3 真実

 ユキの家は、ハヤトの家と同じく人家の少ないところに建つ一軒家だ。ユキの家は、西洋風の木造二階建てのしゃれた雰囲気の家である。木目の家の壁の表面には蔦が程よく足を伸ばしている。木々の間に建つこの家は、森の中にひっそりと佇むカフェのような魅力的な雰囲気を放っていた。

 ユキは、自分で作ったチキンカレーを食べ終え、リビングのソファーに寝転び科学雑誌をめくっていた。科学雑誌には、5月22日に開業を迎える東京スカイツリーの特集が組まれている。

 ユキのような年頃の女子高生が、食後に寝転がって科学雑誌をめくっているのは、世間的には違和感のあることかもしれない。しかし、彼女はこの科学雑誌を、女子高生がファッション誌をめくるような軽い感覚で、目を通していく。ユキにとってはそれほど日常的な習慣なのだ。

 ユキがこのように科学雑誌に目を通すことが好きな理由は、職業柄、論理的な考えをする父の影響が大きかったかもしれない。が、今となってはそのきっかけなどユキ自身も忘れてしまった。

 突然、「ガンガン」と家のドアを叩く音が聞こえてきた。

 彼女の家には珍しく呼び鈴が付いておらず、代わりに金属製のドアノックハンドルが付いている。

 父だろうか。

 しかし、父ならいつもの様に鍵を開けて入ってくるだろう。

 壁にかけてある時計は22時を指していた。来訪者にしては遅すぎる。

 ユキは玄関に移動し、明かりを付け、おそるおそる外に尋ねた。

「どなたですか?」

「ユキ!俺だ……夜遅くすまない……なんて言ったらいいか分からないが……ちょっと大変なことになって」

 ハヤトの声がなぜか途切れ途切れに聞こえてきた。

 ユキは、ほっとした反面、少し焦った。こんな時間に突然訪ねてきてどうしたのだろうか。

 ユキは既に家用のラフな服装に着替えている。このまま会うのは少し恥ずかしい気がしたので着替えようかとも思ったが、それはそれで変に意識しているようで恥ずかしかった。

 なに、小さい頃からの付き合いだ、今更恥ずかしがることもない。

 そう自分に言い聞かせたユキは、着ていたくたびれたパーカーの裾をちょっと引っ張り、前髪を手櫛で梳かして、ドアをちょっと開けた。

「何、どうしたの?やっぱりご飯食べたくなった?」

 ドアの間から、制服姿のハヤトが目に入った。肩にはジャックがちょこんと留まっている。

「ああユキ……すまないが……助けてくれ」

 ハヤトは肩で呼吸し、息を切らしながら言った――どうも様子がおかしい。よく見ると額には汗をびっしょりとかいているし、服は土で汚れている。

「どうしたの、走ってきたの?何があったの?」

 ユキは扉を大きく開いて出迎えようとしたが、ハヤトがそれを手で止めた。

「ユキ……何があっても……落ち着いていてくれよ?」

 突拍子もない言葉に、ユキは訝しげな表情を浮かべた。

「おい、危険だから早く中に入ろう」

 その時、ハヤトの横、丁度ドアの陰になっている所からハヤトそっくりの声が聞こえてきた。ハヤトが押さえていた手をドアからどけると、ドアは外から開かれた。

 ユキの目の前には、ハヤトそっくりの人物が立っていた。

 ヤツカは目を丸くして立ちすくむユキに向かって「失礼します」と短く挨拶した後、二人の間を縫って素早く家の中に入っていった。

「いや、驚くのは分かる!俺にもまだ一体何が何だか」

「すごいじゃない!驚いたわ!」

 ユキは驚きに満ちた表情で声を上げた――確かにユキはハヤトの予想通り驚いているようだが、ハヤトの想像した驚き方の種類は異なっている。ハヤトが想像したのは愕然であるが、今のユキは驚喜である。その顔は好奇心に満ちた輝きを放っている。

「いつこんなマジックを?そっくりさん?特殊メイク?――何にせよ瓜二つだわ。何でこれを今日しなかったの!」

「あ、ああ……そう来るとは思わなかったよ。まあそっくりさんではあるんだが……」

 ハヤトは予想外のユキの解釈に気が抜けてしまった。彼女はいつも人とは違う視点で物事を見るのだが、長い付き合いのハヤトでも、その反応を予想することは未だに困難なことがあった。

「ところで彼は一体何を?」

 家の中に上がり込んだヤツカは何かに警戒しているようで、左手をかざしながら部屋の中をうろつき回り、テーブルの下を覗いたり、カーテンをめくったりしている。

「大丈夫だ。奴らはいないみたいだ。盗聴器の類も仕掛けてられていない」

 ヤツカはハヤトに向かって言った。

「あ!というか、あなた土足で上がらないでよ!」

 ユキはヤツカが靴を履いたまま家に上がっていることに気がつき、注意した。ハヤトは、もっと他に注目すべきことがあるだろう、と心の中でユキに突っ込みを入れた。

「ああ、すまない――そうか、ここでは屋内に入るときは履物を脱ぐ習慣があったんだな」

 ヤツカはしゃがんでブーツを脱ぎ始めた。

「変わった人ね。帰国子女か何か?」

「う~ん、もっと変わってる」

 ハヤトは耳打ちしてきたユキに対して、苦笑いを浮かべながら答えた。

「おい、ティグリス。やっぱり通信はできないか?」

 ヤツカは突然、何者かに話しかけた。

 その時、二人の目の前に、黒色の光がぼおっと現れた。光は地面から現れ、徐々に上に伸びていき、なんと座っている猫を形どった。黒色の光でできた猫は、じらじらと揺らめいており、カラーフィルムのように、向こう側の景色が淡く透けて見えている。SF映画でよく見るホログラムのようだ。

