4-5 五月色

 再び回りだす風力タービン。白い街を穏やかに揺らす。誰もが聞き馴染んだ音に、わざわざ耳を傾ける者はいない。最初こそ珍しくとも、慣れてしまえば空気よりも馴染んだ存在になる。

 しかし、その音を珍しそうに聞いている少女がいる。顔を傾け、窓の外を見やる。ここからは見えないが、生ぬるい空気と冷たい空気の混じる風が届く。

「つまんない」

 自分の言葉にむっと頬を膨らめる。ベッドに腰掛け足をぶらぶら動かしても暇は潰れない。頭に高く結った髪を解き、跳ねる毛先を手ぐしで整える。その動作を何度繰り返したことか。

 仕方なく、立ち上がってぐるりと部屋を見回した。部屋は殺風景だ。しわのないベッドシーツは今はくしゃくしゃだが、服の少ないクローゼット、小さな棚には観葉植物が一つ、化粧机には化粧水も口紅もなく、楕円の鏡だけが壁にかけられている。せめて、ブラシはと探すが引き出しも空っぽで置いてはなかった。あまりに何もない白い部屋は清潔に溢れ、気まぐれにカーテンが光に柔らかく揺れた。

「つまんない、つまんない、つまんなーい」

 ステップをいくつか踏むと、くるりと一回転して化粧机の前に座る。椅子は使われていないのだろうか。新品のようにまっさらだ。座ると硬く、妙に居心地が悪い。体に合ってないかもしれないが、椅子らしきものはこれしかないので仕方なく座り続けた。手ぐしで何度か頭を撫で付けると、腕に通しておいたゴムで括る。手馴れたもので、整髪剤なくともきれいにまとまった。こんなもんだろう、と鏡を左右から覗き込む。化粧品があれば勝手に使って遊べたのに残念だ。

「お待たせ!」

 背中で扉を押し、エイプリルが転がり入った。相当走ってきたのだろう、額に髪がくっつき頬は桃色に輝いていた。

「遅い! アイスクリームを買うって出て行ってからどれくらい時間が経ってると思ってるの!」

「悪い悪い。これでも急いで帰ったんだよ」

「嘘。みんなと話してたんでしょ」

 エイプリルは「う」と言葉を詰まらせた。アイスクリームよりも風力タービンが気になり、そこに集う男三人という珍しい団体が気になってしまった。何もかも欠けて幸せな男たちが揃う姿など、初めて見た。

 欠落した街では、誰もが同じ。みんな幸せで、欠けている。

 エイプリルもまた同じく、欠けている。だからこそ幸せでいれる。今も、口の中も体も甘い気持ちよさでいっぱいだ。妹にもそれを早くあげたくて、どろどろに溶けたアイスクリームを手渡す。

「はい。ハチミツレモンとクッキークリーム」

「うわ、お姉ちゃんのセンス悪い! どうしてレモンと甘いのと一緒にしちゃうの? 味が分離しそう! それにどろどろに溶けて……ああもう」

 煩わしそうにコーン部分を舐めながら、溶けている下からすするように食べた。眉間にしわを寄せ文句を何度もぶつくさと唱えたが、食べていくうちに表情が和らぐ。頬も手もべたべたになったが、彼女の顔はぱっと輝き、ハチミツ色の瞳がとろんと溶けた。

「わあ! 本当だ。お姉ちゃんの言った通り、おいしい」

「でしょ? マザーに土下座した甲斐があった」

「嘘。土下座なんてしてないじゃない。頭一つ下げなかったって、マザー怒ってたよ」

「気のせいだ。大体、マザーはいつも怒ってる。あの顔と口調が普通なんだ」

「あ、いけないんだ。マザーに言っちゃうもんねー」

「お前にそれを言う勇気があるんだったら、幾らでもどうぞ」

 形勢は逆転し、今度は向こうから「う」とうめき声が返ってきた。エイプリルはちらりと歯を見せると、嬉しそうに口の端をつり上げた。

「お姉ちゃんは食べたの?」

「走りながら。ついにやったよ! キングサイズを頼んだんだ」

「え? それを走りながら食べちゃったの? 信じられない」

 ハチミツ色の目が何度も瞬く。呆れながらも、それよりもアイスクリームがおいしくてたまらないようだ。ぺろぺろと舐めては、コーンをかじった。香ばしく焼いたワッフルコーンはあまり甘くなく、アイスを食べながらかじると最高に美味しい。

「でも確かに……これは食べちゃうかも」

 あっという間にハチミツレモンがなくなり、クッキークリームに突入している。食べる姿は必死で、犬のようだ。

 なんだかんだで文句を言いながらも喜ぶ妹を、エイプリルは愛しく見守る。真向かいに座り頬杖をつくと、思わずふっくり微笑んだ。

 茶色い髪にくりくりとしたハチミツ色の瞳。妹とは思えないほど似ていないがその通り、血はつながっていない。それでも二人は本物の姉妹だ。この街でしか存在できない精神体。お互いの主を守るために二人は今を生きている。

「なあ、マリア」

 妹がふと顔を上げる。きょとんと瞬きをすると、途端に苦笑した。

「やだ、お姉ちゃん」

 アイスクリームがぽたりと服に落ちる。それは誰かの涙だったか――。

「私はメイ、よ」

 エイプリルもまた苦く笑った。目を伏せ、妹の足を眺めると不意に瞳がにじんだ。

「うん、間違えた。ごめん。まだ慣れなくて」

「マリアは今日も元気に遊んでる。今日はお友達とアイスクリームを食べるんだって張り切ってる。私と同じだね」

「マリアはもう……アイスクリームを食べても平気なんだな」

「だって、私がいるもの。私がマリアを守ってるから平気。毒の味なんて何にもしない。記憶を守れば生きていける」

 夢の中を歩き続ける幸せな千春。何度もリフレインする、アザレとの出会いと会話。風のように穏やかに、風力タービンの羽のように柔らかに、何度も何度も夢を見る。

「それに、私ってすぐに忘れちゃうの。お姉ちゃんはずっと覚えているのに、私はマリアの事を忘れちゃう。ちゃんと幸せな夢を見せてるのに、匂いも味も想いも。だから、今言うね。忘れちゃう前に」

 幸せの波に流され、耐え切る事のできなかったマリア。マリアと同じ言葉をメイは笑顔で言った。

「お姉ちゃん、ありがとう」

 エイプリルは千春の夢を見るようにそっと目を瞑ると、マリアを思い浮かべた。メイの中にいる妹。彼女は千春と同じように幸せであるようだ。それがどんな形であっても、少女は幸せという確かな想いと共に生きている。疑問に思うことなくメイに守られながら過ごしている。

 白い街が生み出す白い幸せ。外に出れば途端に砕かれる結晶。

 永遠にこの街で生きる。疑うことなんて一つない。エイプリルはとても満たされていて、メイもマリアもようやく街に歓迎された。欠けた記憶と欠けた感情。

「メイ。幸せ?」

 メイは何の迷いもなく、大きく頷いた。

 エイプリルもつぶやく。ワタシも、幸せ。

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