第28話

 エレベータの扉が開き、外の様子が見えるようになった。エレベータの扉が開いた先には、大きな橋が架かっていて、その少し先に何かの建物への入り口があった。橋の横幅はエレベータの入り口と同じ大きさで、両端には人が落ちないように手すりが付いている。周りにはビルが存在し、風景の一部として存在している。それ以外に遮るものは何もないためか、エレベータの内部にも強い風が吹き込んでいた。


 ケリィがエレベータの外に一歩を踏み出すと、テッドは彼に続いて一歩を踏み出した。風が強いため、一歩踏み出した段階で体が倒れそうになる。どうにか踏ん張り、少しずつ前に進んでいく。飛ばされる程ではないにしても、油断していると転倒してしまう。


「きゃあ!」メアリが声をあげたので、テッドは驚いて声のする方を向く。

 メアリは髪の毛を抑えながらどうにか前に進んでいた。彼女の長い髪は強い風で乱れる。もみくちゃにされないように必死に抑えながら歩いているが、長い髪が前を隠したり、歩くことに非常に困っている。


「メアリ!」テッドがメアリにかけ寄る。

「何か髪をくくるものはない?」

「そんなもの持ってきてないわ!こんなことになるなんて考えてなかったし!」


 メアリの鞄の中には髪を括る類のものはないらしい。仕方がないので、テッドは背中のリュックを下ろし、髪を括るものがないかリュックの中を探し始める。

「テッド!そんなところでリュック開くと、中のものが飛んでいっちゃうよ!」

 メアリが大きな声で言ったが、テッドはすでにリュックを開けていた。風に飛ばされないように必死に探したが、髪を括れそうなものは、テッドのリュックの中にも入っていなかった。


「きゃあ!」風が更に強くなり、メアリの髪がまた乱れる。

「あそこまで行けば、風はありません」ケリィが橋の向こう側に見える建物の入り口を指差しながら言った。

「わかりました。メアリ行くよ」テッドが声をかけ、メアリは無言でうなずく。


 テッドはメアリの肩に手をあてて、一緒にゆっくり進んで行く。橋の向こう側まではそれほど距離がなく、ゆっくりではあるが、どうにか到着することができた。入り口は自動式になっており、近づくと勝手に扉が開いた。開いた扉の中に入り込み、少し奥に行ったところにベンチがあったので、テッドとメアリはそこに座り込む。座ったところで、自動的に入り口の扉が閉まり、強かった風は止んだ。


「酷い目にあったわ・・・・・・」

「全く・・・・・・」

「お二人とも大丈夫ですか?」

「ちょっと休憩したいです」テッドが言った言葉に、メアリも頷く。

「わかりました。ここから先は建物の中なので、大丈夫と思いますが、少しゆっくりして下さい」

 ケリィの言った言葉に従い、2人はベンチの上で少しだけの休憩を取った。


 少しの休憩後、メアリは立ち上がり、テッドとケリィに声をかけた。

「そろそろ行きましょうか?」

「もういいの」テッドが聞くと、メアリは頷く。

「疲れはまだあるけど、ここにずっと座っているよりも先に進みたいわ。だって、まだ先があるんでしょ?」

「そうですね。いろいろと手続きがあるはずです」

「ですって。さっさと先に進みましょう」

「うん、わかった」テッドも頷き、立ち上がる。


 彼女が言う通り、まだ先がある。どんなことが待っているかはわかっていないが、じっとしているのも勿体無い。

「では参りましょうか」ケリィが先頭を歩く。

 その後にテッド、メアリと付いて行く。少し歩いたところで、エレベータのドアがあり、そのボタンをケリィが押す。

「今度のエレベータは全然小さいね」

「本当だね」


 しばらく待っていると、エレベータが到着する。扉が開くと、中は10名程度が乗れるスペースが存在していた。ケリィが先に乗り込み、その後にテッド、メアリが続く。全員が乗り終えたことを確認して、下りる階を指定すると、エレベータの扉は自動的に閉まった。エレベータがゆっくりと下降を開始する。中では誰も話をせず、無言の状態が続く。

