第2話 アニーの危機と竜の逆鱗
家路を急ぐアニーだが、いつまでも走り続けられるわけが無い。段々ペースが落ちてきて、ついには重い足取りとなってしまう。それでも気は焦る。早く帰らなければという思いだけが彼女の足を動かす。男と出会った湖から少女の住む町まで彼女の足では二日かかる。つまりどこかで一泊しなければならないのだが、少女は寝る間も惜しんで歩き続けた。しかし体力には限界というものがある。夜の山中ですっかり疲れきってしまったアニーは道端の大きな石に腰掛けると溜め息混じりに呟いた。
「あ~疲れた。ちょっと無理しちゃったかな……」
月明かりが彼女を照らす。それは龍の逆鱗を手に入れた彼女を祝福する様な優しい光。アニーはウトウトし始め、いつの間にか眠りに落ちてしまった。
どれぐらい眠ってしまったのだろう?彼女が目を覚ました時には月は大きく傾いていた。そして、それよりもっと深刻な事態が彼女の身に迫っていた。
「囲まれてる……」
姿は見えないが、気配を感じた。人間では無い、野獣の気配。少なく見積もっても十匹は下らない。アニーは剣に手を伸ばした。獲物が目覚めたのに気付いたのだろう、彼女を囲んでいる気配の主が低い唸り声をあげ、威嚇し出した。彼女の周囲で木霊する野獣の唸り声。幸いな事にアニーが腰掛けていた石は山肌から突き出ていた。とりあえず背後から襲われる危険は無い。前と横、視界を広く持てばカバー出来る範囲の野獣を倒せば何とかなる。
アニーはいつでも動ける様に腰を浮かせた。その途端、一斉に何匹もの野獣が飛びかかってきた。
「ザーガイ!?」
小型のサルの様な醜い野獣。所謂ゴブリンの一種である。中途半端な知能を持っている為、手には木の根で作ったのであろう棍棒の様な物を手にしている。
右側から飛びかかってきた一匹を切り倒し、返す刀で正面の二匹目を切り伏せる。しかし左側のザーガイから一撃を受けてしまう。怯む事なくそいつも一刀両断。だが、数が多過ぎる。
――ダメだ、このままじゃやられちゃう……せっかく竜の逆鱗を手に入れたのに――
一匹が少女の腕にしがみ付き、更にもう一匹が足に組み付いた。バランスを崩して倒れる少女。
――コレでお兄ちゃんの病気を治せるのに――
アニーが倒れたのを見て、身を潜めていたザーガイが一斉に姿を現した。
――こんなトコで死にたくない――
彼女の視界に何匹ものザーガイがじりじり迫ってくるのが映る。
――誰か……助けて――
アニーが心の中で叫んだ時、一匹の竜が現れた。竜はいとも簡単にザーガイの群れを蹴散らすと少女の顔を一瞥した。
「アレックス?」
少女はこの竜は湖で出会った竜、逆鱗をくれた男の友達だというアレックスなのだと思った。しかし何故こんな所に?
彼女は嫌な予感がして荷物を探った。嫌な予感は当たってしまった。アズウェルからもらった竜の逆鱗は真っ二つになっていたのだ。アニーの肩が震え出した。
「私が……助けてなんて思っちゃったからだ……」
アニーの目からボロボロと溢れる大粒の涙。
「お兄ちゃんの為の竜の逆鱗なのに……自分の為に使っちゃった……」
アニーの慟哭。
「私が……私が……」
取り乱すあまり言葉にならない。
「お兄ちゃんの病気が治らなかったら……」
少しの沈黙。そして彼女の目から光が失われ、低い声が漏れた。
「……私のせいだ」
自分を責めるアニー。竜はその様子を呆然とながめていたが、ふいに彼女に背中を向けると言った。
「乗れよ。家まで送ってやるよ」
我に帰ったアニーは首を横に振り、か細い声で返した。
「嫌だ。帰りたくない」
「どうして?」
もちろん竜にも彼女が帰りたくないと言う理由ぐらいわかっていた。しかし、あえて竜はその理由を彼女に聞いた。
「だって……竜の逆鱗がこんなことになっちゃって……」
思った通りの答えが返ってきた。と同時にそれは竜の狙い通りでもあった。
「竜の逆鱗が無事だったからと言って、お前さんが死んだら意味が無いじゃないか」
竜はアニーを諭す様に言う。
「お前さんの家族は竜の逆鱗なんかより、お前さんが無事に帰ってくることを望んでるんじゃないか? だからな、一度家に帰ろう」
アニーは涙を拭いて頷いた。
「乗せてくれるの?」
「そう言ってるだろ。今のお前さんだったらそこら辺の野犬にも喰われちまいそうだからな」
アニーが背中にしがみつくと、竜は空に舞い上がった。彼女が初めて見る空からの景色。しかし夜の山で町明かりも見えないそれは真っ暗だった。まるでアニーの心の暗さを映した様に。
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