第26話

 エレベータの扉が完全に閉まり、ゆっくりと上に向かって動き始めた。エレベータの中は密閉されているため、外の状態がまったくわからない。

「ケリィさん、この状態のまま30分待つんですか?」

 突然メアリから話しかけられ、ケリィが振り向く。

「そうですが、何かありますか?」

「外の景色が見れれば、多少でも気分は紛れるんですけど?」

「ちょっと、メアリ。30分ぐらいなんだから我慢しようよ」

「大丈夫よ、テッド。ケリィさんのことを最初こそ疑っていたけど、ここまであたしたちに何もせず、連れて来てくれたんですもの。悪い人じゃないし、できることは多分してくれるわ」


 自信満々で話すメアリの様子を見て、呆れた様子でケリィが笑う。

「そうですね。仰る通りです。このまま待っていても、息が詰まるだけですね。ですが、ご安心ください。もう少しすれば、嫌でも感動できるものが見えますから」

 ケリィがそんなことを言うと思っていなかったので、テッドは意外に思った。彼が言った、感動できるものとは何だろうかと思い、テッドはエレベータ内の隅々まで見たが、何か仕掛けがあるように思えない。

「どこにも仕掛けがあるように見えませんが?」

「まだもうしばらくお待ちください」


 ケリィに言われ、テッドとメアリはしばらく待つことにした。待っている間、メアリはテッドに小さな声で話しかける。

「ねぇ、テッド?」

「何?」振り返って、メアリの方を向く。

「おばさんは何か言ってた?」

「母さん?」

「そう。家を出る前に何か言われてないかと思って」


 このタイミングで妙な話をするなと思ったが、時間もあることだし、そのまま話を続けた。

「特に何も言ってなかったと思うけど・・・・・・」

 家を出る前に母と話したことを思い出す。メアリとのことで非常に喜んでいたことを思い出す。そして、リビングから出る瞬間言った母の言葉を思い出していた。

「う、うん。何も言ってなかったよ」

「そう。ならいいわ」

「何で?」テッドはメアリが母のことを気にすることを不思議に思った。

「何でもないわ。と言いたいけど、やっぱり言うわ。昨日の晩にね、テッドのことを本当によろしくお願いしますってね、頭を下げて言われたの。あたし、びっくりしちゃった。多分きっと気付いてるんじゃないかな」

 彼女の言葉を聞いて、改めて何もかもがお見通しなのかもしれない。それだけにこのまま家に戻らないことはしてはいけない。テッドは心の中で母に強く感謝していた。


「もうそろそろです。壁の方をご覧下さい。そうすれば、外の景色が見えてきますから」

 ケリィから声がかかり、テッドはエレベータ内の壁に視線を向ける。着色もされておらず、真っ白で殺風景なものにしか見えない。しかし、次の瞬間、真っ白だった壁が透け出し、外の様子が見えるようになった。テッドとメアリは突然の変化に目を丸くする。真っ白な壁だったものが、急に全面ガラス張りの透明な窓に変わった。壁で遮られて、見えないはずの外の様子が丸見えだ。窓に映っている風景から考えると、かなり高い位置に自分たちがいることがわかる。自分たちが立っている場所と地面までの高低差はどんどん広がり、エレベータがどんどん高度を上げている。


「すごい!あたしたち、浮いてるみたい!」と、メアリは歓喜の声をあげる。

 テッドは今まで見たことがない景色を見て、驚きの余り声を出せずにいた。自分が信じていても、確かめられずにいたことがもうすぐわかる。それが本当に叶うのだと、目にしている光景がすでに証明しているかのように思えてきた。足元を見ると、同じように外の様子が見え、森や川などが遥か下に見える。余りの高度で、一つ一つが小さなミニチュアみたいに思える。


 足元を見ていると、だんだんその高さが怖くなってきて、テッドは足が震え始めた。安全だとわかっていながら、ここから落ちたらと考えると、足の震えは止められそうにない。足元から視線を移し、横に視線を向けると、高い山の頂上に目がいく。今自分は、同じくらいの高い位置に浮いている。そんな錯覚を確かに感じる。


