1-3:一章 俺の全裸を覗くな

 意味が分からない。

 恐怖すら感じる。

 なんなんだ、意味が分からない。

 

 なにが怖いって、俺はその女のことを全くこれっぽっちも見たことがなかった。

 

 おそらく変態だ。

 だが、しかし、いや、流石に変態の一語で片付けられまい。

 

 なんだ、俺の知らないところで秘密裏に組織が計画を実行してたりするのか。

 じゃあなんの組織でどんな深遠な計画があって、一介の大学生である俺の家でパンツを漁るんだ。

 

 願わくば事細かな状況説明をお願いした後速やかにお帰り願いたい。

 心の底からお願いしたいが、しかし願ってばかりで放っておいても誰も助けてくれやしない。

 

 そこで、あまり近づき過ぎないよう距離をとり、慎重に声をかけることにした。


「あの、どちらさま、ですか?」


 俺が声をかけると、女は大事に抱え込んだパンツを引き出しにしまい、それからおもむろに立ち上がって、なにやら決心したような顔で俺を見つめた。


 綺麗な目だった。大理石に落っことしてひび割れた水晶球みたいな瞳をしてる。


「わたしは、別に怪しい者ではないんです!」


 なにやらデジャブを感じる。しかもぽんこつの香りだ。


「じゃあ、なんで俺の家でパンツ漁ってんだよ」

「これはつまり、仕方ないんです。誤解なんですよ。決して久瀬さんの下着を盗みたかった訳ではないんです」

「…………」


 なんて説得力に欠ける発言だ。

 そして一つ情報。この女は、俺の名前を知っている。表札なんざ、かけてないのに。


「お前、誰なんだよ」

「わたしですか、わたしは北原真央っていいます。

スリーサイズは上から82・59・86で、好物はオムライス、嫌いなのは高級料理です、高いですからね。十八歳の専門学生で誕生日は九月の十八日。それから……」

「ちょっと待て」


 確かに聞いたがそうじゃない。聞いてもいないことをペラペラ喋りやがって。

 北原真央──やっぱり聞いたことのない名前だ。


 ひとまず、この女に延々と語らせると長くなりそうだ。話のペースは俺が握っていなくては。

 さっさと状況を整理したい。


「……で、なんで俺の家にいるんだ?」

「簡単に言えば情報収集のためです。久瀬さんの生態を知っておく義務があると思って」


 …………

 ……………………ん?


 こいつは、日本語を喋ってるんだよな?


