第10話

 セントラル大学校の文化祭で、不思議な男に会ってから、テッドは彼の言葉がずっと引っかかっていた。あの後、メアリと一緒に校内を回っている間も、謎の男が言った言葉をずっと思い出していた。

「大丈夫?」校内を回っている間、何度も彼女から言われ、よっぽど酷い表情をしていたのだなと思う。


 メアリと一緒に、無事に家に帰ることはできた。しかし、帰った後も、メアリはよっぽど心配だったのか、結局夜遅くまでテッドの様子を見ていた。彼女を何とか説得して、家まで送り届けたのが、つい先ほどのことだ。別れ際に感謝の言葉を伝えると、「うん、気にしないで」といつもより元気無さげに答えた。彼女に元気がないのは、自分のせいだと分かっていながらも、それ以上何も言えなかった。そして、今は自分の部屋の天井を見上げながら、男の言葉をまた思い出している。


「頭上の壁の向こう側に興味はありませんか?」と、あのときの彼は言ったのだ。

 それが何を意味するのか、何となくテッドにはわかった。彼はきっとあの頭上に広がっている壁の向こう側から来た人だ。しかし、それは想像でしかない。本当にそうなら、あの壁の向こう側には、自分たちと同じように、街を作り、そこに住んで、暮らしている人々がいることになる。不思議な話だ。壁の向こう側に別の世界があり、自分たちと同じように生きている人たちがいる。やっぱり何かの間違いかもしれないと考え直し、テッドは寝転んでいたベットから起き上がった。


 時計を見て、「もうこんな時間か」と口に出した時刻は、午後11時を回っていた。

メアリが先ほどまで隣にいて、ずっと話していたのが遠い過去のように思える。彼女と話していれば、男の言葉をあまり思い出さずにすんだ。彼女を家に送って行ったが、本当は離れたくなかった。少なくとも、今日一日くらい、ずっと隣にいてもらえばよかったと後悔している。


 1人になるとの言葉を思い出し、そのことばかりに考えが及んでしまう。あの男の言葉の何を恐れているのか。理屈を考えてもわからないが、あの男の言葉を聞いたときに直感的にわかったことがある。彼に付いて行けば、壁の向こう側に行ける。そして、テッドはそこに広がる世界を見てみたい。しかし、そこに辿り着いたとき、自分はどうなるのか。好奇心と恐怖心が入り混じり、テッドは男の言葉を何度も頭の中で復唱する。

 カレンダを目を向けると、テッドの第1志望である、バードル大学校の文化祭の日付に丸が描いてある。そして、あのときに男が言った、もう一つの言葉を思い出す。


「次はバードルでお会いしましょう」

 その言葉を信じるなら、バードルを訪れたときに、再びあの男と会うことになる。気に入らないなら、無視をすればいいだけだ。だけど、彼が言っているように、あの壁の向こう側にに行けるとしたら、自分は行ってみたいと思っている。そして、壁の向こう側にどんな光景があるのか。そこに人は住んでいるのか。街があるのか。様々な想像の班が咲き、ひたすらに好奇心が駆り立てられる。


「僕はどうすればいい・・・・・」

 再び寝転がり、天井を見て、思わずつぶやいてしまう。興味に背中を押されるまま、天井よりもっと高いところに存在する、あの壁の向こう側を想像している間に、テッドは眠りについてしまった。


 セントラル大学校に行った翌朝になっても、テッドは昨日の出来事が忘れられない。日常生活を過ごす分には問題ないが、どうしてもふとしたタイミングで思い出してしまう。テッドの家にメアリが朝から来たとき、彼女は昨日から引き続き、心配そうに「大丈夫?」と話しかけてきた。

 テッドはこれ以上の心配をかけたくなかったので、「大丈夫だよ」と答えた。

 実際、体に何の異常もない。問題は心の方だ。相変わらず、頭の片隅には男の言葉が存在している。


 今のテッドにとって、メアリの存在はとても有難く、これからも彼女との関係を大事にしたいと思っている。急な進展を望んでいる訳でもなく、とりあえずの目先の目標としては、彼女と同じ大学校に行きたい。自分と同じ大学校に行きたいと言ってくれた彼女の期待に応えたい。そのために、今日も引き続き、彼女と一緒に勉強することにした。幸いにも、そんな時間があるだけで、自然とセントラル大学校であったことを思い出すことが少なくなった。


 学校帰りにメアリがテッドの家に寄って、勉強をすることは、すっかり2人の日課となった。頭を必死に働かせ、難題に取り組む彼女の表情を見ていると、テッドはあまりの面白さにときどき吹き出しそうになる。

「なんで笑ってるの?」メアリがテッドの表情に気が付き、怒りの声をあげる。

「何でもないよ」と言うが、テッドの笑いをこらえる表情は直っていない。

「馬鹿にしてるでしょ?」

「馬鹿にしてないよ」弁解するも、メアリの怒りは収まらない。

「絶対、馬鹿にしてるでしょ?いいよね、テッドはもともと賢いから。こんな問題、さっさと解けるんでしょうけど。あたしはね、テッドみたいに賢くないんだからね」


 メアリがすっかり拗ねてしまい、テッドは困ってしまう。しかし、彼女のそんな様子が可笑しく思える。テッドにとって、彼女とのこの時間がすっかり楽しみになっていた。いつも彼女は、テッドに揶揄われて、機嫌を悪くしつつも、難題に必死に取り組む。一生懸命に難題に挑む彼女を見ているのが楽しく、テッドにとって癒しの時間だ。

「メアリ、その問題はね」テッドがペンと紙を持ち出す。

「こうやって解くんだよ」


 テッドはメアリに見せるように、解答を導き出すための式を組み立てていく。ちょうど今、メアリが解いていた問題は数学だ。テッドがもっとも得意にしている科目なので、滞りなく解答を導いていく。その様子を見て、拗ねていたメアリも驚いて見入っている。彼女では全然先に進めなかった問題を目の前で簡単に解いていく。


「へぇ」感嘆な声を漏らすメアリを、テッドが見る。

 彼女の顔が思っていた以上に自分に近づいていることに気がつく。前のめりになって、テッドが紙の上に解答を書いていく様子を真剣に見ている。

「メアリ」テッドが声をかけると、「何?」とテッドを見ようと顔を上げたところで、頭が当たりそうになり、テッドがどうにか避ける。

「あ、ごめん」メアリはぶつかりそうになったことを謝罪する。

「ごめん、びっくりさせちゃったね」テッドはその言葉にうなずく。


 2人揃ってうつむく。テッドがメアリの顔を見ようと顔を上げると、メアリもテッドの方を見ていた。2人の目が合ってしまい、妙な間が生まれ、思わず固まってしまう。しばらくして、2人揃ってまたうつむく。

「勉強の続きしようか?」テッドはうつむいたまま言った。

「そ、そうだね・・・」メアリは少し恥ずかしそうに言ってから、テッドの方を一瞬だけ見て、また視線を下ろした。

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