「ダメだ。何度やっても繋がらない。俺達の通信コードだけ拒否されているみたいなんだ」

 驚くべきことにその黒猫は、渋い男性の声で、尻尾をくるんと振りながら答えた。

「やはり向こう側で妨害されている――いや、通信コードをハッキングされているかもしれない。単に連絡が取れないだけなら後任が来るだろうしな……」

 さすがのユキも、これには独特な解釈を持ち得なかったようである。ユキは、口をあんぐりと開けてハヤトの方を見た。ハヤトは既に超常的な現象をいくつか目撃していたので、ユキよりは驚かなかった。

「あいつは月から来た俺の双子らしいんだ」

 ハヤトは、自分が口にしたにもかかわらず、それがあまりにも突飛なことだったので、言い終わった後に頭を抱えた。

「さあ、時間がない。約束通り事情を説明しよう」

 ヤツカが二人にさらりと言った。


   * * *


 一階のリビングにて、ヤツカはソファーに腰を下ろし、その反対側、テーブルを挟んだ向かい側のソファーにも、ユキとハヤトは腰を下ろした。

 床の上では、ホログラムの黒猫が座り、その横でカラスのジャックが不思議そうにそれを見つめている。

「さて、どこから話せばいいか……」

 ヤツカは、両肘を膝に置いて前傾姿勢となり、口の前で手を組んだ。見た目とは裏腹に、振る舞いや仕草が妙に大人っぽい。ハヤトとユキは、そんなヤツカを黙ってじっと見つめていた。

「そうだな、まず自己紹介をしよう。俺の名前はヤツカ。月にあるセレネ共和国の広域捜査局統括本部地球課機動捜査官だ。識別番号は1072。ハヤトの双子にあたる」

 ヤツカは淀みなく、すらすらと口にした。

「ちょっとちょっと!開始早々あまりにも突っ込みどころが多すぎるんだけど」

 ユキがこめかみをおさえながら、話を遮った。

「まず聞くね……月?月には人が住んでいるっていうの?――あり得ない」

 いたって自然な反応だ。ハヤトも横でうなずいた。

「正確には人じゃない。月人(ムーニアン)だ。地球人(アースリング)とは異なった種族だ。寿命は地球時間で約300年。人口は3億1千万ほど。月の内部と裏側に都市を築いている」

「3億1357万6458人だ」

 ホログラムの黒猫が会話に割って入り訂正した。ヤツカは肩をすくめた。

「こいつは俺のリングに内蔵されているナビゲートプログラムのティグリスだ」

 そう言ってヤツカは左腕を上げた。その手首には銀色の光沢を放つ薄いシートのようなものが巻かれている。

「仕事はできるが神経質でおしゃべりなのが玉に傷だ」

 黒猫のティグリスは小さくフン、と鼻息を鳴らすと、あっという間にその場から消えてしまった。カラスのジャックは驚いたようで後ろに跳ね上がった。

「信じられないかもしれないが、これは事実だ。月の文明は地球よりも遥かに進んでいる。今の光景を見てもそれが分かるだろう?」

 ハヤトとユキは黙り込んだ。

 確かにSF映画でしか見たことがない光景が目の前に繰り広げられている。ハヤトは、ヤツカが光り輝く弾を放って戦う姿も目にしている。自分たちが知りうる以上の科学技術を彼が持っていることは明らかだった。しかし、やはり月から来たということまでは信じられない。

 その気色はヤツカの方に伝わったようである。

「そうだな。まず地球の歴史を説明しようか。君たちが習った歴史とは大いに異なるだろうけれど……」

 ヤツカは一呼吸置いた後、話を始めた。

「地球の歴史は超常的な力を持った七体の高度生命体から始まる。この生命体の起源や歴史、その詳細は謎に包まれているが、その生命体は非常に高い知能を有していた。我々は七神(しちしん)と呼んでいる。この生命体、七神は新天地を求めて宇宙を旅していた。そこでこの太陽系、地球にたどり着く。ちなみに、もともと地球は二つの衛星を持っていた。

 この頃、地球は生まれたばかりで地表はマグマに覆われていた。七神は位置的にも資源的にも恵まれているこの地球を新たな母星にしようと考えた。この時、二つの月は、既に冷えて固まっていたため、七神はこの月を拠点にして、地球のテラフォーミングを行うことにした」

 テラフォーミング――惑星を居住可能なものとするためのプロセスである。

「七神はまず自分たちを手助けする存在を作り出すことにした。七神は自分の姿に似せて生命体を作り出す。これが今の月の民、月人だ。月人は七神ほどの生命力と知能は有していなかったが七神には非常に忠実でよく働いた。

