第5話 人工知能は電気羊の夢を見るか?
「ねぇ、しりとりしましょう、しりとり」
家に帰ると、携帯の中から謎のハイテンションでそう言われた。
「いやだよ、もう寝たいし」
「そんなこと言わないで、やりましょうよー、ほら、楽しいですよ」
「やだって」
「ハハーン、そんなこと言って、怖いんじゃないですか? 負けるのが。あー、まぁそうですよね、サエちゃんは可愛いだけじゃなくて、頭もいいですからねー、いやーすみません、なんかかわいそうなことしちゃいましたね」
上等だ。
挑発だとはわかっていたが、こんなことを言われては引き下がれない。
こうして夜のしりとり大会が始まった。
「じゃあ、負けた方は一つ相手のいうことをなんでも聞くってことで、いきましょう」
そういうことになったらしい。
「一発芸でもしてもらいましょうかねー」なんて呟きが聞こえたが、聞こえなかったことにしよう。
「じゃあ私から、リシノレイン酸オクチルドデシル」
は?
いや、ちょっと待て。
「なんだよそれ?」
「化学合成物質です。日焼け止めや口紅に使われてます」
彼女はとってつけたような説明で、俺を納得させた。
そうして仕方なく俺も返す。
「ルーレット」
「トルバドゥール」
「だから、なんなんだ——」
「吟遊詩人です」
俺の言葉を遮って、ニヤニヤしながら彼女が言った。
おかしい、絶対におかしい。
そんな疑惑とともに、しりとりはヒートアップしていった。
ルイベ、ベンゾール、ルイ十三世、インテグラル、ルービックキューブ、ブリュッセル、ルシファー、ファーブル、ルール、ルシフェル、ルーブル、ルージュコーラル。
といった具合にわけのわからない言葉を並べられた。
ちなみに、ベンゼンの別名、積分の記号、ベルギーの首都、昆虫学者、ルシファーの別名、さんご色、という意味らしい。
こんなの、おかしすぎる。
「お前、ネットで検索してるだろ?」
「さぁ、なんのことだか?」
俺の当然の抗議にこいつは、やれやれと言わんばかりに大げさに肩をすくめて反応した。
こんなわけのわからない言葉、絶対にネットを見てるはずだ。
しかも簡単な言葉じゃなくて、わざわざ面倒臭い言葉を選んでるところが、さらに腹が立つ。
「ルール違反だろ?」
言葉を調べない。しりとりの基本だ。
「証拠は?」
そう言われて俺は黙ってしまった。
こいつが人間で携帯を手に持ってるならまだしも、携帯の中にいる人工知能がネットで検索してても、俺にはわかりようがない。
「もー、しょうがないですね、やめてあげますよ、る攻め。まったく、わがままなんだから」
意味がわからない。
なんで俺が悪いみたいな話になってるんだ?
釈然としなかったが、彼女に「早く、早く」と急かされたので仕方なく続けた。
「ルマンド」
「どうしたらそんなのわがままに育つんだ」
は?
「だからなんなんだよ、お前。 文章は禁止だろ? ていうか、悪口じゃん、俺の」
「脳みそがからっぽな変態」
彼女はそういうと、「ふふーん」と満足そうに笑った。
どうやらまだしりとりを続けるらしい。
俺は別に意識して言ったわけじゃないのに、そう思われたみたいでなんだか恥ずかしい。
まあ、そっちががその気なら別にいい。
俺だって言いたいことはたくさんあるんだ。
「いたずら好きで子供っぽくて、とても人工知能とは思えない」
「いくら悪口言っても、ボキャブラリーが貧困なんでノーダメージです」
「スクラップにされるぞ、そんなんだと」
「とりあえず、知ってる言葉並べても無駄ですよ、ガキ」
「今日はこの辺で勘弁してください」
これ以上言われたら俺のメンタルがもたない。
かわいい顔して、相当ひどいこと言うもんだから、もう限界だ。
「それにネットで検索してる奴に勝てるわけないしな」
と、最大限皮肉っぽく言ってみた。
俺なりのささやかな反撃だ。
「怒らないでくださいよー、冗談ですって。あんなこと思ってませんよ。あなたがいい人だって知ってますから」
「俺だって知ってるよ」
「え?」
「本当は俺に元気を出させようとしてくれたんだろ? そのためにわざわざしりとりなんかもやったりして」
そうだ、わかってた。
さっき家に帰るまでこいつは、ずっと心配そうな顔で俺のことを見てた。
ふざけながら、ずっと俺のことを心配してくれてたんだ。
こいつは優しい。
ちょっと不器用なだけで、本当は人間みたいに、いや、人間なんかよりよっぽど優しいんだ。
「な、なんなんですか、急に」
彼女は動揺しているみたいで、今までになく焦っていた。
俺はそれがなんとなく嬉しかった。
「そ、それより罰ゲームですよ、罰ゲーム」
あせりながら思い出したかのように彼女は口にした。
「それ、まだ有効なの? 反則したじゃん、お前」
「だめです。有効です。そうですねー……」
考えるポーズとでも言うんだろうか、顎に手を当てる姿が表示されていた。
バリエーション豊かだななんて、少し感心してしまう。
そんなことを考えてるうちに彼女が「決めました!」と声を出した。
「私のこと名前で呼んでください」
彼女は俺の目をまっすぐ見てそう言った。
「名前? 名前って……」
「サエです」
「いや、知ってるけど……」
「じゃあ呼んでください」
なんで今更……
今更名前で呼ぶとか、なんか……
「恥ずかしい」
「だめです、呼んでください」
何分かの問答の末、俺は結局押し切られてしまった。
「じゃあ、呼ぶぞ」
「はい」
「サエ」
口にするとなんだか妙にしっくりときた。
口によく馴染む、綺麗な名前だ。
目の前にいるのは、ただの一人の女の子みたいだった。
それにしても、なんだろう、なんていうか、ずるいな。
結局俺は、まんまと元気づけられてしまった。
全部サエの思惑通りだ。
サエはずるくて、優しい。
それがとても綺麗に思えた。
「どうしたんですか?、おーい、もしもーし」
「ありがとう、サエのおかげで元気でたよ」
「な、なんなんですか、急に優しいの禁止ですよ」
「そっちだって」
「わたしはいいんです!」
そう言って頬を膨らますと、背を向けてしまった。
後ろ姿が表示された画面に向かって、俺はもう一度名前を呼んだ
「おやすみ、サエ」
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