レズと別れるために男子と浮気してみた女の子が結局ガチレズに美味しく頂かれちゃう話(3/3)

 学生の日常とは、学校に通うことだ。


 ならば夏休みというのは、もはや非日常。いわゆる異世界と呼んでも過言ではない。すなわち夏休みの映画館に向かうというのは、異世界トリップそのものなのだ。それは少しだけ過言だった。


 お昼を少し過ぎた辺りの電車は驚くほど空いていた。この地方では電車に乗るという習慣があまりないのだ。等間隔に間を空けて座る乗客たちを立ったまま眺め、私は手元の携帯電話に目を落とした。


 この分なら待ち合わせの十五分前に到着するだろう。この電車がこのまま異世界に突っ込まない限りは。十三年過ごした限りそのようなニュースには一度もお目にかかっていないので、おおよそ間に合うに違いない。フィラデルフィア計画はあれだ。別枠だ。


 LINEが送られてきた。アリサだ。


 送られてきたのは可愛らしいスタンプである。


 片目をつむったウサギが『もうすぐつくよ!』と人語を介している。紛うことなき異世界である。


 私はなるべく意味の分からない類の不可解なスタンプを送り、返事をした。


 十八の人頭を持つサイが右手にフランベルジュを、左手に注射器を持ち、結跏趺坐をしているものだ。スタンプショップの中に紛れていて一目で気に入ってしまったのだが、同意を得られたことはない。


 既読がついた。アリサはなにも言ってこない。私は口元を緩めながら電車内でひとり「勝った……」とつぶやいた。そのつぶやきは電車の発する音(電車音と私は名づけた)に埋もれて消える。兎なんてフランベルジュで一撃だ。


『あたしはあと十分ぐらい。優佳ゆうかも一緒』


 血だまりの中に沈んでゆく兎を想像していると、さらにLINEが送られてきた。こずえだ。アプリストアに自由にアクセスできる進化を遂げた植物なのかと思われることも多いが、友人の名である。


 異世界の駅前に、続々と友達が集結しつつある。この感覚はなんだか、世界中に散らばった選ばれし仲間たちが荒廃後の世界で再集結する感じのようで燃える。普段の学校とやっていることはあまり変わらないはずなのだが、なぜだろう。やはり選ばれしというところがポイントなのかもしれない。


 きょうは夏休みに入って初めて、友達同士で遊ぶ日だ。いつも住んでいる街よりもほんの少しだけ都会の駅で停車した電車のドアが開き、真夏の熱気が私を出迎える。作られたばかりのピカピカのホームはまさに異世界感を醸し出していた。合格。異世界検定合格である。


 ポンとスマホが鳴った。再び見やる。アリサのLINEだ。


『なんでサイがフランベルジュと注射器を持って結跏趺坐をしてんのよ! どういう意図があるのよ、それ! まったく伝わらないからね!』


 長文だった。私は眉をひそめる。


『サイの手の構造じゃモノは持てないよ、アリサ』


 既読がついて、返事はなかった。完全勝利であった。スマホを握り締めながら歯を食いしばっているであろう友人を慮り、私はそっと手を合わせた。来世では私に勝てるといいね、アリサ。




 待ち合わせ場所にいたアリサはこんがりと焼けていた。露出多めのキャミソールからトースト並にこんがりした手足が伸びている。


 私が「こんがりと焼けてんね」と言うと、アリサはこんがりと頬を膨らませて、こんがりとつぶやいた。


「もうあたし、みーこ嫌い」

「そっか、じゃあ殴り合う?」

「なにがじゃあなのよ! しかもあたしが嫌いって言っているのに、なんであんたが殴り返そうとしてんの!?」

「殴られ損はやだな、って思って」


 シュッシュッとファイティングポーズを取っていると、こんがりアリサが涙目になって首を振った。嫌いじゃないから嫌いじゃないからとこんがりと連呼するアリサの頭を撫でる。アリサは不可解なものを見るようにこちらを見つめた。納得がいかないので、やはり殴ってしまおうかと思う。