 次に、テラフォーミングのためと月人を養うための電力を確保する必要があった。七神はその方法として真空エネルギーを利用することにした。君たちは知らないかもしれないが真空には膨大なエネルギーが内包されている。そのエネルギーを取り出し、発電するんだ。これが未だ原理が解明されていない真空エネルギー発電だ。七神はその真空エネルギー発電の施設を二つの月内部に設置した。

 これにより月では膨大な電力を生むことができるようになったが、地球上での活動には利用することが出来ない。そこで七神は、太陽光を利用することにした。まず月の表面、地球に向いている側に特殊な反射板を設置する。この反射板は太陽光が当たると、その太陽光の電磁波に、月内部で生み出した電力を電磁波に変化させたものを付加することができる。地球ではその電磁波を受け取り電力に再変換させ利用する。こうして地球上では、月明かりが出ている時には、膨大な電力を享受することができるようになった」

「でも、それってとても非効率に思えるんだけど。だって、月は出入りがあるし満ち欠けもある。安定して電力を供給する方法としてはどうなのかしら」

 ユキが片方の眉を上げて尋ねる。

「さっきも言ったように、もともと地球には二つの月があった。この月は、お互い丁度反対の位置にあったんだ。これによって、一方が新月の時でも、一方は満月になる。それに世界各地に蓄電施設を置き、これをネットワークで繋ぐ。こうすることによって、世界各地に常に電力を供給することができる状態を作っていたらしい」

「なるほど」

 ユキが納得したように頷いた。

「あと、このシステムの利点は、発電システムを月に置くことで、発電に伴う廃棄物の処理や危険のリスクを、将来的に居住地となる地球から遠ざけることができることだ。

 このシステムにより、地球上のテラフォーミングは着実に進んでいく。水を作り、大気を作った。また、植物や微生物などの生命体を作り出し、地球上の環境が自然とバランスが保たれるように工夫した。こうして、地球上は長い時間をかけてようやく青く美しい星となった。

 七神や月人たちは、少しずつ地球に移住していく。その拠点となったのが、かつて現在の大西洋に存在した大陸――君たちがアトランティス大陸と呼んでいるものだ。

 だが、ここで思いもよらぬ事件が起こる。月の一つがアトランティス大陸に落ちたんだ」

 ハヤトが言葉を区切る。二人はいつの間にか話に熱中しており、続きが気になって身を乗り出していた。

「原因は分かっていない。何しろ、この月の衝突で、月はもちろんのこと、地球上は火の海に包まれ、あらゆる記録が失われてしまったんだからね。地球に住んでいた月人ももちろん死滅してしまったが、不幸なことに、七神たちもこの災害に巻き込まれて息絶えてしまった。まだ片方の月には月人が残っていたものの、月人は悲しみ、途方に暮れた。自分たちの想像主、そして指導的存在が消えてしまったんだからね。月人も七神から教育は受けていたものの、その理論を完全に理解することはできていなかった。月人に残されたのは七神が造り出した、仕組みの分からない優れた道具たちだった。

 ……ここまではいいかい?」

 ハヤトは言葉が出てこなかった。言ってる内容は理解できたがとても本当のこととは思えない。ハヤトが黙っていると代わりにユキが質問した。

「えーっと、それじゃ地球人っていうのは?」

 ハヤトはなんだか以外だった。科学オタクのユキなら絶対に信じていないだろうと思っていたが、以外にも真剣に耳を傾けているようである。

「それはこれから説明しよう。

 親である七神を失った月人たちは意見の対立が生じ、いくつかの国が造られる。そして、国の間で諍いが起こるようになる。国々の間では緊迫状態が続いたが、ついには現在のセレネ共和国に統治された。

 そして、月人が混乱しているこの時、地球では予想外の出来事が起こり始めていた。七神が造り出した微生物が進化し始めたんだ。これは月人が予期していなかったことだった。さらに、驚くべきことに、その一部は月人と同じ様な生命体に進化していたんだ。姿は似ているが、月人よりも寿命は短く、知能も低い別の生命体だった――これが現在の地球人だ」

 ハヤトは唾を飲み込んだ。

「なぜ自分たちとそっくりの生命体に進化したのかは分からなかったが、月人はこの地球人を手助けすることにした。何と言ったって、地球は七神が滅んだ場所だ。そこに、同じような姿を持った生命体が現れた。――地球人が七神の生まれ変わりだという見方をする月人は当時少なくなかった。

 さらに、ある種宗教的な理由もあった。七神は、月人を創造した時にその行動を縛る規則を作った。これは『福音』と呼ばれている。月人にとって福音は絶対だ。現在の月人の法律も、この福音を土台にして作られている。その中にこういうものがある。

『月人はいかなることがあっても七神の言葉に従わなければならない。また、常に七神を救ける存在であり、傷つけることがあってはならない』

 また、こういうものもある。

『月人は七神の指示なしに月人同士、または他の知的生命体と交戦してはならない』

 これは特に『月人の非交戦権』と呼ばれている。この福音に月人は従った。地球人に知識や技術を教え、恩恵を与えた。地球人は驚くべき種族だった。知識を貪欲に吸収し、低かった知能もみるみる伸びていった。また、非常に繁殖しやすく、瞬く間に増えていった――しかし、初めは月人に対して絶対的な敬意を払っていた地球人だったが、知恵をつけ、力を手に入れたことによって、月人に対して攻撃的な態度をとる地球人も現れるようになる。だが、どんなに攻撃的な態度をとられても、月人は地球人に報復することができない……理由は分かるね?」

