酔っ払って後輩と致してしまい、忘れようと二人で決めたのに後輩が嫉妬するようになって、付き合ってないのにお致しするようになったJD百合


 伊藤(いとう)紗英(さえ)。20歳。JD二年生やってます。


 私の入ってるサークルは器楽研究会っていう、まあのんびりといろんな楽器を演奏していきましょうって感じのやつで、派手さはないけど居心地のいいサークルだ。


 どっちかというと男子より女子の方が比率が多く、女子よりも遥かに楽器の数が多い。それもドマイナーな楽器ばかり取り揃えられている。どれを借りてもいいし、教本も揃っているので、毎日だらだらと音を出しては遊んでる。


 今は三線やポケットサックス、それに世界でもっとも気味の悪い音がすると有名な、ウォーターフォンに力を入れていた。特にウォーターフォンの評判が悪い。私がサークルで弾いてると近所から苦情が入るので、ロケーションを重視して殺人現場とかの起きそうな廃ビルで弾こうかと思ってるんだけど『心霊現象に思われるからやめろ』とよく止められている。


 そんな風に変わった楽器をそれぞれ好き勝手に演奏するようなサークルだけど、私たちは大学生なので、月イチの定期報告会という名の飲み会はあったりする。


 私は地方から上京してきた女子高育ちの人見知りだったので、飲み会のたびに肩を縮こまらせて隅っこの方でちびちびやってたんだけど。


 まあまあ、何事にも慣れというか、コツを掴む瞬間ってのは来るもので。人生も楽器と似たようなものですよ。


「うぇーい! かんぱーい!」


 と、私は笑顔でグラスを掲げる。安い。早い、そこそこ美味しいがウリの、学生向け居酒屋だ。その奥まった掘りごたつな座敷席を占拠した一団が、私たちだった。


 ようするにね、難しいことを考えなければいいんだ。気を遣う必要なんて一切ない。だってみんな、べろんべろんに酔っ払って飲み会のことなんて覚えてないんだから。


 サラダを取り分けたりもしない。注文も頼まない。ただお酒を飲んで、場の雰囲気であははーって笑って、それだけ。幼児になった気分で楽しめばいい。最低他人を不快にさせなければいいっていうのは、だいぶ人付き合いのハードルが下がるからね。これが大学生の飲み会のコツだと、私は気づいたのです。


 というわけで、私は私でグループを形成し適当にやってたら、新入生がたまたまトイレにいって席を立っていた友達の代わりに、私の隣に座った。


「先輩、ここ大丈夫ですか?」

「うん、いいよいいよ」


 食べかけの皿を適当に端に追いやり、新入生の場所を確保する。後ろのテーブルはエレキギターみたいに盛り上がっていて、どうやらそこから避難してきたようだ。


「あっち騒がしいもんねえ。なんか頼む? 適当に飲むといいよ。どうせ会費制だし」

「あ、えと……じゃあ先輩と同じものを」


 肌寒い季節になってきたからか、薄手のブラウスの上にベロアのカーディガンを羽織った彼女には、緊張の色が見え隠れした。どうやらまだまだ大学生の飲み会のコツを掴めていないようだ。こんな飲み会、パーカーとジーパンでいいんだよ。


「南田(みなみだ)菖蒲(あやめ)ちゃんさ」

「は、はい。なんでフルネームなんですか?」

「新入生の中でも大人しくて可愛い菖蒲ちゃんにね、私が飲み会のコツってのものを教えてあげるよ」

「は、はあ」


 というわけで幼児になった私は菖蒲ちゃん相手に管を巻く。普段はもうちょっと気遣いもできる私だけど(本当だよ)、飲み会だから必要以上にウザがられるのを恐れてはならない。あらゆる基準をゆるゆるにするのがコツだと、体を張って教えてあげているわけだ。


 菖蒲ちゃんは小さくて可愛いし、おしゃれで女の子女の子してるから、上級生みんなのお気に入りの新入生ちゃんだけど、いつも特定のグループに引っ込んでて私たちと喋ってくれないから寂しいのだ。


「寂しいんだよ!」

「ええっ、そ、そうなんですか……す、すみません、そんなつもりなかったんですけど……」


 グラス片手に力説すると、菖蒲ちゃんは頬をアルコールで赤らめながら「でもそんな、わたしなんて別に」という定型文を口にしていた。そういうところも可愛い。いい匂いがする。女の子かよ。女の子だわ。


