第二章

杉三の家。買い物をし終わって部屋に入ってきた杉三と蘭。

杉三「今日も、お買い得だったなあ。」

大量の野菜を冷蔵庫にしまい始める。

蘭「まあ、杉ちゃんの場合、高級品ばっかり買うから、お買い得じゃないんだけどね。」

杉三「こういうものは、めったに手に入らないんだから、たくさん買っておかなきゃダメなんだ。」

と、モッツァレラチーズの箱を冷蔵庫にしまう。

蘭「イタリア製じゃないか。杉ちゃんって大島しか着ないのに、なんで食べ物は外国の高級品なの?」

杉三「日本のは、添加物が多くてまずいの。そういう食べ物は本来の味がしないの。」

蘭「違いも判らないじゃないか。読めないんだから。」

杉三「食べればわかる。」

蘭「つまり、味だけは敏感なんだねえ。」

杉三「そういうこと。」

美千恵「ごめんなさいね蘭さん。わたしも、こればっかりはどうしようもないのよ。」

とインターフォンが鳴る。

蘭「あれ、誰だろ?」

美千恵「回覧板か。」

と、玄関に移動する。

声「今日は、杉三さん。」

杉三「あ、青柳教授。水穂さんも、どうぞあがってくださいな。」

蘭「なんだ、青柳教授か。」

水穂「お邪魔します。」

美千恵「今お茶入れますから。今日はどうしたのですか?」

懍「いえいえ、なんでもありません。入寮者のお母様からトマトをもらったのですが、もらいすぎておすそわけです。」

美千恵「まあ、ありがとうございます。路地もののトマトなんて、なかなか食べる機会もないですから。」

と、二人の前にお茶を置く。

杉三「ありがたくいただいておきますね。」

蘭「あの、失礼ですが、あの時の、公平君は、」

水穂「それにしてもとんでもない子を連れてきたよな。」

蘭「えっ、どういうこと?」

懍「水穂さん、いくらなんでもそのような言い方をしてはなりませんよ。」

水穂「ああ、ごめんなさい。」

懍「仮に思っても、口に出して言ってはいけません。僕たちは、誰でも受け入れなければならないのです。」

蘭「どういうことなんですか?教えてくださいよ。」

水穂「ああ、穴井公平君だよ。作業場に連れて行っても火をすごく怖がって何もできないんだ。天秤鞴を動かさせても火を怖がって近づけないし、砂鉄を入れさせると鉄の重さで動けないし、ましてや木炭をくべることだって、火を怖がってできないし、一体何をさせたら彼は居場所を見つけられるのかな。」

懍「とりあえず、彼には、女性と一緒に燃料である木の枝を取ってきてもらったりしていますが、女性ばかりの場では居づらいようです。」

蘭「火を怖がるって?」

水穂「確かに、多少怖がる人はこれまでもいたけれど、あそこまで泣き出した例は初めてですよね、教授。」

蘭「そんなに、ですか?」

懍「まあ、そういうことになりますね。」

その表情から懍も閉口していることがわかる。

懍「なんとかいさせてやりたいですけど。」

杉三「寝太郎はまだ寝太郎のままか。」

懍「何とかして、彼が役に立つものがあるといいんですけどね。もしかしたら、幼い時に火にまつわる恐怖のようなものに遭遇したのかもしれません。」

蘭「ああ、トラウマになっているということですか。」

杉三「家が大火事にでもあって、それ以来火が怖くなったとか、そういうことですかね。」

懍「結論から言えばそういうことでしょうね。しかし、それのせいで製鉄に支障が出るのは非常に困る。とにかく、少しでも作業が止まってしまったら、この製鉄はできなくなってしまいますから。まあ、それを嘆いても始まりません。彼を二度と寝太郎と呼ばせないためにも、何か役目を与えなければ。本来、こうなってしまうと精神科などにお世話にならなければならないと思いますが、水穂が、入院だけはどうしてもやめさせろといいますので。」

蘭「そんなに、彼は深刻だったんですか。」

水穂「ええ。口で言えばすごく簡単だけどさ、僕らは、非常に困っているんだよね。」

美千恵「いわゆるPTSDといわれるものかしらね。確かに、そういう人がいると、迷惑を感じるわよね。」

水穂「でも、だからといって、ここから追い出してしまったら、彼は完全に居場所をなくすんじゃないかなって思うので、それだけはしないようにようと、誓いましたけどね。」

杉三「水穂さん偉いね、やっぱり。くすりだけで何とかなるもんじゃないからね。ああいうものは。」

蘭「でも、そうなるとつらいだろうな。」


製鉄所。近くの山林で、女性の寮生に交じって、燃料を拾っている公平。土みの中に燃料となる木の枝がたくさん集まると、彼は製鉄所に戻って、燃料置き場に行く。女性の寮生が燃料を整理している。

