5 亀裂

 午後5時、ユキはリビングのソファーに座りテレビのチャンネルを回していた。

 ユキは中国に向かった二人のことが心配でならなかった。ヤツカが言うには、人類に危機が迫っているらしい。もしかしたらテレビで何らかの報道がなされるかもしれない。そう思ってテレビのチャンネルを回していたのだが、テレビはいつもどおりの、のんきで平和な日常を映し出していた。

 玄関から物音が聞こえてきた。ユキは神経を研ぎ澄ませた。あれ以来、かなり敏感になっている。

 ガチャリと鍵の壊れたドアを開ける音が聞こえ、中に人が入ってきた。ユキは手元に置いてあった、中学の修学旅行で買った木刀を握りしめ、玄関の方に忍び足で近づいた。

「おおっ!?」

 木刀を構えて突然現れたユキの姿を見て、家に入ってきた男は驚きの声を上げた。

「もう、お父さん!びっくりさせないでよ。入ってくる時は声くらいかけて」

「ああ、スマン。悪かった……」

 彼はユキの父、犬張誠一(いぬはりせいいち)である。民俗学者であり、大学で教鞭をとっている。ユキの母は幼い頃に他界し、誠一は男手一つでユキを育てた。

 ユキは誠一に事情を話した。ユキは、自分の話を信じてくれないのではないかと不安に思っていたが、誠一は以外にもすんなりと信じてくれた。なんと誠一は、すでに月人の存在を知っていたのだ。そしてどうやらヤツカの存在も知っていたようだ。なぜ話してくれなかったのかと問うと、それは知らない方が安全だからだと答えた。誠一は、ユキよりも遥かに事態を把握しているようだった。

「で、お父さん――どうだった?」

 ユキは木刀を下ろして誠一に尋ねた。

「駄目だった。警察も末端の人には詳しいことは伝わっていないみたいだった。警察は完全に米空軍の支配下にあるらしい」

 誠一は険しい表情で答えた。

 誠一は警察署に、米空軍を名乗る人間が無理やり自宅に侵入したことを伝えに行ったのだった。警察の人も戸惑っていた。突然、上から米空軍にはできるだけ協力するようにと伝えられたとの事だった。また、ハヤトの顔写真が渡され、彼の身に危険が迫っているから、見つけ次第保護するようにとも伝えられていた。

「とにかく今はヤツカとハヤトが帰ってくることを祈ろう」

 誠一はユキに語りかけた。ユキは頷いたが、その顔は不安そうだった。

 誠一がそんなユキを元気づけようとした時だった。

 突然、ズン、という重い衝撃が家を揺らしたかと思うと、二階からバタバタと大きな物音が聞こえてきた。叫び声と暴れまわる音、そして物が倒れる音が交じり合っている。

 誠一は急いで二階に向かい、ユキも木刀を握りしめたまま、その後をついていった。

「ハヤト!押さえろ、押さえろ!」

「危ない!こっちだ!こっちを持て!」

 ユキの部屋から男たちの鬼気迫った声が聞こえてくる。

 誠一が扉を開けると、ユキの部屋ではヤツカとハヤトが、何かを体で押さえ込んでいた。それは、なんと洗濯機くらいの大きさのでかい蛇の頭だった。その蛇の頭にヤツカとハヤトが乗っかり、体全体で押さえ込んでいる。蛇は生きているようで、口を開けようと必死に抵抗している。

 部屋の奥では、京介が自分の足を押さえて倒れ込んでいた。

「な、何だこれは!?」

 誠一とユキは驚いてその場に立ちすくんだ。

 蛇は頭だけなのに、激しく暴れている。これに力負けしたハヤトが思わず蛇の頭から離れてしまった。

 蛇の頭が大きく開き、ハヤトの体に噛みつこうとした。

「ヤァ!」

 ユキがとっさに前に出て、渾身の力で木刀を蛇の頭に振り下ろした。

 鈍い音が響き、蛇が猛禽類の断末魔のような身の毛のよだつ悲鳴を短く上げた後、ピタリと動きを止めた。

 その後、蛇の頭は次第に風船がしぼむように小さくなっていき、最後には指先ほどの鉄細工のようになった。

 ヤツカとハヤトは肩で大きく息をし、その場にぺたりと座り込んだ。

「だ、大丈夫か?」

 誠一は足を押さえて倒れ込んでいる京介に駆け寄った。

「――誠一か?なんでここに?」

 誠一は額に脂汗を浮かべ、顔をしかめながら尋ねた。

「ここは俺の家だよ。それより足は?」

「奴に噛まれた。もしかしたら折れているかもしれない」

 ユキは木刀をその場に落とし、ハヤトとヤツカの元に駆け寄って、二人の肩に手を当てた。

「大丈夫!?」

 二人は声を出さずに頷いた。ユキは二人の肩に手を触れて分かったのだが、二人の体は妙に熱っぽい気がした。そしてよく見ると、体中からじんわりと湯気のようなものが立ち上っている。

