第1話

「また怒られてたでしょ?」


 歴史の授業が終わるなり、テッドの席にやってきたのは、幼馴染のメアリだ。テッドは小さい頃からよく知っている。家が隣同士なので、これまでの人生をほとんど一緒に過ごしてきたと言っても過言ではない。テッドには兄がいるが、一緒にいる時間だけを考えると、それ以上に長い付き合いになる。そういった関係なので、彼女のことで知らないことの方が少ないとテッドは日頃から思っている。そんな彼女はテッドと同じクラスにいるため、当然のように授業中の先生とのやり取り、彼の授業中の態度について、一部始終を見ていた。その様子からして、少しご立腹のようだ。


「何?」テッドは、またかと言ったような表情を作る。

「何?じゃなくて、いい加減にどうにかならない?おばさんからは、テッドの面倒よろしくねって、言われているんだから。ちゃんとしてもらわないと困るんだけど?」

「母さんの言うことは放っておけばいいよ。僕は僕だし。メアリはメアリでしょ?」

 いつもそう言って、メアリからの尋問を逃れようとするが、基本的に逃げれたことはない。余計な追及の手を招いてしまうだけなのに、何回繰り返しても学習できていないと、テッドは言った後に後悔した。メアリの顔がすごい剣幕になっている。


「何回言わせるの!全然知らない関係じゃないんだから、そういう訳に行かないの!いい加減わかりなさい!本当に放っておくわよ!」

 彼女が怒って、怒鳴り声をあげる。今日の彼女の機嫌の悪さは普段よりはるかにすごかった。普段は抑えめに諭すように言うだけだったのが、今日は大きな声でテッドに詰め寄っている。その様子はテッドとメアリのやり取りに慣れていたクラスメイトを驚かせ、クラス中の注目の的にあっと言う間になってしまった。テッドはいつもと違う剣幕にすっかり気圧されて、目を白黒させている。


「メアリ、落ち着いて。他の人が見てる」

 テッドに言われ、彼女は我に返り、教室中を見渡すと、自分がクラスメイトの注目を一身に受けていることに気が付く。中にはまたかと言った、呆れた顔をして、二人のやりとりをいつも面白がっている連中の顔もある。


「す、すみません」

 そう言って小さく謝りながら、誰も座っていなかったテッドの隣の席に静かに腰を下ろす。しばらく下を向いていたが、テッドが何か声をかけようとしたところで、再び非難の目をテッドに向ける。


「テッドのせいだからね。ちゃんとしてくれないから」

「ご、ごめん」

 メアリが怒鳴り声をあげて、クラス中の注目を集めたこと、自分の授業中の態度は関係ない気がしたが、彼女の気迫に負けて、テッドは謝る。冷静に考えれば、彼女が言う通り、自分がきちんと授業中の態度を改めれば、メアリから怒鳴られることもなく、彼女がクラス中の注目を集めることも無かっただろう。その点も含めて、改めてテッドは謝罪の言葉を口にした。


「本当にごめん。いつも迷惑かけて、すみません」

 テッドが必死に謝っている様子を見て、メアリは少しだけ申し訳なさそうな表情をする。

「別にそこまで謝らなくていいわよ。それよりさっきの態度は絶対良くないからね。何が、僕は僕だし、よ。まったく、いつからそんなに偉くなったのよ。確かに成績は良いけど、そんな態度じゃ、それはそれで将来が不安だわ」


 いつもにまして、彼女のテッドに対する評価が厳しい。最初はそこまで言うつもりは無かったのかもしれない。しかし、テッドのあまりの他人行儀の発言に相当苛立った。少なくとも彼女としては、血は繋がっていないが、これまでの人生をずっと一緒にいたテッドのことを誰よりも理解しているつもりだ。テッドの自惚れかもしれないが、一緒に遊んだり、同じ学校に通ったり、交流を重ねてきた期間の長さを考えても、そう思っても仕方がないと思える程の時間を一緒に過ごしてきた。そんな彼から聞かされた言葉は、メアリには到底容認できない言葉に聞こえたのではないか。


「ごめん、さっきの言葉は本当になしにさせて。お願いします」

「じゃあ、二度と言わないと約束してくれる?神様に誓う?」

「はい、神に誓って」

 彼女の言葉に乗せられるまま言ってしまった。人生で初めて、「神に誓って」という言葉を口にして、テッドは違和感を覚えてしまったが、そのことを口にすると、またメアリに怒られそうな気がしたので、黙っていることにした。


「歴史の授業はちゃんと聞いておかないと、進級にすごく響くんだよ。それくらいわかるでしょ?」

「わかってる。だから、一生懸命に受けようとするんだけど、すぐに退屈になるんだよね。メアリは思わない?あの授業の意味が本当にあるのかって」

 そう言われ、メアリは一瞬言葉に詰まった。彼女の自身も歴史の授業に懐疑的になっているのは確かなのだ。ただ学業を優先するため、そんな疑問があっても、一時の気の迷い程度にしか思っていない。だから、テッドの純粋な問いかけにすぐに答えられなかった。


