第3話

「それで、あんた結局あの国に嫁ぎなおすの〜?」


 ドレスを仕立て直している猶予ある期間、マナー講師の休業日に魔女の娘が私の沢についてきた。山国の娘が着るような胸をぎゅっと強調する衣服を着てぶどう踏み娘のように脚をさらけ出し岩の上にゴロンと寝そべる。

 私が無言でいると勝手に先回りして答える。


「王子はああ見えて悪い人じゃないから安心していいよ〜。ただ覇気がなくて〜ワガママで〜鼻っ柱は強いけど結局はお父様のいいなりで〜芸術が好きな人だよ〜」

「……」


 さらに無言になってしまった。あまり真剣に考えたことが無かったが私は武芸にすぐれて頭も切れ、ちょっとやそっとのことでは動じず大胆な決断も下せる肝の太い人物を将来の伴侶に求めたいいう気持ちがあるようだった。そのとき頭にある人物が浮かんだが頭から振り払う。



 魔女の娘が突然こんなことを言いだすのも理由があった。


 数日前にいつものようにガチョウと下女にかまってもらえなくてスネている元王女を連れて沢までくると、いつものように岩の上に座っていた。

 迷惑そうなガチョウと戯れる元王女を眺めながら父母のことを考え鬱々としていると、ふいに、ざり、ざりと砂利を踏みしめる音が聞こえたのだ。

 隊長のものかと思ったがそうではない、リズムの崩れた不審な足音だった。杖を手に警戒すると岩陰からなんとも異様な若い男がヨタヨタと這い出てきたのだ。


ひょろひょろと細く頼りない体にもつれたプラチナブロンドの髪には木の葉や小枝が絡まり、一目で山登り向きではないとわかるフリルで飾られた華美な着物は汚れて破れて見る影もない。そんな男が棒切れをつきつきこちらに歩み寄ってくるのである。舞踏会に出るはずの貴公子が何かの間違いで供とはぐれて深い山の中に置き去りにされたような惨めな男は私を見るなり、持っていた棒切れを剣のように構えた。


「み、見つけたぞ! 鏃山の魔女め!  私の、私の娘を返せ!」

「人違いだぞ」

 

 精一杯強がるが腰の入っておらず私に対する怯えを隠さないその構えを見て警戒する気が失せた。あれなら目をつぶっていても勝てる。


「嘘をつくな!  お前の怪しい術のせいで私は三日三晩山のなかをさすらう羽目になったんだぞ……! とにかくそのことに関して詫びてもらおう。そして風呂と温かい食事と寝床を提供してもらおう」

 

 魔女は招いてもない人間が家に訪ねてくるのを鬱陶しがり、山の中腹あたりから自分の許可した人間以外は決して魔女の家へたどり着けない惑わしの魔法をかけている。でもそれはちょうどこの沢より標高がやや上にあたる地帯からである。男がやってきたの沢の下流からだ。つまり男は勝手に山のなかを三日三晩さすらっていたのだろう。とんだ馬鹿者のようだ。


 どうせ今日もそのうち隊長がやってくるはずだから適当に保護してもらおうと決め込んで無視していると、元王女がまたガチョウを追いかけまわしだす声がいっそう大きくなった。元王女はガチョウを捕まえるという悪さに夢中なのだ。ガチョウは当然グワグワわめいてうるさいことこの上ない。


「こらやめろ! ガチョウが怯えてるだろう!」

「やーだよー!」

「いう事きかないやつはお仕置きだぞ!」

 それでも元王女はいう事をきかない。これは強めにいかないといけないなと腰をうかした時、あのヒョロヒョロした屁っ放り腰の男がザブザブと水を蹴散らしガチョウと取っ組み合う元王女へ向けてすっとんでいったからだ。


「クララ‼︎ クララクララ‼︎ 会いたかったよクララ‼︎」

「あ、とーさま。わーい」


 小さな手をブンブン振り回して喜びを体で表現する元王女の言葉を聞くより先に私は岩から飛び降りこの男を殴りつけていた。

 とーさまとな? と気づいた時、男は沢にバシャンと音を立てて倒れ込んでいた。



 かくして私は本来夫になるはずだった男とそれなりに最悪な出会いを果たしたのであった。



「クララ、あー僕の天使!  僕のお砂糖! この世で一番可愛い赤ちゃん! 大丈夫?  意地悪されてない?  ご飯は食べてる? イモムシとかコウモリとかトカゲの目玉とか食べさせられてない? あーパパは心配で心配でたまらなかったよ。どれ顔をもう一回よく見せて! あー! こんな所に虫刺されの跡があるじゃないか! ここには擦り傷のあとまで! ちょっともー何やってるの? クララはプリンセスなんだから青磁の器より慎重にあつかってくんなきゃ困るじゃない! ほんとにもーだから山の中って嫌なんだよ〜」