「ユキ、助かったよ。まさかあの木刀が役に立つ来る時が来るとは思わなかった。馬鹿にして悪かったよ」

 ハヤトが肩で息をしながら言った。

 ユキが空間転移コードの書かれてあった壁を見ると、その壁は焼け焦げたように変化しており、図形は滲んで消えていた。

「今のは?」

 ユキは床に転がっている小さくなった蛇の頭を見て尋ねた。

「龍だ。きっと『龍の首の玉』だ。こんなもの初めて見たよ。きっと人工生物なんだろうが、今の月では研究自体が禁止されている。まさかこんな物まで造っていたなんて――」

 ヤツカが肩で息をしながら答えた。そして思い出したように振り返り、床に転がっている鉢を拾い上げた。

「それが『仏の御石の鉢』?」

 ユキが尋ねるとヤツカは頷いた。


   * * *


 ハヤト、ヤツカ、京介、ユキ、誠一の五人は、一階のリビングに集まった。

 京介の足は、動かすとかなり痛むらしい。ユキは病院に行ったほうがいいと提案したが、病院に行けば空軍が嗅ぎつけるだろう。京介は仕方なく我慢するしかなかった。京介はソファーに座り込み、用意してもらった氷嚢を足に当てていた。

 テーブルには『仏の御石の鉢』が置かれ、異様な存在感を放っていた。その横には、小さくなった龍の頭を収めたガラス瓶が置かれていた。

 京介とヤツカは誠一に事情を話した。誠一が月人の存在を知っていたことはハヤトにとっても驚きだった。考えてみれば京介と誠一は古い友人なので、知っているのも当然かもしれなかった。

 ハヤトは、自分だけが事情を知らなかったという事実に、疎外感を覚えると同時に、もやもやとした不満が湧き始めていた。

 なぜ自分だけに隠されていたのだろうか。

 そもそもハヤトはまだこの状況を、そして自分たち家族のことを完全に理解できていたわけではなかったので、聞きたいことは山ほどあったのだが聞けずにいた。それは、めまぐるしく進む事態に翻弄され、聞くべきタイミングを掴めなかったからというのもあるが、数々の信じられない出来事を経験し、もはやそのような個人的な質問を挟めるような状況ではないことが分かったからだった。

 そんなハヤトの気持ちも知らず、三人は会話を進める。

「この鉢はつまり、地球人を、そして恐らく月人も催眠状態に陥らせることができる。そして、その方法は分からないが、催眠状態にしたからには恐らく自由に操ることができる。それで、この鉢を使って彼らは一体何を企んでいるんだろう?」

 誠一の問いにヤツカが答える。

「パイドロスの狙いは地球の征服と地球人の支配だ。その目的のために使うだろう」

「つまり?」

「月人は福音によって地球人への侵略を許されていないが、危害を加えられた時のみ正当防衛としての反撃が認められている。あくまで予想だが、鉢を使って地球と月の全面戦争を起こそうとしているんじゃないだろうか」

 皆が息を呑んだ。

「しかし、規模は極めて小さいんだろう?とてもそんなことができるとは思えない」と、誠一。

「何も地球人全員に対して使用する必要はない。権力を握った数人に対して使用すればいいんじゃないか?」

「確かにそうだが……」

 三人は黙りこんで鉢を見つめた。

「とにかく、奴らが鉢を悪用することは分かっている。彼らには渡せない。それでヤツカ。これからどうするつもりだ?」

 京介が尋ねる。

「とりあえず本部に連絡を取りたい――しかし、宇宙船は壊されたし、通信機も使えない。どうにか連絡をとることが出来ればいいんだが……」

 京介は眉間に皺を寄せ、腕を組み考え込んでいたが、突如、何かを思い出したように顔を上げた。

「通信機か――それならアンティゴネが使っていた通信機がうちに隠してあるんだが……」

 アンティゴネ――ハヤトが聞いたことのない名だった。ヤツカは驚いた顔をした。

「本当に?母さんのが?」

 ――ハヤトはついにその言葉を聞いて頭に電撃が走った。今まで聞きたくても聞けずにいた、胸にまるで何かつっかえて、出てこなかったその言葉。ハヤトは思い切って口を開いた。