「みーこ、あんまりアリサをおちょくってちゃダメだよ」

「そ、そうだよ」


 振り返る。オレンジ色のシャツを着てポットパンツを履いた梢と、白のワンピースでこぎれいにまとめた優佳がいた。


「なんで?」

「えっ、な、なんでって……」


 聞き返すと優佳はあからさまにうろたえた。けれど友人はこともなげに言う。


「あとであたしがアリサをおちょくるときに、アリサの体力ゲージが減っていると、おちょくりがいがなくなるから」

「なるほろ」


 梢は実に論理的だった。


「あたしはあんたらの共有財産か!?」


 アリサひとりが不服そうにこんがりと意義を申し立てるが、民主主義にのっとってやんわりと否決された。民主主義の意外な落とし穴を垣間見て、アリサが頭を抱える。優佳は優しいので「まあまあ」と優しいだけの気休めにもならない慰めをしていたが、こんがりアリサはそれで多少の機嫌が直ったようだ。もともとアリサは立ち直りが早い。だからこそ友人関係が続いているのかもしれないが。


「で、どうしよっか。まだ映画までにはちょっと時間あるよね。どっかお店に入る?」


 こういうときにリーダーシップを取るのは梢の役目だ。私は一応こう見えても同年代の中では結構大人びているほうだと思っているが、梢もきっと自分のことをそう思っているはずだ。思うだけならアリサも思っているだろう。アリサ思うゆえにアリサあり。存分に思えばいい、アリサ。それが人間なのだ。


「なんかすごい失礼な視線をみーこから感じるんだけど、そうね、適当なカフェでも入りましょうよ」

「アリサさん、ナスのお手伝いしてきたんだよね。じゃあもう大金持ちだね」


 優佳がからかうような口調で、アリサに笑いかける。私が二足歩行するナスによって首輪をつけられ、巨大な石材を丸太の上にのせてそれを棒で動かしてゆくアリサを想像して目頭を熱くしていると、こんがりアリサはナスのように青くなっていた。


「……あの日々のことは、もう思い出したくないわ……」

「アリサ……」


 私は目にハンカチを当てた。よっぽどつらい五日間だったのだろう。おのれナス。


 この世のどこかに徐々に建立しつつあるナスピラミッドとナス文明の脅威を政府に通報しようかどうか迷っていたそのときだった。


 私は見てしまった。


「ごめん、三人とも。あたし、きょうの映画パス」


「え?」

「へ?」

「なになに?」


 三人からの当然の疑念の視線を振り切り、私は歩き出す。足取りに迷いはないが、しかし頭はガンガンと鳴っていた。


 私は見てしまったのだ。


 大学生らしい男性と、そうして同年代の女性が並んで歩いているところを。


 それだけならよかった。


 そのふたりが仲睦まじそうに笑顔を浮かべて、手を繋いでいることが問題だ。


 どのくらい大きな問題なのかというと、それはもう。


 私のすべてと言っても過言ではなかった。









「で」


 翌日の夜、なにもする気がなくて部屋のベッドに体育座りしたままアリサに無意味な人頭のサイのスタンプを送り続けていたところで、梢に呼び出された。アリサはもうやめてよぉと泣いているようだったが、議題はそのことではないだろう。


 マンションの近くにある夜の公園である。絡みつくような蒸し暑さが立ち込めている。人気はなかった。夜の七時を回っているし、こんなところに女子中学生がふたりきりだというのは倫理的にあまり良いことではないと思う。早く部屋に帰ってアリサに気味の悪いスタンプを送る作業に戻りたいのだけど。


