エルフと禁呪

 開拓村には、国から派遣された技官が六人常駐している。

 兵士が荒事を司るのに対し、彼等技官はそれ以外の全てを司る、縁の下の力持ちだ。

 近隣に都市が無いこの土地で、彼等が担う仕事は多岐に渡る。

 それ故、兵士を含む村の住民からの信頼は厚い。


 そんな技官を束ねるのは、見た目も異彩を放つ人物だ。

 住民のほとんどが茶髪なのに、彼は明るい金の髪を肩までの流さで切り揃え、綺麗に整えている。

 瞳は森の緑にも劣らぬ深緑で、いつも穏やかな表情で住民を安心させてくれる。

 強いて不満を挙げるならば、名前が呼びにくいことくらいだろうか。



 トルメトル・オム・フォーアマン。

 それが彼の名前だ。

 特徴的な髪の色に加え、彼が何者であるかを物語る特徴は、切れ長で尖った耳と、太陽でも焦がせぬ白い肌。


 そう、彼はエルフなのです。



 開拓村は元より、グランティンバー国内には、人の他の人種が少ない。

 グランティンバー国民が排他的なのではない。

 逆に異人種間の相互理解が進んでいて、いたずらに境界を侵さないため、自然な棲み分けが実現されているのだ。


 グランティンバーには国の西部の森林を支配するエルフが一番多く、次に南部ヘルマシエの首都がある山の中に国を構えるドワーフが続く。

 西は険しい山脈とエルフの森が、東は海が侵入者を阻み、南北双方には異人種の出入国が厳しく制限される国に挟まれていることで、エルフとドワーフの他の異人種の姿を見る機会が無いに等しいくらい乏しい。


 そうした背景もあり、開拓村の異人種といえばトルメトルを含む三人のエルフくらいのものだった。




 そう、新たな異人種、オーガが表れるまでは。


 異常な襲撃と共に現れ、異常な戦い方で異常なほど仕事を増やしてくれたそのオーガは、オーガとしても異常で、四百年以上生きた長命なトルメトルの比較的柔軟なはずの常識を、たった四日で粉々に砕いてしまった。

 トルメトルの決して短くはない人生の中で、そのオーガのような異常な強さを持つ存在は両手で数えられるほどしか知らなかったが、異常さだけで言えば群を抜いていた。



 ある日の夜、城砦建築計画の修正を余儀なくされた彼は、その相談で開拓村の総指揮を任じられているアデリー・サロフェットの執務室を訪ねた時、先にその場でアデリーと共にいた異常なオーガ、イエンに、意図せず疑問をぶつけてしまった。



「あなたの異常な強さの秘密はなんなんですか?」



 トルメトルは、唐突に発した自分の言葉が無礼であると気付き、恥じ入り、慌てて撤回しようとした。

 それを軽く制しながら、彼のオーガは静かに、悲しそうに、言葉を紡ぎだした。



「ぼくが本当に強いのなら、誰一人として死なせずに済んだと思うんですよ」



 なんと青臭い幼稚な理想だろうかと、トルメトルはその時思い、怒りを覚えた。



「こことは違う世界で、星の数ほどの戦場に立ち、数え切れない数の修羅場で生き長らえ、覚えきれないほどの他人を殺してきました。

 トルメトルさんが言った強さが、上手く人を殺したり、壊したりする力であるなら、確かにぼくにはそれがあり、今でも成長し続けています」



 ハッキリと断言する彼の目には青臭さなど微塵も感じられず、見え隠れする悔恨の情の深さに恐怖し、その部屋にいる者の背に冷や汗が滲む。



「ぼくが自分の未熟さを痛感させられ、強く心を打たれた強さは、この村で出会った誰よりも弱いものだと思います。

 トルメトルさんには教えを請いたい強さがたくさんありますので、どうかご指導よろしくお願いします」



 トルメトルは、力なく笑い、しかし俯向くことなく、握手を求める彼の手を拒める気がしなかった。

 求めた答えは言葉として表されることはなかったが、期待以上の答えを得られたと感じていた。



「こちらこそ。私の無礼な問いに真摯にお応えいただき、ありがとうございました」



 気付けば、怒りも恐怖も消えていた。

 本当に異常なオーガだと、トルメトルが認識を新たにした出来事であった。




―――




「まさか鉄仮面トルメトルの表情がコロコロ変わるのを拝める日が来るとはなぁ。地震でも起こるんじゃねーか?」


「そうですね、アデリー隊長には地震が起こせる量の書類が届くと思いますよ」


「おふう……お、お手柔らかにお願いします……っ!」



 涼しい切り返しに渾身の土下座を繰り出すアデリーの姿に、堪え切れずに笑ってしまった。

 エルフこええ。

 これが年の功か。


 ぼく?