「ちょっと意味が分からないんだが、分かるように説明してくれないか」

「だから、ストーキングしてるんですよ」

「スト……ストッキング?」

「それは靴下です。最近は夏でも蒸れないんですよ。ほら、わたしも履いてます」


 ……そうか。

 つまりあれか、最近巷で流行ってるっていう、ストーカー行為のことか。


 ストーキング──特定の他者に対して執拗に付きまとうことで、別れ話が拗れてしまったり、頭が少々イカれてしまったりすると耳にする単語らしい。


 しかし俺には彼女もいなければメンタルクリニックにお世話になった覚えもない。

 当然こんな女にストーキングされるいわれなんて一切ない。


 俺は考えた。なぜこの女はこんなことをしているのだろう。

 そして出た結論は一つだ。


「真央ちゃんだっけ、いま救急車を呼んであげるからな」

「え、なんで?」


 きっと彼女は統合失調症で重度の被害妄想に囚われているのだ。

 だからこんなに支離滅裂な戯言や行動をしてしまったのだ。

 それは病院に行って適切な治療を受けることで少しずつ回復するはずだ。


「そ、そんなの必要ないですよ」

 こうして否定するのも証拠の一つ、異常者は得てして自分の異常さを認識できないのだ。


「じゃあ通報するぞ」

「通報?」

「窃盗未遂に住居不法侵入だぜ、当然だ」

 しかもストーキングをしているなどと謎の自己申告まである。罪は重いだろう。

 ともかく彼女の行為は立派な犯罪に相当する。常識人である俺からすれば通報は極自然な流れだ。


「……えっと、通報は……その、困ります」

「そう言われてもな……」

 ただ、変に思うかもしれないが──別に通報する気なんてなかった。


 確かにこの女は異常だ。明らかに頭がおかしい変態だ。

 いかなる理由があれど納得できる気はしない。

 となれば、わざわざ事態を究明する必要性は薄い。

 いや、興味はあった。

 なんだかんだで恐怖もある。

 警察を呼べばそれらは速やかに解決される。

 悪くない選択だ。


 だが、そんなこと、明日にだって間に合う話だ。


 とにかく疲れているし、早く寝たい。

 警察なんか呼んだらそれこそ事情聴取やらで夜が明けてしまう。

 そんな面倒くさいことはまっぴらごめんであり、今は寝ることが最優先事項だ。

 だから、このよく分からない女にはこのまま穏便に帰っていただければそれでいい。

 そのせいで明日の俺が困っても、そんなのは知ったこっちゃねえ。

 面倒くさいことはまた明日の俺に任せればいいのだ。


「これからもうしないって約束してくれれば、どこにも電話かけないでやるから」

「ごめんなさい。もうパンツ漁ったりなんてしません」

「うん」

「なので、法に触れない範囲で頑張りますね」

「…………」

 なにかが根本的に間違っている気がする。


「……俺さ、今日はもう寝たいんだ。だからさ、帰ってくれない?」

 俺が言うと、北原真央はハッとしたような表情で、ポン、と手を叩いた。

「あ、そうですよね。炎天下に一日中落し物を探してたんですから疲れてますよね。ごめんなさい気が利かなくって。

そうだ、カフェオレ淹れてあげます。ミルクに含まれるトリプトファンという成分が安眠を促してくれるんですよ」

 ……本当に、なんなんだこの女。


「ずっと見てたのか」

「ええ」

 俺をずっと覗いていた。


「どうして」

「どうしてって、決まってるじゃないですか」

 ストーカーだから。


「お前……お前一体なんなんだ」


 俺が叫ぶと、彼女は緩やかな手つきで髪を撫で、柔らかに微笑んだ。

 一瞬の静寂、そのとき、俺は改めて彼女をまじまじと見つめた。


 そして、そのとき俺はようやく認識した。


 彼女──北原真央は美少女だと。


 いや、正確に言うなら、北原真央は俺にとってドストライクな容姿をしていやがった。


 妄想が具現化したと言っても過言じゃない。

 ピンクベージュの唇は控えめで、それでいて目を離せない。

 透き通った瞳、短すぎないサラリとした黒髪のショートヘアは少し跳ねて、白く透明な肌を引き立てる。

 服装に至っては完璧だった。

 絶妙にダサい英字のパーカーにミニスカート、その下には薄手の黒サイハイソックスを履いている。

 

 それらは全て、絶妙に俺の好みを押さえていた。

 北原真央は俺の想い描く美少女像に限りなく近かった。

 完璧だった。

 百点満点だった。

 恐ろしいほど可愛かった。

 本当に怖くなった。

 誰だ、お前は。


「……久瀬さんのためにも今日は帰ります。でも、カフェオレはちゃんと飲んでくださいね」

「……コーヒーはブラック派なんだ」

「いいこと聞いちゃいました」

 そう言って、彼女は部屋を出て帰ろうとする。もしかして正面から入ってきたのか。


「また来るつもりなのか?」

「嫌ですか?」

「そりゃあな」

「なら、もう家には来ません」

 嫌な予感がした。

 なんとなく分かってきた、彼女の意図が。


「嫌われたら嫌なので」

「じゃあストーカーもやめろよ」

「それはそれです」

 すると一本の糸が繋がるのだ。

 だが、だが──


「なあ」

「はい」

「なんで、俺のことを……」


 俺が言い切る前に、彼女はスニーカーのつま先で床をトントンと叩き、ドアノブを回す。


 ドアが開き、外の生ぬるい湿気が飛び込んでくる。


 そうして彼女は振り返り、甘くふんわりとした声で囁いた。



「好きだからです」



 腰に巻いたタオルが滑り落ちる。


 これは現実なんだろうか。妄想じゃないのか。夢でも見てるのか。

 ほんのりとした笑顔は、夜の暗さに隠れても可愛かった。


 タオルが解けフルチンになっても、俺は彼女が去るのをぼんやりと眺めていた。

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