寮生「はい、お疲れ様。」

公平「また持ってきますから。」

寮生「あなたって、不思議な人ね。」

公平「へ?」

寮生「だって、火を見るとああして大暴れして、それ以外の時はこうしてけろりとしているんだもの。」

公平「あ、ご、ごめんなさい。」

寮生「そうじゃなくて、謝る前に、大暴れをしないように気をつけなさいよ。あんたがいられるのは、水穂さんのおかげなのよ。もう、青柳教授だって、あそこまで大暴れされたら困ると思うわよ。それなのに、水穂さんが頼み込んでここに残してくれって聞いたわ。まず、自分で何とかしてあばれなようにしようって、考えることなんじゃないかしら。じゃないと、本当に寝太郎になっちゃうわよ。」

公平「ごめんなさい、、、。」

寮生「だから、謝らなくてもいいって言ってるでしょ。それよりも、何とかしようと思わなきゃ。まあ、私たちは、医者じゃないから、こうしろああしろとか言えないけどさ、どこかに相談したほうがいいかもしれないわね。」

公平「はい。」

寮生「返事ばかりじゃなくて。」

公平「もう一回取ってきます。」

と言って、再び土みをもって、燃料を取りに行く。

寮生「あーあ、火をあんな風に怖がらなければ、とっても優秀な働き者なのになあ。」

そこへ、車の音がする。懍と水穂が戻ってきたのだろう。

公平は、その間にも、土身をもって、燃料置き場を何回も往復する。土身のなかには、小枝がたくさん入っている。

食堂

作業をしているものを残して、夕食の時間になる。数人の寮生が、食堂にやってきて、用意された食事を食べ始める。

公平「今日はこれか。」

と、海老天ぷらを口にする。

その近くには水穂も座っている。

公平が、誰とも話すこともなく、一人で天ぷらを黙々と食べていると、近くから強烈な咳の音。

寮生「あ、水穂さん!」

公平がそちらを向くと、水穂の口を拭った手は真っ赤に染まっている。指の間から、赤い液体がポタポタと流れ落ちてくる。

寮生「あ、またやったな!おい、水穂さんには、てんぷらなんか出したらいけないんだよ!」

そういわれた給仕係は面食らった顔をする。それはそうだろう。こういう疾患を持つ人に触れたことなど、15、6歳の少女には一度もないに違いない。

寮生「水穂さん、お部屋行きますか?」

と聞くが、答えを出す余裕はないらしい。

寮生「おい、誰か鎮血の薬もってきてやって。たぶん、水穂さんの机の上にあるだろうから。」

寮生「わ、分かった。私行ってくる。」

一人の寮生が立ち上がって、水穂の部屋にすっ飛んでいく。数分後、彼女は戻ってきて、水穂の口に、水と一緒にそれを無理やり流し込む。

公平もいてもたってもいられなくなり、

公平「み、水穂さん、大丈夫ですか?」

と、恐る恐る聞く。

応えはなかったが、数十分ほどして静かになり、喀血は止まる。

水穂「ごめんなさい、、、。」

と、頭を下げる。

寮生「いいんですよ。物事を軽く考えすぎるこの給仕係が悪いのですから。

それより、大丈夫ですか?立てます?」

そういわれた給仕係は、髪を金髪に染め、着用していた制服のスカートも極端に短かった。

寮生「ほら、水穂さんに謝れよ。きっと、こうなるとは予測していなかったんだろ?」

給仕係「はい、ごめんなさい。申し訳ありません。」

と、手をついて謝罪する。

水穂「いえ、かまいません。迷惑かけました。手を洗ってきますから。僕のほうこそ、びっくりさせてしまって、申し訳なかったですね。」

別の寮生が、水を入れたたらいを持ってくる。

寮生「これで手を洗ってください。」

水穂「どうもありがとう。」

と、血で汚れた手をきれいにあらう。

寮生「じゃあ、お部屋行って休みますか。」

水穂は、よろよろと立ち上がり、体を寮生に支えてもらって、自室に向かっていく。

呆気にとられたというか、呆然としていた公平は、やっと我に返って、

公平「水穂さんって、あれくらい体の悪い人だったんですか。」

と聞いてみる。

