竜を狩る少女 少女を守る竜

すて

第1話 竜を狩る少女

 人里から遠く離れた辺境の地の森を進む一人の旅人。全身を覆うフード付のマントから大きな剣の柄が飛び出している。やがて森を抜けると彼の目の前に大きな湖が広がった。その水面には大きな影。それを見た旅人の目が怪しく光った。


「いた」


影の主は一匹の竜。大きな翼を持ち、二本足で歩行する翼竜というヤツだ。旅人は優雅に水浴びをするその姿に一瞬目を奪われるが、思い直した様に剣を抜き、目を閉じ呼吸を整える。闘気がその全身を包み、目を見開いたかと思うと素晴らしい跳躍力で竜に斬りかかった。


ふいを突かれた竜だったが、その殺気を感じていたのか、紙一重で剣を躱し巨大な尻尾で反撃する。だが、跳ね飛ばされ、水面に叩きつけられたのはマントのみ。竜の視界の隅に再度剣を振りかざして飛びかかる革の鎧を身につけた金髪の少年の姿が。強力な爪を彼に伸ばす竜。少年は宙を舞っている為にその爪を躱すことが出来ずあっさりと捉えられてしまった。


「ここまでか……」

 あきらめ顔の少年。だが、竜はその顔を一瞥すると湖の浅瀬に彼を離した。派手な水飛沫を上げ、全身ずぶ濡れになった少年をあざ笑うかの様に竜は悠々と空へと消えていった。

「助かった……いや、見逃してもらったのか?」

 予想外の出来事に呆然とする少年。爪に捉えられた瞬間、握り潰されるものだとばかり思っていたのだから。

「やあ、凄かったねぇ。」

 そんな少年に声をかけてきた男が一人。


「君、冒険者?あんな竜に挑むなんて、無茶じゃない? そうまでして名を上げたいの?」

そう言うと、ニコニコしながら男は少年に歩み寄る。

「濡れたままじゃ風邪ひくよ」

 放り投げられたタオルをキャッチした少年は顔を拭くと立ち上がった。濡れた服がぴったりと張り付き、身体のラインが露わになる。


「こいつは驚いた」

 男の口から言葉が漏れた。彼の胸はわずかながらも膨らんでいたのだった。

「坊やかと思ったら嬢ちゃんかよ……」

 男の呟きが聞こえたのか少年、いや少女は口を尖らせる。

「女だったら悪いかよ……」


 いきなり突っかかられて男は困った顔。女がどうとか男がどうとか言う問題では無い。彼女の身体は竜に挑むにはあまりにも華奢過ぎる。それに革の鎧など竜の爪の前では防御力はゼロに等しい。

「うーん、女がどうとか男がどうとか言う以前の問題かな。名を上げたいなら竜退治よりもっとマシなやり方がいくらでもあると思うけどな」


男に言われてムッとした様子で彼女は言い返した。

「竜を倒して名を上げようなんて思っちゃいないよ。竜だって生きてるんだ。食べる為ならともかくそんなつまらない理由で生き物を殺めるなんて事、私はしない」

「ならどうして竜なんぞに挑んだんだい? ほとんど自殺行為だぜ」

 ぐいぐい突っ込んで来る男に彼女は真剣な眼差しで答えた。

「竜の逆鱗を手にいれなくっちゃいけないんだ」


竜の逆鱗。竜の顎の部分に一枚だけ他の鱗と逆向きで生えているという鱗の事で、竜はこの逆鱗に触れると怒り狂って触れた者を殺してしまうと言うのが『逆鱗に触れる』という言葉の由来なのだが、彼女は文字通り竜の逆鱗に触れようと言うのだ。

「なんでまた?」


 男は彼女の無茶な行動を止めようと思ったが、その前に一応理由を聞いてみる事にした。彼女からすれば余計なお世話なのだろうが、彼女の方も溜め込んだ物があったらしい。肩を震わせながら話し出した。

「お兄ちゃんが病気なんだ」


 彼女の兄マイクが重い病にかかってしまい、医者も匙を投げたと言う。そこで願いを叶える力があると言われている竜の逆鱗を手に入れ、弟の病を治そうとしたのだと。

「竜の逆鱗に願いを叶える力がねぇ……単なる伝説じゃ無ぇの?」

 男は呆れた様な顔で言いながら自分の荷物をゴソゴソと探り出した。そして何か一枚の薄汚れた板切れを彼女に投げ渡した。

「コレ、やるよ」


 彼女はそれを受け取ると不思議そうな顔でしげしげと見つめる。小汚い大きな鱗の様な物。突然気が付いた様に、彼女の目が大きく見開かれた。


「まさか、コレって……」

「なんだ、自分が手に入れようとした物がどんな物か知らなかったのか。ソイツが竜の逆鱗だ」

「どうしてあなたがこんな物を…… どうして私なんかに……」


 彼女が思ったのも当然である。竜の逆鱗と言えばかなりのレアアイテム。もちろん売れば結構な金額になる。

「記念に一枚取っといたんだ。知ってるか?竜の鱗って生え変わるんだぜ。そんなモンが願いを叶えてくれるのなら俺は今頃……」

 少女の問いに対する男の答え。『記念に取っといた』と言うのは竜を倒した記念なのだろうか?