 菖蒲ちゃんの席を確保するために押しのけられた友達が帰ってきた。彼女は私と菖蒲ちゃんを見ながら「来年は菖蒲ちゃんも、紗英みたいになるのかな……」とぼそっとつぶやいて、他の席に移っていった。よくわからないけど、たぶん失礼だと思う。私は怒っていいんじゃないかな? ゆるゆるだから怒らないけど。


 二十名弱の賑やかな飲み会。騒がしい面々の中で、菖蒲ちゃんの声は小さいので、必然的に顔と顔を近づけて話すことになる。


「わたしも、実は、前から紗英先輩と仲良くなれたらなぁ……って思っていたんですよ」

「え? そうなんだ。じゃあ今はやめたほうがいいんじゃないかな……たぶん明日、なに話したか記憶がおぼろげだよ」

「ええー? あ、じゃあいろんなこと聞いちゃっても、紗英先輩は覚えてないってことですよね?」

「あー、うんまあ、そうかな。確かに。大学生の飲み会の定めを逆手に取るとは、大したもんだね菖蒲ちゃん……。私の教えることはもうなにもないな……」

「あはは」


 お酒が入ってるからか、近い距離で菖蒲ちゃんは無防備に笑う。かわいいやつめ。


「あー、せっかくだし、このあとどこかいってまた飲む?」

「えっ、い、いいんですか?」


 久々に菖蒲ちゃんを独占できたことが嬉しかったのか、私はそんな風に彼女を誘っていた。今の私は幼児なので「あーそーぼー」ぐらいの気持ちだ。すると彼女は目を輝かせて誘われてくれた。菖蒲ちゃん優しい。かわいい。


「じゃあ二軒目いこー!」

「お、おー」


 私は菖蒲ちゃんの肩を抱いて、楽しげに拳を突き上げる。彼女もそのノリにがんばって合わせてくれた。小さくて華奢な体だけど、抱いた肩は柔らかくて、なんだか離し難い魅力にあふれてた。


 珍しい組み合わせは、飲み会の妙だ。たまたま隣り合った人と意気投合することがある。そしてシラフになってから「あっ、ども……」「ども……」みたいな会話をすることになる。菖蒲ちゃんとはどういう運命をたどるかどうかはわからないけど、まあいいじゃないか。なにがあっても、今が楽しければ!


 それが! 大学生の! 飲み会!




 翌日、私はラブホテルで目を覚ました。


 なにがあったんだ……。




 ***




 起きてまず思ったことは「頭痛い」「気持ち悪い」「ここどこ」の三点だ。あと「なぜ裸」も。「これ完全にヤッたな」も入れよう。五つになった。


 しかもシャワー室から水音がする。何者かがいることは間違いないようだ。


 菖蒲ちゃんと二軒目に向かったところまでは覚えてる。学生向けの安い居酒屋がどこもいっぱいだったので、ワンランク上品な魚介系居酒屋に入ったんだ。見栄張って「けっこう来るんだよ」って言ったけど、友達のお誕生日に一度行っただけのところだ。


 そこで個室に通されて、そこから先は菖蒲ちゃんにいろんな質問をされていた気がする。あ、だめだ、もう記憶がない。


 とりあえずあたりを見回す。ごく普通のラブホテルのインテリアだ。いやごく普通のラブホとかよくわかんないけど。キングサイズのベッドの脇に落ちていたパンツを拾い、はく。ブラは見当たらなかった。脱ぎ散らかされているのは、女物の服が二種。うーん?


 一番最悪のパターンは、菖蒲ちゃんと行った二軒目で男に絡まれてダブルナンパされた、みたいな感じだろうか。シャワー室から見知らぬ男が出てきたら、私の頭にウォーターフォンが鳴り響くことになるだろう。


 でもそれ以外、あんまり想像できない状況っていうか……。とりあえずスマホをいじりながら待つ。私もシャワー浴びたいし。ガラッとドアが開いた。


「あ……」


 出てきたのは菖蒲ちゃんだった。裸にバスタオルを巻いて出てきたけど、私が起きているのを見て一度戻って、今度はバスローブを着て出てきた。その間、私はフリーズしていた。