寮生「昔から、ずっとそうよ。普段は隠しているけど。」

給仕係「わたし、悪いことしちゃった。どうしよう、、、。」

と、テーブルにひれ伏して泣き出す。

寮生「大丈夫!これに懲りて二度と繰り返さないことよ!」

寮生「誰だって、始めたばかりのころは失敗するわよ!」

寮生「大事なのは、そこで落ち込むことじゃなくて、次に生かすことね。まあ今回人がかかっているから、その人に謝るのが先だけど。」

給仕係「じゃあ、水穂さんに謝ってきます!」

寮生「まってよ、水穂さん、寝かしてあげたほうがいいわよ。こういう時は。せめて明日まで待ったほうがいいわ。優しい人だから、許してくれると思うけど。」

給仕係「でも、なにか、謝罪したい、、、。」

寮生「まあまあ。その気持ちはわかるけどさ、水穂さんの状態も考えて。」

給仕係「わかりました、、、。」

寮生「あなたも、落ち着いて。大丈夫だから。」

公平「あの、すみません。ここでは、ご飯とか一体だれが作っているんでしょう?」

寮生「契約している弁当屋があって、そこからもって来てもらってるみたいよ。もちろん、自炊している人もいるけど?前は、調理員さんがいたんだけど、体悪くしてやめてしまって。」

公平「じゃあ、おかゆでも作ってあげるのはどうでしょうか?」

給仕係「でも、私、つくりかた知らないです、、、。」

公平「俺、知ってますよ!たぶん、全粥でいいと思いますが、、、。」

寮生「知ってるなら教えなさいよ。」

公平「はい!じゃあ、台所にいらしてください。」

寮生「公平君、料理できないのに、どうやって教えるつもり?」

公平「最近の炊飯器は、おかゆだって炊けるんですよ。俺、火を使えない代わりに、そうやって対策してきたんです。」

寮生「へえ、そういうことはできるんだ。」

公平「はい。」

と、炊飯器の窯を丁寧に洗って、米をとぐ。そのスピードは極めて速く、手つきは見事なもの。

公平「おかゆを作るには、この線まで水を入れればいいのです。それで、今の炊飯器はおかゆが炊けますから。」

その通りに水を入れて、炊飯のスイッチを押してしまう。

給仕係「ありがとうございました。」

寮生「はあ、そういうことは知ってるのね。私、何も知らなかったわ。今の炊飯器っておかゆも炊けるんだ。」

公平「ええ。ガスが使えないので、いつもご飯は電子レンジと炊飯器に頼りっぱなし。」

寮生「ご飯を作っていたの?」

公平「ええ、外に出て働けない代わりに。」

寮生「へえ!変わった人ね。火を見るとあんなに泣いた人が、なんでご飯を作るのかしら。」

寮生「つまり、変な矛盾を持っているということになるのかな。」

懍が、食堂にやってくる。

懍「どうしたのですか?」

寮生「ああ、先生、公平君がですね、炊飯器でおかゆを作ったんです。」

懍「フラッシュバックしないで、ですか?」

寮生「はい、何もしていません。」

台所のほうから歌声が聞こえてくる。鉄を作っているものがよく口ずさむ、

姉こもさである。

寮生「まあ、歌なんか歌って、、、。」

懍「そうですね。彼もこうして工夫をしてきたのでしょう。今でこそ、ガスを使わないで食事を作ることはできますが、一昔前だったら、非常に困った存在だったでしょうからね。」

寮生「で、水穂さんは?」

懍「まあ、しばらくは動かさないほうがいいでしょうね。また、掃除とか洗濯は、誰か代理人を雇いますよ。」

声「はい、炊けましたよ。これを水穂さんに。」

給仕係「わかりました!ありがとうございます!」

と、給仕係はおかゆのたくさん入った茶碗を盆にのせて運んでいく。その時に、懍たちの前を通っていく。

懍「表情、変わってますね、彼女。」

寮生「そうですか、、、。」

と、そこへ公平が戻ってくる。

公平「いやあ、久しぶりに炊飯器を動かしたので緊張しました。でも、おいしそうに作れる機種でよかったですよ。最近の炊飯器はこうして、料理もできますから、よかったです。」

