第6話 ハリボテヒーロー

「それで、見当はついてるんですか? ここで何をするのか」


「全然」


三連休最終日、俺は学校の図書室に向かった。

学校が休みということもあって、図書室には生徒は一人もおらず、司書すらどこかに行っているようで席を外していた。


パスワードを打ち込む画面には、『ハンプティは誰?」と表示されている。

もちろん俺は「たまご」とすぐに打ち込んだ。

だけど、パスは開かなかった。

たまごじゃなかったらハンプティはなんなんだ?


「だめですねー、そろそろわかったりしないんですか? 梓の考えてたこととか」


それがわかったら苦労しないんだよ。


そもそも……


「サエこそわからないのか? 冴木の脳をコピーしてるんだろ?」


「そうは言っても、私が作られたのはもう二年も前のことですからねー。梓が高校に入学する少し前の中学生の時ですし、もうわりと考えは変わってるんじゃないですかね」


中学生のとき。その時俺は冴木と会ったことがあったんだろうか?


「サエが覚えてる冴木の頃の記憶のなかで、俺にあったことあるか?」


「ないですね、多分」


まあ、そうなんだろう。冴木がここを指定したってことは、俺たちが話したのは高校に入ってからだ。

だとしたら、それはいつなんだ。


ただ考えていても仕方がないので、俺はとりあえず今ある手がかりでパスワードを探すことにした。


それに、それはきっと俺の記憶にも関係してるはずだ。


今、一番それに近いのは『ハンプティ・ダンプティ』あの絵本が全てを握っている、そんな気がする。



たくさん並べられた本の片隅で、埃をかぶっていたその本はくっきりと俺の目に映りこんだ。


今まで重たい何かに封じ込められていた大切な記憶が、堰を切ったように俺の頭に流れ込んできた。


これは、きっと大切な記憶。

絶対に忘れちゃいけなかったはずの記憶。

俺と冴木をつなぐピースはここにあったんだ。



一年くらい前の入学したてのとき、あの日も今日みたいに人がいなかった。

なんで図書室に行ったのかは覚えていない。

用事があったのか、気まぐれか、俺は本をそこまで読まない方ではないけど、俺にとって本は借りるというよりは買うものだった。


本屋に入って、適当に本棚を物色してビビッときた本を買うのが好きだったから、図書室に行ったのは初めてだったと思う。


女の子が泣いていた。

それをよく覚えている。忘れてたくせに覚えているなんて虫がいい話だけど、とにかくその涙は俺の目に焼き付いた。


なんで声をかけたのかはわからない。

涙を流す少女、関わったら面倒に巻き込まれるランキングがもしあったら、上位にランクインするだろう。


そういうのが好きなわけじゃなかった。

別に泣きたい理由があるなら泣けばいいし、それを無理やり笑顔にしてあげたいなんて、言うつもりもない。


俺はヒーローになりたいわけじゃない。


ただ、それでも俺は声をかけた。

ヒーローなりたいわけじゃないと思いながらも、俺は確かに彼女と関わることを決めたんだ。


それは気まぐれだったんだろうか?

違う。俺は気まぐれでそんなことを決めるようなやつじゃないんだ。


そもそも気まぐれでなんていかにもヒーローっぽい。だから違う。


声をかけなきゃいけない気がした。

それはヒーロー的な使命感ではなくて、一般的な善意でもない。

もっと、自分のためのもの。


今思えばサエが初めて俺の家に来た時もそうだ。俺はなぜだか冴木の死の理由知らなければいけない気がした。


それはきっと全部自分のためだった。


恋、とは違うんだと思う。

そんなのものじゃなくて、もっとぴったりくる別の言葉があるんだ。

でも、俺はこの感情の名前を知らない。


とにかく、泣いていてほしくなかった。

冴木 梓、いや、この時は名前も知らないただの同級生。

それが、泣いているのが嫌だった。


そうして俺は冴木のなかに踏み込んでいった。

「どうしたの?」と、なんてありきたりな言葉なんだろう。


「ハンプティ・ダンプティが塀に座った。

ハンプティ・ダンプティが落っこちた。

王様の馬と家来の全部がかかっても

ハンプティを元に戻せなかった」


予想通り俺はもうとてつもなく面倒なことに巻き込まれているようだった。

突然童謡の詩で問う少女、どう考えても普通じゃない。

でも、自分から巻き込まれに行ったんだ。

後悔はなかった。


「たまご、ハンプティはたまご」

この歌はもともと、ハンプティ・ダンプティとは何か? というなぞなぞ歌だったと聞いたことがあった。

ハンプティはたまご、それが正解なはずだ。


「はずれ。……ハンプティは私。壊れちゃうのは私」


冴木はとても悲しそうな目をしてた。

その澄んだ目から流れる涙は一種の芸術のようで、それでもやっぱり悲しそうで、俺にはそれを拭ってあげることはできなかった。


「……冗談。ごめんね、変なこと言って」

俺が何も言えないでいると、冴木は笑いながらそう言った。

いつもだったら、「なんだ、大丈夫だったのか」なんて思ったかもしれない。

でも、このときは違った。この時だけはわかった。冴木の笑顔の裏側に溢れるほどの悲しみが隠れてることを。


冴木がドアを開けて出て行こうとしていた。

やっぱり、俺には人の涙をなんとかするだけの力なんてなかった。俺にはなにもできなかったんだ。


でも…… それでも、俺は……


「俺なら元に戻せるよ、ハンプティを元に戻せる。どんなにぐちゃぐちゃになっても、王様にもできなくても、俺ならできる」


なんの根拠もないとても適当な無責任な言葉だ。でも、俺にはこれしか思いつかなかった。本当は俺にそんな力があったらよかったんだ。だけど、やっぱり俺にはそんな力はない。できることは、気休めの嘘を吐くくらいだった。


「……どうして?」


「ヒーローだから」


そんなわけがなかった。

ヒーローなんかじゃない。なれるわけがない。

似合わないのもわかってる。

ただ、この瞬間だけはそうありたかった。


「ふふっ」と冴木の顔が少し綻んだのが見えた。


「ありがとう。じゃあ、お願いしよっかな、もし私が壊れちゃったら、直して。お願い」


状況はきっと何も変わってないんだというのはわかってた。

冴木が泣いていた原因は取り除かれてないし、俺には何もできなかった。

それでも、冴木が少しでも笑ってくれたのが嬉しかった。


冴木の問題はきっと冴木にしか解決できない。

だとしたら、もし冴木がそれに失敗したら、そのときは俺が受け止めたい。そう思った。

俺はそれだけでいい。


俺には何もできないけど、君なら何でもできるんだって、そう言ってあげたかった。


だから俺は精一杯の虚勢で返事をした。


「もちろん」と。

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