 健康的な足を剥き出しにするいつものショートパンツを履いた梢は、腰に手を当てたまま、ベンチに座る私を見下ろしていた。


「どうしたの? 昨日。優佳が心配していたよ」

「優佳ちゃんは優しいかんね」

「そうよ。そんな優しい優佳に心配かけたら、優佳の体力ゲージが減っちゃうでしょうが」

「そーだね、ごめんね」


 やけに素直に謝る私に、梢は眉をひそめた。


「……あんた、本当に大丈夫? なんか、すごく調子悪そうだよ」

「大丈夫っす、いつも通りっす、ファッションレズさん。きょうはおっぱい揉む? ファッションレズする?」

「そんな見え見えの軽口叩かれても」

「微塵も問題はありません、なんとなく映画を見たくなかった気分なだけっす、クソ淫乱ピンク髪JCさん」

「あたしピンク髪じゃないけど!?」


 闇を斬り裂くようなツッコミだった。聖なるツッコミを持つ光の勇者は、深いため息をつく。


「ま、みーこはそういうとこ、いつもひとりでひょうひょうと解決するから、心配したって無駄なんだけどね」

「正直に言うと」

「ん」

「梢におっぱい揉まれると、ちょっとアレな気分になるので、もう学校ではやめてほしい」

「今なんの話してんの!?」


 魔族も一刀両断できそうなツッコミだった。梢にこれほどのツッコミをさせることができるのは、うちの中学だけでも自分だけだろうという自負が甦る。少しだけ自信が回復した。


 梢は街灯に照らされた横顔を真っ赤にして、ぷるぷると拳を握っている。最近の公園は防犯のために夜でも明るいことが、今だけは光の勇者を苦しめていた。光を克服して更なる力を得るのだ、光の勇者。


「くそう、そんな風に思われていただなんて、なんだか猛烈に恥ずかしくなってきたわ……」

「ごめんね、梢。でもなかなか上手だったんよ」

「フォローするポイント違くない!?」

「死にたくなるぐらい生理的な嫌悪感でいっぱいだった。名状しがたき触手が制服の上を這いずり回っているかのような生命への冒涜を味わってみるみるSAN値が低下の一途を」

「私の手は神話生物か!」


 ぜぇぜぇと息を切らせる梢を見て、少し溜飲が下がった。梢にはめちゃめちゃ悪いが、いい気晴らしだ。私はニッコリと微笑んだ。


「あんがと、梢」

「う、うん、まあ」


 梢の顔はまだ赤かった。彼女は咳ばらいをして、私を指差した。


「ともかく、アリサと優佳にあんまり心配をかけないようにね。あたしと違ってあのふたりのHPゲージは後衛職並なんだから」

「うん」

「まったく……」


 ようやく肩の荷が下りたとばかりに、梢は息をついた。そうして私の隣に座りなおす。ご苦労様です。


「映画、楽しかった?」

「かなりよかったよ。威風堂々の流れるシーンで腹筋を持っていかれたわ。アリサはしばらく目を瞑っていたけど」

「そっかあ」


 見ておけばよかったなあ、と今さら思う。


 蝉の鳴き声がギャアギャア喚いて私たちを包み込む。毎年聞いているはずなのに、異世界感が増大してゆく。


「あのさ、光の勇者さん」

「どこのどいつよ……」


 いまだ自覚なき勇者の目を見つめ、私は口を開いた。


「ひとつ、クソ面倒なお願いがあるんですがー」


 勇者は勇者にあるまじき顔をした。一言で表すなら「うえー」だ。


 梢は私がこういう言い方をするときに、冗談でもなんでもなく本当にクソ面倒なのだろうということを承知している。それでも勇者はなけなしの善性を発揮し、とてつもなく嫌そうな顔で私を促した。