懍「公平さん、一人で作ったのですか?」

公平「はい、彼女も一緒でしたけど、僕が伝授する形で。」

懍「しかし、あれだけ火の前で大騒ぎをしたあなたが、なぜ、料理を作ることができるのでしょう?」

公平「炊飯器とか、電子レンジでも料理はできるって、確信しているからです。」

懍「なるほど。そうやって、自分でも対策を取られているのはよいことです。」

公平「二度と、寝太郎にはなりたくありませんから。俺、立候補しますよ。」

寮生「立候補って何に?」

公平「はい、水穂さんの代理で、掃除したり、洗濯したりとかです。」

懍「それはいいですね。ぜひやってみてください。」

公平「はい、俺は製鉄はできませんが、他のところで何か役に立ちたいんです。立ちたいけど、それができないから今まで苦しんできたんです。でも、ここなら、何かあるような気がしますから。」

懍「でも、ここは終の住処ではありませんよ。それを忘れないでくださいね。」

公平「そうでしたね、、、。」

と肩を落とす。

懍「まあ、やってみようという気持ちが芽生えた点はよい評価としましょう。」

公平「あ、ありがとうございます。じゃあ、台所の掃除してきますので、失礼いたします。」

と、台所に戻ってくる。また、姉こもさが聞こえてくる。

寮生「ちょっと、厳しいんじゃないですか?先生。」

懍「前述したとおり、ここは終の住処では、ありませんから。」

次の日から公平は、掃除人として働き始めた。鉄を作る作業を終えた寮生たちが食堂にやってくると

寮生「食器はピカピカ。」

寮生「ちり一つ落ちていないぞ。」

寮生「一体どういうことだ?」

と、きゅきゅ、という雑巾で床を拭く音。

寮生「あ、寝太郎が掃除してる!」

まさしく、公平が床を拭いていた。

公平「ああ、皆さんお疲れ様です。洗濯はしておきますから、洗濯機の前に適当に出しておいてください。」

寮生「出しておけって、ここ、一人で全部やったのか?」

公平「はい、寝公平は暇人ですからね。こうして、掃除をするのは生きがいですからね。あ、寝太郎ではなく、寝公平と呼んでくださいませ。」

寮生「寝公平か、、、。」

公平「はい、寝公平です。僕の名前は太郎ではなく公平ですから。ここでは、火を使えないと何もできなにようだから、寝太郎と呼ばれるそうですけど、僕は公平なので、寝公平。」

