2 再会

○2012年5月4日 月齢12.8


「いいか、ジャック。指を鳴らす音が聞こえてくるまでおとなしく隠れているんだぞ」

 タキシードに身を包んだ草薙ハヤトは、野外ステージの裏側で、左腕に止まっているカラスのジャックに話しかけた。

 ハヤトは黒髪のショートヘアーで柔らかな髪質、面長で白い顔の中に配置された整った一直線の眉が印象的だ。

 男――だろうか、そう一瞬迷ってしまうほど、彼は中性的な顔立ちをしている。眉の下のくるりとしたアーモンド型の目など、少年特有の、エッジの甘い顔のパーツが、そのような印象を与えているのだろう。

「さぁ、この中に入るんだ。狭いかもしれないが少しの辛抱だ」

 そう言ってハヤトは、通常よりも一回り大きい黒いシルクハットにジャックを押し込めた。

 大きなシルクハットではあるが、ジャックにとってはかなり窮屈なようである。「ガァ!」と鳴いて羽を少しばたつかせるが、ハヤトはそれをなだめておとなしくさせる。

「今日は大事なステージなんだ。頼んだぞ」

 そう言うと、ジャックの上に、紙でできた黒い二重底をはめ込んだ。

 今日は、東京都八王子市にある、とある高校の新入生歓迎イベントである。

 毎年この高校では、上級生がゴールデンウィークに、新入生のために盛大なイベントを催している。ゴールデンウィーク中に開催されるだけあって、この地域ではなかなか名の知られたイベントだ。

 今年も一段と盛り上がっているようで、生徒の手による屋台がひしめき合い、学校外からも訪れた多くの客で賑わっている。

 校庭に設営された野外ステージでは、学生たちによるバンドや漫才などの発表が行われている。学生たちが自ら造り上げる舞台ということで、出る方も見る方も気合が入っている。

 ここはこのイベント内でも一段と盛り上がっており、たくさんの学生たちがステージを取り囲んで騒ぎ立てている。

 新入生歓迎イベントではあるが、この野外ステージに上がる演者は上級生だけではない。中には入学早々、舞台に立つ猛者もいる。彼らは大抵が活発で目立ちたがり屋な者たちだ。

 実はこの舞台、これからこの高校で三年間過ごすにあたって、ある意味大事な登竜門でもある。

 新入生は高校に入学したばかりで、お互いの顔をよく覚えていないし、新しい人間関係に遠慮がちである。皆がお互いの性格と立ち位置を伺っているのである。

 その中で、この舞台に立つ者は一気に知名度が上がり、同級生の間からは人気者という認識で、これからの高校生活を過ごすことが出来るのである。

 ――もちろん、それは舞台が盛り上がればの話だが。

「それでは――おお、次の演者は新入生!1年3組、草薙ハヤト君によるマジックショーです!」

 ステージ上に立っている、ブレザーにきらびやかな蝶ネクタイを身につけた司会の男子学生が威勢よく紹介し、舞台袖に引っ込む。男子学生は舞台袖で緊張した面持ちでシルクハットを持って佇んでいるハヤトのもとに駆け寄る。

「そんなに緊張するな。頑張れよ、一年生!」

 男子学生はハヤトの背中を力強く叩くと、ハヤトは舞台の方へ足をもつらせながら登場した。

 それと同時に観客の学生たちの一部から笑いがおこる。

「おいハヤト!去年みたいに自分の髪の毛を焦がすなよ!」

 クラスメイトの男子学生が声を上げてはやし立てる。彼らは同じ中学校から進学してきた同級生だ。

 ハヤトは表情を変えずにそちらを一瞥すると、中央に立っているスタンドマイクに顔を近づけた。

「皆さん、こんにちは。草薙ハヤトといいます。上級生の皆さん、僕らのためにこんなに盛大なイベントを催してくださってありがとうございます。私も新入生の一人で祝われる身ではありますが、私からも同級生の皆さんの門出を祝ってマジックを披露したいと思います。まず、このシルクハットからカラスを出してみせましょう」

 こう言うと、観客から大きな笑いがおこった。

「おい、カラスを出すマジックだってよ。気味が悪いな」

 こんなことを言ってあざ笑う学生の声がハヤトの耳に届いた。

「カラスと言うと、皆さんあまり良い印象をお持ちでないかもしれませんが、カラスは非常に知能が高く日本古来では吉兆を示す鳥でありました。今回、皆さんの学校生活の門出を祝う鳥にふさわしいと思われます」