「あの、えと……」

「せ、先輩……」

「……お、おはよう?」

「お、おはようございます」


 半裸と半裸の女が頭を下げ合う。菖蒲ちゃん、すっぴんだといつもより少し幼くて、まるで高校生みたいだ。でも鼻筋が整って、目が大きくて、眉も自前のやつだから、今でも十分以上の美少女。あとめっちゃ肌が白くて綺麗。なんなの、極夜の生まれかよ。体ほっそい。脚長い。ドキドキした。


「えーっと……先輩、その、昨夜のこと、覚えていないんですよね……?」


 箱の中身はなんでしょうかゲームするみたいに、菖蒲ちゃんが尋ねてくる。もう大学生の飲み会はおわって幼児じゃなくなった私は、ベッドの上に正座しながら「はい……」とうなずいた。


「そ、そうですかぁ……。実は、わたしもよく覚えてなくて……」

「あっ、そうなんだ」

「はい……。とりあえず起きて、シャワー浴びてきて……あ、わたし、シャワーは朝派なので、朝浴びないとぜんぜん目が覚めなくて……」

「そうなんだー……」


 微妙な距離を保ったまま、私と菖蒲ちゃんは当たり障りのない会話をする。とはいえ、いつまでもそれを続けるわけにもいかない。人生は有限だし、大学生活は四年しかないし、あときょうは2限から授業がある。


「あのさ、菖蒲ちゃん」

「は、はい」


 緊張した面持ちの菖蒲ちゃんに、私は目を逸らしながら告げる。


「たぶん、ヤッたよね、これ……私たち……」

「……そ、そうですね……」


 さすがに認めざるを得なかった。


 先ほどから、周囲に無数のシャボン玉が飛んでいて、その中には菖蒲ちゃんと夜通し愛し合った光景が映っているようだ。キスしたり、なんかいろんなところついばんだり、撫で合ったり、たくさん喘ぎ声聞いたり、聞かせたり……。どれも断片的な記憶だったけど、さすがにそのすべてが妄想や夢というわけではあるまい……。


「あるいは、宇宙人に特殊な記憶を植え付けられたか、だけど……」

「そ、そうかもしれませんね……」


 まったく信じてない顔で菖蒲ちゃんがうなずく。その菖蒲ちゃんのバスローブの中の裸体は、寝る直前まで好き放題しちゃったやつで、え、なにそれ、やばくない?


「……ぶっちゃけ、どこまで覚えてる? 菖蒲ちゃん。私、二軒目以降、記憶が無いんだけど」

「えっと……。二軒目を出たときには、もう終電がなくて……先輩が大学生なんだからって言って、せっかくだからホテルいこうって……。あ、でもわたしも、なんだか楽しそうで、いいかなー、って……。よくホテルで女子会とかって、ありますし……」


 菖蒲ちゃんは濡れ髪のまま、照れ照れとたどたどしく語る。その顔は真っ赤だった。かわいいな、この子……。


「その後は、えっと……。なんか、そういう雰囲気になって……」

「そういう雰囲気に」

「相手のこともっともっと知りたいですよね、みたいな……。なんかギュッとしてたら、きもちよくなってきちゃって、みたいな……。でも、覚えてるのって、それぐらいで……」


 後輩に恥辱プレイを強いてしまった感があるけれど、私も同じぐらいダメージを食らったので勘弁してほしい。そうかー! 雰囲気でかー!


 私はその場に正座しているのもいたたまれなくなってきたので、うろうろしてブラを捜索することにした。ソファーのところにあった。脱いだのベッドですらなかったのか……。けっこう、こう、アグレッシブなプレイをしていたような思い出が蘇りそうになるので、そのシャボン玉をつついて壊した。


 菖蒲ちゃんはドライヤーで髪を乾かした後、同じようにうろうろして下着を探していた。後輩美少女がベッドの付近でパンツを拾ってそれを恥ずかしそうに身につける光景を見るのはこれが初めてだったけど、なんというか、まあ、平安時代なら俳句を読んでしまうような趣があったよね……。


 白いおしりがちらりと見えて、また記憶の扉が開きそうになるのを必死に押し止める。頭痛はいつの間にか、収まっていた。


 シャワー浴びてこよう……。うっ、菖蒲ちゃんの後の浴室、使用済みで濡れてて、なんかすごい生々しい感じになってる……。いや、それ以上のことをしておいてなんだって話だけど!


