だったな。関門の守護はパラスティールに任せて少し休んでいるといい」
「はい…」
飛び去っていく翼の姿態が先日とは異なっていたが、今となってはどうでもいい事だ。
「生きて帰って来るとは思いませんでしたね」
柱の影から姿をを表したプルエルはあしらったように言った。
「…そうだな。天力に恵まれているとは言え、才覚には乏しかったからな。それより、ファニファスの牢はどうなっている?」
「問題はありません」
「そうか…」
「それにしてもおぞましい蔓です。生きた人間にユグラシドの根の破片を埋め込んで育てるなど…」
「ふんっ、地上に降りたエルフの考える事など、人間と大して変わらぬものよ。だが、そのおかげで事を成せる…皮肉な話しだな」
空中回廊を下り主塔を出ると、天装衣を解いた出で立ちに直り、いつもなら一飛びで通り過ぎてしまう宮殿内の景観を歩いた。
ノッカーやドワーフなどの地霊、天使達が何千年もかけて作り上げた第一球の宮殿は、セフィラーの中でただ一つ、浮遊大陸に建造されたものであり、白石を全面に成された宮殿はケルテの象徴である。
このまま主門まで歩き続けたら天生した痕跡は消えてくれるのだろうか…
ざわついた翼をグッと握り締めると途方に暮れたように歩いた。
主塔の裏手から回された水路は中庭の噴水庭園を返して三方へと流れる。斜面に沿って入り組んで落ちて行く階段さえ宮殿の一部のようだ。
花の色彩、木々の緑、染み入る水の音、落ちたアーチの影、彫像の天使。その全てが白石の宮殿に色を添え、取り成されている。伝承に記された物語を模す彫像は少し下層の方で、宮殿を取り巻くようにそれぞれの絵巻を描いていた。
…アイレーナは歩き続けていった。
腰の高さあたりを流れている水路から一握りの水を湛えて現れた水霊は、自分を労うように息をつくと大きな独り言を付いた。水の伝う所ならあっと言う間に移動出来るのだが、浮遊大陸から流れ落ちて砕ける水を伝うのは大変だったのである。
「あぅ、やっと見つけた!」
遠路はるばる、ケルテの端にある根城まで行ってもあいにくの留守。じっとしていられない性格の水霊・ミンディは関門の天使の所まで引き返し、行き先を尋ねていたのだ。
行儀正しくも忙しなかった水霊は言伝ると水路に打ち入り気配を消した。
…ミュハエルがこの私に何の用件があると言うのだろうか?
このまま根城に戻る気にもなれなかったアイレーナは、もどかしい気持ちを晴らすように飛び出すと、第六球・ティファレトの第一関門にゲートを開き月の浮島を目指した。
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