第5話

 それからの私は凄かった。


 ガチョウの世話は勿論、納屋の世話、農作業、下女に変わって家事の一切、夜眠る前には公子や妹、つきあいのある家族たちに手紙を書き、一体自分のどこにそんな力があるのかと自分で自分を湛えながら過ごした。全力で全てをこなし、夜には泥のように眠る日々が続いた。


「あんたなんかヤバイ薬でもやってんじゃないでしょうね」

 と魔女の娘が呆れる程だ。


「あ、あのいいんでしょうか? 私の仕事を変わっていただいて……?」

 下女が怯えていたが、これでいいのである。これからのことを考えると私がこの家の家政の一切を取り仕切らねばならないのだ。

 


 下女の縫い物の腕は魔女にも知られる所となったらしく、王侯貴族の娘たちに売りつけるというハンカチや下着などに恋愛成就の呪いの文様を刺繍するよう命じられていた。普段の規模からするとチンケではあるがこれも商売の一つなのだろう。



 魔女が嫌がる二階へも入り、容赦なく片付けと掃除に取り掛かる。経理係が不機嫌そうな口調でとめにかかる。

「先生が勝手にいじるなと仰いましたよ。ものの置き場所が分からなくなるからって」

「忠告どうも」


 丸一日かけて掃除してから完璧に整えた部屋の中央で私は手を叩く。すると一瞬で部屋は元どおり、魔女本人しか持ち物の所定位置がわからないとっちらかった雑然とした状態にもどる。もう一度手を叩くとわたしが掃除した状態と同じに戻った。


「……家政精霊ですか?」

 メガネをつまんで上下に持ち上げ眉間にしわを寄せた。

「ここまで手名付けた人は初めて見ましたよ」

「信頼関係が大事なんだ。骨身を惜しまなければ彼らは皆快く家を整えてくれる。それをこころがけるといいぞ」

「結構です。私は精霊も魔法も嫌いですんで」



 家事から解放された下女には魔女から命じられた小物の刺繍とともに「王宮に上がっても恥ずかしくない程度の」マナーを身につけてもらうことにした。講師は無論魔女の娘である。宝石加工ギルドの長からもらったサファイアをやると二つ返事で引き受けてくれた。

 今日も「ほらまた背中が曲がってる!」だの「ドレスの裾を踏まない!」だの「母ちゃんじゃなくてお母様!」だの厳しい声が飛んでいる。半泣きで元どおり家事を手伝わせてくれと哀願していたが、王女様のドレスとデザインを任せてやると言ったら泣き顔をこらえながら必死に食らいつくようになった。恐ろしいまでのドレスへの執念。悪いようにはしないから利用させてもらう。



 王宮から妹を彼の国へ嫁がせることになったという発表はまだ無い。が、出来れば早急に城へ帰り妹とに顔を見せて欲しいという私の手紙へ対する公子から返事があるも「帰れるなら帰りたいが怪物と海賊退治その他の雑務で多忙を極めている」という内容が綴られており、なかなか厳しい。


 飛脚へ手紙を託すのと届いた返信をこちらまで運んでくれるのは例の隊長で、相変わらず些細なことから大きなことまで様々なゴシップや噂を伝えてくれた。王宮の外壁をタチの悪いイバラがあっという間に覆い隠して庭師が往生しているという情報が唯一の救いである。妹姫が嫁入り前のベールを縫い始めたという噂もある。そうやってかの国の王を安心させておくとよい。



 お気に入りのねえやに遊んでもらえなくなったせいか、元王女がわたしにつきまとうようになったが私では遊び相手には物足らないのかしょっちゅうむくれるようになった。


「リーゼル、竹馬作るって言ったのにうそばっかり」

「すまないな。時間が出来たら作ってやるから」


 代わりにファラダの首をつけたままの杖を手渡すと、それなりに機嫌を直してまたがって遊んでいる。半分高貴な血を引く元王女はわりときむずかしいファラダも気に入ったのか大人しくされるがままになっていた。


