第2話

 その日の帰り道、いつも通りにテッドとメアリは一緒に帰っていた。歴史の授業の後と打って変わって、メアリの機嫌は帰る頃には、すっかり元の状態に戻っていた。テッドはそのことにほっとしている。帰り道の話題は、テッドの歴史の授業中の態度のことではなく、卒業後の進路のことについてだった。

「あたしたち、もうすぐ卒業じゃない?テッドはどうするの?大学校、行くんでしょ?」


 小学校、中学校と当たり前のようにずっと同じ学校に通ってきた二人だが、大学校は別になるかもしれない。その可能性は十分にある。そういう気持ちがあったのか、メアリはテッドに普段はあんまりしない、珍しい進路の話をしてきた。

「まだ先のことはあんまり考えてないかな。でも、大学校には行くつもり。いろいろと勉強したいことはあるからね」

「そう思うんだったら、やっぱり歴史の授業は真面目に受けておかないと。今から頑張っても、一番上のセントラル大学校には行けるかわからないよ?」


 進路の話だったので、油断していたが、結局のところ、学校での評価がそのまま大学校への進路するための鍵となる。テッドは結局その話かと思いながら、メアリの言葉にうなずく。メアリが言う、セントラル大学校は、国の中で一番歴史が古く、将来の国を背負う優秀な政治家や学者を輩出している大学校だ。そのため、テッドが通っている中学校のほとんどの生徒が第一志望に選んでいる。その大学校に行くには優秀な成績はもちろん必要だが、その中でも歴史の授業の高い評価が必須となる。そのため、地域の中で進学率の高いテッドやメアリが通っている中学校では、歴史の授業には力を入れている。テッドのように授業中に呑気に窓から外の風景を見ているだけでも、怒られるのは当然とも言える。


「次からは真面目に受けるよ。でも、僕はセントラルに行く気はないから。僕が行きたいのは、バードルの方だから」

 テッドが口にしたバードル大学校は、セントラルに比べると、歴史の授業の評価はあまり影響しない。どちらかというと、物理や数学、語学などの社会生活に役立つ、実践的な科目の評価の方が重視される。そのため、歴史以外の学業が優秀なテッドには、バードルの方が受験しやすい。そういう理由もあるので、テッドは歴史の授業に対して、あまり重点を置いていない。


「せっかく頭が良いなら、セントラルを受ければ良いのに。セントラルの方が就職は有利だし、出世コースに乗れるし、安定しているから絶対いいよ。テッドがセントラルに行ってくれるなら、私、お嫁さんになってあげるよ」

 メアリは冗談混じりの笑いを浮かべながら、テッドの方に向かって、そんなことを言う。テッドはメアリが言った言葉がどこまで本気なのか測りかねる。自分がセントラルに行く可能性はほとんどないと思うが、クラスメイトの言葉を思い出すと、彼女の言葉に少しでも本音が入っているのかなと考える。自分が考えている進路について、十分な可能性があることをメアリに珍しく丁寧に説明し始める。


「バードルだって、他の大学校に比べると、十分優秀なところだよ。セントラルには知名度で負けるけど、優秀な論文を発表したり、技術を開発している技術者はバードルの方が多いんだよ。僕は将来優秀なエンジニアになりたい。だから、僕としてはセントラルよりバードルの方に行きたい」

 テッドはそれに加えて、何故自分にとってバードルの方が魅了的な大学校なのか、帰り道の間、熱心にメアリに説明した。それを嫌がることもなく、メアリは熱心に聞いてくれた。テッドが一生懸命に説明した後、メアリは感心した表情をしていた。


「へぇ、そうなんだ。何だ、ちゃんと考えるじゃない。安心した」

 メアリがなぜ、安心したという言葉を言ったのか。テッドが考え始めたところで、メアリから再び話しかけられたので、あまり真剣に考える時間を作ることはできなかった。


「ねぇねぇ、それなら今度両方の大学校の文化祭を行ってみない?」

「文化祭?セントラル、バードルの両方?」

「そう、両方だよ。進学するのはバードルでもいいけど、セントラルにもどうせなら1回は行ってみたい」

 そう言って、メアリはテッドの様子を伺う。テッドとしては、バードルには興味があるが、セントラルには興味があまりない。だから、行くこと自体が時間の無駄に思えたが、クラスメイトの言葉を再び思い出し、少しくらいなら良いかと思った。


「いいよ、メアリが見たいって言うなら、行くよ」

「何?私が行きたいから行くみたいに聞こえるんですけど?」と言われ、テッドはまずいと思った。本音はともかく、急いで発言を修正した。

「いや、僕もメアリの言葉で行ってみても良いかなと思った訳で、別にメアリが行きたいから仕方がなくとかじゃないから」

 そう言っても、メアリは納得していないようだ。長い付き合いから来る直感なのか、何となく彼女に本音を見抜かれている気がする。自分の本音として、メアリのことをどう考えているのかを置いておくにしても、彼女が行きたいなら行ってもいいかと思ったのは確かだ。テッドは自分が知らない間にメアリのペースに乗せられていることを自覚する。