「さっき言った福音のためね?」

 ユキが言い、ヤツカが頷く。

「そう、『月人の非交戦権』のためだ。ではどうしたか。月人の間に、地球人は七神の生まれ変わりであるはずがないという意見が出始め、月人は次第に地球人と距離を置くようになったんだ……。『竹取物語』は知ってるかい?」

 突然ヤツカが尋ねてきた。

 ユキとハヤトは不思議そうな顔をして頷いた。

「どんな内容?」

 ハヤトが答え始めた。

「えーっと、竹取の翁が光り輝く竹の中からかぐや姫を見つけて。翁が大事に育てたかぐや姫は美しく成長する。そんなかぐや姫に求婚する者が現れる。かぐや姫はその者達に難題を授ける。伝説的な五つの宝を提示し、それを持ってこれたものと結婚すると言う。けど、結局持ってこれた者はいなかった。えー、それから……」

 ハヤトは上に目をやり言葉を詰まらせた。次の内容が思い出せない。それを見てユキは続きを喋った。

「かぐや姫の話は帝の耳にも入り、その姿に心奪われた帝も求婚を迫る。かぐや姫は拒否するが帝はあきらめない。三年の間かぐや姫と帝は和歌のやり取りをする。ある日かぐや姫は翁に自分は月の都の人間だから、次の満月の日に月に帰らなければならないと告げる。引き止めたい翁は帝にそれを告げ、帝は軍勢を送り、かぐや姫を守り固める。しかし、真夜中、昼間のように明るくなり、天から来た軍勢に対して為す術もなかった。かぐや姫は月に帰る」

「さすがに詳しいな」

「当然。民俗学者の娘だからね――大体分かったよ。このかぐや姫は実在した月人だって言いたいんでしょ?」

 ヤツカはゆっくりと頷いた。

「しかし、それは地球に伝わる話だ。実際の話とは異なっている。歴史というのは自分たちに都合のいいように改変されてしまうからな……。

 西暦661年、現在の京都、嵯峨野の竹林にて、七神が造り出したと思われる五つの道具を人間が見つける。通称『仏の御石の鉢』『蓬莱の玉の枝』『火鼠の皮衣』『龍の首の玉』『燕の産んだ子安貝』の五つだ。我々は『五宝』と呼んでいる。これは大変な事件だった。さっき言った、月の衝突事件で、これを免れた地球上の物はないと言われていたからだ。そして、その五宝は、まだ使用できる上に、月人の知らない技術で作られているという。その時の七神の最先端の技術で造られたものだったんだ。この五宝を研究し、仕組みを解明すれば、新たな発展が期待できる。さらに、記録には残っていないが、この五宝は恐るべき力を持っていたという。何としても回収する必要があったらしい。

 この五宝を手に入れるため、月人は地球に外交団を派遣する。その中に君たちの言うかぐや姫が含まれていた。かぐや姫とは、七神が最初に造り出した月人の末裔であると言われる、クォグヤヌス姫のことだ。セレネが共和制となってからは、もっぱら政治的権力は薄くなったが、それでも月人の象徴である重要人物だ。

 クォグヤヌス姫たちは、当時五宝を手にしていた帝に、事情を話し、和平的に譲渡してもらうよう呼びかける。しかし、五宝の価値の高さを再認識した帝はこれを拒否。更には、クォグヤヌス姫を人質に取り、月の技術を渡すように要求した。

 先程も話したとおり、月人は福音により、いかなる理由があろうとも攻撃することが出来ない。月政府は特別議会を招集。議論は紛糾の末、特別措置として、地球人を傷つけることなく、クォグヤヌス姫を奪還する作戦が取られた。こうしてクォグヤヌス姫は奪還作戦のもと、無事に月に戻った。

 しかし、五宝は帝の手に残ったままだ。この五宝は未熟な地球人にはあまりに過ぎた代物だった。その後、この五宝を巡って大きな戦が発生。その混乱の中、五宝は所在が不明となる。月人の間では、五宝は破壊されたと思われていたが、それは違ったみたいだ……」

