第5話
その日から、テッドとメアリは、大学校への受験に向けて、毎日のようにテッドの家で勉強することになった。メアリがテッドの家に来ることは、小さい頃から大きくなった、今でもそれなりの頻度であった。しかし、毎日というのはこれまでなかった。メアリが家に来る度に、テッドの母はずいぶんと嬉しそうだ。何か期待していることがあるのだろう。テッドにもそれが何かはわかっていたが、あまり直接聞くのはやめておいた。それを知ったところで、もう少し経過を見て、ゆっくり判断したいという気持ちがあったからだ。
そんな日がしばらく続き、季節は少し肌寒い季節になっていた。外に出るには、重ね着が少し必要なくらいの気温になっていた。テッドはセントラル大学校の文化祭が行われるということで、出かける準備をしている。大学校そのものにあまり興味がないが、メアリに誘われるまま、気晴らし程度に行ってみることにした。学校の成績でいける大学校が決まるので、ここ最近は勉強ばかりをしていたから、外に遊びに出かけること自体が久々だ。別にそれで浮き立つほどのものではないけど、この日を約束したときの彼女の気分がすごく良くなったのが、テッドには心地よかった。これまでそんなことを感じたことはあまりなかったけど、最近は一緒にいる時間が今までより増えたので、余計にそんなことを意識してしまう。
「テッド、デートなら早い目に出て、男の子が先に待っているのが鉄則だからね」
「何を言ってるの?デートじゃないよ。大学校の見学だよ。他のクラスメイトもきっと何人かは来ていると思うし、デートなんかじゃないよ」
テッドの母は昨日からテッドにその話を聞いて、自分のことのように嬉しそうだ。自分が出かけるわけでもないが、何故そんなに嬉しいのかはテッドにはわからない。自分が人の親になれば、きっと分かることなのだろう。それとは別で、いつも通りの母だなと安心した。母のそんな様子を見て、テッドは知らないうちに少し笑っていた。
「あら、いい笑顔ね。その顔で行きなさい」
テッドは自分が無意識に楽しげに笑っていることに母に言われて気づく。そんな指摘をされたのが珍しく、テッドは恥ずかしくて、思わず視線をそらす。テッドの母は恥ずかしがっている息子の様子が面白いのか、ずっとテッドの方を微笑ましい表情で見ている。そんな自分にため息をつきながら、テッドが時計を見ると、メアリとの待ち合わせの約束の時間が近づいていた。テッドは結局母の意見に従い、メアリが来る予定の時間より早い時間に待ち合わせの場所に向かうことにした。リビングの扉を開いて、玄関に向かう。
「もう行くよ。行ってきます」テッドは母にそう伝える。
「行ってらっしゃい。うまくやるのよ」
母から言われた言葉に励まされていることに、テッドは素直に応じたい気分になっていた。
テッドは家から出て、少しばかり早歩きで待ち合わせの場所に向かう。待ち合わせの場所は、メアリの家の前の通りだ。待ち合わせの場所に約束の時間より早く着いたが、メアリの姿はなかった。約束の時間より15分前に着いている。お互いの家が目で見える場所にも関わらず、テッドは気持ちを急かしすぎて、かなり早い時間に着いてしまった。どうしようかと悩んで、メアリの家の2階の方に目を向け、メアリの部屋がある場所を見ると、窓から顔を出していた彼女と目が合う。
メアリの方はある程度出かける準備ができている装いだが、テッドがこの時間にいることに驚いているようだ。メアリは何か話しかけようかと思ったようだが、すぐに止めて、顔を引っ込めて、部屋の窓を閉めてしまった。何を言おうとしたかは気になったが、本人が見えなくなったので、尋ねようがない。しばらく待っていれば、すぐに家から出て来るような気がしたので、テッドはその場で待機することにした。
そのまましばらく待っていると、メアリの家の方から慌ただしい音が聞こえる。玄関前でメアリと誰かが会話しているようだ。微かに聞こえる声が女性のものだから、相手はきっとメアリの母だろう。会話が途切れると、賑やかな様子で「行ってきます」と母に言いながら、メアリが家の玄関から飛び出してきた。メアリはいつも通りだった。しかし、自分を見つけて、慌てて出てきたのではないかと考えると、少し悪いことをしてしまった気がする。
「ごめんね、待たせちゃったみたいで」
「いや、僕が約束の時間より早く来てしまったのが悪いよ」
テッドがそう言うと、メアリは腕に付けている時計に目を向ける。一瞬僕の方を見て、また時計を見た。もう一度彼女が僕に顔を向けたときには、渋い顔をしていた。
「ちょっと早すぎない?何でこんな時間にあたしの家の前に来たの?」
「何となく。待たせるのは良くないと思ったし」
「あたしの家の前だから、待たせることは心配しなくていいんじゃない?まぁ、あたしに早く会いたかったとかの理由だったら、全然許してあげるけど?」