 愛しいわが娘の顔を一目でも見んとして城を抜け出し、供ともはぐれ、三日三晩飲まず食わずで山の中をさすらっていたという元嫁ぎ先のかの国の王子は、私が川からおぶって運び、魔女の家では上等の部類であるベッドに寝かせて滋養のつくものを食べさせた結果ほどなく回復した。

 が、元気になったらなったで今度はやれ飯がまずいだ、寝具が臭いだ、窓から虫が入ってきただととにかくうるさいことこの上ない。こんなことならあのまま沢に放置して川魚の餌にでもすればよかったと後悔することはなはだしい数日間をすごす羽目になってしまった。

 下女はおびえ経理係はうるさそうにイライラと二階を歩き回る。すると今度は「ねーちょっと二階にうるさいから歩き回るなって言ってくんない? これじゃ落ち着いて養生もできないよ」と王子が唇を尖らせて抗議するという悪循環。腹立ちまぎれに苦い薬をのませると、「うわー、まっずーい。なんでこんなまずいの飲ませるんだよ~。せめて口直しのお菓子ぐらい用意しろよ~」と余計に腹立たしい結果を招く。森をさまよってきた時は一応王子らしく振舞っていたのにもうそんな取り繕いすらしない。

  


 夜中に帰ってきた魔女の娘にお前の元夫がいるんだからなんとかしろと押し付けようとしたが「あ、ルドルフ本当に来たんだ。ウケるー!」で片づけられてしまった。


 王子も王子で元妻と顔を合わせると「グレーテも何その恰好! 本当にマナー講師みたい。マジウケるー!」とげらげら笑いだす。なんなんだこの元夫婦。そもそも妻の方は公式には死んだことになってるのだからもうちょっと驚くなりなんなりしたらどうだ? という私の視線を受け止めた魔女の娘はけろりとした顔つきで平然と言ってのけた。


「あたしが本当は王女ではなくて魔女の娘だって初夜の時にルドルフには言っておいたんだよね。こいつとは気が合いそうだなと思って。で、処刑されるときにもたぶん復活するからそのあとクララ連れて鏃山に帰るしって前もって伝えといたの」

「本当に生き返ってんだもん、もうすごいびっくりしたよ。魔法超ヤバいね」

「でしょ? でもすんごい痛いから処刑は当分勘弁だわ」


 二人の会話をして頭がぐらぐらしてきた。というか、王子が私と魔女の娘が入れ替わっていたことを知ってなにも行動を起こさず無視を決め込んでいたことにむらむらと腹が立ってきた。人の行いとしてそれはどうのだ⁉


「えー、だってさぁ。自分から夜盗退治とか魔女討伐に乗こむような荒々しい姫様だよ? 萎えんじゃん。どうせ父さん好みのアマゾネスみたいな姫と結婚するんだろうなあ~やだな~って所にすっごい話が合う子がやってきたんだもん。そりゃスルーするよねー? で、今日キミの顔みてやっぱ僕の選択に間違いなかったって確信したもん」

「やかましい! 私だってお前みたいな軟弱でおつむの軽い上に人としての倫理もわきまえない王子なんてごめんだ! 結婚する羽目になったら舌かんで死んでたわ」

「でしょ? だから僕たちがスルーしたおかげで君は死ななくて済んだし、僕らは夫婦として楽しくやってクララっていうかわいい娘もさずかったし。結果的にハッピーじゃん。そっちの方がいいじゃん。君はなんだかんだで魔女の家で楽しそうにくらしてるしさあ。むしろ感謝してほしいくらいだよ」

「……」


 確かにそういうことにはなってしまうが、人の気持ちは数学ではないのだ。最終的に収まるところにおさまればよいというものではない。ガチョウ番になってまだ間もないころの世界から見捨てられたような孤独はまだ私の心の中に影をおとしているのだ。それをなかったことにはできない。

 


 というわけで王子がいる間わたしは意識して酷い態度で世話をした。ブーブー文句を言っていた王子だが最終的に慣れてきて庭で元王女と戯れるまでになる。


 栄養状態と身なりをととのえると王子は人形のように美しい姿となり、元王女の髪をすいてやったり魔女の娘が持ち出すことに成功した数少ないドレスを着せ替えたり美しく着飾るなんだか女々しい遊びにも興じる。なんとなく鼻白む光景だが、王子が髪をゆいあげドレスを着つけ薄く化粧までほどこした元王女は普段の野生児ぶりが嘘のようなどこのお城の舞踏会に連れだしても恥ずかしくない小さなプリンセス姿になった。思わず感心してしまう。下女など感激してぱちぱちと手をたたいた。何にもできない役立たずかとおもっていたけれど誰にでも特技はあるものだ。