 しかし言ってもまだたかだか三つばかりの子供だ。自分が相手をされないとわかるとひっくり返って激しくバタバタ手足を動かしてむずかりだす。


「いやだいやだ、つまんないからいやだ! もうやだー! お家に帰るー! おとー様に会いたいー!」

 こうなるともう手がつけられない。マナーの授業を一旦放り出して魔女の娘と下女がよしよしたあやしだす。

「ほらー、もうワガママ言わないの〜。お城に戻ったって塔にずーっといなきゃいけないんだよ〜? 退屈だよ〜?」

「今日の授業が終わりましたらベルタが一緒に遊んであげますから、ホラ」

 下女が抱き上げようとした所を身をよじって逃げた元王女は、椅子に飛び乗って柱にぶら下げてあった経理係の作った例の棒(相変わらず着火剤として使用している)を持って庭へ駈け出す。その途端魔女の娘も下女同時に血相を変えて追いかける。私ももちろんそれにならった。また大木が倒されてはかなわない……。


 

 現実は大木どころではすまなかった。


「えいっ、えいっ、えいっ!」


 元王女は闇雲に杖を振りまわす。と山頂がえぐれた山の隣にある山が三回、ドン、ドン、ドォン‼︎ と土けむりをあげて弾けた。万年雪をかぶった山頂が煙とともに崩れて形を変える。


「……」

 

 隣の山の形が変わっていた理由を察して、私は言葉を失った。下女の顔は真っ青になり魔女の娘すら頭を抱える。



「なんですか、今の音は⁉︎」

 二階から経理係が顔を覗かせる。

「またクララにあれをもたせたんですか! あれほど管理には気を使えと言ったのに!」

「……以前より威力が増してないか?」


 もうもうと煙を上げる隣山を見上げて私は呟く。以前は礫を投げつけていたのに今回はその様子すらなかった。


「この杖に宿った精霊とこの子の相性が最高みたいなのよ〜、最悪なことに」

 ビービー泣く元王女から杖を取り上げ、ペンペンと尻をたたく魔女の娘も困ったようにため息をついた。魔女の娘が浮かべた母親そのものの表情には激しく驚く。

「何よ。アタシだって叱る時は叱るわよ。寝てる時家が吹っ飛びでもすればたまんないし。やめてよね〜、人の顔ジロジロ見るの」

「いや……」


 経理係の杖、ビービー泣いてぐずる元王女、なかなか帰ってこられない公子、それらが頭の中で混ざり合い思いついた考えに囚われる。

 とりあえず今は実行するしか無い。私は魔女の娘の肩を掴む。


「しばらく娘を借りるぞ。ベルタ、お前も来い!」

「は、はいぃ?」

 展開が掴めずに眉間をしかめる魔女の娘と名指しされる理由が分からずしゃっちょこばる下女に説明する暇はないのでとりあえず宣言する。


「港へ行くぞ!」




「うっみぃぃー! うっみぃぃー! おっふねー!」


 隊長が手配した例の馬車で開けて間もない公国の港町につくやいなや、長距離移動の疲れも忘れて元王女は大はしゃぎだ。

 いつか下女が手入れをしていた薄桃色のドレス姿で駆け出し、その後を下女が追いかける。魔女の娘の手で身なりを整えたので村人の娘からは令嬢の小間使いくらいには見える。そして私はガチョウ番の格好ではまずいので「今はこんなのしかないのよねえ」と言いながら魔女の娘が引っ張りだしてきたドレスを着ている。真面目なマナー講師がハレの場に招かれた時に着るのに相応しいごく平凡な仕立てのドレスだが、今の私にはこれでいい。ただまだ生え揃わない髪だけが不恰好だし手にはファラダの首のついた杖があるので兎に角異様だ。



 馬の首のついた杖をもつ短髪の婦人、ドレス姿で暴れる小さな女の子、その付き人らしい少女という、見るからに怪しい一向だが事前に連絡を入れておいたおかげで公子のいる館は正門からすんなり招き入れてくれた。

 


 港を見下ろす丘の上にある公子の館は規模こそ小さいががっしりしていていい造りだ。客間の窓から青い海と港に停泊する船が見えるのもいい。皇国の紋章をつけた軍艦も見える。私も海を見るのは初めてでつい子供のように見入ってしまう。



「遠方よりよく起こし下さいました、リーゼル王女」


 出された異国風のお茶を味わっていると程なくして公子が姿を見せた。私の記憶にある状態より陽に焼けて精悍さの増したが髪と衣服にやや乱れの目立つ公子は私のナリや供のおかしさにはとりあえず触れず歓待のポーズをとってくれる。


「本来なら私共からお見舞いに上がらねばならない所不義理を重ねてしまい、申し訳ありません」

「挨拶は手間だ。妹からなんらかの手紙は届いているだろうから用件のみを話すぞ。とっとと王宮へ帰って妹と婚礼を上げろ」

 

