1-5:一章 俺の全裸を覗くな
飲み会は大学から徒歩十分ばかしの居酒屋で開催された。
座布団がほつれて綿が飛び出しているのを除けば概ね雰囲気良好、薄暗い照明が目に優しかった。
十数人程度だったが知らない顔もちらほらあった。おそらく新入生だ。
最近は、というか伊藤に振られ桜井に殴られることで現実に目覚めてからは、オカルト研究会などという現実から目を逸らし飲み会を繰り返すだけのサークルにはあまり参加していないのだ。
つまりは幽霊部員であり、大半から忘れ去られた存在であり、連絡が回らないのもきっとそのためだった。俺はみんなから意識的にハブられるような存在感は勝ち得ていないのだ。
しかし残念ながら空気のように透明な存在感ということでもない。
「え、誰こいつ。名前分かんなくて話しかけづらいし……なんでいるの?」といった無言の圧力を肌に感じつつ、隠れるように角の席に座り込む。角はいい。ひっそりとしている。
料理が出揃い乾杯の音頭が取られるまでは酒も飲めず、ノリだけで参加したことに少し後悔していた。せめて桜井か遥がいれば気が楽だったのに。
世の不条理さに憎しみを覚え始めたとき、後から遅れて一人の女性が入ってきた。
「あれ、珍しい」
そんな絶滅危惧種を発見したみたいな顔をしないで欲しい。
その人は俺を見るや、半隔離状態にあった俺の正面の席に座った。
「久瀬くん、久しぶり」
彼女の名前は結川桃花。
一つ上の先輩だが、それなりに趣味が合う。
なにより、ムーの存在に疑問を抱きつつあった俺をオカ研に引きずり込んだ元凶である。
かなりの美人だ、だから入った。これっぽっちも悔いはない。
「本当何時ぶりだろ。サークルにも顔出さないし、ちゃんと学校行ってる?」
「俺は五カ年計画ですから」
「あはは、大丈夫なの?」
「なんとかなりますよ」
「なんとかなる、か。そうだね」
先輩は楽しそうに笑っていた。
しばらくして酒がドカドカと積まれだしたのを頃合いに、部長が立ち上がった。
「えー、いいか男子諸君。今日の席は女性陣が大勢いる。くれぐれも、くれぐれもお下品なジョークで場を凍らせないようにしてくれたまえ。うむ。
では、おっぱーい……って早速下ネタやないかーい」と盛大に滑りつつ乾杯された。女性の方々が軽蔑の眼を向けている。
先輩をちらりと見ると、大分ツボにハマったようで、プルプルと口元を抑えていた。
やっぱり先輩は美しいなぁ、なんていうか、髪も長くて、しっとりしてて、艶っぽくて、大人っぽくて、でもなんだかちょっぴり子供っぽくて……綺麗だなぁ。
深刻なボキャブラリー不足に悩みつつビールを一気飲みする。
「ねえ、せっかくだし色々と話そうよ」
「……暑いし、怪談話じゃダメですか」
「ダメ。怖いのは嫌」
先輩は長い黒髪を耳元で撫で、クスリと笑う。
実のところ、オカ研に所属していながら先輩はあまりオカルトには詳しくない。
あくまでも友達作りの一環として入っただけらしく、月刊ムーを卒業しオカルトからは距離を置いた俺としては、日常的な話ができる貴重な相手なのだ。
そんなわけで今日も好きな芸能人の話なんかで盛り上がろうと思っていたのだが。
「もっと面白い話。イルミナティ暗躍の軌跡とか、楽しい時間が早く過ぎる理由とか、量子の不確定性原理についてとか、幸せの方程式の見つけ方とか」
「先輩まだ飲んでないですよね」
「そんなに変なこと言った?」
昔の俺と同じことなら。
とはいえ幸せの方程式の見つけ方なんて俺は知らない。俺が知ってるのは精々微分方程式くらいで、それだってもう忘れかけている。
だから俺は、もうちょっと詳しくて、なおかつどうでもいいことを話すことにした。