「思うけど、進級に必要な科目なんだから、仕方ないじゃない。何よ。あたしにまで不真面目になれって言うの?」


 先程怒鳴られたときほどではないが、彼女は不機嫌な表情を見せる。それを見て、テッドは咄嗟に先程と同じように、冷静に彼女を諭した。

「違う違う。僕は単純に思ったことを口にしただけで、メアリに僕と同じようにしろとは言ってないよ。次からは本当にちゃんと真面目に僕も授業を受けるから」

「本当に?」メアリが訝しげな表情を見せる。

「本当に」テッドはたじろぎながら答える。

 今日のメアリはいつもより感情的になりやすいとテッドは思った。日頃の自分の行いがよっぽど悪かったのか、きっとそのせいに違いないとテッドは心の中で反省した。


「明日から改めるから。許して」

「わかった。許してあげる。だけど、ちゃんと私は見張ってるからね」

「うん、わかったよ」

 彼女の真っ直ぐなところは、彼女の良いところだと思っている。自分がどうしても世の中に対して、曲がった見方をしやすいのに、彼女はそれをそのまま受け止めようとする。テッドからしたら、危なかっしいところであるが、自分が傍にいる間はその点を補助してあげればいいと思っている。いつまで一緒にいるかわからないけど、少なくとも目が届くところに彼女がいる限り、テッドはそうしようと思っている。


「何をじろじろと見てるの?何かやましいことでも考えているんじゃない?」

「考えてないよ。メアリはやっぱりいい子だなと思っただけ」

 その一言にメアリは目を丸くして、そのままテッドの方をじっと見ていた。その様子をテッドは不思議な表情で見返す。

「どうかした?」

「どうかした、じゃないわよ。テッド、真面目に言ってる?」

「言ってるよ。前からずっと思ってた。メアリの真っ直ぐな性格は、僕、とっても好きだよ」

 好きと言う言葉に反応して、メアリは固まってしまう。そのまま顔を徐々に赤くした。


「どうかした?」何気なく言ったことに固まるメアリを見かねて、テッドが話しかける。メアリはどう反応していいかわからず、テッドに向かって再び大声で言った。

「急に変なこと言わないでよ!バカ!」

 2回目の大きな怒鳴り声は再びクラスメイトの注目を集めることになった。

怒鳴り声をあげた後、メアリは自分の席に戻っていった。いつもより大きな歩幅で歩いていく様子を見ると、彼女を相当怒らせてしまったとテッドは思った。後で機嫌を直してもらわないといけないなと反省する。

 メアリが去った後、再び窓から頭上の壁を見上げる。そこには視線の端から端を使っても、目に収めることができない、大きな大きな壁が一面に存在している。

「あそこに何で壁があるんだろ」

 テッドはその疑問を小さい頃からずっと持っている。何歳か忘れたけど、小さな頃に読んだ童話の本では、頭上には空というものが登場する。昼には頭上一面の景色が綺麗な青色に染められ、夜になると黒色になる。黒の中には点々とした、小さな光を灯して、鮮やかな景色が彩られる。その一つ一つの光は、星と呼ばれ、自分たちが住んでいる世界もそう言った、星の営みの中の一つなのだと書かれていた。


 しかし、テッドが生きている世界には空は存在しない。存在するのは、頭上一面に広がる壁が存在する。そして、あの壁の存在について、誰も詳しく知らない。ただ、壁の向こう側に天国が存在している、そんな話だけが存在している。天国の話が生まれた理由を知らないが、生まれたときから当然のようにそう教えられた。しかし、なぜ空に壁があるのかが不思議だ。壁というと地面と垂直に立っているものだと思っていたが、その話を聞いてから、不思議な感覚で囚われている。あの壁が何なのか。


 テッドが考えごとをしている間に、クラスメイトの友人が先程のメアリとのやりとりを面白がって、話しかけてきた。

「テッド、またメアリと痴話喧嘩か?」

「僕らはそんな関係じゃないよ。確かに付き合いは長いけど」

「仲良いよな、お前ら。本当に付き合ってないの?」

「付き合ってないよ。メアリはそんな感情持ってないと思うし」

「そうなの?そうは見えないけどな。長い付き合いってだけであそこまで言うかな?」

「メアリは言うよ。僕が知ってるメアリはそんな感じ」

「他の人にあそこまで言ってるの見たことないよ。テッドこそ、もうちょっと自覚した方がいいんじゃない?」

「自覚?」テッドはクラスメイトから言われた言葉が引っ掛かる。

「まぁ、そこからは自分で考えなよ」


 そう言って、友人は去って行った。言われた言葉の意味をテッドは考える。メアリがテッドにだけ口うるさく、授業中の態度や私生活のことまで言うのは、特別な関係だからだ。その関係性から特別な感情を持っているとも思っている。それがどこまで深いのかを真面目に考えた方がいいのか。テッドは窓から再び頭上一面に広がる壁を見た。あの壁がなぜ存在するのか。それと同じくらいにメアリのことが気になっていた。

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