第4話 限定ヒーロー

「さっきはごめんね、泣いちゃったりして」

帰り道、冴木は目を腫らしていた。

「ほんっと、なんで、私、自殺なんかしたのかな。世界は、こんなに楽しいのに」

無理して笑う冴木は見てられなかった。


冴木はいいやつだった。

バイキングの店員もクレープ屋の人も、さっきの男の子や磯崎さんだって、みんな冴木のことを気に入ってるように見えた。

冴木と関わってた人と話すと、冴木がどれだけいいやつだったがよくわかる。


それなのに冴木は自分で死を選んだ。

なぜなんだ。

その理由は俺なのか?

ヒーロー、

俺が無責任にはいた言葉。

俺はなれたんだろうか。

なれなかったんだ。

俺のせい?


冴木はなぜ死んだのか?

そんなことが今更脳裏を支配した。


だからそれが目に入ったのは偶然だったのかもしれないけど、俺は必然だったように思う。


俺の目に飛び込んできたのは、ビルの上から今にも飛び降りようとしている男だった。


なぜかはわからない、でも気づいたら俺は走っていた。



「待てよ」

なぜ声をかけたのか?

目の前で死なれるのは寝覚めが悪いから?

いつもの俺ならそうだったんだろう。


でも、いまの俺は多分違う。


「お前名前は?」

なんとなく名前を聞いておきたかった。

「椿です。木に春で椿」

男——椿は少しニヤつきながら名乗った。

歳は多分同じくらいで、健康的な顔をしている。今から死ぬとは思えない表情だ。


「なんで死にたいんだ?」

直球すぎただろうか?

でも、俺が聞きたいのはこれだけだ。


もちろん、こんなこと聞いても無駄なのはわかってる。こいつが死にたい理由と、冴木が死にたかった理由は違うんだから。

それでも、死にたいって気持ちがどんなものなのか知りたかった。

半分八つ当たりみたいなものだったけど。


「……フッ、ハハハ、いやー、なんか勘違いしてません? 僕、別に死にたいわけじゃないですよ? ちょっと景色見てただけです」


「えっ」

違うの?


「何だよ、それ」

わざわざ走ってきて、深刻な顔して、恥ずかしい。何してんだ、俺は。


「いやー、面白い人だなー、ハハ。そうですねー、死にたいって思ってた時もありましたけど、いまはもうあれですね、死ねない理由があるんで」


「あったのか? 死にたいとき」


「そりゃもう。あー、でも死にたいってよりは生きたくないって感じですかね。ほら、よく死にたいっていう人いるじゃないですか。それはまだ大丈夫なんですよ。死にたい理由がいくらあっても生きたい理由がありますから。でも本当に自殺する人って生きる理由がないんです。特に生きる理由がないから死ぬ。だから僕はどれだけ死にたくても死ねないですね、生きなくちゃいけない理由があるんで」


冴木は生きる理由をなくしてしまったんだろうか? だから死んだ?

いま冴木は何を思って、椿の話を聞いているんだろう?

俺にはわからない。


「生きる理由?」


「はい。僕はヒーローにならなくちゃいけないんです」


「ヒーロー?」

ここでもその言葉が出てくるのか。

もはや呪いの域まできてるな。


「まあ、僕的な意味でのヒーローですけど」

きっと彼には彼の事情があるんだろう。

さっきの男の子ヒーローと彼のヒーローの定義は多分違う。

それが少し気になった。


「僕のヒーローはある女の子のためだけにあるんです。すごい限定的なヒーロー。僕はそうありたいんです」

限定的なヒーロー。

いい響きだ。

少し羨ましい。


「そっか、悪かったな勘違いして。それに変なこと聞いて。答えてくれてありがとう」


「いえいえ、こちらこそ勘違いさせてすみませんでした。でも、会えて嬉しかったです、またどこかで会ったら、その時は宜しくお願いします」


そう笑いかけた椿には、死なんて程遠いものに感じられた。



「私にはなかったのかな? 生きる理由」

椿と別れてから、不意に冴木がそう口にした。

「いまはいっぱいあるのになー、おいしいものも食べたいし、いろんな人と話したいし、それに……柚木くんにも触ってみたい」


「ちょっと誤解が生じないか? その言い方」

「え、ああ、そうだね。まあ、でもとにかくいろんなことしたいってことだよ」

少し頬を赤くした冴木は、死んでるなんて微塵も感じられないくらい、生きてるように見えて、そこにも死なんてものは程遠いものに思えた。

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