「なら月の話を。アポロ11号、人類初の月面着陸、NASAが飛ばしたロケットにまつわる都市伝説です」
それは随分と手垢のついた陰謀論だったが、先輩は楽しそうに頬杖をついてくれた。
──真空にはためくアメリカ国旗、真っ暗な月面写真、光源のない月面に薄く伸びる宇宙飛行士の影、月の裏側に眠る宇宙人の秘密基地、そして、隠蔽された空白の二分間。
俺は調子に乗ってあることないことまくし立てた。
いや、別に全部大嘘なんだけど。
これらの殆どは証明のされた疑いようのないデタラメだ。
だがただ一つ、証明のしようがない、真偽の程が不明な陰謀がある。
空白の二分間だ。
アポロの月面飛行は全世界で中継されていた。
しかし、とある二分間、オーストラリアを除き映像が途切れてしまった。
原因はもちろん不明。
そして唯一残ったオーストラリアの受信アンテナの録画によると、月面に小さくも偉大な一歩を踏み出した、かのニール・アームストロングはこう叫んだという。
「あの宇宙船のような物体は一体なんなんだ!」
…………なんて。
ピッチャーが尽きたので注文しようとしたが、店員が色んなテーブルをクルクル回っているのを見て止めた。これだけ客がいるのに店員は少ないらしい。
「ねえ久瀬くん」
先輩は酔っ払ったのか、ちょっぴり顔が赤い。難しい顔をしていた。
「はい」
「さっきの話……本当に信じてる?」
はぁ? 信じてるか? 信じてる訳ないだろ。
だがそんな野暮なことを言えるはずもない。
「やだなぁ、ロマンですよ」
「ふーん、ロマン、か」
「そうです。巨大ロボットもパンチラも国士無双十三面待ちも、全部男のロマンなんです」
宴会は賑わっていた。
隣の席で女が集まって恋話をしていたり、酔い潰れた部長がパンツ一丁になっていたり、テストが終わって、みんな浮かれていた。
そんな中、俺たち二人のオカルト談義など些細なものだった。
「なら知ってる? 九月の三日にね、みんな死んじゃうんだ」
「それって確か来年ですよ」
「マヤじゃないよ。もっと違う……なんとかって古代文明の終末論なの」
オカルトに関しては無駄に詳しいと自負のある俺でも知らない。
どれだけマイナーな記事を読んだんだか。まぁ、どうせまた外れる。
俺は知っているのだ、その日は青狸型ロボットの誕生日にしかならない。
「先輩は信じてるんですか?」
「どうだろ。多分大丈夫だと思うけど」
「じゃあ大丈夫ですよ。こういうのは気持ちの問題なんです」
「……なんで?」
絶対に起きないからですよ先輩。微塵でも可能性を疑うと社会的に死にますから。
ただ先輩はそういうことを聞いてるわけではないような言いぶりだ。
『なぜ世界の滅亡を心一つで阻止することができるのか』を不思議に思っているようだった。
一々説明するのが面倒だったので、俺は心と世界の関係性について説くことにした。
「つまりですね、世界は自分なんですよ。いえ自分こそ世界そのものなんです。認識しているから世界が存在するんです。心の動き一つで見える世界が変わるのは、本当に変わってるからなんです。そういう訳で、前向きに考えていれば世界は案外なんとかなるんですよ」
「へー」
自分でもなにを言ってるのかよく分からない。なんとかなるでは借金はなくならないぜ。
と、ビールを飲んでいたのだが、とうとうジョッキまで空になってしまった。
店員はやっぱり忙しそうにしていたけれど、今度は声をかけた。ちょいと待ちそうだ。
手持ち無沙汰にしていると、先輩が飽きたのか両指を合わせ、話題を持ちかける。
「……ねえ、久瀬くん、彼女とか、いる?」
……キタ。
ついに。
このときを待っていたんだよ!