 エレベータ内部の上部に階を示す表示が点灯している。現在の階を確認すると、20階にいることがわかった。


「まだ20階って、結構な高さのところにあたしたちいたのね」

 メアリが言った言葉に、テッドは無言で頷く。テッドの様子を見て、余り話がしやすい状況じゃないのかなと考え、その後は彼女も無言で通した。

「15階です」というアナウンスが聞こえ、エレベータが止まる。到着を伝える音が聞こえて扉が開き、15階のフロアが開いた入り口から見える。

「どうぞ、降りてください」


 ケリィが扉を開くボタンを押し続けてくれているので、その間にテッドとメアリはエレベータから降りた。最後にケリィが降りて、エレベータの扉は自動的に閉まる。

「どうぞ、こちらです」

 ケリィに再び案内され、テッドとメアリは付いて行く。広いフロアから廊下に移動する。しばらく歩き、フロアのかなり奥まで入ったところで、ケリィが立ち止まった。彼の前には立派な扉が存在し、その地位を表しているかのようだった。


「ここである方に会って頂きます。中までは入りますが、わたしの案内はここまでです。あとは中の者の指示に従ってください」

 ケリィが部屋の扉をノックする。

「どうぞ」返って来た男の声は低かった。

「失礼します」ケリィは返事をしてから部屋の中に入る。それに続いて、テッドとメアリも部屋の中に入る。


 部屋の中に入ると、重厚な机が置かれ、その向こう側に1人の男性の姿が見える。立派な椅子に体を預けるように座っている男は、何かの資料に目を通している。資料によって顔が隠れているので、相手の顔がわからないが、年はとても若いように思えない。貫禄もあり、かなりの年配の人物のようだ。

「報告に挙げていた通り、お連れしました」

 資料に机の上に置き、男はケリィの方を向いて「ご苦労様」と声をかけた。


 ようやく男の顔を確認できた。扉越しに聞いた声で持った印象とは違い、威圧的な雰囲気が余りなく、柔和な笑みを浮かべていた。表情や髪の毛の一部が白くなりかけているのを見ると、年齢は50代くらいのように思える。

「遥々このような遠いところまでようこそ」

 男がテッドやメアリに話しかけると、2人に対して男の紹介を始めた。

「こちらの者はマクドウェルと申します。まずは彼から話がありますので・・・・・・」

「それくらいは自分で言うからいいよ」

「ああ、失礼致しました」

「気にしなくていいよ。彼らと直接話をしたい」

 ケリィはマクドウェルから言われ、「はい」と答えて部屋を出て行こうとする。


「ケリィさん!」

 メアリが不安そうな表情でケリィの方を見るが、「大丈夫ですよ」と答えただけで、そのまま部屋の中から出て行ってしまった。

 メアリに対して、テッドは不安を少しでも取り除こうと笑いかける。

「ケリィさんも言ってたし、大丈夫だよ」テッドの言葉にメアリは頷く。

「お二人共よろしいですか?」マクドウェルの声が2人に届く。

「はい」と短く答えて、2人揃って彼と向き合った。


「君がテッド君ですね?」

 マクドウェルの質問に、テッドは「はい」と素直に答えた。

「君は壁のこちら側に興味があって、ここまで来た?それに間違いはありませんか?」

「はい、その通りです」


 テッドは質問に答えながら、不思議に思っていることがあった。テッドたちをここまで招いたことには、何かそれなりの理由があるのだと思っている。その理由について、話を聞くためにここまで来たのだ。しかし、ここまで来て聞かれた最初の質問がそんなものだったので、少し拍子抜けした。これでは対面で話をしても、特別な意味があるように思えない。


「なぜ、それを僕に聞くんですか?」テッドは思わず聞いてしまった。

 隣で黙って立っていたメアリはテッドのその言葉に驚き、横目で彼の様子を見る。

「直接話をしたいと思うことはいけませんか?」

「いえ、そうは思いませんが・・・・・・マクドウェルさんはケリィさんの上司ですよね?それほどの地位の人がわざわざ対面で話をしてまで確認することなのかなと思いまして・・・・・・」