「さて……」


 さっくりと化粧を済ませた後。お互い着替えも終わって、私はベッドに、菖蒲ちゃんは緊張した面持ちでソファーに座っている。その距離感がモロに互いの気まずさを現していた。飲み会前より距離が開いている……。


「菖蒲ちゃん」

「はい」

「あの、どうやら私がホテルに引っ張り込んだみたいで、心苦しいんだけど」

「はい」

「きょうのことは、ふたりで忘れるってことでひとつ、どうだろう」


 おそるおそる、上目遣いで菖蒲ちゃんの様子を窺う。すると、菖蒲ちゃんも「そうですよね……」と完全に同意してくれた。


「あの、わたし、女の人とこういう風なことするの、初めてで……。その、本当に、そんなつもりじゃなくて……」


 小動物みたいにぷるぷる震える菖蒲ちゃんに、私は慌てて両手を振る。


「いやいや、私もだから!」

「えっ、そ、そうなんですか? 先輩、誘い方も慣れてたから、てっきり……」


 幼児になってたときの私は怖いものなしだから、思い切りがいいだけだよ。


「伊藤紗英、二十年生きていて、女の子と致したのは初めてのことだよ」

「そ、そうなんですね……。わたしも、その、そうでした……。初めて……」


 そんな顔で初めてとか言われるとヘンな気分になっちゃうから。いや、ならないし! なるよ! ドキドキするに決まってるだろ! なに言ってんだ私は!


 せめて先輩として尊厳を取り戻すために、私は真面目な顔を作った。もう無駄だろうけど。


「とりあえず、きょうのことはふたりで忘れよう」

「……はい」


 二軒目で奮発して持ち合わせがなかったので、ホテル代は菖蒲ちゃんに頭を下げて借りた。先輩の尊厳とは。




 ***




 あれから何日か経って、私の器楽研究会の日常が戻ってきた。菖蒲ちゃんとは付かず離れず微妙な距離で、先輩後輩の仲を保っている。お互い同罪であり、共犯者だという自覚があるからか、めちゃくちゃ当たり障りのない会話とかするようになってむしろウケる。心の距離は遠い。


「紗英さ」

「んー?」


 ウォーターフォンを芸術的にかき鳴らしていた私(おかげでサークルに他の人がいなくなってしまった。端っこに菖蒲ちゃんがいるぐらいだ)の元に、同期の友達がやってくる。スマホをぷらぷらと揺らしながら。


「きょう飲み行かない?」


 私の手が止まる。つい先日のことが頭をよぎった。


 いや、でも、まあまあ……。あんなことはもう二度とないだろうし、大丈夫だろう……。あまり幼児になりすぎなければ……。幼児なら許されるかもしれないけど、私はもう大学生だからな……。人のぬくもりを素直に求めたら罰せられる年齢なんだ。


「まあ、いいけど……。あんまお金ないよ」

「じゃ、宅飲みで」

「え? うち?」

「紗英、一人暮らしじゃん」

「そうだけど」


 宅飲み。お互いの家。女ふたり。ひとつの布団。触れ合う体……。


 過ちが起きるには、絶交のシチュエーションである。いやいやいやいや。


 どんだけトラウマになっているんだ私! 大丈夫に決まってるから! でもしばらくは気が進まないなあ!


「あの、先輩」


 と、そのとき珍しく。菖蒲ちゃんが話しかけてきた。サークル内で菖蒲ちゃんがグループ外の人に自分から話しかけるのは珍しいし、さらに会話に割って入ってくるのは彼女が入部してから初めて見たので、びっくりした。えっ、なになに? ほら、友達も目を丸くしてるし。


 菖蒲ちゃんは緊張した顔でしきりに髪をいじったりしながら、まるで話しかけたことを後悔するみたいな感じだ。それでも思い切った風に、私と友達に。


「そ、その宅飲みって……わ、わたしも、行っていいですか?」

「え!?」

「え?」


 私と友達は思わず顔を見合わせた。なぜ? 突然? 友達はしばらく首をひねったあとに「あー」とうめき、そうして私と菖蒲ちゃんの顔を交互に見やる。


「なんかよくわかんないけど、ちょっとあたし用事思い出したから、宅飲みはまた今度で。紗英、菖蒲ちゃん、またね」

「え?」


 手を振って去っていってしまった。残された私と菖蒲ちゃんはぽつんと立つ。それから顔を見合わせた。菖蒲ちゃんは赤い顔で口をぱくぱくさせている。どうやらそんなつもりではなかった、という風な態度だ。なんなんだろうか。