「待ってくれ――母さんだって?――母さんは一体何者なんだ?」

 京介とヤツカは顔を見合わせた。それは、何かお互いの意志を感じ取るような雰囲気であった。ハヤトの方を向き、口を切ったのはヤツカであった。

「ハヤト、すまない。話す時間がなくて。俺達の母さん、月人のアンティゴネについて」

 ハヤトはこの時に初めて自分の母親の名前を知った。

 ハヤトが母について知っていることは、自分が生まれてすぐ離婚してどこかに去ったということだけだった。幼い時に京介からそれを聞かされたハヤトは、大いにショックを受けた。自分は母親に捨てられたのだと――。

 ハヤトは失望し、母のことを知ろうとも思わなかった。母親は自分のことに興味を示さずに捨てたのだから、自分も興味を示さない。ハヤトなりのささやかな仕返しだった。

 ハヤトは、そんな母に比べたら、自分を引き取ってくれた父はまだましなように思えた――例えほったらかしされていてもだ。

 そして今、母についての真実を知ろうとしている。ハヤトは心臓の鼓動が高鳴り、手が震えるのを感じた。

 京介は遠い記憶に思いを馳せるように中空を見つめた後、ゆっくりと話し始めた。

「アンティゴネと出会ったのは、俺が28歳の頃だった。当時、俺は竹取物語の伝説について調べ上げ、それが歴史的史実であることを確信していた。また、世界の伝承と歴史を照らし合わせてみて、地球人以外の超文明を持った知的生命体が存在することも確信していた。そして、それを実証するために、竹取物語に出てくる五つの宝――五宝を探索するチームを、大学時代からの友人だった誠一と共に発足した。資金援助者を得ることは絶望的だったが、例え存在しなくても、自腹を切ってでも見つけてやると息巻いていた。だが、驚くべきことにアメリカ空軍研究所が真っ先に手を挙げてくれた。不審に思ったが、彼らの力は絶大だった。すぐに他の研究機関、大学の支援も斡旋してくれた。俺達は、強力なスポンサーを得て、五宝の捜索を開始した。

 そんな中、俺達のチームに一人の女性が加わる。アンティゴネだ。彼女は大学で考古学を学んだ生徒だと言った。彼女の知識は豊富で頭も良かった。だが……」

 京介は言葉を詰まらせた。その様子を見たヤツカが代わりに続ける。

「母さんはパイドロスが送り込んだスパイだったんだ。前にも言ったようにパイドロスは地球の侵略を企んでいる。その頃から、恐るべき力を持つと言われる五宝に興味を示していて、それを手に入れようと企んでいた。そこで五宝を調査し始めた父さんの元に母さんを送り込んだんだ」

「五宝の発掘調査は難航した。世界中を飛び回って調査を続けたが何も見つからなかった。最初は多かった仲間も次第に離れ始める。だが俺達は諦めなかった。必ず存在すると励まし合って幾多の苦難を乗り越えた。お互いの絆が深まるのは必然だった――俺とアンティゴネはいつしか惹かれ合うようになる。恋に落ちたんだ。そして、お前たち二人が産まれた」

 京介はヤツカとハヤトを交互に見た。

「だが、アンティゴネに子供が産まれたことが、パイドロスに伝わる。パイドロスはアンティゴネが地球人に情が移って自分たちを裏切ったと思ったんだ。そしてお前たち子供まで奪おうとした。

 俺はそのことをアンティゴネから聞いて、その時初めて月人の存在を知り、自分の考えていたことが間違いではなかったことを悟った。同時に、彼女が月人であり、自分を騙していたことも」

 京介は顔を曇らせ、複雑な表情を浮かべた。

「彼女はとにかく謝った。そしてお前たちをなんとか地球に残してくれと必死で頼んだ。理由を聞くと、月では月人と地球人の混血は迫害の対象となるからということだった。そしてあっという間に俺の前から姿を消した。俺は彼女を怒る暇もなかったよ。俺はお前たちをなんとか隠そうと努力したが、ヤツカは見つかって連れ去られてしまう。しかし、幸いなことに――ああ、すまない。ヤツカの前でこんな言い方は悪いな――彼らはお前たちが双子だということを知らなかった。俺はなんとかハヤトを隠し、地球に留まらせた」

 続けてヤツカが喋る。

「月に行った俺は広域捜査局の機動捜査官に保護された。幸福なことに彼はとてもいい人で俺をしっかりと育て上げてくれた。俺にとってのもう一人の父さんだ。そして俺は彼と同じ道、広域捜査局の捜査官になる道を選んだんだ」