「あ〜、こんなに可愛いクララを連れて帰れないなんて辛いよ。胸が張り裂けそうだよ」

 公式には塔で幽閉中、修道院に入れるかそのまま幽閉し続けるかは現在保留中の身である元王女はもちろん連れて帰るわけにもいかない。そもそも王子も体が回復したなら王が怪しむ前に帰らなくてはならない。とんだうつけ者に見えてもその辺はちゃんとわきまえているらしい王子は元王女に思う存分頬ずりをする。


「クララ~、今度来るときには新しいドレスをいっぱい作って持ってきてあげるからね。楽しみにしてるんだよ? いいね?」

 いつもの沢まで王子をおぶって降りた後(かかとが高くて明らかに山歩きに向いていないブーツを履いていたせいだ)、呼び出した隊長に丸ごと託して別れた。こうして嵐のような私の結婚相手だった王子は騒々しく帰っていったのだった。

 


 それから数日、ようやく生活が元通りになったころに私に再度嫁入りの意向はあるのかと訪ねてきたのだった。暇だったのだろう。


「まあルドルフとの相性が悪くっても安心していいんじゃなあい〜。あそこの王様があんたのことをかーなり気に入ってるから、王様との相性が合ってればそれだけであの国じゃあ安泰よ〜」

「……」


 いつかの夜にきた使者のことを思い出した。

 元々の美貌に加えて年齢による貫禄と余裕が加味された大した壮年であった。武芸に秀でていたであろう身のこなし、こちらの堀を埋めていくような油断のならない話しぶり、得体の知れない女あいてにひるまないどころか面白がる余裕さえ感じらた態度……。

 思えば私の理想の伴侶はあの使者を名乗った男を下敷きにしているところがあるかもしれない。あの剣呑な目つきだけは気に入らないが。それすら抗えないものがあった。


「……いっそのこと王様に嫁げるのなら何も迷わずにすむのだが」


「! あんたも結構言うなあ!」

 何がおかしいのか魔女の娘ががゲラゲラと笑いだす。

「わかるわかる、あの王様媚薬が服着て歩いてるような所あるしさあ。ま最もあたしはスッゲー嫌われちゃったけどねえ〜」

「下品なことを言うなっ」

「いまっさらお姫様ぶってんじゃないっつの。生娘じゃあるまいしぃ」


 たまりかねて樫の杖で殴りつけた。生娘であろうがなかろうがそういう話は嫌いである。


「大体私は彼の国の王様とは会ったことはないのでお前の言うような人物かどうか知るはずなかろう」

「まったバレバレの嘘つく〜。あのおっさんは仕事もできるけど女にもマメなんだよ。自分のもちもの突っ込めそうな弱ってる若い女が特に好物なの。両親から疎まれて賊に騙されて悪い魔女の元で奴隷扱いされている元お姫様なんて好物も好物、ドルチェだよ。そりゃわざわざ顔も見に行くよね〜。使者だとかなんとか嘘ついてでもさあ」


 とんでもなくちょろいバカ娘扱いされた気がしてきたが、それよりなにより

「やっぱりあの使者が王様だったのか……」

「は? じゃああんたん所にすっごいイケオジの使者が来たんだ? うっわーどんだけお盛んなのあの王様。マメすぎて引くー。ムリー」


 どうやら魔女の娘がしかけた罠に物の見事にハマってしまったらしい。我ながら不覚。一生の不覚。


「ちょ、まっ、なんで殴るの! アタシは王様が愛人狩りに行くときのいつもの手口と傾向を話しただけだし! それのどこが、痛っ! ていうか、ちょ、キャアア!」

 ドボーンと岩から滑り落ちた女が沢に落下する。、これぐらいのことはやってもいいだろう。


 岸に上がった女は服を脱ぎ、どこぞの古代の女神のような見事な裸身を晒して再び岩の上に寝転がった。懲りない女だ。


「ま、あんたが王様を気に入ってルドルフに嫁ぐってのもアリっちゃアリじゃない? あいつその辺の割り切りはきっちりできる人だから」

「それはそれで悲しいな、あのバカ王子も」

「そこはお互い様でしょ。でもまあ大変だよ〜。これから財政立て直さなきゃなんないしさあ」

「その原因はお前だろうが」

「あと王様の愛人のご機嫌とりね〜。今はお気に入りが五人いて、それぞれのサロンが軍隊と〜宗教と〜文化と〜金蔵と〜商工の〜それぞれの大臣抱き込んでるから敵に回すと厄介だよ〜。大変だよ〜」