「えっと……宅飲み、する? 菖蒲ちゃん」

「……ふたり、ですか?」

「うん……。やめといたほうがいいよね」

「そう、ですね……」


 菖蒲ちゃんはチラチラと私を窺っていた。それからぼそっと尋ねてくる。


「先輩は……その、よく、するんですか? ふたりで飲んだりとか」

「え? まあまあだよ」

「……」


 押し黙る。なんだなんだ。ふたりきりのサークル室で、菖蒲ちゃんがつぶやく。


「じゃあ、その……よく、するんですか?」

「え? 宅飲み?」


 見つめていると、菖蒲ちゃんの顔がどんどん赤くなっていく。目が潤んできたりする。


 あ、これ違うやつだ。


「いや、初めてだって言ったじゃん!」

「そ、そうです、よね……? も、でも、先輩、慣れてたから……」

「酔っ払いは怖いもの知らずなんだよ……」


 そう言うと、菖蒲ちゃんはなぜか「邪魔しちゃって、ごめんなさい」と頭を下げて、部屋を出ていった。


 わからない。後輩の気持ちがわからない。女心もわからない。女の子って難しいなあ……。




 ***




 ということが何度かあった。誰かと話しているときに限って菖蒲ちゃんが話しかけてきたり、なんか間の悪い子だなあと思わせられたり。


 あれから一ヶ月が立ち、また定例報告会という名の飲み会が催される。


「……かんぱいです、先輩」

「はいはい、乾杯、乾杯」


 いつもの安い飲み屋の、いつもの奥まった席。そして前回同様に、なぜか菖蒲ちゃんはしっかりと私の隣に居座っていたりする。菖蒲ちゃんとは付かず離れずの距離感だったのにもかかわらず……。


 まあ、私相手になら全部さらけ出したから、緊張せずに済むっていうやつなのかな……。こっちはおかげでぜんぜん酔えないけどさ!


「あれ、菖蒲ちゃん」

「え? な、なんですか? 先輩」

「いやあ、まだまだ飲み会慣れてないなって思ってさ」

「……そ、そうですか?」


 いつものようにパーカーとジーパンの私に対して、きょうの菖蒲ちゃんは肩見せのシャツワンピースで、妙に可愛らしいおしゃれをしている。まったくもう。酒でもこぼしたらどうするんだ。


「あの、先輩……」

「んー」


 私専用のなめろうをつまんでいると、菖蒲ちゃんが顔を近づけて小声で話しかけてきた。


「あの日のことって……その、今でもたまに思い出したり、します?」

「…………」


 吹き出すところだった。


「いや、その。お互い忘れようって言ったよね。てか、ほとんど記憶あやふやだし」

「そうですけど……。でも、あ、いえ、ごめんなさい、なんか変なこと言い出して……」


 菖蒲ちゃんはしゅんと落ち込んだ。可愛い女の子が暗い顔をしていると、なんだか余計に悲壮感があるっていうかなんていうか……。そういう顔を自分がさせてしまっているんだと思うと、私のメンタルがいたたまれないというか……。


「……するよ、たまに。てか、菖蒲ちゃんがちらちら視界に入るたびに、その日のことがなんとなく浮かんだりするし」


 だってもう、完全に一線越えたわけだからね。月日が経つごとに薄れゆく記憶はくもりガラスの向こうみたいに不鮮明になっていくけど、でも確かにこの子が私の腕の中で鳴いてたんだって、それだけははっきりわかるから。めっちゃ可愛かったし、どこもかしこも柔らかかったし、たぶんキスだってたくさんした。隅々まで。もう、隅々までである。


 あー恥ず。顔が赤くなってきた。あんまり飲んでないのにな。学生向けの居酒屋だけあって、ハイボールめっちゃ薄いし。てか、菖蒲ちゃんも顔が赤かった。


「……先輩も、なんですね。そうなんです、わたしも、です……」

「お互い、衝撃的な事件だったね……」


 慰めるようにぽんぽんと頭を叩く。すると菖蒲ちゃんは体をびくっと震わせた。そのとき、私の中になんか回路がカチッとハマった気がして、光景が思い出された。


 あー、あー……なんかこんなことした気がする。もちろんラブホで。もちろん致している最中。もちろん裸で抱き合いながら。


『だ、だめです、せんぱい……そんなっ……ああっ……』


 という声が脳裏に響き渡る。隣にいる服着てる菖蒲ちゃんの嬌声だ。そういえばあんな声を出して感じてたなあ、なんてしみじみ思い出せたり……するわけがない。心臓バクバクしてきた。私は罪悪感をごまかすみたいに、菖蒲ちゃんに尋ねる。