「なによ、言ってごらんよ……。みーこが言うってことは、どうせあたしにできることなんでしょ……。協力してあげるからさ……」

「私、梢のそういうところ、大好きだよ」

「あーはいはい、そうだねー……で、内容はなに?」

「でもおっぱいはやめてね」

「内容は!?」








 私には大学生の恋人がいる。


 道であからさまに困っていたときに優しくしたら、向こうが私を気に入ってくれたようだ。


 私も同年代とは違う話し方をするその人を気に入って、それから交流が始まった。


 自分が中学生ですと言うと、相手はすごく驚いていた。私はこの通り、みんなより少し背が高くて、そうしてあんまり狼狽しない性格なので、年上に見られることが多い。同年代の大学生だと思っていたと告げられたときには、さすがにおいおいと思ったけれど。


 最初はLINEで。徐々に電話。そうして直接会うようになり、食事を一緒にするようになり、やがて付き合うようになった。


 付き合うようになって、いろんなところに遊びに行ったし、いろんなところにも連れて行ってもらった。車というのは本当に便利なもので、ふたりの密室を保ったままどこへでも遊びに行けるあの機械を、私も早くほしいものだと思った。


 他にもたくさん、恐らく同年代があんまり経験していないこともたくさんした。その多くはいやらしいことと呼ばれる類のものだったけれど、肌を重ねて相手の体温を感じられる行為は楽しかった。あとどうやら私は背徳的なものが結構好きなようだとわかった。たまに行き過ぎたことをしてしまうことがあったけれど、おおむねうまくいっていると思っていた。



 まばらにお客さんの座っている昼間のロイヤルホストにて、隣に座るアリサに小声で背徳的でいやらしいことの内容を事細かに説明していたところで、「やっほー」と梢が優佳を連れてやってきた。


 梢はアリサを指差して小首を傾げた。


「アリサなんで顔を押さえているの」

「わからない。変な想像をしているのかも」

「あんたのせいでしょーがー!」


 アリサが力の限り叫ぶと、店内の視線が一斉にこちらを向いた。店員の老紳士が白鬚の奥で口元緩めながら静かにと唇に指を当てた。アリサは俯いた。


「ああ、見られちゃったね、アリサ。変な想像をしているアリサが見られちゃったね、恥ずかしいね、アリサ。本当にアリサってば、恥ずかしい子だね」

「ううううう、どいつもこいつもー……」


 そのときアリサがテーブルの上に置いていたスマホがぷるぷると今のアリサのように消極的に震えた。LINEだ。見るつもりではなかったがつい見えてしまった。名は柚子。内容は『どうして連絡くれないの』だ。ナスだけではなく柚子にまで支配されているのだろうかと友人のことがかなり心配になった。


 そこで、梢がアリサの腕を引っ張って、別の席へと連れてゆく。


 アリサは「え? え?」という顔をしていたが、梢と優佳には事前に話をしてある。私がこれからなにをするのか、だ。(アリサに話していなかったのは、ただなんとなくだ)


 三人はギリギリ話し声が聞こえそうな、角の席へと移った。ここからは私ひとりだ。


 ふぅ、と息をつく。


 汗をかいたアイスコーヒーには、ほとんど手を付けていなかった。


 喉は乾いているのだけれど、喉を通りそうにない。



 そうして、十五分後。


 相手は待ち合わせの時間から五分遅れて、やってきた。



 たおやかに微笑む彼女は私の前で立ち止まると、ハンドバックを下ろして正面の席にゆっくりと腰かけた。その目はいつも通りとろんと垂れていて、物憂げな色気を醸し出している。


「どうしたの、未衣子みーこちゃん。急に呼び出して、話って?」

友美ともみ

「なあに?」


 押切友美は下宮大学経済学部に通う二年生の、見ての通り女性だ。長い黒髪は絹のように垂れ下っている。綺麗な顔立ちをしていて、その振る舞いは百合の花を思わせる上品さがあった。


 いいところのお嬢様で趣味は華道と茶道だ。そんな人間がイマドキこの世界に、あるいはこんなド田舎にいるのだろうかと大層驚いたことを昨日のことのように覚えている。少々世間知らずの気があり、だからこそいつもそばにいてあげないと心配だった。


