1-2:一章 俺の全裸を覗くな

 

 あちこちを探し回ったが、人工精霊オレンジは見つからなかった。

 

 夏場の太陽は鬱陶しく纏わりつき、照りつける日光が日焼け跡を残し疲労を植えつける。

 全身汗だらけでシャツはびしょ濡れだった。体を動かすたびに重力を感じる。


「諦めよう、これだけ探してもないんだ」

 俺がそう言っても、少女は茂みの陰に隠れたオレンジを探すのを止めない。

「やだ」

「もうないんだよ、誰かに盗られたか下水にでも流れちまったのさ」

「やだ、やだ! あるもん! 絶対あるの!」

 少女の頬に一筋の線が伝う。それが汗なのか涙なのか、俺には判断がつかなかった。


「大切なのは分かるけどさ、なくたって別に困るもんでもないだろ。

お母さんも分かってくれるよ、きっと大丈夫さ。だからさ、もう遅いし帰ろう」

「ダメ。

オレンジがないと、悪いことしか起きないから。

オレンジが見つからないのも多分オレンジがないからなの。だからオレンジ探さないと」


 なんだそりゃ。そもそも人工精霊にそんな機能はなかったはずなんだが。

 いや人工精霊自体パチもんの集合体みたいな物だ。機能もなにもただの瓶じゃないか。


「なかったらなかったで、なんとかなるって」

「違うの。あのね、オレンジには科学的に証明された効果があるんだよ。

そう、放電効果で常に微量な電気が流れていて、それでマイナスイオンっていうのが放出されてるの。

空気中の分子やエネルギーに作用して、持ってる人の精神を爽やかにしてくれるの。それに疲労回復や血液浄化作用もあるの、上田教授も言ってたよ。凄いでしょ」


 やけに難しい言葉を使う小学生だった。


 マイナスイオンってあれか、昔流行ったあれだな。トルマリンとか水素水とかの。

 俺は疲れていたのもあって、大人気なく少しだけ口を滑らせることにした。


「……いいか、君の探してる物はインチキの嘘っぱちだ。

それっぽく見せてるだけで本当はなんの効果もないガラクタなんだ。

瓶の中には人工精霊なんて入ってないし、マイナスイオンも発生してない。

持ってたっていいことなんて起こらない。

もちろん失くしたからって悪いことが起きるはずもないんだ。

なんとなく気持ちが晴れ渡った気がしても、それは単に天気がいいからであって、決して人工精霊のおかげじゃない」


 口早にまくしたてると、少女は明らかに不機嫌そうな表情を浮かべた。

「ウソ」

「嘘じゃない」

「……本当に?」

「あぁ。大事なのは、なんていうか、心構えなんだよ。全部自分次第なんだ。だから、な」

 どこかで聞いたようなありふれたフレーズを口にする。


 言い終えてやはり、小学生に話すようなことではないことに気づく。

 俺だって母親からクリスマスプレゼントで貰ったゲームは売らずに残してある。

 それが役に立たないガラス瓶だったとしても、おそらく大事に取っておいただろう。

 それくらいはなんとなく、想像がついた。


「……やっぱり、もうちょっと探す」

 だから少女が涙を堪えて目を落とすのを、黙って見過ごすなんてできるはずがない。


 夕暮れ、オレンジ色の夕焼けが滲む空の下、暗くなるまで落し物を探した。


 でも結局、日が暮れてもガラス瓶は見つからなかった。


   *


 アパートに帰り着く頃にはすっかり夜だった。

 

 とにかく疲れていたので、とりあえずシャワーだけ浴びてそのまま寝ることにした。

 

 汗塗れの服を脱ぎ、ユニットバスに軽くお湯を張ってから崩れるように座り込む。

 熱々のシャワーが頭から降り注ぐ。

 汗と一緒に今日という日が流れていく。

 

 今日を振り返って、なんだか凄く無駄な一日だったように感じる。

 

 ……そういえばオレンジ少女の名前を聞いてなかった。

 もう会うことはないか。

 願わくは落し物が見つかるか、でなければ人工精霊なんてさっさと忘れればいい。

 人工精霊なんてくだらないオカルトを信じても、いつか裏切られるだろうからさ。

 妄想を叶えてくれる、そんなのは自分でやることだ。誰かに任せることでもない。


 まぁ、俺にはもう関係ない出来事だけどな。


 そんなことを温かな湯船に浸かりながら、漠然と思っていた。

 この心安らぐ時間、ユニットバスに肩まで浸かる温度は、確かに幸せだったのだろう。


 ──バチン、と音がした。

 途端、目の前が真っ暗になった。


 なにが起きたのか理解するまでもなく、冷たい水が俺を現実に引き戻す。

「……こんな日に停電かよ」

 

 続いて部屋からエロ本やらゴミやらの土砂崩れの音。

「…………詰め込んどいたのに」

 

 そして同じく部屋から声がした。

「声?」

 

 声なんて聞こえるはずがない、一人暮らしだぞ。

 合鍵を渡した彼女もいない、というかそもそも彼女なんていたことがない……

 もしかして──空き巣か?

 

 俺は慌てた。

 急いでバスタオルを腰に巻き、いつでも警察に通報できるようスマホを片手に、臨戦態勢のままゆっくりとドアノブを掴む。


「あんまりいいのがないなぁ……」


 扉の向こうからなにか独り言が聞こえたが気にしない。

 意を決し、唇を結び、視線を落とす。

 そして勢い良く扉を開ける──目の前に広がっていたのはショッキングな血塗れ死体──ではなく、深海を濾したかの如く青白く冒涜的な肌をした、人間を嘲笑うような病的に細いその二本の脚で這いずり回る、この世の存在とは思えぬ名状し難き人型生物──がいるはずもなく、ただ包丁を持った大柄な男が──違う。


 違った。


 部屋には、見知らぬ女がいた。


 タンスの前に座り込んでいて、俺の存在に気づき振り返る。

 目が合った。


「……え、えっと……えへへ」


 なんか笑ってる。


「…………」


 誰なんだこいつはとか、どうやって入ったんだとか、そういった諸々の思考が流星の如く頭の中を駆け巡ったかといえばそうではなく、代わりにただ一つ思ったことといえば、


「……なにやってんだこいつ」


 そいつはパンツを握りしめていた。


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