「……」

 

 嫌な話を聞いてしまった。貴婦人のご機嫌取りが私にできるだろうか。口を開けば母から疎まれた苦い記憶が蘇る。


「あの王様はバカはお嫌いだからね、あんたは今は甘いドルチェでも愛されて浮かれてやること忘れてたら今度はあんたが釘打ち付けられた樽の中に入るハメになるからね〜」

「忠告感謝する」


 とんでもない格好の癖に今日は妙に魔女の娘は親切だった。どういう風のふきまわしだろう。


「お前は私が嫁にいった方がいいと思うか?」

「はぁ? なにその質問? あんたいっちょ前に悩んでんの? 猪突猛進な脳筋女の癖してさあ。なっまいきー。つうか別にあんたと仲良しこよしじゃないんだから友達感覚で相談持ちかけんのやめてよね、はーキモい」


 ……心を一瞬でも開いたのが間違いだった(猪突猛進な脳筋女という評価も心外だ。私はかなりクヨクヨ悩む方なのだが)。


「相談料に今日の夕食に魔女の酒蔵から夕飯にワインを一本出すとしたらなんと答える?」

「安物なら行け、ハレの日に飲むものなら嫁いだ方がしあわせになります、ビンテージものならあなたの心が望むとおりになさいって言うわね。もっと詳しく聞きたいなら実物を出してからよ」

「分かった。今のは仮定の話だから実行すると決まったわけではないからな」

「はぁ〜なにそれ? 相談料サギ?」


 

 くだらないおしゃべりに興じている間にも時間は過ぎ、ドレスはついに完成してしまった。

 目の下のクマを黒々させた下女は幽鬼めいた表情で「できましたっ」と一言言っては凄絶な笑顔を浮かべてバタンと倒れこんだ。数日間根をつめていた反動がきたのかバタンと倒れてグウグウ眠りだす。その表情は満足そうだ。



 王子がいた頃、元王女が普段着ている下女が縫った遊び着を広げた。

「これ縫ったの誰? まさかリーゼルさんじゃないよね? 君?」


 見つめられた下女は大げさにすくみあがり私の陰に隠れる。

「すみません! クララ……王女様がお召しになっていたドレスがあんまり上等でしたので傷んだり汚れてはしてはいけないとぼろを着せてしまいまして……! すみませんごめんなさい」

「えー、なんで謝るの~? やだなあ、結構いいセンスしてるって褒めたかっただけなのに。素質あるよ。名前は?」


 褒められなれてない下女がなにやら混乱した口調でベルタですと名乗ると、

「ベルタね。じゃあここの奉公が終わったらうちの城下までおいでよ? やっぱドレス作るならこんな山の中じゃなく街に出てきれいなものと流行に触れてないと。ローレライ縫製店ってとこに来てこれ渡してくれたらいいから」

 とはめていた指輪を外して下女に渡す。かの国の王家の紋章の入った明らかに由緒あるものだ。下女は混乱のあまりへなへなとへたり込んでいた。

 


 ……といった出来事があった故にか、静かにひたむきに打ち込んだ下女の頑張りの甲斐があってドレスは見事に生まれ変わっていた。これなら舞踏会に着ていっても引き立て役にさせられたり賢くてもファッションセンスゼロのみっともないお姫様だとクスクス笑われることもないだろう。

 


 だというのに私の心は冴えなかった。

 ドレスが完成したということは王宮へあがるのをこれ以上先伸ばしたりはできないだろう。そもそもこれ以上の猶予を待ってくれるような情勢ではない。元嫁ぎ先の彼の国の王様は実力行使にでるかもしれない。なんのかんの口実をつけてどちらの姫でもいいから寄越せ、さもなければ戦争だといいだしてもおかしくない。そんな事態になって喜ぶのは魔女とその仲間だけである。

 

 行かねばならぬ、行かねばならぬ、私が行かねば話が進まぬ……と最低限の荷造りを始めながら、心の中でとなえてやり過ごそうとするほど体は鉛のように重く動作は重くなるのだった。


「いっそこのまま体が石になる呪いでもかけてくれないか?」

 と魔女の娘に持ちかけたところ「はあ? 魔女への依頼料は高いのよ?」で断られた。知ってる。



 どれだけノロノロと時間をかけてもいずれ荷造りは終わってしまう。

 


 もうこれ以上引き延ばすのは無理だと理性が判断を下した朝、今すぐ雷が私の頭上におちてはくれないかと投げやりな気持ちに頭を占領されながらトランクに腰を下ろして納屋の梁にかけられたファラダの首を眺めた。