寮生「馬鹿に口も達者になったな。なんだか、強くなったのか?」

寮生「まあ、寝公平と言っても、寝太郎のままだろ。」

それでも公平は掃除を続けている。

寮生「へ、掃除くらいやってりゃいい。おい、飯はまだか?」

給仕係がやってきてテーブルに弁当を置く。先日の給仕係とはまた違うものが担当している。

と、目の前に湯のみがどかっと置かれる。

寮生「なんだ?」

公平「はい、お茶でございます。」

寮生「寝太郎がお茶を出した、、、。」

公平「寝太郎じゃありません、寝公平です。」

寮生「あ、ありがとな。」

公平「いえいえ。」

と言って、掃除に戻ってしまう。

公平「次は、お風呂の掃除をして来ます。」

寮生「は、、、。」

公平はかまわず、風呂場に行ってしまった。しばらくすると、風呂のタイルをたわしでこすっている音が聞こえてくる。

翌日。

寮生たちが起きだしてくると、食堂はきっちりとテーブルやいすが整理され、公平が、給仕係と一緒に弁当を丁寧に配置している。

寮生「おい、寝太郎が、俺たちの朝ご飯を分けているぞ。」

寮生「なんだか、寝太郎じゃなくなったみたいだぜ。」

と、水穂がやってくる。

寮生「あ、水穂さん、お体は大丈夫なんですか?」

水穂「ええ、おかげさまで。だから来たんですが、要らなかったようですね。」

公平「おはようございます。まだしばらく横になってくれていいですよ。僕はそのために働いているんですから。」

水穂「いえいえ、体を動かさなければ体がなまります。それに、僕も本来の役目をしなくちゃ。」

公平「水穂さんは、体がお悪いんですから、まだ寝ていてくれていいんじゃないですか?」

寮生「おい、寝太郎、水穂さんの役目まで取っちゃまずいぞ。」

寮生「そこまでお前がかかわろうとしなくていいぞ。」

水穂「二人とも、からかってはなりません。僕も、掃除しますから、早く朝ご飯食べたほうがいいですよ。」

寮生「へ?」

村下「おい、お前たち、何をやってるんだよ。早く天分鞴を動かしに来てもらわないと、制限時間が来るぞ。」

寮生「ああ、すみません、すみません!」

と急いで弁当をかきこんで、作業場へ移動する。

公平「本当にいいんですか、水穂さん。」

水穂「ええ、一日寝れば、よくなりますよ。あんまり寝てばかりいると、寝太郎になってしまいますしね、僕のほうこそ。そちらこそ、大丈夫ですか?」

公平「大丈夫って何がです?僕は頭は悪いけど体は悪くはありません。」

水穂「そうではなくて、心がです。あれだけ寝太郎寝太郎といわれ続けたら、傷つきませんか?」

公平「傷つくって、もう慣れましたよ。」

水穂「座りましょう。」

と、彼をテーブルに座らせる。」

公平「なんですか、水穂さん。」

水穂「ええ、心配なことがあるのです。これは僕だけではなく、教授も心配しているのですが、、、。」

公平「だから何ですか?」

水穂「ええ、きっとね、今は傷ついていないと思い込んでいるのかもしれないけど、きっとどこかで傷ついていると思うんですよ。人間ってそういうものですからね。僕はたくさんそういう例を見てきたからわかるんです。それに、ここのように、毎日毎日火と隣り合わせにいるような環境では、あなたが休まるはずもありません。それに、掃除は本来僕のすることであって、僕が再開したら、また燃料拾いに戻るしかありません。」

公平「いえ、大丈夫です。僕は、燃料を拾ってくるだけでも十分幸せです!」

水穂「無理しなくていいよ。こんなみじめな仕事をと思っているのが見えますよ。だから、それではいけないから、ここではなく、この外へ出たほうがいいと思うんですよ。」

公平「追い出すということですか?」

水穂「いえ、そういうことではありません。ここはあなたには適さないのです。ここでは、何をしたって火を使わなければなりませんもの。火が、一番怖いと感じているあなたには、製鉄というものは向きまんよ。ぞれではいけないから。」

公平「でも、水穂さん、僕はまだまだここで、皆さんの役に立ちたいと思っているんですよ。」

水穂「あなたは、何をされているのかわかりますか?それがわからないのですか?」

公平「何がって、掃除ですけど、、、。」

水穂「いじめられているということです。」

公平「いじめ?」

水穂「あなたは、認識にもずれが生じているようですね。ほんとは、ここにいるべきではないんですよ。」

公平「そうですか、、、。」

水穂「だから、どこかほかのところに行くべきでしょう。それが、一番だと思うんです。例えば老人施設で働かせてもらうとか、福祉施設で働かせてもらうとか。ここまで能力があるのですから、働けないということはまずありません、火を見ることがなければ。どうでしょう?」

公平「わかりました。俺、働いてみます。火を見ない仕事であれば、いいんですね。」

水穂「でも、その症状も、治さなければなりませんよ。ご自身で何とかできるようにならなければ。」

それを聞いて、公平はまた落胆の表情を見せた。

水穂「これに対しては、僕もメカニズムがわからないので、なんとも言えませんが、何か治療を受けるべきでしょう。ちょっとオカルト的かもしれないけど、催眠療法などは効果がある様ですよ。」

公平「俺も、この症状が消えてくれればって思ったことは何度もあります。だって、俺だってわからないんですよ。俺は確かに小学校でいじめられた時に、体に火をつけられそうになりましたけど、それはずっと前のことですよ。それなのになぜ、あんなに、大暴れしてしまうのでしょうか。」

水穂「まあ、そうでしょうね。PTSDとはそういうものです。」

公平「精神科にも行ったんですけどね。薬を飲んでもだめだったんです。」

水穂「まあ、精神科なんて役に立ちはしませんよ。僕がこの間ああなったときも、薬は補助的なものですからね。僕は幸い、雑役という役目をもらったので、生きていようという気になったのですが、そこが自分に適さない場所でなければ意味がありません。僕も、あなたも、本来であれば厄介ものになるわけですから、その分誰かに奉仕することを少なくともしなければならない。そのためには、自分を適した環境に置くことです。」

公平「水穂さん、俺に、適した環境なんてあるんでしょうか。俺、症状がでるから、どうしても自信が持てなくて、外に出れないんですよ。」

水穂「例えば、病院の掃除なんかはいいかもしれないですよね。」

公平「わかりました。俺、やってみます!スマホで求人を調べて、探してみますよ!」

と、食堂を飛び出してしまう。そこへ懍がやってくる。

懍「うまくいきましたか?」

水穂「ええ。何とか説得してみました。」

懍「よかった。彼は、もともとは能力の高い方で、今は病気が邪魔をしているだけですから、この製鉄所では意味がないでしょうからね。」

水穂「そうですね。僕もそう思いましたよ。」

懍「ええ。そのような人が、地に埋もれるような世の中であってはなりません。」

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