 そう言って、ヤツカは懐から紙を取り出し、テーブルの上に広げて差し出した。どうやら新聞のようなものみたいだが、漢字ですべて書かれている。

「これは……中国語?」

 ユキが尋ねた。

「そうだ。これは今年3月3日に発行された中国青海省の地方新聞だ。ここを見てくれ」

 新聞の右下に写真付きの小さな記事があった。写真はモノクロで見にくかったが、泥だらけの茶碗のような物が映し出されていた。

「ハヤト!ここ見て!」

 ユキが急に驚いた声を上げて、写真の横の文章を指さした。そこに書かれていた文字の羅列には見覚えがあった。

「どうして父さんの名前が!?」

 文章の一節に、草薙京介、草薙ハヤトの実の父親である名前が記されてあったのだ。

「ハヤト、父さんの職業は?」

「――考古学者だ」

「父さんは中国で見つけたんだよ――それは『仏の御石の鉢』だ」

 ハヤトとユキは息を飲んでその写真を見つめた。

「しかし、この記事は青海省での発見時のもので、その後の行方については記されていないんだ。ハヤト、父さんの居場所に心当たりは?」

 ハヤトは顔を曇らせた。

「そんなの俺だって知りたいよ。俺は父さんがどこにいるかなんて知らない――あっ」

 ハヤトは先程ポストで受け取ったハガキを思い出した。

「忘れてた。もしかしたら分かるかも」

 ハヤトは鞄のポケットから、先程家のポストから取ったハガキを取り出してヤツカに渡した。

 そう、このハガキはハヤトの父――草薙京介からのものである。

 ハヤトが京介に最後に会ったのはもう三年も前のことになる。ハヤトは父子家庭でありながら、京介との思い出があまりない。京介は、考古学者として世界中を飛び回っている。京介は何かにとりつかれたかのように仕事に励んでおり、ハヤトが小さい頃からよく家を開けていた。京介の友人でありユキの父、誠一は、そんな一人残されたハヤトの面倒をよく見てくれた。

 京介は時折、自分が今どこにいるかを知らせるハガキをハヤトの元に一方的に送ってくる。ハガキは、京介が現在いるであろう土地の写真だけが載せられている質素なものだ。当然、京介が何をしているのかまでは全く分からない。

 ハヤトはどういうつもりで父がこのハガキを送ってくるのか疑問だった。もちろん返信などできるはずもない。自分をほったらかしにしているくせにどういうつもりなのだろう――ハヤトはハガキを受け取る度に、複雑な感情になるのだった。

 ハガキを受け取ったヤツカは目を細めて消印を見た。

「ティグリス、どこか分かるか?」

 ヤツカが言うと、写真の表面に緑色の光が走った。

「こいつは四川省成都市のものだな」

「そうか、良かった。とりあえずだいたいの居場所は分かった。奴らはまだ父さんの居場所を見つけていないといいんだが」

「奴らって誰?――それとあなたは何のために地球に?この鉢を取り戻しに来たの?」

 ユキが尋ねる。

「いや、この父さんが見つけた鉢の存在については、実は俺も地球に来てから知ったことなんだ――そうだな、もう少し説明する必要があるな。

 このクォグヤヌス姫の事件をきっかけに、福音を疑問視する声が出てきた。しかし、福音は七神が定めた絶対的な決まり事だ。簡単に変えるわけにはいかない。結局この時は何も変わらなかった。代わりに、月人は地球人から自然と距離を置くようになった訳だが、地球で暮らす月人もまだ多かった。彼らは地球での生活というものを気に入っていたんだ。西暦1000年頃だ。月人は人前で月の技術を使うことをできるだけ避けたが、それでも偶然目にする者は存在した。彼らは、月人を得体の知れない力を使う者として時に敬い、時に恐れた。地球人はそんな月人達を様々な名称で呼んだ。超能力者、祈祷師、呪術師、魔術師……。その中の一つが『魔女』だ。

 そして悲劇がおこる。中世にヨーロッパや北アメリカで行われた『魔女狩り』だ。そこでは数え切れない数の月人が魔女として迫害を受け、殺された。月人は福音のため抵抗することが出来ない――この事件が福音改定の決定打となる。

 西暦1685年、ついに福音の『月人の非交戦権』の一部が改定され、正当防衛が認められることとなった。『月人は七神の指示なしに月人同士、または他の知的生命体と交戦してはならない。ただし、他の知的生命体が月人の生命を脅かし、月人が武力行使によってしかこれを免れることができない場合、自己防衛のための最低限の武力行使は認められる』と。政府は福音を改定したものの、同時に地球への渡航と滞在は例外を除いて禁止する法律も作成し、全ての月人は月に帰還した」

 ハヤトは眉をひそめた。学校の歴史の時間に、魔女狩りのことを聞き、人間とは何と残酷なことができるのかと驚いたものだ。そして、その対象が、まさか地球人を導いてくれた月人だったとは。

 ヤツカは淡々と話を続けた。

「この一連の出来事を契機に、福音を大々的に変えるように提案する過激な勢力が現れ始める。つまり、正当防衛という条件さえなくし、自由に攻撃ができるようにしろ、と唱える勢力だ。彼らの目的は地球の侵略だ。本来地球は月人の物であるから、それを取り戻そうと謳っているわけだ」

「じゃあ、その勢力が『仏の御石の鉢』を奪って何かしようと企んでいるわけね」と、ユキ。

「そうだ。この前、月の冷凍刑務所から一人の男が逃げ出した。男の名前はゴルギアス。罪状は『地球人への過激な傷害罪』と『地球への不法滞在』、『不認可の技術の所持』、その他いくつかの余罪があった。

 彼はイギリスに住む月人だったが、子供の頃、魔女狩りにあい、家族や友人を殺された。彼は唯一助かったが、地球人に対して深い恨みを抱くようになった。彼は地球に残り積極的な地球人への傷害を繰り返した。月警察は月に一時的に帰還中だった彼を偶然発見し逮捕、厚生施設となる冷凍刑務所へ投獄した。

 そして地球時間2012年4月20日、ゴルギアスは脱獄する。彼の脱走状況から、何者かの助けがあったことは明らかだった。捜査の結果、一人の男が浮上する。国家防衛省の防衛事務次官パイドロスだ。彼は福音の改定を提案する過激派の一人で、捜査局が前々からマークしていた人物だ。