「ああ姫様、今の姫様を見れば王様と王妃様はどんなにお嘆きに……」

 

 と繰り返すファラダを見ているうちに、そんなに好きな王様と王妃様の真の姿でも見せてやるといった気持ちが湧き上がり梁から外すと愛用の樫の杖の上部にその首を取り付けた。

 ちょうど子供の竹馬のようになり、私を見送りに出た魔女の娘は「何考えてるのよ」と呆れ、久しぶりに下女に遊んでもらえることになった元王女ははしゃいで「ちょうだい! クララにそれちょうだい!」と飛び跳ねた。一応ファラダは私に仕えている馬なのでそれは無理だが帰ってきたら竹馬くらい作ってやろうと答え、魔女の娘、元王女、下女、仏頂面の経理係に見送られて山を降りた。



 いつもの沢までくると、呼んだわけでもないのに隊長が待っていた。平民向けの乗り心地の悪い馬車で申し訳ないが王宮まで乗せていってやろうと申し出てくれる。三日くらいかけて歩いて行くつもりだったので断ったが非常にしつこかった。



「嫌なことは先延ばしにすると余計にしんどくなりますよ」

 


 かくして乗り心地はよくないがそれ故に思う存分不機嫌でいられる馬車に揺られ、王宮へたどり着く。

 どうやら隊長が私を届けに行くと早馬をとばせて知らせていたらしく、裏口から通されるようなことはなく一応正門から堂々と帰還することはできた。出迎えは少ないが馴染みのある使用人達が涙ぐみながら姫様ご無事でと出迎えてくれた時にはこちらも幸せの涙が滲んだ。

 

 国王夫妻は案の定あらわれながったが、忘れな草色のドレスは着た妹姫がかけとんで抱きついてきてくれた。


「姉様! おかえりなさい姉様! ああよかったお元気そうで…!」

 

 相変わらず鈴を振るような美しい声と烟るような金髪とアラバスター のような白く滑らかな肌と宝石を溶かしたような瞳が美しい、至宝のような妹だった。飼料と汗くさい私の匂いに嫌な顔一つしない。


「今お湯を用意させますのでどうか旅のお疲れを癒してください。そこの馭者もよく姉を守ってくださいました。あとで食事と褒美を取らせますのでそこのものの後についてゆきなさいね」


 馬車を運転してきた隊長へもこの気遣い、妹は真心からこれをやってみせる天使のごとき美しいむすめである。首だけになったファラダを見て最初は驚いても私がわけを話すと「まあ、ファラダも大変な目に遭ったのね……可哀想に」と首を抱いてほろほろと涙を流す。ファラダも満足したのかブフンと鼻をならす。



 妹の言葉に甘えて汚れた服を脱ぎ湯に浸かり、侍女にかしずかれながら体を清める。最高だった。重たい体を引きずってなんとかやってきた気持ちの9割が報われそうな思いがした。できればこのまま一眠りして帰りたいが父母揃って晩餐会という難行がある。



「まあ! お姉様素敵なドレス!」カーテンの向こうから妹の歓声が聞こえた。「どうなさったの?  お仕立てになったの? それに……ドレスはもう一着なかったかしら?」

「いや……。そのドレスは母上が送りつけた荷の箱に一着だけ入ってたものだよ。その、趣味が今ひとつだと私の周りのものがいうのでちょっと手直しさせてもらった」

「まあそうでしたの? お姉様のおそばには腕のいいお針子がいるのね。私もぜひドレスを仕立てていただきたいわ」

「ああ。一応頼んでみよう」


 ドレスははもう一着なかったかという妹の質問が心に残る。きっと妹が自分の見立てたドレスを荷の中に入れるよう母に掛け合ったのだろう。しかし実際にあったのは母の見立てたババくさいドレスだけだったという線が濃厚だ。昔からそういうことがよくあった。あの人は私が不恰好ななりをしているとすぐ咎めるが、見かねた妹がこっそり差し出したものを勝手に処分したりする。

 

 また頭の中が黒い考えで支配されそうになったので話を変えることにした。


「フランツ殿からは連絡はあるか? 海賊や化け物退治で大変だろう」

「ええ……。私宛の手紙では楽しいことを書いてくださるけれど。なかなか帰れそうにないのは本当だそうで」

 妹の声が悲しそうに沈む。帰れそうにない事情に魔女が関わってるのを知ってる故心がとがめる。


 湯から上がって体をふかれ、磨かれ、整えられる。妹お抱えの美容専門の侍女が施してくれているため鏡に映っている姿は自分の中で一番美しい。客観的に見て見苦しくない程度にはなっている筈である。が、どうしても不安なので妹に訊いてしまう。