 滑稽かもしれない。だがずっと私は、年上の彼女を守っているような気になっていたのだ。


 私は息を吸って、そうして心臓を吐き出すように告げた。


「一昨日、一緒に歩いていた男の人、誰」


 押切友美は私の恋人だ。



 友美は困ったように微笑んだ。頼んだオレンジジュースが運ばれてくる。老紳士は去り際、私にウィンクを飛ばしてきた。なんだというのか。


「そっかぁ、見ちゃったんだ」

「見ちゃったよ。男の人と手を繋いでいた。男の人ニガテだって言っていたよね、友美」

「苦手なんだけどねぇ」


 沼から砂金を拾い集めるような頼りなさで、友美はつぶやく。


「でも、中には良い人もいるみたいで、それでかしらねえ。ドキドキしちゃったの」

「そう」


 それが友美の答えなのだろう。彼女は私を見て、困った生徒に手を焼く先生のような顔をした。


「未衣子ちゃん、怒っているよねえ」

「だったら友美も想像してみればいいよ。私が同年代の男の子と手を繋いで帰っていたら、どう思うの? 少しも悲しいとは思わないの?」

「そうねえ、ちょっとはがっかりするかもねえ……」

「がっかり? がっかりってなに? それだけ?」

「あーあ、やっぱり男の人がいいのかなあ、って思っちゃうかな。寂しいけれど、でもそれが一般的には自然なことだし。仕方ないかな、って思うかな」


 そう言う友美を、私は睨みつけた。


「なにそれ、信じらんないよ。私を口説いたのは、友美でしょ。なのになんで最初から諦めたように言って。私は男だとか女だとか関係ないよ。友美のことが好きだったのに」


 最後の一言は言うべきではなかったかもしれない。それは明確に私の完全敗北宣言だった。勝者である未衣子はしかしやはり大笑を浮かべるというわけにもいかず、やはり気まずそうに座っていた。


「それはわかっているの。わたしだって未衣子ちゃんのことは好きだよ」

「じゃあなんで!」


 私がさらに詰め寄ると、友美は辺りの視線を気にしながら小さな声でつぶやいた。


「別に、なんでってわけじゃないけど……」


 違和感を覚えた。


 私は違和感の正体を探りながら、まっすぐに友美を見つめる。


 いくらここがド田舎とはいえ、たまたまデート中の友美を見かけたりするだろうか?


 友美はもしかして、わざと私にデート現場を見せたのだろうか。


 なんのために?


「あの、友美」

「……な、なに?」


 改めて見やる。友美はまるで私の顔色を窺うようにチラチラと目線を上げ下げしていた。もしかしたら、さっきからずっとこうだったのだろうか。


 そこで私はピンと来た。


 ここから多少私の思考は乱れることになるが、オチはあと少しなので頑張ってついてきてもらいたい。


 話を戻そう。友美は私に言いづらい不満があるのだ。そうに違いない。


 だから男になびいたのだ。私と付き合っておきながら、よりにもよって男に。あんなXY染色体に!


 友美の容姿は間違いなく男性にも好印象を与えるだろう。すごいフェムいし。それはすなわちモテるということだ。男にモテモテの友美はもしかしたら、私の不満を誰かに相談したのかもしれない。私のように『彼氏』と偽って。


 そこでつい優しくされたからコロッとなびいてしまたのだ。友美はチョロいから。どれだけチョロいかを説明すれば枚挙にいとまがないが、ようするにきっとそういうことだ。


 なんてしょうがない子なんだ。


 私はゆっくりと胸を押さえた。ここで私がしっかりしなければならない。三人の友達にわざわざ頼んで付き添ってもらっている時点でまったくしっかりしていないけれど、だからといってすべてを諦めていいわけがない。