 生きてる年数が多いだけです。



「ダニエル卿拿捕に際し、輸送物資も押さえられたのは幸いでした。陣地構築用資材、糧食が豊富に入手できましたので、捕虜の収容と食事には困らないでしょう」


「捕虜の問題が減るのは助かるな」



 ぼくが転移した初日と今日の戦闘で、捕虜の人数は村の総人口を超えてしまった。

 特に今回の戦闘で拿捕した捕虜の人数が問題で、生存者七十余名、そのほとんどが貴族関係者ということで、対応する設備も人手も足りないんじゃないかと心配している。



「しかし」



 本命が来るぞ。



「捕虜の管理に必要な人員が全く足りない状況でして、武官を不眠不休で働かせてもまだ足りません。

 武官の護衛がなければ作業員の通常任務も行えませんので、城砦建築の計画は止まってしまうことになります」



 言い終えるや否や、トルメトルは手に持っていた紙の束をアデリーに突き付け、ニッコリと微笑んだ。



「王都への状況報告書と城砦建築計画変更の陳情書の作成、明後日の朝までにお願いします」



 紙の束を受け取ったアデリーは、真っ白に燃え尽きているように見えたのだった。




「では、私はこれにて」



 そう言って部屋を出ようとするトルメトルさんを、ぼくは慌てて呼び止める。



「急ぎで教えて欲しいことがありまして。誓約の紋みたいな魔術、知りませんか?」


「……私の執務室で詳しく伺いましょう」

 



 案内されて入った部屋は、壁一面に本棚と薬品棚が配置された、執務室と呼ぶよりは研究室と呼んだ方が納得の行く内装だった。

 部屋に漂うのも薬草の香り。



「最近は薬草学にハマってまして。ご気分害されるようでしたら別の部屋を用意しますが、如何しましょう?」



 問題無いと伝えると椅子を勧められるが、椅子のデザインがまた趣味がよろしい。

 華美ではないが品がある。

 思わず書棚にも目が向く。



「うは……レリーフ調に術式が刻まれとる……耐物、耐魔、耐火……こっちは劣化遅延?」


「よく分かりますね」


「見極めないと危険な相手がたくさんいましたからね……しかし素晴らしい。デザインと機能を兼ね備えて芸術品の域に昇華してある」


「友人に腕の立つ木工職人がいましてね。試作品だと言って押し付けられるんです。いつもタイミング良く」



 トルメトルさんは苦笑いして紅茶を淹れながら教えてくれる。



「陶器も焼ける木工職人ですか」


「なぜそう思います?」


「字の癖が」


「……なるほど」



 今度は嬉しそうだなぁ。

 仲良いんだろな。



「失礼しました。本題に入りましょう」



 座り心地を確かめるように椅子に腰を下ろし、話を切り出した。


 誓約の紋自体には興味があるので、いつか調べようと思ってたのは間違いない。

 急いで切り出したのには理由がある。


 保留にしてしまっているサリィとの約束、彼女の弟を救出する目的を果たすために、可能な限りの保険をかけておきたいというのが本旨になる。


 サリィの以前の持ち主・・・、名をガバンディ・エスク・ログウォールというヘルマシエ国の伯爵だが、その伯爵との接触は不可避だと予想している。

 しかし、サリィの弟の生死を確認するにも、救出するにも、最悪ガバンディを殺すにしても、サリィだけではどうしても心許ない。

 その為、内部で手引きしてくれる人物を他に確保しようと思い、開拓村襲撃の指揮官だった人物に狙いを定めた。



 ここで問題になりそうなのが、最初から依頼を断られることと、途中で依頼を放棄されサリィを殺された上で逃亡されること。

 それらの問題をある程度解決してくれそうな手段として誓約の紋に目を付け、本当にたまたまタイミングよくそれを知ってそうな人物と鉢合わせることができたので、お願いしてみたわけだ。



 魔術の原理が分かれば、召喚魔法の技術で応用が効くとは思う。

 しかし、実験に時間を割こうにも、襲撃から既に四日経過しているという事実が、ぼくを焦らせている。


 サリィの弟は、可能ならば助けたいんだ。

 時間が経過すればする程に、ガバンディにとってのサリィの弟の価値は無くなっていくと思っている。

 その推測が正しければ、現時点で既に絶望的なのだとも理解している。



「それでも、やれるだけやらないと、顔向けができんのです」


「なるほど。事情は分かりました」



 トルメトルさんは表情を変えずに紅茶に口を付け、カップを置いてから、テーブル上で視線を止めて黙ってしまった。



「あの魔術は使える者が少ないという話はご存知ですか?」



 探るような問いが発せられるが、表情から真意は読み取れそうにない。

 素直に答えてもいいんだろうけど、飛ばせる話は飛ばしておきたい。



「ヘルマシエの魔術士に刻まれていた誓約の紋、解いたのぼくなんですよ」



 トルメトルさんの眉がぴくりと動く。

 鉄仮面破れたり?