「アリーゼ、可笑しくないか?」「アリーゼ、笑われないか?」「アリーゼ、やはり私は父母の前に出るべきではないと思う」


 その都度妹は私を抱きしめ「お姉様はお綺麗よ」「お姉様を笑う人がいれば私がとっちめます」「そんなことないわ、お姉様は私の自慢の姉です」

 私より小柄なのに、優しく力強く妹はぎゅうっと私を抱きしめる。「お姉様は強くて優しくて賢くてお綺麗です。私の自慢のお姉様です。どうか堂々となさって」そうしているとかつてのように力が溢れてきた。

 

 こういう芸当は私には出来ず、妹のみが惜しみなく愛される理由も素直に頷けた。

 やはりこの国は妹と公子が収めるのが一番いい。妹が民には愛を持って接し公子が理知で国をまとめ運営する。そうすれば近隣諸国とも調和を守りつつも従属はせず、どこからも愛され尊敬される模範的な小国になるだろう。民の幸せや長期的な利を見ればそれがベストだ。私も妹を抱きしめた。その際に頭のティアラで隠れている部分が見えて目をそらし、もう一度強く抱きしめた。


「ありがとう、アリーゼ。お陰で気持ちが決まった」


 テーブルの上には花とご馳走。とっておきの銀の食器。歓待してくれているというムードは出ている。

 が、


「着いて時間が経つようだが我々への挨拶がようくとは、恩知らずな娘だよお前は」

「そのドレスも一体どうしたの? 私が輿入れの際にあなたのおばあさまがもたせてくれた由緒あるものなのによくもまあそれだけハサミを入れることができましたね」


 テーブルの向こうにいる両親は相変わらずだった。父は恰幅よくなっていたが肌のたるみが増えて目からわずかな輝きすら消えている、母は痩せて顔が青白くそれなのにゆったりしたドレスは纏っているせいで余計にギスギスして見える。どちらも不健康そうだ。


 私の挨拶と呪いがあったとはいえ数年間連絡一つもよこさなかった詫びをを特に興味もなさそうに「ああ」とか「うう」で流したあと、面倒な仕事をさっさと片付けると言わんばかりに席についた父、「ファラダは私が嫁入りの時に母から贈られた神聖な馬ですのに」とファラダの首をつけた杖を見るなり汚らわしいものを見るような眼差しをくれる母。それでもファラダは国王様や王妃様に一目あえて満足なようだ。ブフォンた鼻を鳴らす。


 首だけになったファラダを見ていると気分が悪くなるという母の意向を尊重して侍従の一人に杖をもたせて下がらせる。白白とした会食が始まり、我が王家に泥を塗りおって、だの、あれほど知略と武芸を誇っていた癖に侍女ごときに騙されるとは姫ごときが浅知恵をつけても仕方がないという証左だな(←やっぱり言ってきた)、という父の言葉を聞き流すようにしてとりあえず料理の味に集中する。父が私に対してグチグチ言うのは父なりの「元気だったか」「無事だったか?」なんだと思い込むよう努力する。


 なんですその荒れた手は? 王家の人間には見えませんよみっともない、とか、私のあげたドレスが気にくわないなら気にくわないとおっしゃいなさい、遠回しにそのようなことをして嫌味な子だこと。というような母の嫌味も「まあお前も苦労してきたのね」や「私が嫁入りの時に持ってきたドレスですもの、古くさくて当然ね」という風に変換して耐える。そして子羊の肉に集中する。


 妹がつとめて朗らかにお姉様の所には腕の立つ職人がいるんですって、とか、お姉様が領土に加えたあの地方では今年も小麦が豊作でしたのよ、とか私を気遣う話を持ち出すが、それらは全てお前はいい娘だよアリーゼ、お前がいると食卓が明るくなります、という言葉に撃ち落とされる。


 いよいよ気まずくなる食卓で、妹がついに切り出した。

「ねえ、お姉様の再度のお輿入れの日はいつになさるの? 前のこともあるからうんとめでたく華やかにしましょう? 私精一杯お手伝いするわ」


 来た! と身構えた私の予想をはるかにこえた衝撃がやってきた。


「ああ、そのことなんだがなアリーゼ。あの国に嫁ぐのはお前だよ。だから何も心配することはない。美しくはなやかな輿入れにしよう」

「楽しみですね、アリーゼ。仕立屋に百着のドレスを職人に紫檀の家具を作らせましょう。私の宝石ももたせます。かの国は最近繊維業が活発ですからね美しい衣服を用意すれば国民もきっとあなたを認めるはずです。愛される王太子妃におなりなさい」