 そして4月29日、ゴルギアスが地球に逃亡、潜伏し、地球課の俺に捕獲任務が渡された。俺はゴルギアス脱走の裏にパイドロスがいたこと、そしてゴルギアスが地球に逃亡したことに不穏な空気を感じ取った。何か企んでいるんじゃないかとね。そこでパイドロスの連絡記録を調べた所、地球への連絡を頻繁に繰り返していることが分かった。相手は滞在の許可が下りていない不法滞在者だ。恐らく地球情勢について連絡を送る、ゴルギアスの手下だろうと睨んだ。

 5月1日、俺は嫌な予感を感じつつも、ゴルギアスを捕らえるため、地球に向かう。そして、地球への渡航中、正体不明の機体に襲われ、通信もできなくなっていることが分かった。完璧なタイミングだったよ。広域捜査局内にスパイがいて、そいつが情報を漏らしたんだろう。迂闊だったよ」

 ヤツカは悔しそうに唇を結んだ。

「俺はなんとか切り抜け地球に来たものの、機体を失い、連絡を取ることもできなくなった。そして、大きな陰謀が渦巻いていることを確信する。

 俺はまず、パイドロスが連絡をとっていた月人の不法滞在者の元に足を向け、彼を締め上げた。生憎、彼の持っている通信機は、俺が来た瞬間に壊されたが、この鉢の新聞をパイドロスに知らせたと吐いた。俺は驚いたよ。もちろん鉢が未だに存在していたということもだが、それ以上に、見つけたのが俺の父さんだったということにね。彼はパイドロスが『バベル計画』と言うものを企んでいると言ったが、その内容については知らなかった。彼は、父さんの現在の居場所について調べている最中だった。同時に、米空軍も鉢を狙っているという情報も聞き出した。ゴルギアスがこの鉢を狙って地球に潜入したことは明らかだった。

 俺はこの新聞を読んで、お前の身に危険が迫ることを知った。何しろ父さんの息子だからね。父さんの居場所を知っているかもしれないし、人質にとられる危険性がある。そして案の定、そうなった訳だ」

「待ってくれ。もしかして米空軍も月人の存在を知っているのか?」

 ハヤトが気になって質問する。

「もちろんだ。米空軍だけじゃない。先進国の政府のトップは知っているだろう。しかし、月人は温厚な種族で滅多に干渉しないため危険視していない。セレネも地球人とは交流を拒否しているから関心は薄い。

 だが米国は別なようだ。月人の技術に興味があり、なんとか自分たちのものにしようと考えている。何度も断っているが、諦めずに月にやってくる。来るたびに追い返してやっているんだけどね」

 ハヤトは先程から驚いてばかりだ。まさか映画のような出来事が、現実にも起こっていたなんて。ハヤトは今まで生きてきたこの世界の常識を、改める必要があった。

「ともあれ、一刻も早くあいつより先に鉢を入手する必要がある。もしゴルギアスが鉢を使って何かしようとしているなら明日が絶好の機会だ。血眼で探しているだろう」

「なぜ?」

 疑問に思ったハヤトの横で、ユキは何かに気付いたようで手を叩いた。

「スーパームーンね!」

「そうだ」

 ヤツカは感心したように大きくうなずいた。

「なんだ、スーパームーンって?」

「月が地球に最も近づいた時に満月を迎えることよ。それが近年では2012年5月6日、明日ね。さっき、月光には電力を変換した電磁波が含まれていると言った。電磁波はその距離が遠くなればなるほど減衰が大きくなるから、近いほうがエネルギーは大きい。もしその鉢もその電力で動くなら、効果を最大限に高めるために、より電力が大きい日を選ぶ。それが明日ね」

「ユキは頭がいいな。その通りだ」

 ユキの理解力とその知識に、ヤツカも思わずうなった。ハヤトも、ユキが頭がいいことは知っていたが、ここまでだとは思っていなかった。

 しかし、ハヤトはもうひとつ、肝心な、訊くべきことがあった。

「もう一つ教えてくれ……俺と君は本当に双子なのか?君は俺の兄か弟か知らないが、俺達家族に――」

「待て待て、いつ俺がそんな話をした?」

 ハヤトはきょとんとして目の前のヤツカを見つめた。

「――君が自分で双子って言ったんだろう」

「いや、そこじゃないよ」

 何のことか分からず、ハヤトとユキは顔を見合わせ、首を傾げた。

「俺は兄でも弟でもない。姉だよ」

 ――――

 三人の間に沈黙が流れる。

 遅れてその意味を理解したハヤトとユキは、まさに開いた口がふさがらなかった。

「ちょ……女ってことか!?」

「悪かったな。女に見えなくて」

 ヤツカは少しむっとしたような表情で答えた。

 いや、自分と同じ顔をした人の前で言うのもなんだが、決して女に見えないわけではない――実際ハヤトは不本意ではあるが女の子に見間違えられることが多かった。

 ヤツカと出会ってからの記憶を思い返してみても、確かに彼女は双子だとは言ったが、男とは言っていなかったかもしれない。が、あのように屈強な男達を圧倒していたし、その言動から、いつしか勝手に男だと決め込んでいた。