 よし、よし。大丈夫。頭にのぼった血は回収できた。今の私はゼロ血人間だ。それだと死んでいる。怒りの念を殺すのだ。


 私は菩薩のように語りかけた。


「友美、優しくされたからついその気になったんでしょ。もう、友美はしょうがないね、本当に。お菓子でももらったの? アルフォート好きだもんね?」

「未衣子ちゃんはわたしのこと、時々小学生ぐらいの言い方をするよね……」

「男の人と付き合ったって、いいことないよ。やめときやめとき。平均寿命だって低いし。ウホウホ言いながらマンモスに向けて槍を投げているようなやつらよ」

「未衣子ちゃんはわたしのこと、時々すごいアホみたいな言い方をするよね……」 


 友美は視線を伏せながら諦めたような口調でうめいた。


「はい、友ちゃん。あなたの前には今ふたつの道があります。ひとつはこれから男の人と付き合って毎日パチンコ代を貢いで殴られて酒を買ってきて浮気されてそれでもすがりついて何の楽しみもなく後悔をしながら生きてゆく日々。もうひとつはこれから先も私を幸せに生きる道」

「過程の悪意に眩暈がしそうだよ、未衣子ちゃん」

「MAN or WATASI」

「デッドオアアライブみたいな発音で言っても、わたし以外にはほとんど通じないよ、未衣子ちゃん」


 おかしいな。まあいい。ともあれ、友美を悪の道から救わなければならない。それができるのは今、私だけなのだ。


 私は友美を見つめる。友美は「うっ」というアリサがよくやるような顔をした。


「ね、ねえ、未衣子ちゃん、怒っているんだよね?」

「ううん、もう怒っていないよ」

「怒っているんだったら、わたしなんて捨てちゃっても……あ、あれ?」


 私は菩薩であった。未衣子観音菩薩だ。両手で説法印を組んだまま、友美に語りかける。


「ただ、友ちゃんにはちょっと調教が足りなかったかな、とは思っているよ。もっと私の下で、私に庇護されることだけが幸せだと確信をもって生活できるようにしなければならなかったんだ。ごめんね、友ちゃん。私の努力が足りなかったね」

「待って、未衣子ちゃん待って。話がおかしな方向にいっている。ちょっと整理しようよ。まずわたしが男性と浮気をしました。それをたまたま目撃した未衣子ちゃんは怒って私を呼び出しました。そうして浮気をした私を許さずに、別れ話を切り出すところです。今ここだよね?」

「浮気をした友美を許して、再調教しようとしているところです」

「待って!」


 いよいよ友美が耐え切れなくなったような顔で叫んだ。ふと奥の席の友達たちと目が合う。私たちの会話を聞いているはずの彼女らは、みんな顔が赤くなっていた。ここはクーラーが効いていて涼しいはずなのだが。


「ねえ、未衣子ちゃん、ごめん、わたしが悪かったから。ね、未衣子ちゃん、だからこんなわたし捨てて構わないからね。わたしなんて未衣子ちゃんにふさわしくないよね、浮気しちゃうし。だからね?」

「大丈夫だよ、友美」


 私は友美のその細い手首を掴んだ。友美が蛇に巻きつかれたような顔をして私を見る。


「友美がどんなにダメな子でも、私だけは最後までそばにいてあげるから。だから、友美。これから用事ないでしょう? 大学は休みだし、きょうは毎週プライベートな用事は入れないように言っておいたよね? 今からうちにいこうか。ちょっとふたりきりでプライベートなお話しようね」

「ひい」


 ついに友美が悲鳴をあげた。なにかを怖がっているようだ。それがなにか、私にはわからないが。


「ダメなの?」

「だ、だめってわけじゃないけど! わ、わたし、明日は朝からお友達と約束があってだからあんまり夜遅くまではとか翌日腰が立たなくなるのはすごい困るっていうか」

「そうなったらそうなったで約束をキャンセルするしかないよね。不可抗力だよね」

「やだぁ! だって前もあったよう! 絶対にわざとだよ!」

「友美が聞き分けがないからでしょう。素直にしていれば、私だってまっとうに可愛がってあげるんだよ」

「うそだぁ! いっつも背徳的なことばっかりするくせに!」


 それはその場のノリだ。


 駄々っ子のようにイヤイヤする友美は、しかし私の手に引かれてすぐに立ちあがった。どうあれ、友美は究極的には私に逆らえない。私と付き合った一年間で、そういう風にしてやったのだから。