「す、すごいですね。こんな光景が見れるなんて・・・・・・」

 あまりの高度に恐怖心がいっぱいで、テッドは足を動かすことができない。顔だけをケリィの方に向けて話をする。

「こんな高い技術が昔からあったようです。わたしがはじめて乗った時は感動で、言葉が出てこなかったほどです。もう慣れてしまったので、今は何とも思いません」

 ケリィは肩をすくめながら言った。彼が何度下の世界を訪れたかは聞いていないが、飽きてしまうほど、このエレベータに乗っていることは間違いないようだ。


「て、テッド・・・」後ろから怯えた声が聞こえる。

「どうしたの?」

 テッドは慌てて、メアリの方を振り向く。その場にしゃがみこんでいた。

「あたし、高いところ駄目みたい・・・」彼女は情けない声を出していた。

 テッドは笑いながらも、自分の足が震えていることを確認する

「僕も駄目みたい・・・」メアリに同情の言葉を返した。


 エレベータはどんどん高度を上げていく。全面ガラスに包まれているエレベータ内では、外の様子を見ることができるので、徐々に頭上の壁に近づく様子を、テッドたちは確認することができた。

「何だかもう慣れちゃった」


 先程まで想像以上の高さに散々怖がっていたメアリは、すぐに慣れてしまったようで、立ち上がって、散歩するようにエレベータ内を歩き始めていた。テッドは、まだ高いところに慣れていないようで、足を動かすことに抵抗がある。それでも落ちる心配がないとわかっているので、移動することはできた。軽い足取りで歩くメアリに対して、テッドはゆっくりと如何にか付いていく。


「メアリ、もうちょっとゆっくり歩こうよ」

「何よ、テッド。バードルに行ったときは、そっちがどんどん先に行ってたんじゃない。自分が逆の立場になってよくわかったでしょ。置いて行かれないように必死に付いていく人の大変さがね」

 メアリは勝ち誇ったように、テッドの様子を楽しそうに見ている。そんなメアリの様子をみて、テッドは意地が悪いなと思う。

「あっちの方まで行きましょう。どうせ待っていても、やることはないんだし、隅々まで移動して、時間を潰さないと」


 メアリの意見に反対する理由もないので、テッドは頷く。頷いたのを見て、メアリも満足そうな表情をして、さらに適当な方向に向けて歩き出す。移動して見える景色は、少しずつ変わるので、彼女にとって雲の上を歩いているように思えるようだ。テッドにはまだその感覚がわからず、一歩ずつの足取りが重い。そこから何歩か歩いた後、メアリは突然足を止める。

「な、何?」

「ねぇ、ケリィさん、何を見てるのかしら?」


 テッドがメアリと同じ方向を見ると、そこにはケリィがいた。ケリィはずっと上の方を見ている。同じように上の方を見ると、そこには頭上に広がる壁しか見えない。どんどん近づいていることはわかるが、到着にはまだもう少し時間が掛かる気がする。

「何か思うところがあるのかしら?」メアリはケリィのことを気にかける。

「さぁ、あるかもしれないけど、聞いても教えてくれないんじゃないかな?」

 テッドは余り関心無さそうに言うが、メアリは何故か心配そうな顔をする。

「もしかして、故郷を懐かしんでるんじゃないかしら。きっと仕事の関係上、なかなか帰れないのよ」メアリは勝手な憶測を語り始めた。


「いや、どうだろう・・・・・・」

 テッドがそれは違うんじゃないかと首を傾げるも、メアリは納得しない。

「もう、テッドはそんなことだから、友達ができないのよ」

「落ち着いて、メアリ。そうだとしても、彼はきっと教えてくれないよ」

「何でそう思うのよ?」

「メアリがさっき仕事の関係上と言ったけど、正にそれだよ。彼の仕事は僕らみたいに何かしらの理由で選ばれた人に接触することなんだ。だから、自分のことはきっと話さないよ」

「そうなの?何でそんなことがテッドにわかるのよ」


 テッドの説明を聞いても、彼女はまだ納得できないようだ。テッドは困り果てて、ケリィの方に一瞬だけ視線を向けると、彼はこっちを見ていた。メアリの声が大きかったので、2人の会話が聞こえたらしい。

「メアリ、ケリィさんがこっち見てるよ・・・」

「ちょうどいいわ。聞いてみましょうよ」メアリがケリィの方に歩き出した。

「メアリ、ちょっと待った」テッドはメアリを強引に引き止める。

「え、何?」珍しくテッドに止められたので、大人しく従う。


「いいから、落ち着いて聞いて。何となくなんだけど、彼の過去の話を聞くのは、余りいいことじゃないと思う。メアリが知りたがっているのは、ケリィさんに親しみを感じているからだと僕もわかってる。だからこそ、僕の言うことを聞いて欲しい」

 真面目に諭すように話すテッドに、メアリは自分が少し子供染みたことをしていたと思った。彼の言葉に黙って頷く。ケリィの方を見ると、彼はもうこちらの方を見ず、また頭上の壁に視線を向けていた。

「彼が自分のことを語りたくなったら、自然に話をしてくれると思うよ」

 テッドから言われ、メアリは素直にもう一度頷いた。

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