 テッドが正直に答えると、マクドウェルは笑った。

「その通りですね。君に対する報告はすでに聞いています。君が下の世界でどんな生活を送っているかも把握しています。授業中、歴史の興味に関心を示さず、頭上の壁ばかりを見ていることもね」

 マクドウェルが語った話に、メアリは思わず吹き出しそうになる。その様子をテッドは横目で見ていたが、すぐにマクドウェルに向き合う。どうして、そのことを知っているのか。彼の発言で普段から自分の行動が監視されていたことは、間違いないとテッドは思った。マクドウェルはそのまま話を続ける。


「君の普段の行動を見て、資格があると考えて、ここまで来て頂きました。」

「資格・・・・・・?」

「資格と聞いただけでは全然わからないでしょうから、それについてはこれから説明します。それにしても・・・・・・」

 マクドウェルがテッドの横に立っている少女にようやく視線を向ける。マクドウェルから見られて、メアリは思わず緊張する。

「予定外に来客が増えるとは思ってませんでしたよ。はじめてまして、メアリさん。申し訳ありませんが、あなたのことも調べさせてもらいました。ただ、テッド君のように以前から目を付けていた訳ではないので、情報が十分整っていませんが、あなたのことは話の中で聞かせてもらいます」


 マクドウェルの前に2つの紙の束が置いてある。片方の方がかなり厚い束になっているので、そっちがテッドのものだ。もう一つの方は数枚程度の束だったので、恐らくメアリのものだ。彼女を連れて来る予定ではなかったので、急遽用意した様子がわかる。

「それはさておき。先程の質問に戻ります」マクドウェルは再び視線をテッドの方に向ける。


「何故、君は壁に向こう側があると信じたのですか?」

 マクドウェルの質問に対して、テッドは率直に答えた。

「それは自分たちの頭上に壁があるという、現実のようで・・・・・・現実とは思えないような話だと思ったからです」

「と、言うと?」

 マクドウェルはテッドが言いたいことを理解しているようだが、本人の口からはっきりと答えを聞きたいようだ。


「壁は普通、地面に対して垂直に立っているのが当たり前なのに、頭上の壁はどうして、地面と平行に立っていられるのかが不思議でした。そこから考えたのは、壁自体は作られたもので、大きな柱を何本も立てて、柱によって頭上の壁は支えられている。そうやって、頭上の壁は人の手によって作られたのではないか。誰の発想かはわかりませんが、そうやって地上に住んでいる人たちに空を見えないようにした人がいるんだと思いました。だから、頭上に壁があるという現実は、誰かが作った仮想的なものでしかないと思ったのです。」


 マクドウェルは表情を変えずにテッドの話を聞いていた。メアリはテッドが話すことを、彼から視線を外すことなく聞いている。そんなことをテッドが考えていたなど、考えもしなかったので、驚いた様子でテッドを見ている。

「なるほど」

 マクドウェルは感心したように、テッドのことを見ている。

「テッド君が言ったことは事実だと思いますか?」

 マクドウェルは先程から一言も発していないメアリに尋ねる。

「え?」メアリは突然の話に咄嗟に答えることができない。

「どう思います?」マクドウェルが続けて尋ねる。


 すぐに答えられず、黙っていたメアリは少しの間を置いて、「事実だと思います」と答えた。

「理由はありますか?」

「はい、テッドは賢い人ですから」メアリが断言する。

「いや、メアリ・・・・・・あのね」メアリの言葉にテッドは困った表情をする。

「なるほど、彼女の今の解答はとてもおもしろい」

 マクドウェルは可笑しそうに笑って、メアリの解答を称える。

「君が言ったように、君たちが住んでいる世界と、私たちが住んでいる世界の間に存在する大きな壁は、私たちが生まれる、ずっと昔に人の手によって作られました。問題は、なぜそんなことをする必要があったのかという点です」


 マクドウェルは突然立ち上がり、自分が座っていた場所から少し移動して、テッドたちがいる場所の近くで立ち止まる。応接で使うような机を挟んで2人ずつ座れる場所を指差した。

「立ち話もなんですし、座って話をしましょうか?」

 テッドとメアリは互いに見合わせて、しばらくの間を置いてから揃って頷いた。

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