 ここで二人は話を区切った。ハヤトは二人が続きを話し始めるのを待っていたが、一向に口を開かない。

 ハヤトは唾を飲み込んで、一番訊きたかったことを尋ねた。

「……それで、母さんは?」

 二人は黙りこみ、重苦しい沈黙が流れる。京介は眉をひそめ、目をつむっている。誠一も沈んだ顔で床を見つめている。その様子を見てハヤトは嫌な予感がした――いや、実はその前から直感的に何となく分かっていた。

 そしてその予感は的中する。

 ヤツカが沈黙を破るようにして口を開いた。

「――殺されたんだ。月に強制連行されてすぐにね――記録によると、母さんが治安維持官に襲いかかったらしい。治安維持官は正当防衛ということで無罪になった」

 ハヤトはこれらの話を聞き終え、自分が以外にも冷静でいることに驚いた。どちらかといえば、この場に同席していたユキの方が動揺していたのである。ユキは、幼馴染の出生の秘密を聞き、ハヤトを心配するように悲痛な表情を浮かべ、彼を見ていた。

「……父さん、なんで今まで教えてくれなかったんだ?」

 ハヤトは自分の内面にふつふつと沸き起こる静かな怒りを、できるだけ声色に乗せないように、冷たい声で尋ねた。

「……お前には地球人として普通に生きて欲しかったんだ。月人のことを知らないほうが幸せになれる」

「例え息子が本当の母さんの姿を知らなくても?実の母親のことを偽られている方が幸せだっていうのかい?」

 ハヤトは思わず感情が高ぶってしまい、声を震わせた。京介はハヤトの顔を見ることができず、手を組み、眉をひそめ、テーブルに目を落として沈黙していた。その様子を見て、誠一が口を開いた。

「ハヤト。京介もお前を守るためだったんだ。月人の存在を知る者は少ないが、確かに存在する。そして、米空軍のように月人の技術を手に入れようと動いている組織も存在する。その組織の中には、技術を悪用しようと企んでいて、過激な行動をとる奴らもいるんだ。月人の存在を教えるわけにはいかない。すべてハヤトの身を守るために隠していたことなんだ――分かってくれないか?」

