第12話

 テッドはメアリが帰った後、晩御飯と入浴を済ませ、いつもより早くベットに寝転がった。しばらく目を閉じていたが、まったく眠れなかった。寝付けなかった理由は、メアリまで巻き込むことになってしまったことに罪悪感を覚えているからだ。彼女が自分から行くと言い出したのだが、そのことがわかっていたら、彼女に話したりしなかった。

「これで良かったのかな・・・・・・」


 進学先の第一目標としているバードル大学校に、テッドは絶対行かなければならない。そして、今日セントラルで会った男とは、そこで会うことになる。必ずいると決まっているわけではないが、彼はわざわざテッドが1人になったタイミングで話しかけてきた。きっと、自分だけに用があるから、そんなまわりくどい仕方を選んだんだろう。目的は定かではないが、彼はテッドの昔から持っていた疑問について知っていた。どうして、彼が自分の望みを知っているのかが不思議だ。

「そもそも、あの人は何者・・・・・・」


 疑問を持っても仕方がない。実際にバードルであの男に会って、真相を確かめるしかない。しかし、メアリまで巻き込むことは気が重い。ひょっとしたら、帰ってこれないんじゃないかという不安がテッドの中にはある。だからこそ、彼女に話したとしても、付いてきて欲しいと思ったことはなかった。それなのに、彼女が自分から行くと言いだすとは思っていなかった。言い出したら、彼女は聞かない。意地でも付いてくるに違いない。もし、彼女の身に何かがあったら、それだけでもきっと自分は耐えられない。


「どうしようか・・・・・・」

 天井を見つめる。その先にある頭上にそびえる壁の存在が見えるようだ。何で、あんなものが存在するんだ。改めて、テッドは疎ましく思える。そんなものを作った人の存在が、壁のことを隠そうとしている何かが、テッドを無性に苛立たせた。テッドは自分が住んでいる街が好きだ。ずっとこの街に住んで、その先のことは予想がつくけど、今は考えていない。大好きな友人、自分を愛してくれる家族がいる。小学校の頃から仲の良い友達もいる。そして、メアリがいる。


 面倒なことは多少はあるが、それを不自由に思ったことはない。だけど、頭上に広がっている壁だけは気に入らなかった。小さい頃から気に入らなかった。そのことを親に言ったこともあるけど、。

 テッドは今度はベットから起き上がり、窓を開けて、頭上を見上げた。その上にはいつも通り、壁が一面に広がっている。


 小さい頃に思った疑問を、結局この歳になるまでずっと持ち続けることになった。そのことをようやく知ることができる。本来なら、もっと喜ぶべきかもしれない。しかし、テッドは恐れている。答えを知ることは、今までの生活が壊れることを意味するのではないか。セントラル大学校で会った、あの男はそう思えるほどに、今まで会った人たちとはどこか違う存在だった。彼が言う壁の向こう側の世界。不安がいっぱいであると同時に、憧れをどうしても抑えられない自分がいるのも疎ましい。今持っているものを失ってまでも欲しいものなのか。

 メアリも一緒に行くと言ったとき、駄目だと思いながらも、一瞬でも心の中で彼女と一緒ならと思ってしまったことが余計に疎ましい。


「僕はどうすればいい・・・」つぶやくテッドに壁は答えを返さない。

 ただ黙って、無機質な表情を見せているだけの壁に、テッドは今までないくらいに虚しさを感じていた。


 それから数日間、テッドとメアリは一緒に学校から帰り、そのままテッドの家に行き、2人で勉強に励んでいた。テッドがメアリに対して、わからない点があれば、教えるということも多いが、テッドも無駄に教えてばかりいるわけでもなく、自分の勉強もしっかりとしていた。テッドの成績が良いとはいえ、バードルに行きたいのなら、それなりの学力が必要だ。中学校での成績ももちろん必要だが、卒業後に受ける共通試験というものが、大学校への入学には必要となってくる。共通試験は国が管理している、大学校向けに個人の学力を測る試験で、この試験の結果と学生時代の成績を元に大学校への進学が決まる。


 基本的に中学校などで学んできたものが出題されるが、バードルなどのトップクラスの大学校に入学しようと思うと、最初の簡単な問題から最後の難問まで幅広く網羅するように解答して、高得点を目指さないといけない。そのため、テッドも気を抜いていい状態ではない。メアリに勉強を教える余裕があるとは言え、自分が勉強をおろそかにして、入学できなかったとしたら、それほど格好のつかないことはないだろう。