 ハヤトがこう言って自分のマジックをフォローするが、観客は、なお笑ったままである。こうなれば実際に見せるほかない。

 ハヤトはゆったりした動作でシルクハットの中に何も入ってないことを見せた。そしてシルクハットを右手で持ち、指を鳴らすために左手を構えた。

 今まで笑っていた観客も、しんと静まり返って舞台に注目する。

「いきます!スリー、ツー、ワン!」

 ハヤトがパチンと指を鳴らした。

 ――沈黙。

 あたりは、なおも静まり返っている。

 ――出てこない。

 引きつった表情のハヤトがもう一度指を鳴らすも、やはり出てこない。なんともいたたまれない空気の会場から、次第に失笑が起こり始めた。

「ジャック!おい、頼むから出てきてくれよ!」

 ハヤトがシルクハットに顔を近づけて小声でささやいた。しかし、その声をスタンドマイクがしっかりと拾ったようで、会場全体に筒抜けとなった。観客から大きな笑い声がおこる。

 ハヤトはやっきになってシルクハットをトントンと手で叩いた。するとジャックが二重底の紙を突き破り、勢い良く外に飛び出て空に舞い上がった。観客は驚いて舞台上に飛んでいるカラスを見上げた。

「おいジャック!帰って来い!」

 ハヤトは焦ってジャックに呼びかける。ジャックはくるくると舞台上を旋回したのち、突然観客の方に滑空していった。悲鳴を上げて体を屈めた観客をかすめてジャックが滑空する。そして、後ろのほうで開かれている屋台の方に飛んでいった。

 その中の、ヘリウムガスを詰めた風船を売っている店では、銀色に光る風船が束になって繋がれている。ジャックは、そこに飛び込んで風船を繋いでいる糸を口でくわえて引きちぎった。

 屋台の周りの人々からは悲鳴が上がり、引っ張られた二十個ほどの風船は紐がちぎれて空に飛んでいく。

 ジャックは口にひとつの風船をくわえたまま、ゆったりと舞台に戻り、ハヤトの肩にとまった。

 観客は目を丸くして舞台上のハヤトとジャックを見つめている。まだいくつかマジックをやる予定だったが、このまま次のマジックができそうな雰囲気ではない。

「えー、カラスは吉兆を示す鳥である上に、このように光モノが大好きな鳥であります。このカラスのように、皆さんが光り輝く何かを、今後の学校生活で発見し、手にすることができるように祈っております」

 ハヤトは苦し紛れにこのように述べると、そそくさと舞台袖に引っ込んだ。観客は呆気にとられた表情でその後姿を見送った。


 あたりが暗くなりだした頃に、ようやくこのイベントの後片付けが終わり始めた。昼間の賑やかさは蝋燭の火のように吹き消され、暗い闇に包まれ始めた学校の校舎が物悲しく映る。

 校庭に面したベンチに制服姿のハヤトは腰掛け、野外ステージの鉄骨を解体する業者の作業をぼんやりと眺めていた。ハヤトの横、ベンチの背もたれにはカラスのジャックがとまり、くちばしで羽の毛づくろいをしている。

「ハヤトぉ!その器用なカラスからしっかりとマジック教えてもらえよ!」

 ハヤトが振り向くと、帰宅する男子学生の集団が見えた。学生たちは笑いながら校門の方に歩いて行った。

「ジャック、なんで言うとおりにしてくれなかったんだ?今日は俺の今後の高校生活を懸けた大舞台だったのに――おかげで俺は中学校と同じで笑い者だ」

 ハヤトが声を落として言うと、ジャックは首を傾げ「ガァ」と一声鳴いた。

「――もういいよ、お前は先に家に帰っておけ」

 ハヤトがジャックのおしりをぽんと押すと、ジャックは空に飛び立った。ハヤトは、しばらくその姿を目で追っていたが、ついには木に遮られて見えなくなった。

「あ、ジャック帰っちゃったの?」

 ハヤトの後ろから女の子の声が聞こえてきた。ハヤトはその声の主が誰か分かっているようで振り返って確認しない。

 女の子は近づいてきて座っているハヤトの横に立った。

「聞いたよ。また失敗したんだって?」

「もうユキの耳まで届いているのか。ゴールデンウィークがあける頃には学校中に広まっているな」

 そのユキと呼ばれる少女は、黒いストレートボブの髪型をしている。太めの眉、どんぐりのようなぱっちりとした丸い目、ちょこんと収まっている鼻が愛らしい印象を与える。ユキは、その丸い目でハヤトの顔を正面から覗きこんだ。

