2-2:二章 半径0センチの沈黙

「……というわけなんだ」


 あれから数日、俺はかなり精神的にキテいた。


 真央からのメールは確かに約束通り一日一通だけ。

だが、律儀にもその全てが文字数制限ギリギリまで書き込んである。


内容自体はそこまで狂気的ではないが、それが逆に彼女の異常性を引き立てている。


しかしあくまでもお互い了承し合ったルールの範疇であり、つまるところ、彼女はとても頑張っていた。


 そんなわけで、最近は朝起きて生きていることを実感する度に辛い。

 六畳一間の狭い部屋で、夕日が落ちるのを窓から眺めつつ酒を呷る今でさえ少し辛い。


 その苦しみを少しでも共感してもらいたく、桜井に話してやったのだ。


「こんなメールまで用意して、手の込んだイタズラしやがって」

 バカみたいなキロバイトを誇るメールを読ましても、桜井は信じようとはしなかった。


「証拠あるだろうが」

「俺は胡散臭いモノは全部、実物をこの目で見るまでは信じないんだよ」

 ムカつく顔を浮かべたので蹴りを入れつつ、桜井が借りてきた映画を観る。


 俺はぼぉっと眺めていたが、やがてあることに気づく。

「なぁ」

「なに?」

「なんで恋愛映画なんて借りてきたんだよ」


 テレビに映っているのは、恋人と一緒に観たらさぞ雰囲気が盛り上がりそうな、これはもうベッタベタで陳腐なラブロマンスだった。


 なにが悲しくて男二人で虚しく、愛しあう男女の濡れ場を見にゃならんのだ。


「……俺だって遥と観る予定だったんだよ」

「それがどうして男同士で仲良く鑑賞するハメになってんだ」


 桜井が舌打ち混じりに、この見るに堪えない惨状について語り始めた。


「急用が入った、らしい」

「遥が?」


 今一度説明するが、遥はこんな生ゴミを擬人化したような男と実に四年もの歳月を共にしてきた、中々に人のできた、そしてバカな女だ。

俺が女なら二秒で見切りをつけるのに。


 そんな自慢の彼女であり、進学先のランクを落としてまで桜井に付き添うような奴で、俺が知る限りではこれまで桜井との約束を優先しなかったことはない。

桜井がテスト期間に熱で寝込んだときも、単位を六つ落としてまで看病するような、それはもう別の意味でクレイジーな彼氏思いの女なのだ。


 そんな裏事情もあり、俺は少しばかり驚いた。

「でもまぁ、そんな日もあるだろ。あいつ友達多いし」

「こないだのデートも途中で用があるって帰った」

「……四年も続けば充分だろ」


 映画は佳境に入ったようで、女の不倫を知った男が一人葛藤していた。


 桜井は明らかにイライラした様子で、酒を飲み干す。


「チッ……なんだよこいつら。さっきまで散々セックスしてた癖しやがって、なにが愛だバカバカしい。こちとら真剣に悩んでんだよ、隣に彼女なんていねえんだよバーカ! バーカ、バーカ……くそ、なんだよ、ずっと一緒にいようって約束しただろうが、なんなんだよ。俺もしかして本当に飽きられたのかよ、嘘だろ嘘だって言ってくれよ遥ぁ」


