第9話

 不思議な匂いを漂わせていたお店に別れを告げ、2人は再び歩き出した。

「どこに向かおうか?」

「この後は喫茶店に向かう話してなかったっけ?」

「そうだったね。じゃあ、行こうか」

 自分で話していたことを忘れて、テッドは少しばかり恥ずかしかったが、メアリはそのことに対して、気にした素振りを見せない。彼女からしたら、意外といつものことだと思われているのかもしれない。もう少ししっかりした方がいいかなと反省しつつ、再び彼女の手を取って歩き出す。声もかけずに握ってしまったので、メアリは驚いて、テッドの方を見てしまう。数秒見た後、何も言わずに、テッドが向いている方に視線を向ける。相変わらず、2人の周りはたくさんの人で溢れていた。先ほど抜けてきたときよりも人の数が増えている気がする。


「大学校の中に喫茶店があったはず。多分あっち側かな」テッドが言って指差した方向は、大通りを挟んで、今いる場所の対岸の方だ。

「また、人混みの中を抜けるのね」メアリは通るのがすごく嫌そうだ。

「うん、仕方ないよ。僕も嫌だけどね。我慢して」

「わかった。我慢する。その代わり、喫茶店で何かおごって?」

「僕が?」テッドは何か言い返そうとしたが、にっこりと微笑みながらうなずく メアリを見ていると、どうにも逆らう気がしなくなった。

「わかった。何かおごるよ」テッドが仕方なさそうに言う。

「やった。ありがとう。ごちそうになります」テッドの様子も関係なく、メアリは上機嫌だ。


 テッドはそんな彼女の様子を見ながら、内心微笑ましい気分になっていた。喫茶店に彼女が大好物があればいいなと思う。メアリの大好物が何だったか、思い出そうとしたが、意外とたくさんあると気づく。どれが一番かは本人しかわらからないが、その一つくらいはあるだろう。

 テッドはメアリの手を引いて、人と人との間を抜けていく。思った通り、人の数が増えている。そのせいで、少し進むだけでも苦労する。

「テッド、狭いよ」メアリの声にテッドは振り向く。しかし、大勢の人の声が騒がしく、彼女の言葉はテッドにはっきり聞こえない。


「何?」テッドは大きな声を出して、メアリに聞き返す。

「あとで言う!」今度は大きな声だったので、テッドにも聞こえた。

「わかった!」メアリに聞こえるように、テッドも大きな声で返事する。

 テッドは彼女の手を引いて、更に先へと進む。これだけの人が一体どこから現れたのか、テッドは不思議に思った。世界中から人が集まっている。そう言われても、不思議ではない。それだけ注目度の高い場所なのだろう。人と人との間をすり抜けていく。


「テッド、ちょっと待って」メアリが大きな声で呼びかける。

「何?」テッドが振り返ると、何だか申し訳なさそうな顔をしている。落ち着かない様子に何となく彼女が言いたいことがわかった。

「トイレ行きたい」その言葉にテッドは困ってしまう。どこにあるのかを把握していない。立ち止まって、周りを見渡すも、トイレらしきものは無さそうだ。

「あっちにあるよ」彼女が指差した方向を見ると、通りの奥にある校舎だった。

「あそこまで行ける?」テッドが聞くと、「うん」とうなずく。

「あたし、子供じゃないんですけど?」

「確かにそうだね」テッドは少し膨れている彼女の様子を見て笑う。

「じゃあ、行ってくるね。あ、でもさ。テッドも校舎の前までは付いて来てよ。こんなところで待ち合わせなんてできないし」

 彼女から言われ、確かにそうだなと思い、2人揃って校舎に向かって移動することにした。


「じゃあ、ここで待っててね」メアリがそう言って、校舎の中に入っていく。

 テッドは校舎の扉の前でそれを見送った。1人になったが、やることもなく、何となく頭上を見上げた。視線の先には白い壁しか見えない。いつもなら億劫な気分で見てしまうが、今日はそんなに悪い気分でもない。彼女がいるおかげかなと思う。クラスメイトと誰と誰が付き合っているとか、そんな恋愛話をする度によく茶化されたことを思い出す。自分にはメアリがいるだろうと言われる度、そんな関係じゃないと否定していた。彼女も似たような感じで、クラスメイトからそんな話をされても、否定している姿を度々見ていた。しかし、2人ともお互いによくわかっていたことだ。このままで終わる訳がないことを。嘘を言っていた訳じゃない。機会を待っていただけだ。そんな気がする。


 頭上を見上げていた視線を戻して、校舎の中を覗く。校舎の中にも人はいるが、外ほどではない。人が出入りする様子を見ると、中にも何かの出店があるようだ。校舎の中まで足を向ける時間的余裕が無いので、少なくとも今日は無理だなと、テッドは判断して大通りの方に視線を向ける。視線を向けた先で、不思議な人の姿を目にする。


 こちらに視線を向けている男性と目があった。

「初めまして」語りかける男性に、テッドは会釈だけを返す。

「あなたに会いに来ました」

「僕に?何のため?」テッドは訳が分からず、男性に問い返す。

「ここでは話し難いことです。急な話で申し訳有りませんが、私に付いて来て頂けませんか?」

 急な男性の申し出にテッドは戸惑う。全く知らない彼にそんな話をされても、当然付いて行く気になれない。とても怪しい男の話に聞く耳を持つ気にすらなれない。


「すみませんが、人と約束がありまして」丁重に断りを入れる。

「失礼しました。ガールフレンドと一緒なのを邪魔してしまうところでした」

 メアリと一緒に来ていることを知っているかのような言い方だ。そのことが気になったが、これ以上話をするのも嫌になったので、「わかって頂けたなら」と言って、男から視線を外そうとした。

「頭上の壁の向こう側に興味はありませんか?」突然の男の言葉にテッドは振り向く。


 再び男と視線を合わせると、彼はすこし笑っていた。彼からかけられた言葉に、テッドは異常な興味を覚えてしまい、彼から視線を外せない。

「お待たせ!」元気なメアリの声が届く。

 テッドは彼女の方を振り向く。メアリはテッドの顔を見るなり、不安そうな表情になる。


「これ以上はお邪魔ですね。次はバードルでお会いしましょう」

 謎の男はテッドに向かって、そう告げ、背を向けて去って行った。

「あの人、知り合い?」メアリの声を聞いても、テッドは心が落ち着かない。

「いや、知らない人。だけど・・・・・・」

「だけど?どうしたの、テッド?顔が真っ青よ」メアリは心配そうに声をかける。

 気がつけば、テッドは信じられないほどの汗をたくさんかいていた。謎の男が残していった言葉が、ずっとテッドの頭の中に残っていた。

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