メアリが冗談っぽく笑っている。彼女が言った言葉に、テッドは苦笑いをするしかなかった。言葉にするとかなり照れくさくて、言いにくい。けれで、その気持ちを否定する材料もないのも確かだ。思いきって、照れくさいと思ったセリフを言ってみる。
「メアリに早く会いたかったから、約束の時間を忘れて来ちゃった。ごめんね」
メアリは目を見開いて、まじまじとテッドを見ている。
「な、何か悪いものでも食べた?」
「別に。本当の気持ちを言っただけだよ」
そう言って、先に歩き出すと、黙ってメアリが付いて来る。珍しく、大人しい様子で付いて来る。後ろを振り向くと、彼女は俯いてた。俯いている彼女の表情を見ると、笑いをこらえるのに必死のようだった。
後ろから歩いて付いてきたメアリも途中からはテッドと肩を並べて、歩くようになった。歩いている間は特に会話することもなく、黙々と歩いてばかりだ。会話一つないというのは、二人としては珍しいなとテッドは思った。大体はすぐにメアリから話し始めて、その一言一言にリアクションを取るのが自分の役割だ。それがないのは何だか寂しいなと思いつつ、歩き続ける。ときどき彼女の方を見ると、ずっと暮らしている街だというのに、始めて来た街を歩いているかのようにあちこちを眺めている。そんな様子の彼女を気にしながら歩いていると、気がつけば街の中にある駅に着いていた。
「ちょっと、切符を買ってくるから、待ってて」
テッドがそう言うと、メアリは「うん」と答える。いつもに比べて、おとなしい彼女の反応に少し違和感を覚えながらも、切符を買うために売り場に向かう。売り場には顔見知りの駅員さんがいて、気前よく出迎えてくれた。
「こんにちは、テッド。今日はデート?」
テッドはこの人も母と同じようなことを言うなと思った。
「デートというほどではないですけど・・・・・・セントラル大学校に文化祭を見に行くんです」駅員さんが目を丸くして驚く。
「セントラル大学校ね。さすがだね。テッドは頭がいいからな。きっと合格できるよ」
褒められても、テッドは特別に嬉しいと思わなかった。ただ、そこまで喜んでくれる駅員さんに悪いと思い、テッドは正直な気持ちを伝えた。
「ありがとうございます。でも、僕はバードルにしか行く気がないんですよ。でも、メアリが行きたいというから、一度くらいは見ておこうかなと思いまして」
駅員さんはテッドとメアリを交互に見た。2人の関係に何かを期待している様子が顔に出ている。その表情を見て、テッドは少し面倒だなと思った。
「なるほど。やっぱりデートみたいなものか。2人はまだまだ若いし、うらましいね。頑張れよ」駅員さんは切符2つを取り出して、テッドに渡した。
テッドが「いくらですか?」と聞くも、「いらないよ」とお金の受け取りを断った。
「いや、でも・・・・・・」
「大丈夫。気にするなって」
申し訳ない気分になりつつも、せっかくのご厚意にあやからないとバチが当たりそうな気持ちもしたので、テッドはその切符を素直に受け取った。
「ありがとうございます。仲良く行ってきます」
テッドがそう言うと、駅員さんは機嫌良くうなずいた。
「土産話を期待しているからな。ちゃんとエスコートしてあげなよ」
駅員さんの一言に、少しばかり辟易する。やっぱり母と同じようなことを言うなと思った。それが大人の役割というものかと考え、駅員さんの気持ちを前向きに捉える。メアリの元に戻ると、さっきと同じようにメアリは街の風景を見ていた。
「何を見ているの?」メアリの今日の不思議な行動を疑問に思い、テッドは素直に聞いてみた。メアリはその言葉にどう答えようか、考える仕草を見せてから、照れながら答えた。
「あたしたち、どれくらい住んでるのかなと思って。変わらない風景もあるけど・・・・・・変わっちゃった風景も懐かしいなと思ったの」
そう言って、いつも見ている、自分が住んでいる街を見つめる。昔と変わらない風景、商店が立ち並んでいるショッピングモール、メアリと駅まで歩いてくるために通った住宅地、その全部の存在を含めて、この街はできている。これまで住んできた街にメアリは何を想ったのか。そのことを知りたいと思いつつも、再び街の方に目を向けている彼女の背中に声をかけることができなかった。
「2人とも、列車が来たよ」
なかなか駅構内に入らない2人の姿を見て、駅員さんが声をかける。その声に気づき、メアリはようやく駅の方に振り返り、駅の方に足を向けた。メアリが移動する姿を目で追っていると、彼女の方からテッドに声をかける。
「どうしたの?早く行かないと、列車が来ちゃうよ?」
手を引っ張られて、テッドはただただ彼女の手に任せるまま、駅の中に入っていく。
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