4-3 アイスクリーム

 ふおん、ふおんと風力タービンが回り始める。

 白い日差しに焼けつくされた地面は、目地に流れ込む影がレンガを浮き彫りにする。どこまでも続く回廊のように、消失するまで道が続く。

黒い靴が白いレンガの上でステップを刻む。白い雲を渡る鳥のような軽やかさ、舞う髪やスカートは羽に似ている。白く輝くエイプリルの輪郭は今を白い街よりも白く、美しく見せていた。

「ほら」

 桜貝のような爪が指し示す先に、白いトラックが止まっていた。車からクリーム色のテントがせり出している。駆け寄ると、磨きぬかれたガラスケースの向こうに色とりどりのアイスクリームが並んでいた。

 この店を呼ぶために、エイプリルはいくつか犠牲にした。反抗期であるエイプリルはマザーが嫌いだ。いつでも高圧的で、幸せにしか興味のない青い双眸とたるんだ肉は見ているだけで苛立つ。そんな母親にエイプリルは頭を下げたのだ。アイスクリームがどうしても食べたかった。喉が熱く、欲している。マザーにひれ伏すほど、渇望していた。

 マザーも鬼ではない。あっさりではないが、承諾した。その代わり、エイプリルは塔で二日間過ごさなくてはならなかった。ありとあらゆる検査を受け、何度もデータを取られた。家に帰りたい気持ちをぐっと堪えながら、マザーの施すいくつかの実験をクリアしたのだ。

 その時、マザーは初めて感情的なものを目に宿してつぶやいた。

「数値が驚くほど安定している。やはりあなたが最初で最後の傑作ね」

「ありがとう、お母さん」

「いい子にはご褒美をあげなくてはいけないわね。わかったわ。呼んであげる」

 そうして、現実としてアイスクリーム屋は来た。嘘をつくことが好きな少女は、少しの嘘と我慢で好きなものを手に入れることができた。

 エイプリルは満面の笑みを浮かべ、崩れそうなタワーアイスを持って男三人の下に近づいた。

「予想以上の大きさ……」

 エイプリルの顔よりも高くなってしまったアイスを眺め、開口一番に口を開いたのは飲んだくれのグロゼーユだ。到着するなり、彼は隠し持っていた酒を飲み始めた。表情も顔色もまったく変わらないが、反応は素面のときよりもかなりいい。

 エプリルは満足げに歯を見せて口をあけた。だが食べず、代わりにクロに手渡した。突然のことにクロは目を何度もぱちくりとエイプリルを見上げたが、彼女は、なぜか呆れていた。

「おいおい、クロ。シロにお土産なしか? 飼い主なんだろ。もっとかわいがってやれよ」

「猫は気まぐれで、餌も時々しか食べない」

「あんたの料理がまずいだけだって」

 クロは何も言えなくなってしまい、どうすることもできないアイスクリームをしばし見つめていた。しかし、一番下のキャラメルナッツが滴り始め、上の段も崩れ始めて溶け合ってきたので焦り、急いで席を立ち上がった。

「帰る……っ」

「おごりにしておいてやるよ。今度、何かくれよ!」

 手を振ると、クロは小走りに帰っていった。シロは喜ぶだろう。猫は甘いものが好きかどうかわからないが、アイスクリームは好きなはずだ。以前、エイプリルと一緒にたくさん食べた。ただ、次の日は体調を悪くしていたけれどすぐに治った。

 エイプリルはもう一度注文した。一つ、そしてもう一つ。エイプリルは五段だが、もう一つはダブルだ。味はハチミツレモンとクッキークリーム。さっぱりとこっくり甘い、セットだ。

「げ。そんなに食うのか?」

 次聞いたのはアザレだった。彼はすっかり頬を紅潮させ、グロゼーユと酒を酌み交わしている。テーブルはリンゴの木と蝶々のレースのすかし模様が入った、錆びもなく艶やかで丸みを帯びた姿をしている。しかし上に乗る酒瓶のせいで随分と雰囲気を壊してしまっていた。しかも二人はグラスなんて洒落たものは用意していない。ビンに直接口をつけ、滴らせながら飲んでいる。

「おっさん二人に言われたくないね。品がなさすぎるだろ、もう。それに比べ、アイスクリームはきれいで甘くておいしい。最高! じゃ、ワタシは帰るから」

 片手を挙げる変わりに片肩をすくめてさっさと踵を返した。アザレとグロゼーユは止めることなく、酒を酌み交わす。二人ともどんどん陽気に、声は大きく笑い声は膨らむ。

「おや。楽しそうでいいねぇ。あたしも混ぜておくれ」

「いいぜ、ヴェルミヨン」

 アザレは肩を組むついでに肌にふれると、美貌の持ち主ヴェルミヨンは整ったくちびるの端を吊上げながらその手をつまみおろした。アザレは顔を引きつらせ、もう触ることはなかった。手の甲にはくっきりと爪の痕が残っている。

「エイプリルはいないのかい?」

「さっきまでいたけど、帰ったよ」

「そうかい。あんまり話す事がないからねぇ。女同士、おしゃべりでもと思ったんだけど残念」

 蓮っ葉な口調でヴェルミヨンは指を伸ばし、グロゼーユの酒をさらう。バンダナで巻かれた目元は何を見ているのだろうか。白い世界は見えるのだろうかと誰もが疑問に思うが、彼女は白い世界はどうでもよかった。己の美さえ完璧であるのであれば、そこはパラダイスなのだ。

 白い風が生まれる。ミルクのようなまろやかさが三人を程よく包んだ。

「マザーは」

 ヴェルミヨンが、くちびるから瓶を離しながらつぶやく。テーブルの模様を指でなぞりながら続けた。

「この幸せを永遠にするために、風力タービンを立てたのかと思った」

「それ、さっき俺たちも言ったところ。そんなはずないだろ。風はただの風さ」

「何も生まない。だから何かを生んでるのかって。ああ、弱くなったもんだ。もうアルコールが回ってきたようだよ。グロゼーユ。随分と強い酒を飲んでるじゃないか」

「これくらいじゃないと血の匂いが抜けない」

ヴェルミヨン優美な仕草で口に手を添えると、蓮っ葉な声とは随分と違う、たおやかな様子でころりと笑った。

「今日はあったかいねぇ。気持ちのいい天気」

「このままゆっくり眠りたいな」

 白い日差しが降り注ぐ屋外のカフェは三人しかいない。ふおん、ふおんと何度も繰り返される。ふおん、ふおん、ふおん。三枚の羽は規則正しく風を送る。

 白い街は永遠を取り戻していた。

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