「テッド、この問題教えてくれない?」テッドが必死に問題を解いている途中でメアリが質問をしてくる。

「ちょっと待って」と言って、テッドはメアリの方を向けない。

 今はちょうど調子が出てきて、難しい問題をうまく解けるように思考がうまく回り始めたところだ。メアリからの質問とは言え、テッドは珍しく自分のわがままを優先させたい。待っていてもすぐにはその解答が終わりそうにないので、メアリは先に休憩に入ることにした。

「わかった。じゃあ、あたし、ちょっと休憩がてら、おばさんからお菓子と紅茶もらってくるね」

「うん」と返事をするも、テッドはメアリの方を向かない。


 メアリはテッドの態度に呆れた様子で見ているが、テッドはそれにも気づかない。部屋の扉が開いて、閉じる音がする。メアリが部屋を出ていったことに気づかず、テッドは集中している。問題をじっと見ている。頭の中で出来上がったイメージがあり、それを紙面上に写していく。頭の中で式の展開を考えつつ、続きを紙面上に書いていく。何度も同じことを繰り返していくうちに、テッドの中である程度の解答が見えてきた。難題がパズルのように解かれていく。この過程が面白い。難題と向き合い続け、あっという間に問題を解いてしまった。問題を解き終わり、顔を上げる。


「あれ、メアリ?」さっきまで隣にいたと思っていた彼女がいなくなっていることに今更気がつく。

「あ、そうか」先ほど1階にお菓子と紅茶を取りに行くことを、メアリが言っていたことを思い出す。

 ここしばらく、メアリに勉強を教えることを優先させていたため、久しぶりに真面目に自分のための勉強に集中している。これは良いことだとテッドは思った。メアリに勉強を教えることについては、もともと彼女の学習能力が高いので、教えれば教えるほどに学力が上がっているのがすぐにわかった。これもまた良いことだとテッドは思った。自分で学ぶことも、学んだことを人に教えることも、今はどちらも楽しい。この生活はすごく充実している気がする。こういう生活で充実を感じるなら、自分は教師になるのが良いかもしれないと思ってしまう。


「テッド、開けてくれない?」

「あ、うん。ちょっとまって」

 扉の方からメアリの声が聞こえる。その声に返事をしつつ、扉を開くと、2人分の紅茶とお菓子を乗せたプレートを持って、メアリが扉の前に立っていた。テッドが道をゆずるように体を移動させると、メアリがプレートを持ったまま、部屋の中に入ってきた。

「お待たせ。おばさんがとっておきの紅茶とお菓子を用意してくれたんだって」

「そうなんだ」テッドは少しうんざりした顔をしてしまった。


 きっとテッドの母は少し高価なものを用意したに違いない。彼女の中では、毎日メアリが家に来て、そして息子の部屋にいることがとても夢のような出来事に思えているんだろう。そう考えると、テッドは何だか複雑な気持ちになる。テッドがそんなことを考えていると、メアリは紅茶を飲みながら、部屋の壁に飾っているカレンダの方をじっと見ている。

「どうかした?」テッドが声をかけると、メアリはテッドの方を見て、少し不安そうな表情をする。

「明後日だね・・・・・・」

「あ、うん・・・・・・」


 メアリが言った明後日の日付の文字は、赤くなっており、休日を意味している。そして、その日付を丸で囲み、テッドの字でバードルと書かれている。この日は、バードルの文化祭があり、学校見学も含めて、メアリと一緒にバードル大学校に行く日だ。そして、再びあの謎の男に会うことになる。その日を迎えることに、メアリは不安を強く感じている。テッドはそんなメアリを見て、自分がどうするべきか、未だに答えを出せずにいた。

「テッドはどうしたいの?」

「僕は・・・・・・」


 メアリの質問に答えられない。テッドは下にうつむき、頭の中で真剣に考える。自分は、そんなにも頭上の壁の向こう側が見たいのか。それを見たところで、何かが変わるのか。わからないが、あの億劫な壁の存在を超えた先に行けば、ずっと自由でいられる気がする。そんな曖昧な思考に囚われているし、執着している。頭上を見上げれば、上から蓋をされたような景色しか見えない。しかし、その向こう側には童話の中で読んだ、果てのない空が広がっている。それを目の当たりにしたとき、自分はここに戻りたいと思えなくなるのではない。テッドはそう思っている。


「明後日は楽しみだね」メアリの声が聞こえ、テッドは我に帰り、彼女の方を見る。そう言ったメアリの表情は、テッドを見守るように笑っていた。

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