「ありゃ、思ったよりも落ち込んでいるんだね」

「思ったよりってなんだよ。そりゃ、あれだけたくさんの人の前で失敗すれば誰だって落ち込むよ」

「そっか――というかなんでジャックを使ったマジックをしたの?この間から練習してた、あのボールのやつとか、マッチを使うやつにすれば良かったじゃない」

 ハヤトは面倒くさそうな顔をしてため息をついた。

「――あれは難しいんだよ。大勢の前で出来る自信はない」

「あんなに練習してたのに……まあ、あんまり気にしないで。またチャレンジして成功すればいいじゃん。失敗は成功のもとって言うしね――それにみんなあんまり気に留めてないよ。ほら、ハヤトを知っている私達からすれば、ハヤトが失敗するのなんて珍しいことじゃないし」

 ユキは優しくハヤトを慰めた――つもりらしい。ユキは頭は良いが、時折空気の読めないところがあるのだ。

「ありがとう」

 ハヤトは皮肉たっぷりに返事したが、それはユキには伝わらなかったらしい。ユキはにっこりと、どういたしまして、という表情で笑った。

「ユキー、帰ろうよー」

 二人の後ろで、自転車を押してきた女学生が声を上げた。ユキは「分かったー」と返事をした後、もう一度ハヤトに話しかけた。

「どう?今夜久しぶりにうちにご飯食べにこない?お父さんも会いたがってるし」

 ハヤトはぼんやりと遠くを見つめて考えた。

「いや、今日はいいよ。誠一さんにはよろしく伝えといて」

「――分かった。じゃあね」

 ユキはハヤトの肩をポンと叩くと、待っている友だちの元へ駆けていった。

「ハヤトくんまた失敗したんだって?」

「シー!聞こえるから!」

 後ろのほうから二人の話し声が聞こえてきて、ハヤトはがっくりと頭を垂らした。


   * * *


 ハヤトはバスから降り、すっかりと暗くなった夜道を家に向けてとぼとぼと歩いて行く。

 ハヤトの住んでいる地域は八王子の中でも山手の方にあり、畑の間にまばらに一軒家が建っている景色が続く。ハヤトの家はこのあたりをさらに進んだ場所に位置しており、山のふもとにぽつんと佇む二階建ての一軒家だ。

 ハヤトはいつも自分が東京という日本の首都に住んでいるのだという実感を掴むことができない。

 あたりはすでに日が沈み暗くなっているが、周りの景色はよく見える。それは空に浮かぶ満月に近い月の明かりのためだ。

 なんだか今日の月はいつもより明るく大きい気がする。ハヤトはその、盆のような月を見上げながら、鞄を肩にかけ、ポケットに手を突っ込んで家の方に歩いて行く。

 家についたハヤトは、軒先のポストを開け、中を確認した。すると、一通のハガキを発見した。表面には、走り書きでここの住所とハヤトの名が記されている。ハヤトの胸がざわつく。

 ひっくり返すと、裏面には、どことも分からない、鮮やかな空をバックに荒涼とした砂漠が写った写真が載せられていた。

 もう一度表に返し、消印を見る。消印は漢字のようだが、ハヤトには読めなかった。

 メッセージは何も書かれていない。差出人も書かれていない。

 だが、ハヤトには差出人が誰かは分かっていた。

 ハヤトはハガキをじっと見つめて複雑な気分のまま逡巡した。そのために、男たちが五メートルほどの距離に近づいた時、ようやくその存在に気付いて、はっと顔を上げた。

 忠圀はぎょっとした。突き当りの道から近づいてきた男達は、五人で、黒いスーツに黒いサングラスをつけている。皆、スーツの上からでも分かる隆々とした筋肉をまとった、たくましい体つきで、身長は一八〇センチ前後もある。さらに、よく見ると、彼らは西洋人のようだった。