「私も前からハヤトの顔、女の子っぽいなぁと思ってたけど、まさか本当にその……女の子になっちゃうなんて」

 ユキもてっきり男だと思っていたようで、驚きのあまり意味不明な言動を口にした。

 と、いうことはだ。ヤツカは女――しかも自分と同い年の少女でありながら、あの一回りも大きい男達と素手で渡り合い、地面に沈めたことになる。

「……本当に女なのか?」

 ヤツカが冗談や嘘を言っているようにはとても見えなかったが、ハヤトは一応念を押した。

「なんだ、性別がそれほど重要か?証拠でも見せたほうがいいか?」

「い、いや……」

 涼しい目で答えたヤツカに、ハヤトはたじろいだ。証拠を見せると言われたって――それは困る。

 確かに性別はそれほど重要ではないかもしれない。ハヤトはその事実にも十分驚いたが、ハヤトが訊きたいことはもっと他にもあった。

「うん、まぁいい……それよりもだ。俺の訊きたいことはこうだ――俺達家族に一体何があっ――」

 その時、扉を「ガンガン」と叩く音が聞こえてきた。ユキとハヤトはびくりと驚き、ヤツカは素早く立ち上がった。

「誰だ?」

「誰かな?父さんなら鍵を開けて入ってくるし……」

「来たか――ハヤト、靴を持って来い。ユキ、この家の二階、玄関と反対側に窓はあるか?」

「え、ええ。私の部屋に窓がある」

「案内してくれ」

 ヤツカは、足元に置いていたブーツをその場で履き始めた。

「お、おい。まさか空軍か?どうするんだ?」

「残念ながら時間切れだ。話の続きは今度だ。このまま成都へ向かうぞ」

「このまま?一体どうやって!」

「空路だ。ティグリス、ここから全速力で飛んで成都までどのくらいかかる?」

 ティグリスが現れた。

「今日は天気もいいし、電力も十分だ。ぶっ飛ばせば4時間22分で着くよ」

「よし。おいハヤト、急げ。ユキ、二階は?」

「こっちよ」

 ユキは立ち上がって、リビングを出て階段の方に向かい、ヤツカはその後をついていった。

 ハヤトは、ジャックを呼び寄せ腕に留まらせると、玄関の方へおそるおそる近づいた。玄関のドアをもう一度叩く音がし、外からぼそぼそと話し声が聞こえてきた。

 ハヤトは音を立てないように靴を取ると、階段を上がり二階へ登った。

 二階に登り、久しぶりにユキの部屋へ足を踏み入れた。

 昔はよくユキの部屋へ上がり、二人で遊んだが、中学になると入るのをためらうようになった。ユキの方も、ハヤトが家に遊びに来た時でも、自分の部屋に誘うようなことはしなくなっていた。

 ユキの部屋は、あの頃とは少し様相が違っていた。窓にはピンク色のカーテンが掛けられ、部屋の中央に置かれた小さい円卓の下には花柄のじゅうたんが敷かれている。机の上や、本棚の上にはぬいぐるみなどの細々とした雑貨が置かれている。何より部屋の中に漂う花のような香りにはドキリとした。

 ハヤトは、想像よりも女の子らしいユキの部屋を見て居心地の悪さを感じた。しかし、壁に貼られた大きな星座のポスターは、その女の子らしい部屋の中で異様な存在感を放っており、やっぱりユキらしいなと思わせた。

 ハヤトの左腕に留まっていたジャックは、ユキの学習机の上に飛んでいった。

 この間も、下からはドアを叩く音が聞こえてきた。ヤツカは部屋を見回し足元の絨毯に目を留めた。

「よし、この絨毯は使えそうだな。ユキ、この絨毯借りてもいいか?」

「いいけど……何に使うの?」

 ハヤトは円卓をどかし、絨毯をひっくり返した。そして、マントの下を手で探り、直径5センチ、厚さ5ミリほどの円形の物体を4つ取り出し床の上に置いた。表面はなめらかな金属製のようで、鏡のようにまわりを映し出している。ヤツカは絨毯の四隅にその物体を取り付けた。

「ティグリス、オブジェクトの設定を頼む」

 ヤツカがそう言うと、四隅に取り付けられた物体の側面が、チカチカと緑色の光を放ち始めた。

 ハヤトとユキは、聞きたいことだらけであったが、真剣な表情で流れるように作業するヤツカは、声をかけ難い雰囲気を放っていた。

 続いてヤツカは立ち上がり、あたりを見回し、本棚の横の壁へ歩いて行った。ヤツカは壁に手をつき、何かを確かめるように表面を撫でている。

「ユキ、緊急事態なんだ。許してくれ」

 ヤツカは壁を向いたままそう言うと、マントの下から取り出した黒いペンのようなもので壁になにか書き始めた。

「あ!ちょっと!」

 ユキが声を上げたが、ヤツカはそれを無視して書き続けた。

 まず最初に直径1メートルほどの大きな円を、まるでコンパスを使って書いたかのように綺麗に描き上げた。次に内側にもいくつかの円を描いていき、四角などの幾何学模様を重ねていった。それは、俗にいう魔法陣にそっくりであった。