「気を使ってくれて、ありがとう。そうね、じゃあ、テッドが行くと言うなら、ちゃんとエスコートして貰わないとね。

「え、エスコート?」メアリの言った言葉に驚きの声をあげる。

「そう、エスコート。当日の予定とかは全部、テッドにお任せするから」

 二人でデートに出かけるみたいな話になっていないか。テッドはそう思ったが、乗りかかった船で彼女の言葉を遮ろうと思わなかった。実際似たようなものかと思ってもいる。


「わかったよ。頑張って考えてみるよ」

「本当に。じゃあ、よろしくね」

 メアリは歴史の授業後とは逆に、機嫌が良くなったようだ。テッドに機嫌良さげな笑顔を向ける。テッドはその表情を見て、内心ほっとして満足した気持ちになる。この気持ちは何なんだろうかと考えたが、思い当たるものは、それ程多くなかった。この気持ちを彼女に口にしても良いものかと悩むが、今はとりあえず置いておくことにする。先を歩き出しかけたメアリが突然振り返り、テッドの方を見て言った。


「あたしもテッドと同じ大学校行きたい」

  メアリの突然の発言に、テッドは一瞬思考が止まり、目の前の彼女がいつもよりずっと華やかに美しく見えることを自覚した。動揺を読み取られないように表情を消して、彼女が言った言葉を冷静に受け止める。


「メアリの成績でバードルは難しいんじゃない?」

 メアリの成績は悪くはないが、テッドのように特別に優秀な訳でもない。だから、テッドはメアリの関係がひょっとしたら大学校に行けば、終わってしまうかもしれないと思っていた。そのため、彼女から同じ大学校に行きたいと言われて、残酷に思いながら冷静に返すしかなかった。


「そうだよね。私の頭じゃ、難しいよね」メアリは急にしょんぼりと視線を落とす。

メアリの様子にテッドは何か言い返さねばと考えたが、何も言えない。

「ごめんね。今のは忘れて。無理なことを言っても、仕方ないしね」

 そんなメアリを見かねて、テッドは唯一できる提案を行った。

「勉強見てあげようか?」

「え、いいよ。自分のことは自分でやるよ」

「でも、いつも世話になってるのは僕の方だし。大丈夫。メアリの勉強を見てあげる余裕はあるから」


 精一杯の誠意を込めて言ったつもりだったが、余裕ぶった台詞になってしまった。言ってから、テッドは自分が言葉の選択についてセンスがないことを自覚してしまう。

「何か言い方がむかつく。テッドは頭良くていいわよね」

「ごめん、言い方が・・・」

 そう言ったテッドの様子を見て、メアリは口を手で軽く抑えて、面白そうに笑っている。テッドが珍しく、情けなくしている様子が可笑しかったようだ。


「そんな情けない顔しなくてもいいじゃない。わかった、わかった。じゃあ、勉強教えて。そこまで自信があるんだから、絶対合格させて貰うからね」

「あ、うん」

 メアリは笑い過ぎて、目に少しだけ涙を浮かべている。その涙は、情けない気持ちになっていた、テッドの心を潤してくれるものだった。


「じゃあ、またね」

 メアリの家の前で彼女と別れ、テッドは一人きりになる。一人きりになると、自然と考え事をしてしまう。メアリの最後に笑っていた顔を思い出すと、なぜか自然と満たされる気分になる。


 クラスメイトが余計なことを言ったせいだと少しだけ思ったが、それだけではない。そのことにテッドは気が付いている。気が付いているが、気が付かない振りをしてきたというのが正確かもしれない。メアリと自分には、他の人には特別な繋がりがある。それは幼馴染というところから始まったが、今はもうそれだけでは収まらないところまで来ている。そんなことに気が付いたのはいつ頃だったか。気が付いたときには、あと一歩踏み出せばと思えるところまで来ていた。


 メアリは、自分の気持ちに気が付いている素振りをときどき見せる。その証拠に今日も帰っている間に、出かける約束と一緒に勉強する約束をするとき、彼女に完全に乗せられてしまった。出かける約束はこれまでに何度かあったが、今日はそれ以上に一緒に勉強する約束、同じ大学校に行きたいという夢まで聞かされた。そして、それをテッドは自ら後押しすると言ってしまった。自分も彼女との関係性に進展を求めていたのか。言った瞬間にテッド本人が驚いた。これから先、二人の関係性はどんどん変わることになる。そう思うと、気分が楽しくなり、視線が上を向いてしまう。視線の先にはやはり、一面に広がる壁が存在する。


「お前はどうして僕らの世界を覆っているの?」

 周りに誰もおらず、テッドにしか聞こえないが、それでも口に出して聞いてみたい。テッドは自分の頭上に広がる壁の存在があまり好きではない。嬉しい気持ちがあっても、空の壁を見ると、その気持ちに蓋をされた気分になってしまう。


 なぜ、こんな陰気なものが自分たちの世界には存在するのか。テッドはいつも通りにそんな気持ちで頭上の壁に視線を注ぐ。しばらく見た後、視線を落として、家路に向かう。メアリとの約束を果たすため、家に帰り、大学校の文化祭の情報を集めよう。

億劫な頭上の壁をずっと見ていても仕方がないので、未来に広がっている希望に目を向けることにしようと思った。メアリの家から歩いて、すぐのところにテッドの家もある。彼女の家とテッドの家の距離はほとんどない。テッドの家の窓からメアリの家を見ることもできる。


 それなのに、頭上に広がる壁は手が届かない程、遠くにあり、ずっと頭上を塞いている。メアリとの関係が変わりつつも、変わらずに佇んでいる頭上の壁の存在を今は考えないようにしよう。そう考えて、テッドは自分の家にようやく足を向けた。

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