「ほう……。では、あの魔術がエルフからもたらされたという話は?」


「誰かに聞いた気がしますね」


「分かりました」



 トルメトルさんは表情を緩め、紅茶を口にして、一息に飲み干す。



「どうぞ、冷めない内にお召し上がりください」


「あ、いただきます」



 美形の笑顔は同性にも効果が出るんだな。

 促されるまま紅茶を口にして、冷めかけていたので飲み干した。



「あの魔術は、古代魔術に分類されるエルフの禁呪です」



 二杯目を二人のカップに注ぎながら、説明が始まった。




 誓約の紋と呼ばれている魔法を含むエルフの禁呪は、特定の用途でのみ使用が許可される儀式魔法だそうな。


 この世界では儀式魔法のことを魔術と呼び、儀式魔法を使える魔法使いの呼称が魔術士となる。

 儀式魔法の他の魔法が一切使えなくてもそれさえ使えれば魔術士と呼び、逆に儀式魔法が使えなければどんなに高度な魔法を使いこなせても魔術士とは名乗れず、呼ばれない。

 儀式魔法は賦与魔法にも通じる魔法なので、魔法が使えない人々にも恩恵をもたらすことから、魔術士の社会的地位は高いものになる。


 ぼくはなんとなくサリィのことを魔術士と呼んでいたけれど、後で儀式魔法が使えるのか確認しておこう。




 禁呪とされるそんな魔術の使用が許可されるのはどういう場合なのか?


 重大なルール違反を犯した者に制裁を行う場合だそうな。

 誓約の紋という呼称は、人の社会に技術が漏れ出た後、完全に禁じるより制限を課してそういう魔術だと思い込んでもらおうとの意図で、魔術の漏洩者の動きを封じつつ、先んじて普及させた時に定着したものらしい。

 トルメトルさん自身が禁呪の執行官の役目を担って人の社会に送り出されたエルフの一人だそうで、人の社会で禁呪が乱用されていないか監視し、必要に応じて取り締まり、エルフの里からの要請を受けて逃亡エルフに禁呪を執行したりもしているんだとか。


 誓約の紋を含むエルフの禁呪は、その役割から推察できるように、対象の同意を得なくても強制的に制約と罰則を課すことのできる魔術なのだという。

 悪用されやすいその性質から、修得には厳しい選考を経た後、口頭で行われる。

 その際、修得者には必ず禁呪による制約が魂に刻まれ、禁忌に触れれば死ぬように、情報漏洩対策も徹底して行われる。


 禁忌の内容は年を追うごとに増え続けているらしいが、悪いことを考える者とのイタチごっこはどんなところでも起こるものだと、感心すらしてしまう。




 説明を聞き終えると、そのまま禁呪の技術的な話……聞けば使えるので、事実上の継承だけど……が始まって、修得できました。



「お願いしといてこんなこと訊くのもなんですが、良かったんですか?」



 ぼくがそう言うと、鉄仮面が一瞬固まり、爆笑し始めた。



「良くないんだったら私死んでますよ」



 ヒーヒー言いながら爆笑してらっしゃる。

 ツボが分からん。

 いや確かにそうなんだけどさ?

 スムーズ過ぎると警戒するじゃない?



「真面目な話をしますと、人社会での乱用が確認できてしまったので、協力していただきたいのです」



 呼吸を整え、新しく淹れた紅茶を口にして、トルメトルさんが告げる。



「ヘルマシエにも私と同じ任を負った者が派遣されているはずですが、今回発覚した問題に全く関係がないとは思えません。可能な限り生け捕りにして、連れてきてください」


「承知しました」


「私は森に報告し、援助を願い出てみます。上手くいけば何らかの便宜を期待できるでしょう」



 頷き合い、席を立って部屋から出ようとする背中に、声が届く。



「というのは後でできたお願いでしてね」



 振り返ると、ニヤリと笑うトルメトルさん。



「恩を売っておけば、いつか立ち寄って面白い話を聞かせてくれると思いましてね」


「その時は、美味い酒でも飲みながら」


「楽しみにしています」




 美形の笑顔は眩しいわ。

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