一人の観客

ジェノベーゼ

一人の観客

この廃墟にはピアノがある。

彼女はそれを弾きにくる。決まって日曜の深夜に。

僕はそれを特等席……ピアノの正面に座って聴く。

彼女のピアノはとても上手い、という訳では無い。だが、なぜかとても惹かれるのだ。

廃墟に響くピアノの、音。

彼女が作り出す、音。

いつも静かな廃墟に彼女の音がなみなみと注がれていく。


廃墟の近くには住宅地も何も無い。邪魔するものは誰もいない。

毎週日曜日、僕と彼女だけのリサイタルが開かれる。

日曜日がこんなに待ち遠しいと感じるのは初めてだ。そして、日曜日が終わることを恐れることも、初めてだ。


―演奏が終わった。

僕は目一杯の拍手を送る。

彼女がどこの誰だか何をしているのかなんて知らない。

なぜここに来てピアノを演奏してるのかなんて知らない。

だけど僕にとって大切なのは、そんな事ではない。

彼女がピアノを弾く。それを僕が聴く。

ただそれだけでいいのだ。

僕は彼女のピアノが好きなのだ。いや、実は彼女のことも…それは分からない。分からなくていい。


彼女がピアノを弾きに来る限り僕はここにいる。

ふわふわと漂いながら。


彼女に見えなくとも僕は拍手を送り続ける。

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一人の観客 ジェノベーゼ @0430____

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