4-2 再開
エイプリルは嘘つきな少女である。何もかもが少しずつ嘘で、何もかもが少しずつ合っている。何もかもがずれていて、存在して、ここに立っている。
白い道を埋め尽くす白いレンガを眺めながら、自分の深い影を見つめる。風がない今、わずらわしい長い髪も揺れることはなく、黒い瞳が乾いて染みることもない。痛みはどこにもないというのに、エイプリルはぽたぽたと涙をこぼしていた。影にそれは映らない。頬に流れるしずくは透明で、誰の目にも見えなかった。
イマジナリーフレンドとして誕生した時、エイプリルは塔にいた。マザーの加護を受け、千春という少女を守る役目を持つこととなった。
千春は穏やかで、無知で、流行を追いかける、ごくごく普通の女の子だ。学校に行くのが嫌いというよりも苦手で、それでも友人に会いたくて、宿題もそこそこに通っていた。数人で登校している時もあれば、一人で行くこともあった。宿題が完璧にできている日はなぜか一人で、心軽いのに寂しい気持ちでいた。そんな気持ちまでエイプリルは共有していたが、他人だった。
アザレと出会ったのも一人で行く途中だった。彼は――あれは一体どこだったか。千春の記憶が曖昧ならエイプリルも同じだ。景色はおぼろげで、赤紫の瞳だけが爛々と輝き、にたりと笑う口元はあまりに恐ろしいのだが、どうしてか人懐っこく見せてしまうという、不思議な笑みを浮かべていた。
彼は無知な千春に近づき、徐々に近づき、心に入り込んだ。それこそ不思議なことに、彼は人に疑いを持たれるということがなかった。千春が無知だからではない。アザレの特技だ。
千春がアザレに惹かれるのはあっという間のことだった。それからというもの、一人で登校するのを楽しみにするぐらい、千春はアザレのことばかり考えるようになった。
そんな柔い関係が崩れるのは――まもなくの事だった。アザレは千春の両親を襲い、千春を襲い、目玉を奪った。
ああ、あんなにも好きだったのに。千春の恐怖が流れ込む。しかし、エイプリルはそれをダメージとして受け取らない。エイプリルはそれらを全て守るために生まれてきたのだ。
彼女を守りたいと願った。自分の誕生は千春の犠牲によるものだ。心の底から感謝している。だがその根本には千春を守りたいという本能があるからだ。
エイプリルは胸にそっと手を沿え、千春を愛しく思った。
リフレインする記憶。止まらない想い。溢れる恐怖を何度も沈めては、千春に穏やかな夢を見せる。幸せな、幸せな物語を読み聞かせる。
全てが愛しい。これを知って、こうして目を開いている。とてつもない幸福。
たとえ、マザーによる幸せの実験だとしても。白い街はそれでいい。それが全てで、それだけで生きている。以上も以下もない。比べるものもない。最高の幸せ。絶対の、確実に信じることのできる世界。それを誰が不健康と言うだろうか。誰も言いはしない。彼らもまたそう思い……ここでしか生きれない。
「よし」
エイプリルは黒い瞳に光を灯すと、太陽がエイプリルを歓迎する。
白い空。白い空気。白い壁。遠くで人のざわめきが聞こえる。とても楽しそうな声。エイプリルは目を細めると、前へ進んだ。
扉というには、シールで貼り付けたよう薄っぺらい簡素なものだった。男の手にはやや余る小さな取っ手を引くと、空気のように軽く開いた。三人は拍子抜けすると、クロ、グロゼーユ、アザレの順番で入った。扉から入る四角い光以外の光源はなく、埃がちらちらと瞬いた。
風力タービンはエネルギーを生み出すために動いている。白い街を永遠に動かすための動力として。誰もがそう思い、誰もが疑ったことのなかったものだ。
ふおん、ふおん、と耳にこびりつく音と風が三人の耳をかすめる。
「何もないな」
クロは感慨なくつぶやく。単なる事実にグロゼーユもアザレも同じ心境であろう、無言で頷いた。
「何も」
グロゼーユも続く。グロゼーユは機材を持って、奥へ進む。