 子羊肉が喉につかえるかと思った。


「お父様もお母様も何を仰ってるの?」

 アリーゼの表情がこわばり声が震えた。

「やめてくださいな、そんな冗談……」

「いや、アリーゼ。かの国の王太子に嫁ぐのはお前だよ」

「そうですアリーゼ。あの王様はきつい方ですが王太子はお優しい方だと聞きます。きっと幸せな王太子妃になれますから安心なさい」

 アリーゼの顔がみるみる蒼白になってゆく。見ていられなくなり、子羊肉を嚥下する目的もかねてワインを煽って立ち上がった。


「妹とフランツ殿は婚約中ではないのですか?」


「なんだ断りもなく会話に口を挟んできて。ガチョウを飼っていてテーブルマナーも忘れたのか?」

 父が虫でも見るような視線を向けてきたがワインのお陰で受け止められた。

「婚約して3年も経つのに結婚の日取りも決めない、これはもう破断になったと捉えても問題なかろう。幸いかの国の王は我々の娘のうちどちらかを王太子の花嫁にご所望されておられる」

「お前のような瑕者の恥ずかしい娘を花嫁に差し出すのは礼を失しておりますからね」

「しかしかの国の王はどうもお前を気に入っておられるようだからな、アリーゼの侍女という立場でかの国のへは渡っていただく。精々両国の和平と発展のためにその賢しらな知恵を使うがよい、失礼な口を叩いて釘の打ち込まれた樽に詰められないようにな」


 賊の手に落ちたお前には王女の資格も花嫁になる資格もない、ただ向こうの王家が欲しがっているから妹の輿のひとつになるがよいと実の両親に宣告された。呆れも過ぎて、かの国の王は格安で私を買い叩いた上に妹まで手に入れるとはやりおる、流石やりてだなというような感心まで湧き出る始末。

 言葉を失しても立って入られたのは両親の言葉のあり得なさのお陰だった。


 私も妹もこの王家からいなくなればこの国はどうなる?

 

 とりあえず、くらくらする頭を支えるためにテーブルに手をつき呼吸を繰り返した。


「我が娘を数年も放置して一向に帰りはしない薄情な公子殿かね? お前はそんな男が大切なアリーゼを幸せにできると思っているのか?」

「かの国の王様から再度の縁談をいただいた時父様と話し合ったのです。いつ帰ってこられるかわからないフランツ殿を待つよりアリーゼをかの国の王太子に嫁がせた方が幸せではないかと。かの国は今活気があるそうですからアリーゼも華やかに幸福に暮らせますからね」

 

 いやいやかの国の財政は火の車だし、そもそもその程度の情報もつかめてないとは我が国の諜報はどうなっているのか?

 思わずくってかかりそうにななった視界の隅でアリーゼがへなへなといすの上にへたり込んだ。


「嫌、嫌、私はフランツ殿を待ちます。フランツ殿はお忙しい時間の合間にお手紙を届けてくださいます。必ず待っていてくださいとおっしゃっているんです」

「ああ可哀想なアリーゼ、可愛いお前にこんなことを聞かせたくはないが男というものは甘いだけの言葉ならいくらでよ吐けるものなんだよ。あの青年も立派に見えたが所詮そういう男なだけだ」

「やめてお父様、昔はいい青年だと祝福してくださったじゃない」

「あの清廉そうな見た目にすっかり騙されてしまったんだよ。まさか婚約を取り付けた直後何年も自分の国を留守にするような男だったとはねえ」


これ以上黙っているわけにはいかない、もう一度ワインを煽った。


「公子殿への侮辱、聞き捨てなりません」

「なんだ? 断りもなく会話に参加するなと言ったろう」

「公子殿は皇帝に縁のあるお方です、場合によっては不敬になります。冷静におなりください」

 酒のお陰か怯まずに言葉を継げた。


「お前にそのようなことを言われるまでもない。確かにフランツ殿は皇帝に連なる方だが皇位継承の可能性も低く我々のこの国よりもはるかに小さい国の王だ」

「しかしその国を貿易で栄えさせ何もない漁村を商都にまで発展させた名君です。私は一度しか会話したことはないが頭もよく人格もすぐれアリーゼを愛おしんでいることはよく伝わりました。何よりアリーゼがフランツ殿をこのように愛しているのは明白ですのに、何故そのように冷たいことを……」