「……ひょ、ひょっとして、今、思い出した?」

「…………」


 無言でこくりとうなずく菖蒲ちゃん。余計なことをした……。のに、菖蒲ちゃんはテーブルの下で(掘りごたつタイプの席なのだ)私に足をぴったりとくっつけてきちゃったりする。あーあー、この肌の感じ。覚えてる覚えてるー……。


 私もなんとなくテーブルの下で脚と脚をくっつけたまま、素知らぬ顔でハイボールを煽る。てか、なんでパーカーとジーパン着てきちゃったんだろう、私。スカートなら、もっと触れ合えたのに……。


 ……って、違う!


「あ、あのさ、菖蒲ちゃん」

「はい」

「なんていうか、その……」

「……はい」


 じっと目を見る。あ、嘘。全然見れない。そっぽを向く。体温を意識すると、なんか急に体の奥が熱くなってきた。


「……大学生の飲み会のコツなんだけどさ」

「え? あ、はい」


 騒がしい飲み会のはずなのに、外からの雑音がぜんぜん聞こえてこない。私と菖蒲ちゃんの周りにだけ、白いレースがかかっているみたいに世界が違っていた。


「幼児みたいになって、酔っ払って騒ぐのは大切……だけど、まあ、一応これって今しかない大切な時間みたいなものだし、あんまり思い出を忘れてばっかりっていうのもなんだから、たまには程度をわきまえてほどほどに飲むのも大事だと思うんだ」


 で、だ。


 行儀よく膝の上に置かれた彼女の手に、ちょこっと手を重ねる。彼女の手が震えたけど、そのまま。逃げ出したりとかせず、受け入れられていた。


 なんかいい風なことを言おうとしたそのとき、友達が向かいに座って「おーい」と呼びかけてきた。


「ね、ね、紗英」

「えっ!? な、なに!?」


 慌てて手を引っ込める。菖蒲ちゃんもびっくりしたのを顔に出さないようにして、慌ててメロンサワーを口にしていた。


「二次会。どうする? 今回はだいたいみんな行くっぽいけど」

「あー……いや、えーと、あー……」


 なぜだかここが決断の瞬間のような気がした。


 隣からふとももの体温がじんわりと伝わる。私は飲み会の隅っこで、顔の前に手をかざした。


「ごめん、パス。あんまお金ない」


 友達は納得したようにうなずき、笑った。


「そっか、言ってたね」

「おごりならまあ、行かないこともない」

「じゃあまた来月」


 にべもなく断られた。ははと笑って盛り上がっていくところに行く友達に、小さくため息をつく。なんか妙に緊張していたようだ。手の汗をおしぼりで拭く。よくわかんないけど。


「……先輩、まっすぐ帰るんですか?」

「まー、金欠だけはしょうがないしねえ」


 後輩の礼儀的に間を繋ぐみたいな感じで話してくる菖蒲ちゃんに、情けなく笑う。大学生のバイト代なんて、砂糖よりも一瞬で溶けてゆくものだ。


「だから、ま、飲むとしても宅飲みになっちゃうかな」

「……え?」


 生唾を飲み込んで、飲み込んだことがバレないようにそっぽを向き、それから菖蒲ちゃんを横目に見やる。その手をそっと握り、小さく、ささやくように言った。決断の瞬間を乗り越えた私は、勢い任せに、言い放つ。それが大学生。がんばれ大学生。