「こんなもんだよな」
三人は覗き合う。たった数本のコードと電子部品。グロゼーユが手を伸ばす。手にするのはいつものメスではなく、ペンチと半田ごてと、代わりのコードである。彼は手際よく接着し、細い目を一層細めて覗き込み、とろりとした液体で固めていく。
「なんだかあっけないもんだねぇ。接触不良かい。風力タービンがこんな構造だったとは」
「夢見がちなんだな。最初にマザーが言っただろう。風力タービンは、ただの風車だって」
暇なアザレとクロは窓に目をやると、エイプリルが驚いた顔を出した。
「こんなところで珍しい三人!」
「よお、エイプリル」
「具合はどうだ?」
「ありがとう、クロ。まあまあってとこかな」
エイプリルはひょいと肩をすくめると近づいた。アザレはにこやかにエイプリルに近づいたが、彼女は無視して足をわざと踏んだ。アザレは痛がる変わりににたにた笑った。
「修理してるんだって?」
「壊れたからなぁ。これって壊れるんだな」
「アザレに聞いてない。グロゼーユ」
「今作業中だ。アザレに聞け」
「じゃあ、クロ」
「俺は依頼されたにも関わらず、やることなしで暇だ。そしてなんで壊れたか知らない」
「あっそ……」
「あきらめて俺に聞いたら?」
エイプリルは一層強く睨みつけたが、アザレを悦ばせるだけだった。今のエイプリルの目はアザレの好きな色をしている。クロもグロゼーユも呆れた。エイプリルもそれにきづき、首を振った。
「何か聞こうとしたワタシがばかだった。それで、直りそう?」
「もう少し」
エイプリルはグロゼーユの肩越しに風力タービンの基盤を眺めた。規則正しく並ぶ電子の群れ。コードは彩られ、滑らかな銀色の鉄で繋がれている。
「この街みたい」
ポツリとこぼした言葉に誰もが黙った。沈黙は数秒と持たず、アザレが続ける。
「違うところといえば、外の方が広い事だな」
エイプリルは顔を引っ込めると、扉の外を見た。どこまでもどこまでも白い世界が広がっている。手を伸ばせば、指先まで白く消えてしまいそうに瞬いている。
「確かに。広くていいかもね。歩きまわるにはちょうどいいよ。あ、そうだ」
エイプリルはぱっと顔を輝かせると、男三人を順番に見た。
「今日、臨時でアイスクリーム屋が来るんだ! もう作業は終わるだろ? だったら、食べに行こう!」
「なんだお前……女子学生みたいなこと言って……」
「ワタシ、役職は学生だから合ってるだろ」
アザレは珍しくげんなりしたが、エイプリルは何度も「そうしよう」と嬉しそうに飛び跳ねた。そうして見れば、エイプリルはただの少女だ。イマジナリーフレンドも少年型でもない、単なる少女。
「ワタシさ、一度試したかったんだよな。五段重ねのキングサイズ! 上からヨーグルト、イチゴミルク、チョコミント、チョコマーブル、キャラメルナッツにするって決めてるんだよ」
「くどくないか、それ……。最後にシャーベットの方がいい」
真面目に答えるのはグロゼーユだ。作業は終わったのだ。エイプリルは顔を輝かせ、何度もアイスクリームの種類を唱えた。もう決定済みであるらしく、いつの間にかクロを引き連れて外に出てしまっている。
アザレとグロゼーユは呆れながらその姿を見ていたが、ややあって外に出た。
「酒が飲みたい」
「じゃあ、俺たちはアルコールにしますか。お子様たちがアイスクリームをおいしそうに食べているのを肴に」
「……お前、趣味がますます気持ち悪いぞ」
「はは、お前に言われたくないね。また刻むんだろ? 女の子の身体。隅から隅までびびびぃっと」
「それならもう終わった。だから酒が飲みたいんだ」
ああそう、とアザレは呆れて頷いた。
ふおん、ふおん、と風力タービンが回る。生ぬるい風が吹き始めていた。ゆるり、ゆるりとかき混ざる。時間が元の穏やかさを取り戻しつつあった。
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