第29話
「どうぞ、お座り下さい」
マクドウェルから促され、テッドとメアリは2人掛けのソファに腰を下ろす。2人が座ったことを確認してから、マクドウェルは向かいのソファに腰を下ろす。
膝くらいの高さの高級な机を挟んで、マクドウェルとテッドたちは向かい合わせになる。
「何か飲みますか?お疲れでしょうし、ご用意しますよ」
マクドウェルは机の上に備え付けられている内線用電話に手を伸ばす。
「いえ、必要ありません」
「よろしいですか?」
「それより話を聞きたいです」
「わかりました」マクドウェルがテッドの申し出に答える。
「何故、上と下の世界の間に壁を作る必要があったのか。長い歴史を語ってしまえば、いくらでも時間が必要になるでしょう。私としては、掻い摘んで話したいのですが、よろしいですか?」
「はい、大丈夫です」テッドにとってもその方が助かる。
テッドはできれば早く家に帰りたいと思っている。今日中に家に帰ることを諦めてはいるが、少なくとも明日には帰る予定だ。そう言えば、メアリは家の人に何と言って家を出てきたのだろうか。そんなことを今更になって気になったが、このタイミングで聞くのも変な気がしたので、その疑問は仕舞うことにした。
そんなことを考えている間にマクドウェルの話が始まった。
「私たちが住んでいる世界は、本当は長い間殺し合いが絶えない世界でした。何千年にも渡り、自分たちの理念や利益、思想、様々な理由で争いが起き、人々は自らの手で多くの人を殺してきたのです。その争いにより、何十、何百万という人々が亡くなってきました。完全な平和と言える時代が訪れるのに、ずっと長い長い年月をかけてきました」
テッドやメアリからしたら、聞いたことがない話だった。2人が住んできた世界には、住人同士の小さな喧嘩はあっても、人が他人の手によって殺されるなど、考えられない話で、起きただけでもとんでもない大事件だ。2人が小さい頃に一度だけ殺人が行われたことがあったが、数日後には何事もなかったように日常が戻っていた。テッドはそのことが気になり、自分の母に聞いたことがある。
「殺人を犯した人はどうなったの?」
「神様に連れて行かれたのよ。天国で裁かれないといけないから」
「天国」という言葉を初めて聞いたのは、その時だった気がする。それからたまたま家にあった「空」に関する童話の本を読んだ。今思い出せば、頭上に広がる壁に何となく疑念を抱き始めたのはその頃からだった気がする。
「あたしたちが教えてもらった歴史と全然違うね・・・・・・」
メアリが言う通り、2人が知っている人類の歴史は、もっと穏やかなものだった。テッドが住んでいる世界そのものは、神様によって作られた世界で、様々な生き物が存在するが、人間はその中で特別な存在だと教えられた。生きている生物全てについても、神様によって役割が決まっており、人間はその中で特別な権限が与えられている。自分たちで自由に世界を構築していく権限が与えられている。ただし、その権限も限度があり、殺人を行った者はわかりやすい例だが、中にはある日突然姿を消す人が時々存在していた。そう言った人たちについても、テッドたちの間では、神様の領域に触れて、「天国で裁かれた」とされてきた。
「あなたたちが住んでいる世界では、人類の歴史は神様によって管理されてきたということにされているでしょうが、結果としては実は間違いないです。私たちのような、壁の上に住む住人が神として振る舞い、この世界のほとんどのことを決めています」
マクドウェルが語ることについて、テッドは驚きながらも納得できる点が多い気がする。テッドが毎日学校で聞かされていた歴史の授業は、進学の科目として重要な割に中身に納得できない点が多かった。過去の事例を通して、人としての生き方を学ぶという趣旨の授業で、特に時間が割かれるのが、天国で裁かれたとされる人々の話だ。殺人などの罪ならいざ知らず、本来なら良いことの様に思えることでも、天国に連れて行かれて裁かれた話を聞くと、疑念しか生まれず、自然と話を聞く耳を持たなくなってしまう。テッドはその話を聞いて生まれた疑問を投げかけた。
「天国で裁かれたと僕たちが思っていた人たちは、壁の上の世界に連れて来られていた。もしそうなら、彼らはどうなったのですか?」
その質問にマクドウェルは、あらかじめ用意されていたとしか思えない様に答えた。
「殺人などの非人道的な行為を行なった人は、言葉の通り裁かれます。今も何人もの人々がこの世界の牢獄に閉じ込められています。そして、あなたが知りたいのは、それ以外の人々のことですね?その多くの人は、この壁の世界の住人になって生きています」
「この世界の住人になって生きてる・・・・・・?」
メアリはマクドウェルが言った言葉を復唱する。その言葉の意味を噛み砕こうとしている。しかし、何かを判断するには情報がまだ足りない様に思えた。
「それって、つまり・・・・・・どういうことですか?」
「この世界に殺人などの罪以外で連れて来られた人たちの共通点は、たった一つです。気づいてしまったことです。この世界の矛盾に」
「矛盾・・・・・・」メアリはその言葉を聞いて、テッドの方を向く。
テッドは黙ったまま、マクドウェルをまっすぐ見ている。その言葉の意味が自分に向けられていると、テッドはよくわかっていた。その証拠に言葉を発した瞬間から、マクドウェルの視線はテッドに向けられている。
「その矛盾は、具体的にどういうものなんですか?」
テッドはその答えを知りながら、聞くのが滑稽に思えたが、マクドウェル本人からその言葉の意味を聞いてみたいと思った。
「矛盾については、あなたが言葉にした通りです。頭上の壁は自然に生まれるものではなく、誰かによって作られたものではないか・・・・・・・。そこまで気付かずとも、頭上の壁の存在に疑念を持った瞬間から、それはもう半分真実を知ったも同然です。そして、そのことは家にあった童話の本を読んだ時から、自然と頭の中にこびり付いてしまった。」
矛盾の答えをあっさりと認めた後、テッドにとって予想外の言葉が告げられた。
「どうして、僕の家にある童話の話を知っているのですか?」
テッドの言葉にメアリも驚いた。なぜ、そんなことまで知っているのか。2人から直視されても、マクドウェルは微動だにしない。彼らの視線を真正面から受け止める様に答えた。
「メアリさんは、テッド君のお父さんのことをご存知ですか?」
「え?」メアリが突然の質問に驚く。
「すみません。よく知りません」マクドウェルからの質問にメアリは答えられない。
メアリが小さい頃にテッドと初めて知り合った頃から、彼には父親の存在がなかった。そのことを疑問に思っても、彼に直接聞いた事はない。しかし、自分の母に聞いたことがある。
「失礼になるから、テッド君にも、テッド君のお母さんにも聞いちゃ駄目よ」
以後、メアリはそのことが気になっても口にしないようにしていた。
「テッドは知ってるの・・・・・・?」
メアリは初めてテッドに対して、父親の存在を聞いた。それに対して、彼は首を振った。テッドは、マクドウェルに向かい、自分の父について知っていることを話した。
「母に小さい頃に亡くなったとしか聞いていません。貯金をたくさん残してくれたから、そのおかげで僕たちは暮らしていける。そのことには感謝しないとねと、母から言われました」
テッドの答えに「なるほど」と口にして、しばらく黙り込んだ。
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