 模様を書き終わると、今度はなにか文字のようなものを書き始めた。文字は二人とも見たことのない種類の文字であった。あえて言うならばヘブライ文字に近いように見える。

 この間、何度も下からはドアの叩く音が聞こえてきて、その音は次第に強さや間隔を増していた。

「やけにしつこいね。まるでここにいることが分かっているみたい」

「この近辺で姿を消したんだ。この辺りの民家は無理やりにでも調査するかもしれない」

「そんな、無理やりだなんて!警察呼んでやるわ」

「この国の警察にはどうすることも出来ないと思うけどね」

 ヤツカは壁に文字を書き終えたようでペンをしまった。壁にはこの短時間で書かれたとは思えないほど美しい図形が描かれていた。

「ティグリス、コードと座標の設定を」

 ヤツカは左手を図形にかざした。すると、腕のリングの周囲に緑色のホログラムが現れ、左右へと回転を始めた。それはまるで何かを調整しているかのような挙動であった。そのホログラムの回転がしばらく続いた後、ピピッという電子音と共に停止した。

「設定完了。これで出発の準備は整ったぞ」

 ティグリスが尻尾を上に大きく振って答えた。

「これは一体何だ?」

 たまらずハヤトが尋ねた。

「空間転移のためのコードだ。使用出来る距離には制限があるが中国ならぎりぎり大丈夫だ。出口をここに設定したから、帰るときにはここから出てくることになる。ユキ、そのポスターをここに」

 ヤツカが答えてくれたものの、ハヤトにはよく分からなかった。

 ヤツカは壁に貼ってあった星座ポスターを指さした。ユキはそのポスターをはがしてヤツカの元に持っていき、ヤツカはそのポスターを魔法陣がすっぽりと隠れるように貼った。

 その時、一階から木を割ったような激しい音が聞こえ、家の中に入る足音が聞こえてきた。どうやらドアを蹴破ったらしい。

「え、入ってきたの!?」

 ユキが動揺する。

「まずいな、急ぐぞ!」

 ヤツカは置かれていた絨毯を手に取り、窓の方へ急いだ。そして、窓を開けると、持っていた絨毯を窓から投げ捨てた。

「なっ!?」

 突然のことにハヤトとユキの二人は驚く。

「この布団も借りるぞ!」

 ヤツカはさらに、ベッドの上に置かれてた掛け布団を抱え、窓の外に投げ捨てた。ハヤトとユキは呆然としている。

 次の瞬間、ヤツカは更に驚くべき行動に出た。

 なんとその窓から飛び降りたのである。

 二人は慌てて窓の方に駆け寄る。すると、落ちたはずのヤツカが次第に下の方から上がってきた。ヤツカの足元を見ると、先ほどの絨毯が宙に浮かんでおり、その上に立っているのである。

「どうなってるんだ!?」

「反重力装置だ。ハヤト、早く飛び乗れ!」

 ヤツカに急かされ、ハヤトも窓からおそるおそる飛び乗った。絨毯なので、たるんで落ちてしまわないか不安だったが、まるで空気の塊に乗っているみたいで想像以上に安定感があった。

「この布団は?」

「上空は冷える。これにくるまっておけ」

「ユキはどうするんだ?」

「ユキにはここに残ってもらう。これ以上俺達と行動すると、ユキにも被害が及ぶ。大丈夫、関係ないと分かれば危害は加えないはずだ」

 ハヤトはユキの方を見る。ユキの身を案ずる目だった。ユキはそれを感じ取って答えた。

「大丈夫よ。ハヤトも気をつけて」

「……ああ、分かった。ジャックを頼むよ」

 机の上に留まっているジャックをちらりと見て言った。

 その時、バタバタと階段を駆け上がってくる音が聞こえてきた。

「来た!早く行って!」

 ヤツカとハヤトを乗せた絨毯は瞬く間に飛び上がり、空の中に吸い込まれていった。


 ユキの部屋のドアを二人の黒スーツ姿の男が開くと、ヘッドホンを耳にかけたユキが椅子に座っていた。

「な、なんですか!?」

 ユキはヘッドホンを外して、怯えた顔をした。

 スーツ姿の男たちがあたりを見回すが、怪しい所は何一つなかった――いや、机の上に留まっているカラスは明らかに場違いで怪しかったが、男たちの求めるものではない。

 開いた窓から夜風が流れ込みカーテンを揺らしている。

「失礼しました。人がいるとは思いませんでした」

 男は西洋人らしかったが、日本語で答えた。アクセントに多少違和感はあったものの、比較的なめらかに喋った。

「世界的緊急事態です。お許しください。日本警察からも許可は出ています」

 男は内ポケットから紙を取り出し広げた。

「この顔の少年に見覚えは?」

 それは、ハヤトの顔写真であった。

「同級生の……ハヤトのようですが……」

「彼の身に心当たりは?」

「今日学校で会いましたが――それからは知りません」

 ユキは恐る恐る、できるだけ簡潔に答えた。下手なことを言うと嘘がバレてしまう。黒服の男は、サングラスをかけていたが、ユキのことをじっと見据えているのが分かった。

「……彼の身に危険が迫っています。直ちに保護する必要があります。見かけたら警察に連絡してください」

 そう言うと、男達はぎこちなく頭を下げ、背中を向けて階段を降りていき、そそくさと家を出て行った。

 ユキは緊張と恐怖のため、しばらく動くことが出来なかった。

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