 彼は酔っていた。

俺も酔いたい気分だった。

酒を飲む。

視界がクラクラした。


「直接聞けよ」

「……もし、もしもそうだったら、俺はどうすりゃいいんだよ」

「……さぁ」

 恋愛経験0年と豊富な知識を持つ俺でも、そんなことまでは分からない。


 桜井はぶつぶつと小さく呟いていたが、やがてぼそりと聞こえるように言う。

「探偵でも頼もうかな」

「おいおい」

「童貞のお前には分からねえよ、彼女いない歴イコール年齢のお前には分かる訳ねえんだ。

元からいないのと途中からいなくなるってのはな、結果は同じでも全然違うんだぜ。分かるか、俺の心の苦しみが。

あぁ四年も一緒だったんだ、今さらどうにもならねえんだよ」


 彼はとても苦しんでいた。それを見て俺は笑った。だって笑えるんだもん。

「なんとかなるさ」

 俺は魔法の言葉を囁いてやる。

桜井はそれを聞いて、自嘲気味に笑い酒を飲む。

「あーあ、もうどうにでもなれ」


 映画にも飽き始め、ふと真央からのメールにもう一度目を通したときだった。

片手で数えられるほど多くの友人を持つ俺のスマホに新たな通知が届いた。


真央が約束を破ってメールを送ってきたのかと思ったが、違った。


「おい、見ろ!」

「さっき見ただろ」

「先輩からだぞ、半年ぶりだ!」

「……不憫なやつ」


 桃花先輩からだった。

敏速な指捌きで開く。

いや異変といえば、もっとあからさまでとんでもない誘いがあったじゃないか。

いまさらだ。


だというのに。


「…………」

「どれ……テストお疲れ様、たまにはサークル来てね……なにこれ」


 普通だった。

この上なく普通な連絡だった。

当たり障りのない業務連絡でしかなかった。


「…………はぁ」


 しかし、飲み会といいデートといい、ここ最近の先輩はどこかおかしい。

 まさか本気でオカルトにハマったわけじゃないだろうな。

昔から飄々と構えていたが、なんらかのハードラック的契機により、非現実的超常現象に傾倒したのでは……


 俺が悶々と考えているうちに、ベタベタなラブロマンスも終わりを迎えていた。

「ほんと、最低の映画だな、これ」

 くだらない映画の結末はといえば、不倫に走った二人が死に、それを知った男が後悔するという、なんとも後味の悪い終わり方だった。

誰も幸せにならない悲しいお話だった。

こんな話を彼女と観なくてよかったじゃないか、そう言うと、桜井はディスクを放り投げた。


 俺は煙草を吸いつつ、ふと先輩との過去を思い出す。忘れられない黒歴史ではあったが。

  

  *

 

 去年の秋頃だ。

とっくにオカルトに嫌気が差し、講義のサボり方も分かってきた季節。


 オカ研の飲み会に参加したものの、場の雰囲気に酔い夜風に当たりに出ると、先輩がいた。


「……あれ、久瀬くんも酔っちゃった?」


 実際、先輩の頬は薄っすらと赤かったし、それほど酒に強いわけじゃないのは知っていた。

 だから、俺が目を引かれたのはそこじゃなかった。

「……先輩、煙草吸うんですね」


 初めて見る桃花先輩の別の顔。

長めの煙草を口に咥える姿は、薄暗い煙と独特の香りに巻かれ、どことなく退廃的な雰囲気が漂っていた。


「幻滅した?」

「いえ。ただ、そういうの嫌いなタイプだと思ってたんで、ちょっと意外です」

 ストレスとはかけ離れた性格だと思っていたし、友達との付き合いというイメージも特に感じられない。

ただ、どうして吸っているのかが気になった。


「……あんまりよくないよね」

「どうして煙草、吸ってるんですか」


 俺が聞くと、先輩はしばらく考え込んで、それから静かに吹かし、唇を開く。

「辞めたいから、かなぁ」


 なにを言ってるのかよく分からなかったが、少なくとも冗談には聞こえなかった。

「禁煙すればいいじゃないですか。健康にも悪いって言うし」

「そうだね。きっとよくないね」

 普段の先輩とは違って、煙草を吸う先輩は、どこか言葉が少ない。


 ぽつりとした夜の沈黙、けれど、これはチャンスだと思った。


「……俺にも一本もらえませんか」

 煙草なんざ一度も吸ったことはないが、この機を逃してはいけないと俺の直感が囁いていた。

煙草を吸うようになれば、これからも先輩と二人きりになる時間が増える。


「未成年でしょ。ダメ」

「一本だけでいいですから」

「ダーメ。煙草は慣れちゃうから」

「慣れる頃には中毒ですよ」

「ほんと、慣れないうちに辞めないとね」


 そう笑って、先輩はまた煙を吹かす。

 その横顔は、とても大人っぽくて、けれどどこか子供っぽくも見えた。

 なによりもその白い煙には、言いようのない寂しさが入り混じっていた。

 それから俺は、帰り道、先輩と同じ銘柄の煙草を買い吸ってみた。

 ニコチンが重たく舌に残る。

 詳しいことは知らないが、重たい銘柄なのは間違いない。


「先輩、こんなの吸ってるのかよ……」


 それでも、先輩との会話を増やすチャンスと吸い続けるうちに、いつしか舌も慣れてしまい、もう辞められないだろう。

誰も辞めろとも言いはしない。


 肝心の先輩はといえば、冬頃にすっぱり禁煙したきり、甘い香りしかしない。


  *

 

夜の十時を回った頃、映画を観終わり桜井も酔い潰れたのですることがなくなった俺は、メールに書かれていた集合場所である公園に向かった。


 真央はブランコに座って俺を待っていた。


「もう、遅刻ですよ」


 そうプンプン言いながらも、真央は嬉しそうに笑っていた。表現するなら、ニコニコと。


 ブランコから飛び両足で着地すると、腕をちょこんと後ろで組んで、俺と向かい合う。


「というわけで、お話ししましょう。

やはりまずはお互いをよく知る必要があると思うんです。

わたしは久瀬さんのことならパンツの枚数まで知り尽くしていますが、久瀬さんはわたしのことなんにも知らないですからね。

仲良くなるには自己紹介からです」


 なぜ来てしまったのかといえば、理由なんてないと答える他ない。

それでも強いて言うなら暇だったからであり、強引ではあれ約束を破るのは嫌だったからであり、下手を打ってまた暴走されたら困るからであり、美少女と会話がしたかったからである。


 自分でも悲しくなるくらいに単純だ、猿みたいな男子中学生を笑えない。


 とはいえ警戒をしていないわけでもない。

俺がこうして(ある種の下心から)歩み寄っているのも、今のところ大した実害が及んでいないからであって、彼女が包丁を携帯し始めたりポケットにスタンガンを詰めだしたら、俺は速攻でメルアドを変えるだろう。


 そんな奇跡的に曖昧なバランス感覚の下、俺たちは会話を交わしているのだ。

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