落ち着け、落ち着くんだ。シミュレーションはすでに前日の間に完了している。
俺はなんとか平静を保ち、余裕を見せるためジョッキを口にした。空だった。
「いやぁ、今はいないですね」
「そっか……」
「………………」
そこで会話は途切れた。
終わり? もしかしてこれで恋話終わり?
慌てて話題を探し、先日強烈なインパクトを残し去っていったあの出来事を思い出す。
「あ、でも、最近変な女に告白されたんですよ」
「なにそれ」
俺はかいつまんで北原真央に関連する一連の事件を説明する。
先輩は聞き終える前から腹を抱えて笑っていた。
「あはは。いいじゃん。付き合っちゃいなよ」
「冗談言わないでくださいよ」
一晩ではまだ悩んでいた気もするが、二晩も経てば流石に頭も冷静になる。
付き合うとか論外だ。
俺が彼女に対してすべきことは、できる限り関わらず、仮に今後も接触してくるようなことがあれば速やかに通報する。それが一般市民のすべき責務だろう。
「タイプなんでしょ?」
「そりゃもう恐ろしいくらいドンピシャですよ。でも、出会いがあれじゃ」
「久瀬くんのことが好きなだけだよ」
アルコール度数はあまり高くない酒のはずなんだが、真っ赤な顔で口角がつり上がっていた。
からかいのタネを見つけたのがおかしくて仕方ないらしい。
「好かれるようなことしてないんですけどね」
中身のないジョッキを恨めしく眺め、今一度店内を見回す。もうそろそろかな。
「多分久瀬くんのカッコいいところを目撃したんだよ。猫を拾ったとか、見知らぬ少女を助けたとか、世界を救ったとか、なんかいいことしたんじゃない?」
そんなことを言われても、俺はそんなにお人好しじゃない。
「落し物なら探したんですけどね……多分違うと思います」
忘れているだけなんだろうか。それともあるいは。
「いやぁ、面白い事件だねぇ」
「当事者としては反応に困る事件ですけどね」
いや、もうあんな女のことは忘れよう。
たとえ美少女とはいえ、混乱を招くのならばムリに引きずるのはよくない。
最初から全部なかったことにして、平穏な日常に戻ろう。
よし、忘れた。俺はいま北原真央なんて女の存在を完全に忘れたぞ。
ええっと、俺は一昨日なにをしたっけな。テストをさぼって公園を散歩して、少女の落し物を探すの手伝って、でも見つからなくて家に帰って、それから……
「真央ちゃん……だっけ」
そうだ、北原真央に会ったんだ。なぜか俺の部屋にいて、パンツを大事に抱えていて、ストーカーを名乗り、専門学生で、好物はオムライスで、妄想級に可愛くて、俺のことを好きだと……ムリのない範囲で忘れよう、できるだけ早く。
「可愛いならいいじゃん」
先輩が軽く微笑み口元を抑える。俺は小さくため息を吐いた。
その横に、ようやくやって来た店員が注文を取る。
「……ご注文お伺いします」
──耳を疑う。
知っている声だった。
聞いたことのある声だった。
柔らかくて可愛らしい、でもちょっぴり甘ったるい声。
「えっと、ビールをピッチャーでいいんだよね」
なんだこれ、なんだ、これ。
偶然なのか。
酔い過ぎで頭がイカれちまったか。
だが視界は明瞭に目の前の女を映し出している。
黒っぽいエプロンの裾を揺らし、慣れた手つきで注文をメモする。
細い指先でペンを握り、微かに震わせる。書き終え、ペン軸をほんの少し揺らす。
ちょっとした仕草の一つにも、俺は目を離せずにいた。
俺はもう忘れたんだ。忘れたいんだ。
──好きだからです。
しかし、忘れることはできない。あんな強烈な微笑みを、忘れられるはずがない。
そいつはにこやかな笑顔を振りまいて注文を復唱する。
つまるところ、決して逃れられない現実がべっとりまとわりつくように。
北原真央がそこにいた。
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