「こういうことをするために呼んだの!? 話し合いをするためにじゃなかったの!?」

「話し合いならするよ。その体にたっぷりと聞くからね」

「それはオヤジみたいでどうかと思う」


 やってきた梢が、まるでオチをつけるような口調で言う。私たちが立ち上がったのを見て、もう隠れている意味もないと思って出てきたのだろう。


 アリサは真っ赤な顔を伏せていた。いったいなんだかわからない。


 そして――優佳は、めっちゃ目をキラキラさせていた。


「あ、あの、みーこちゃん! ううん、みーこ先輩!」

「な、なに?」


 優佳は同年代である。同年代の彼女は興奮した面持ちで、迫ってきた。


「わ、わたしも見学にいっていい!?」

「えっ」

「えっ」


 優佳の言葉はさすがに予想外だった。私と梢は同時に聞き返す。いや、意味はわかる。だが意図がわからない。


「わ、わたしも今、調教したい女の子がいて! それでわたしに逆らえなくさせたり、快楽のとりこにしたくて!」

「えっ」


 今度は聞き返したのは梢ひとりだった。彼女の顔色がサーッと青くなっていくのは見ものだったが、それとは別にロイホで働いている老紳士の顔も青くなっていた。お昼時に女子中学生が発していい言葉ではない。


 私は友美を見やる。友美はメソメソと泣いていた。ヒールを履いていても、私よりまだ十センチ近く背が低い。彼女はまるで悪魔に囚われた姫のようだった。友美かわいい。


 私は真剣な目を優佳に向ける。ここは大事なところだ。


「通報とかしない?」

「うん、絶対大丈夫!」

「通報されるようなことしてんの?」


 梢が半眼でうめく。友美はさらに強く泣いていた。もはや可愛さの極地だった。


 私は腕組みをし、その間に人数分会計を済ませていたらしいアリサに必死に腕を引かれ、お店を出た。


 外に出ると真夏の太陽光線が脳天に突き刺さった。人の頭をおかしくさせるほどに熱いそれを浴びながら、私はうなずいた。


「仕方ないね、優佳。特別だよ。優佳が友達だから教えるんだからね。優佳もレズなの?」

「うん、レズ!」


 大好きなアーティストの話をするときのようにうなずく優佳。通りを歩いているサラリーマンがぎょっとした目でこちらを振り返ってきて、アリサが頭を抱えながら「あああああ」とうめいた。彼女の策略はものの見事に失敗をしていた。友美はもはや目に光を失っている。諦めた友美かわたん。


「だったら」


 私は友美の手を引いたまま、一同を見回して笑った。


「みんなでこのまま、うちに来なよ。私、ひとり暮らしだからさ。ちょっとアレがアレしてなかなか人を招きづらい器具ばっかりだったんだけど、でもこうなったらもういいや。みんなで改めて友達になろ!」


 実に晴れやかな笑顔で優佳がうなずいた。他のメンバーは全員、悪魔に囚われた姫のような顔をしていた。光の勇者・梢も実は姫だったのだ。大どんでん返しだが、ウケそうな展開だった。


 私と優佳は手を繋ぎながら、それぞれ友美と梢を引っ張って、そして梢は恨めしそうな顔で「こうなったらみちずれだよ……」とささやきながらアリサを引っ張ってわが家へと向かった。


 夏休み。異世界真っただ中のきょうはいつも通り平和で、なんの変哲もない日常を私たちは謳歌するのだ。



 

 

 その後、私たちはみんなでめちゃくちゃになった。

 とにかくすごかった。

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