 ハヤトは口をつぐんだ。確かに父は自分の安全を考えて本当のことを教えてくれなかったのかもしれない。

 しかし、だからといって父の愛情を感じたわけではなかった。なぜなら、父は自分をほったらかして何年も家を開けているのだ。まともな会話なんてした覚えもない。

 母は自分を捨ててなんかいなかった――本当に捨てたのは父親の方だったのだ。分かろうとするほうが無理であった。

 ハヤトは父を全面的に許すことなどできなかった。そればかりか、父に対して憎しみや恨みといった負の感情が生まれてくるのだった。

「ハヤト。俺も父さんの判断は正しかったと思ってるよ……とにかくだ。事態は急を要する。今は母さんの通信機を使って早く本部に連絡をとらなければいけない」

 ヤツカが冷静に話を元に戻した。ハヤトも、自分たちが置かれている状況を思い出し、今は京介を批難している場合ではないと心を落ち着けようとした。

「いや、ちょって待て。確かに通信機はあるんだが……故障したらしく、ずっと使っていなかったものみたいなんだ」

 京介は慌てて補足した。ヤツカは左手で顎をさすり、思案を巡らせているようだった。

「……父さん、その通信機っていうのはどんなの?」

「透明なガラス板のような物だ」

「ヴァロノス型の星間通信機か……ティグリス、母さんの使っていたのは何世代目くらいだろう?」

「12か13だろう」

「それなら修理できるかもしれない……とにかく試してみるしかないな――母さんの通信機はどこに?」

「ハヤトの部屋の押入れの天井裏に置いてある……しかし、家は危険かもしれないな。空軍の奴らが張り込んでいるかもしれない」

 ハヤトは家の前で待ち構えていた空軍のことを思い出した。空軍には既に家の場所が突き止められているのである。家で待ち伏せしている可能性は十分にあるはずだ。

「……行って確かめてみるしかないな。父さんは足を怪我して動けないだろうから、ハヤト、一緒に来てくれ」

 唐突に呼ばれ、ハヤトは少したじろいだが、何にせよヤツカと一緒なら心配ないだろう。ハヤトは素直に頷いた。

「私も行く!」

 ユキが突然口を開いた。

「ユキ、危ないから家にいなさい」

 誠一が諭すような口調で言う。

「お父さん。危ないのはここにいたって同じでしょ?現にさっきもあんな龍が襲ってきたじゃない。それに私はヤツカのそばにいた方が安全だと思うけど」

 ユキが冷静に言葉を並べて反論した。確かに家に残るよりはヤツカの側にいた方が安全かもしれない、ハヤトもそう思った。

「ね?ヤツカ、いいでしょ?」

 ユキがヤツカの方を見て尋ねた。

「あ、ああ。俺は構わないが……」

 ヤツカはそう言いながら誠一に目をやり反応を待った。誠一は鼻から大きな息を漏らした。

「分かったよ。くれぐれも気をつけるんだよ。ヤツカ、ユキを頼む」

 ヤツカは頷いた。


 時刻は19時を回っており、夜の帳が下りて、あたりは既に暗闇に包まれていた。

 今日はスーパームーンである。

 空は雲一つなく、丸く大きな月が東の空に昇っていた。まるで夜空に穴が開いたようにくっきりとした月であり、そのあまりの大きさから、そのまま地球に落ちてきそうな印象さえ受ける。月は眩しく輝き、周りの星の輝きを霞ませるほどだった。

 三人は、空から家の様子を伺うことにした。空を飛ぶと、万が一、人に見られた時に厄介であったが、三人で歩いて向かうのも危険だった。この辺りは人家も少ないし、上空を高く飛べば大丈夫だろうということになった。

 ヤツカは、三人が乗れて安定するものということでリビングに敷かれていた絨毯を使いたいと申し出た。誠一は、もっと固くて安定した物として、リビングに置かれている脚の低いテーブルを使えばいいのではないかと提案したが、それでは折り畳むことができなく持ち運びに不便だとヤツカに却下された。

 また、ここに帰ってくるときは先ほどのように空間転移を使えばいいのではないかと尋ねたが、ヤツカは首を振った。空間転移には莫大なエネルギーを使うらしく、今のリングのバッテリーでは、例えスーパームーンの空の下でも足りないということだった。さらに、空間転移は連続して使用するのは危険らしい。ヤツカは、分子状態がどうのこうのと説明したが、ハヤトにはよく分からなかった。

 鉢は念の為にヤツカが持ち歩くこととなった。

 家の前に出て、ヤツカは前と同じように、絨毯に銀色に光る反重力装置を取り付けた。絨毯はふわりと30センチほどの高さで宙に浮き上がった。最初ほどの驚きはないが、何度見ても不思議な光景である。ヤツカとハヤトはそれに乗り込んだ。

「実はこれ、ちょっと乗ってみたかったんだよね」

 ユキは好奇心に満ちた顔をして絨毯に乗った。ユキは「おぉ」と感嘆の声を漏らし、手をついて足元の感触を確かめていた。

 京介は誠一の肩を借りてわざわざ外まで見送りに来た。

「気をつけろよ」

 京介が三人に声をかける。ハヤトは京介の方を見なかった。

「誠一さん、父を頼みます」

 ヤツカがそんなハヤトを横目で気にしつつ、誠一に言った。誠一は「分かった」と頷いた。

「ユキ、ヤツカに迷惑をかけるなよ」

「誰が?迷惑なんてかけないよ」

 誠一の呼びかけに、ユキは少しむっとした感じで答えた。

 三人を乗せた絨毯はぐんぐんと高度を上げていった。


 京介と誠一は、三人が夜空に吸い込まれ、その姿が見えなくなるまで見つめていた。

「いつの間にかみんな立派になったな」

 誠一がしみじみと口に漏らした。

 誠一はユキとハヤトの成長をずっと見守ってきたはずだったが、今日はなぜか特にそう感じるのであった。

 誠一は横目で京介を見た。京介は黙って空を見つめている。

 誠一も京介と会うのは久しぶりだった。京介は自分と違い、今でも何かに取り憑かれたように五宝を求めて世界中を飛び回っている。

 誠一はあの事件をきっかけに、自分たちが発見しようとしているものがいかに危険なものか自覚し、産まれたユキのためにも手を引いたのだった。

 京介の五宝に対する情熱と行動力はあの頃から変わっていないようだったが、京介の外見は以前よりもやつれたように感じられた。それは、京介の目尻にできた皺が、その雰囲気をより一層強めているのだろう。京介の顔の皺を見たことで、自分もまた、あの頃よりも確実に老いていることを実感した。

「俺がやったことは、果たしてハヤトのためになったんだろうか……」

 だしぬけに京介が独り言のように弱々しく呟いた。誠一は何も答えることが出来なかった。ただ、京介の心情を察し、同情した。


 その時、リビングのテーブルの上に置かれた、龍の頭が入った瓶がカタカタと揺れたことを、二人は知る由もなかった。

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