「お前には関係ない!」父が怒鳴りつけ身が竦んだ。


「お前にあの男の不実の何がわかる? たかだか婚約者の分際で我が国の内政に干渉してきた尊大な男だぞ。私や妻の交友にも口を挟んでくるという専横ぶりだ」

「しかもアリーゼの口を通して意を伝えようとする姑息さです。まさかあんなに男らしくない行動に出る方だとは思いませんでした」

「お父様もお母様もやめて、それは私が勝手に進言したことです。だってフランツ様はお父様やお母様が怪しい人たちを招き入れるのを心配なさっていたから……」

「ほら、人を見れば泥棒と思えというような疑ぐあい。まるでお前のようだなリーゼル」


 ようやく父が名前を呼んだ。ワインのお陰で闘争心に火がつく。今ここでひるんでいる場合ではない。妹と国の将来を棒にふる、とんだ話をすすめようとしているのだから。


「アリーゼが嫁ぎ私がその荷の一つになるのなら、一体誰がこの国を継ぎ、土地と民を守るのですか⁉︎」

 私が睨んだ向こうで、両親は互いに目配せしこんな場所だというのに微笑み合う。


「世嗣ぎが生まれるのだよ」


 母はゆったりしたドレスが被さった腹に手を当てる。体格に反してその形は丸く膨らんでいる。

「アリーゼから生まれてさまざまな方法を試みましたがようやく私の悲願が実りました。私のお腹の中には王子がいるのです。きっと玉のように愛らしい男の子です」


 母は微笑んだがその瞳は空だ。正気だと言い切るのは難しいものがある。ショックを受けている最中の妹に視線を向けると何も知らないというように首を左右に振った。


 新たに子供を授かることも無いではないだろうが、父も母ももういい年だ。それに何故「男の子」と言い切れるのか。そもそも淀んだ目の輝きが異様だ。魔女になんどなお産の手伝わされたことによるカンではあるがこれはよくないものに蝕まれている。


 とりあえず気持ちを落ち着けた。何かしら情報を引き出さねば


「……その王子が王位を継げるまであと15年はかかりましょうが、その期間どうなさるおつもりです?」

「無論余が国を治める。それに大臣がよく勤めてくれるはずだ。お前の出る幕はないぞリーゼル」

「承知しています。所でお母様に様々な方法とやらを教えた者は誰です? ここにおりますか?」

「何故そんなことを聞くの? あなたって本当に疑り深い嫌な子ね」


 ロウソクに照らされた母の影が不自然に揺らいだ。確信はないが待っては居られない。私は叫んだ。

「ファラダ!」


 バン、と扉を蹴破って首だけのファラダ私のそばへかけとんでくる。樫の杖を捕まえる空を切り裂くそれにまたがり、怯えた母前のテーブル上に立つ。明らかに興奮したファラダは母の影へ向かって威嚇する。私はテーブルから飛び降りて影へ向かって樫の杖を突き刺した。


 グエエ、と母の口から声と黒々とした血が溢れ出る。膨らんだ腹がみるみるぺしゃんこに潰れ、ドレスの裾からもそもそと小さな生き物が這い出てきた。コウモリの羽を生やした毛むくじゃらのおかしな生き物、悪魔だ。


 ファラダは興奮するままに悪魔をその歯で捉えぐちゃりとかみ潰した。母の口から漏れたのと一緒の黒々とした血と肉の塊が飛び散る。テーブルクロスが赤黒くそまり給仕係たちが悲鳴を上げ、アリーゼは気を失う。母も一瞬正気に戻ったのか目に輝きが戻った。


「母上無事ですか⁉︎」

「無事に見えますか! 王子殺しの大罪人!」


 母は金切声で叫ぶ。悪魔が去ったはずの瞳は私への憎しみでギラギラ燃えていた。


「ようやく授かった私の可愛い王子だったのです! 蝙蝠の羽根がはえていようが尻尾があろうがあれは私の可愛い坊やだった。それなのに……」

 おお、おおと母は吠えるように泣いた。まだ血まみれの弱った体だろうに悪魔の肉片をかき抱いて泣いた。私が抱き上げようとすると厳しく手を払いのけて拒絶した。

「衛兵! このものを捉えなさい! 私の赤ちゃんを殺しました! 今すぐ牢へ入れておしまい! さあ早く!」


 父は私を冷めた目で見つめ、気を失ったアリーゼは侍女たちに介抱されている。

 呼び出された衛兵たちは母の金切声の命令に応じたものかどうか父と私の顔を見比べる。私の顔を見て目を伏せる者が多かったのが救いであった。


「衛兵、王妃の言う通りにせよ」

 王はまるで関心のない声で命じる。やれやれせっかくの料理や東洋からやってきた陶磁器が台無しだ、これもそれもあの身の程しらずな愚かな娘のせいだと言わんばかりだ。


 私はひとつため息をつく。


「いい。地下牢へは歩いて行こう」


 かくして王妃を悪魔から救ったはずの私は囚人となった。

 世の中道理の通らぬ事ばかりである。

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