「もしよかったら、この後……うちに、来る?」

「あ、えっと……」


 菖蒲ちゃんは顔を真っ赤にして、そうして、小鳥の鳴くような声で言った。


「……あの……えと……はい」






 賑やかに去ってゆく大学生たちとは反対方向に向かう、私と菖蒲ちゃん。


 私たちの足取りは、先月よりはよっぽどしっかりしていて、記憶だってまだまだ大丈夫。菖蒲ちゃんは私の後ろをおっかなびっくりみたいについてくる。


 誘ったのはぶっちゃけ、勢いだった。後悔はしていないけど、思い切ったことをしたな、という気持ちはあった。


 だってこれ絶対、うちについたら致しちゃう流れでしょ……。


「あの、菖蒲ちゃんってさ」

「はっ、はい!」


 めちゃくちゃ緊張が伝わってくる……。


「あ、えっと……あ、明日、朝早かったりする?」

「い、いえ……お昼ぐらいに起きれれば、大丈夫、です……あっ、いえ、そういう、あの、そういう意味じゃなくて」

「いやいや、わかってるわかってる、大丈夫大丈夫。私もバイト夕方からだから、それまでに起きれればいいんだ。寝坊できるね、やったー、あははー」


 乾いた笑いだった。


 菖蒲ちゃんは確かにめっちゃ可愛いけど、でも、別に私たちは付き合っているわけじゃないしなー……。それなのに、今度はほとんどシラフで致しちゃおうっていうんだから、やばいよ。ただれた大学生だよ……。


 やばいっていうなら、この状況がもうダメ。だってこんなに大人しくて可愛い子が、家についてきてるんだよ? 先輩と致しちゃうために、顔を赤らめながら夜道歩いているんだよ。完全にもう、致しちゃう気満々でさ。家ついたら致しちゃうのんだろうなぁ……とか思いながらさ。え、こんな可愛い年下の後輩が? えっちが過ぎない?


 てかそもそも、私たち女同士じゃん……。いや、完全に今更だけど。作法とかよくわかんないし、ああ、途中でお酒ぐらい補充していこう……。勢いがないと無理だわ、勢いが。


「あのさ、菖蒲ちゃんさ」

「は、はい」


 今度は並んで歩く。そっと手を取った。おてて繋ぎ。別に、仲のいい先輩と後輩だし、そんなに不自然ではない……よね?


 街灯の明かり程度でもわかるほど顔を赤くした菖蒲ちゃんの、柔らかな手を引きながら。


「その、なんていうか、その……」


 歯切れが悪い。可能なら今すぐ誰かが現れて教えてほしかった。女同士でする場合、どうするのが作法なのか。先に了承を取るべきなんじゃないかとか。


 ていうか、ここまで来てすべて私の勘違いって可能性も否めない。私は今のところ、自分が菖蒲ちゃんが好きなんじゃないかなって思ってはいるけど、それも酒入っているかもしれないとか。ああもう、完全にシラフならよかった!


 菖蒲ちゃんだって、私のことを好きなのかどうか。単純に、女同士で致すのが気持ちよくて、それでもう一回……とか。あるいは前回記憶がなくなってて致したのがなんか気持ち悪くて、今回もう一度ちゃんとすることによって、ああなんだこんなもんだったんだって致した感を乗り越えるためとか、私何回致すって言うんだよ!


 どうすればいいのか。致す前に好きだって告白するべきなのか。付き合おうって言うべきなのか。でも、ここで思い切って口にして、もし断られたらこの後のことなんて当然なくなっちゃおうし、それならまだなにも言わないほうがいいのか!


 女同士、難しいなあ!


「あ、あの、先輩!」

「えっ、な、なに?」


 私がしばらく悶々としていると、隣を歩く可愛い後輩が、決意を込めたような目でこっちを見つめてくる。


 にらめっこみたいに、絶対に目をそらさないぞ、という強い意志を感じる瞳だ。えっ、なになに。緊張しちゃう。なに?


 な、なんですか……?


「先輩、あの……す……」

「は、はい」


 けれど、その語意はあっという間にしぼんで。


「……これからも、その……」


 待つ。だが、結局のところ。


「……よろしく、お願い、します……」

「あ、はい……」


 先輩と後輩の挨拶に終わる……。


 私と菖蒲ちゃんは、なぜか両者互いに見えないように、静かにため息を付いたのだった。


 


 その後。菖蒲ちゃんと私の、定例報告会後の宅飲みと、女同士で致しちゃう関係はしばらく続くことになった。


 告白のタイミングも女同士のコツも、ぜんぜんまったく掴めずにいたけれど……。それはまあ、これからおいおいと掴んでいくとします。


 やっぱり勢い任せに飲むのは、後々困るから、ハメを外しすぎない方がいいよ!


 忘年会シーズン前に、伊藤紗英との約束だ! おしまい!


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