 ギリギリの線で何かを保っていたらしい公子はその一言で何かが決壊したらしく、従者達を人払して私に迫った。

「つかなんなんですか⁉︎ なんでアリーゼがあそこの国のアホ王子の花嫁になるんですか⁉︎ 意味がわからないんですけど?」

「同感だ。私にもサッパリわからん」

「僕が帰らなかったからですか⁉︎ 海賊退治と皇国の干渉を交わすのにかまけてたせいですか⁉︎ それとも一度王宮への警備にそれとなく口出ししたせいですか⁉︎」

「それはあるようだ。父母にとって大層不快な出来事だったらしいぞ」

「あああああ!」

 金髪をグシャグシャ掻き回して公子は呻く。

「わかんねー。意味わかんねー。さんっざん下手に出てご機嫌とって進言したのにやってらんねー……」


 三年に及ぶ激務が人を変えたのかプリンスとは思えない乱れた言葉で罵ったあとに我に帰ったらしく、そそくさと居住まいを正して咳払いをした。


「お父上お母上へのご無礼失礼しました」

「気にすることはない。私も両親への不満を口にできる仲間がいると心安い」

 思い切ったことを言うと公子は困ったように笑った。


「公もかなりお疲れな様子で」

「リーゼル殿こそ。僕の苦労などものの数ではないような言い尽くせないほどのご苦労があったのでは? ご滞在中はどうぞお寛ぎください」

 その言葉だけでも心が随分軽くなる。

「ありがとう。ただあまり長居もしていられないのでさっそくことに取り掛からせていただきたい。今から船を出していただけるのは可能か?」

「はい?」

「怪物退治に出たい」

 公子は呆気に取られたような表情をみせる。



「ふねー、おっふっねー‼︎」

 

 元王女は初めて船にのるというのに元気に甲板を駆けずり回る。幸いあらくれものらしい船員たちもそんな元王女が愛らしいのか邪険にせずニコニコとかまってくれていた。私はというと初めての船の乗り心地に些か参っていた。船室の窓から元王女の動向を見守りながら気付け薬をかぐ。


「船がこんなに揺れるものとは知らなかった……」

「今日はまだ穏やかな方ですよ。まあ僕も三年前はそんな塩梅でしたね。今は陸にいる時の方がクラクラするまでになっちまいましたが」

 公子は笑顔で言うが、怪物退治という発言には半信半疑の様子だ。

「リーゼル殿を疑うみたいで心苦しいんですが、本気なんですか? あのバケモノは大したデカさなんですよ? 皇国の軍船が三隻も沈められてますし」


 三隻か……。


「これ以上皇国に貸しは作りたくはないだろうな」

「そりゃそうですよ。親父が結んだヘタな条約のせいで貿易船護衛中の損害はこちらがまるまる保証することになってますからね。あの怪物に稼ぎを全て食われているような状態ですよ。怪物用の砲弾代ってのもバカになりませんし」


 その原因を作ってるのがうちの魔女でそもそも私の国と元嫁ぎ先のかの国とのトラブルに端を発しているのだと思うと申し訳なさで一層目眩がする。すまないなと思わず謝ると、まあお互い様ですよと軽く答えた。多分なんらかの事情は察しているのだろう。


 その時船員が声を張り上げると、俄に甲板が殺気立つ。公子の表情も変わった。元王女も公子の側近に抱えられている。


「出たか⁉︎」

 

 船員とやりとりをして指差す先の水平線に水柱が立ったのが見えた。しかしほんの一瞬だ。


「備えててください! やつは速いんで!」


 とりあえず柱に捕まりながら水面を見ているとさっき水柱が立ったあたりから白いスジがこちらへ向かってまっすぐ伸びてくるのが見えた。と思ったら水面が膨らみ船が傾く。海面から伸びたように見えた大木が巨大な生き物の一部だとわかった時は水しぶきをあびてびしょ濡れになっていた。

 悲鳴や怒号、退避!といった声や船に使う木材がきしむ音マストが揺れる音が飛び交う中、転覆を免れた船は元どおりになろうともう一度大きく揺らぐ。これは耐えられないと私はファラダの首をつけた杖にのると宙にうかび、騒々しい船の中を滑って元王女を探した。

 

 艦橋へ上る途中の階段で激しい揺れから元王女を守ろうと耐えている公子の側近をみつけ、礼を言ってから元王女を受け取った。私と元王女の二人を乗せてもファラダは嘶きながら宙をすべって甲板に出るとそのままマストにそって上空まで上った。結構なスピードが出ていたが元王女はキャッキャとはしゃいで喜んでいる。大したお姫様だ。