 少女は渡された鱗をしげしげと見つめる。薄汚れてはいるが、血は付いていない様だ。洗ったのか、それとも生え変わりで抜けた鱗を拾ったのだろうか。黙ってしまった少女に男は嬉しそうに言った。

「さっき言ったよな。『竜だって生きている、名を上げるなんてつまらない理由で生き物を殺める事はしない』って。俺はあんたが気に入ったんだよ。そんなモン、またそのうち手に入るだろうしな」


 竜の逆鱗を簡単に『またそのうち手に入る』と言ってのける男。よほど腕の立つ剣士なのだろうか?

「あなた、何者?」

 思わず聞いてしまった少女に男は笑って答えた。

「俺? ただの狩人だよ」

 竜の逆鱗を簡単に他人にくれてやる様な男がただの狩人であるわけが無い。疑いの眼差しを投げる少女に男はとんでもない事を言い出した。


「俺、あの竜と友達なんだ」

 竜と友達。俄には信じられない言葉である。少女の目の疑いの色がますます強くなったのに気付いた男は不本意そうな顔。

「なんだよ、その目は。信じられないってか?」

 男はやれやれ……といった体で湖の向こうの森に向かって呼びかけた。


「おーい、アレックス~」

 アレックスというのは竜の名前だろうか?暫くすると森からさっきの竜が姿を現した。

「なっ、竜って人間の言葉がわかるんだぜ」

 ニヤリと笑って片目を瞑ってみせる男。少女は呆然としてその巨体を見上げている。

「ほれ、何か言う事あるだろ」

 男は少女の肩を叩いた。少女は戸惑いながら竜の前に出ると口を開いた。

「あの……さっきはごめんなさい。その……いきなり襲いかかっちゃって……」


 素直に竜に対して詫びを入れる少女。もちろん詫びを入れたからといって許されるものでは無い。なんせ殺すつもりで剣を振りかざしたのだから。しかし、竜が人間の言葉がわかると男は言ったが、本当に少女の言葉は通じているのだろうか?

「ああ、アレ襲いかかって来てたんだ。人間がじゃれて来たんだと思ってたよ」

 竜が喋った。驚きのあまり膝から崩れ落ちる少女。


「だから言ったろ、竜は人間の言葉がわかるって」

男の声が飛んだ。いくら竜が人間の言葉がわかると言っても、まさか竜と会話する事になろうとは夢にも思っていなかったのだろう、少女は放心状態でわたわたしている。そんな少女に男は続けて言う。

「竜にとっちゃ人間なんてその程度のモンだ」


 少女が決死の覚悟で挑んだ戦いも、竜にとっては人間がじゃれついてきた程度にしか取られなかった。人間と竜の力の差はそれほどまでに大きいのだという事。またしてもずぶ濡れになってしまった少女に男は諭す様に言う。

「運が良かったな。もし、逆鱗に少しでも触れてたら殺されてたぞ。まあ、欲しい物が手に入ったことだし、早くお家に帰るんだな」


 これで兄の病を治せる。少女は喜んで男の言葉に従う事にした。しかし、少女は男に言わなければならない事があった。

「あの……お礼はどうすれば……」

 男はあっけなく答えた。

「礼なんて要らねぇよ。俺がたまたま持ってたモノがお前さんが生命をかけてでも手に入れたいモノだった。で、俺はお前さんが気に入った。だからソイツをくれてやった。ただそれだけの事だ。俺の気が変わらないうちにさっさと行っちまいな」


 少女は男にお礼の言葉を述べて深々と頭を下げると駆け出そうとしたが、足を止めた。

「私、アニー。あなたは?」

「アズウェルってんだ。早く行ってやりな」

「アズウェル、ありがとう」

少女はもう一度礼を言うと今度こそ駆け出した。彼女を見送る男に竜が話しかけた。

「お前も変わってるよな」

 男は笑みを浮かべながら竜に言い返した。

「しょうがないじゃんかよ……似てたんだからよ」

 竜は男の言葉に少し黙り込んだ後、そっぽを向いて吐き捨てた。

「いつまでも引き摺ってんじゃ無ぇよ、バカ野郎」

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