「リーゼル、何あれ、あの大っきいの何?」


 この世界の丸みがよく見えるほど高い所にあいると怪物の姿がよく見えた。細長く尖った筒状の頭から太くて長い触手をうねうね蠢かせた不気味な生き物だった。 公子の乗っている船と同じくらいの大きさがあり、それを叩き潰そうとするように触手を振り回す。船はなんとか怪物から距離をとりながら砲弾を発射させる。砲弾は怪物からを撃ち抜くが致命傷にはなっていない様子だ。怪物用砲弾は不良品か?


 疑惑が生じたがそれよりも先に怪物退治だ。巻き添えをくらわせてはいけないので船のマストにむけて吹け吹け風よと唱えて突風を送り、船を沖合へ向けて滑らせる。

 そのあと背中にしがみつくリーゼルを膝の上に座らせ、経理係の作ったあの杖を握らせた。柄の引き出しには怪物用砲弾のかけらがこめてある。あの砲弾が魔女の悪質な商売から生まれたまがいものかもしれないがとにかく気休めにはなるだろう。


「クララ、あの怪物に向かってその杖をふってくれないか?」

「いいの⁉︎」

「今日だけだ、私が許可する。おもいっきりやれ!」

 目をキラキラさせた元王女はすうっと息をすい、やっ! と声をあげてぶんっとおもいっきり振りおろした。


 ビュっ! と風をきるような音が聞こえた気がした瞬間、怪物の身体が弾けたのが見えた。

 

 が、衝撃で海面が白く膨れ上がり巨大な水柱となって弾け一面真っ白になり何も見えなくなる。降り注ぐ海水から逃げながら、衝撃が巨大な波紋となって同心円状にゆらゆら広がってゆくのがみえた。港に到達したそれが波止場ぶつかる。


 しばらくして海面がやがてしずかになり、ばらばらになった怪物の身体だったものがプカプカと浮いているのを見て。安堵しながらやや不安になり元王女を抱きしめた。自分の結果に怯えているらしく私にしがみついた。



「リーゼル、クララもうこれいらない……」

「そうか。そうだな。……ありがとうクララ。助かったよ。お前はりっぱなお姫様だ」



「はーっ、この杖があれだけの爆発を……」

 館にて、公子は例の杖を手に取りしげしげと眺めまわす。


「あれだけの爆発を引き起こすのは今の所この娘だけらしい。開発者によるとまだ試作段階でな、思うものが作れないと不満タラタラだ」

「その技術者紹介してくれませんかね。うちで開発資金を出しますんで」

 これさえあれば軍備を皇国や同盟国に頼らなくて済むし、量産すれば他国に対する抑止力になる。なんならよい商品にもなれる……とおそらくそんなことを考えているに違いない公子へ、考えておくとだけ答えておく。私にはいい話に思えるが経理係はなんと答えるだろう。



 こうして怪物を力づくで退治した我々は、公子の館で歓待される運びとなった。爆発による高潮で損害が出てしまったのは申し訳無かったが、公子が補填してくれたのがありがたい(杖の開発者を紹介すること込みのサービスではあるだろうが)。


 当日は元気を無くした元王女だが、一日たつと元どおりのやんちゃ姫になり館のあちこちを駆け回る。

 館で一日留守番していた下女は、公子が妹へプレゼントしようと集めていた豪華なドレスや小物類を詰め込んだ部屋で一日過ごし強すぎる刺激を受けたらしい、朝になってもまだ夢見ごこちなのか足元がおぼつかない。



 怪物が退治され、三年ぶりで王宮へ戻ることができることになった公子が全身から喜びを溢れさせながらあれやこれやと準備をしている所へ、一振りの剣をプレゼントした。魔女の持ち物から買い取ったものだ。


「なんですか、この剣? これも魔法の剣で?」

 冗談めかして訊ねたので頷く。

「……マジですか?」

「結婚祝いだ。受け取ってくれ。かならず必要になるから」

「? ありがとうございます」


 かわりといってはなんだが。私は夢見心地の下女を公子の前に差し出した。

「お針子としてベルタを城に連れて行ってやってくれ」

「……はい?」


 俄かに状況がつかめない表情の公子よりも先に、夢から覚めてらしい下女が、ええええ⁉︎ っと頓狂な声を張り上げた。




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