 忠圀が思わず警戒して後退りすると、男たちは足を止めた。

「草薙ハヤトさんですね?」

 男の一人が流暢な日本語で話しかけた。この怪しげな男が自分の名前を知っていたことに驚き、忠圀は恐怖に駆られた。

「安心して下さい。我々は警察の者です。ハヤトさん、あなたの身に危険が迫っています」

 男は硬い表情のまま言った。張り詰めた空気が両者の間に流れる。

 男は自分たちのことを警察と言ったが、どう見たってそうは見えなかった。月明かりの下で、真っ黒のスーツが異様に目立っており、くっきりとそのシルエットが浮かんでいる。安心するどころか、忠圀の警戒感はさらに強まった。

「危険――だって?」

 忠圀は持っていたハガキを鞄のポケットに入れながら、注意深く尋ねた。ハガキをポケットに入れる行動を見て、男たちの数人が、警戒するようにピクリと動いたかのように見えた。

「えぇ。後で説明します。今はとにかくここを離れましょう。危険はすぐに迫っています。我々についてきて下さい」

 そう言いながら、男がハヤトに近づくために足を動かした。

 次の瞬間、ハヤトは方向を変え、元来た道を走りだした。ハヤトの本能が逃げろと叫び、足を動かしたのだ。

 走りながらちらりと後ろを振り返ると、案の定、黒服の男たちは冷たい顔で自分を追って走ってくる。

 ハヤトは持っていた鞄を投げ捨ててがむしゃらに走り続けた。

 あたりに人影はなく、人家も見当たらない。助けを呼ぶために声を上げても意味は無いだろう。それを分かってはいながらも、ハヤトは必死の思いで声を出そうとしたが、出てくるのは声にならない激しい呼吸音だけだった。

 ハヤトの後ろから聞こえる男たちの息遣いと足音が徐々に近づいてきた。どのくらい近づいているのか確かめはしなかったが、すぐ後ろまで来ているように感じられた。

 呼吸が激しく乱れて苦しい。

 体の芯から重くなり始め、足が思うように動かなくなり始めた――

 その時、後ろから一瞬の眩い光の輝きが感じられた後、空間を裂くような轟音が鳴り響いた。その突然のことにハヤトは驚き、走り続けた体をうまく制御することができずに、足をもつらせて前のめりにこけてしまった。

 一体何が起こったのか。ハヤトは振り返る。

 黒服の男の一人は、地面の脇に倒れていた。

 ふと、男たちの間を素早く縫いまわる、もう一つの人影が目に入った。

 一体どこから現れたのだろう――それは黒いフード付きのマントをかぶった人物だった。顔を確認しようとするが、フードを深くかぶり、素早く動いているために捉えることができない。

 マントの人物は黒服の男よりもかなり小柄なようであるが、圧倒的に優勢なようである。風のような身のこなしで黒服の男達に次々と鋭い打撃を加え地面に沈めていく。

 最後の一人から繰り出される右ストレートを俊敏にかわすと、強烈な左フックを男の顎に食らわせた。男は地面に倒れ痙攣を起こした後、動かなくなった。

 ハヤトは、肩で激しく呼吸しながらその圧縮された一瞬の出来事を見ていた。止まったことで、体中から急に汗が溢れだし、額から頬へ汗が流れ落ちる。自分の目の前で繰り広げられた、正体不明の者たちの混戦、非日常的な光景に激しく動揺していた。

 マントの人物は黒服の男が動かなくなったのを確認すると、ハヤトの方に顔を向けた。

「大丈夫か?」

 それは、若い男とも、女とも取れる中性的な声だった。透き通るような透明感のある声であったが、物言いは力強く、その声からは強い意志を感じられた。

 フードを深くかぶっているためにその人物の顔の全体は確認することができなかったが、うっすらと見える口元は、引き締まった造形であった。

 風貌は、かなり奇怪であった。体全体を覆った黒いマント。上質なきめ細かい厚手のウールのような素材でできているらしく、月明かりを貪欲に吸収している。手にも同じような素材でできた手袋をはめているらしい。膝下まで覆ったマントの下からは、黒いレザーのようなブーツを履いた足が見えている。

 その風貌は、かなり怪しくはあったが、その絶妙なシルエットのためだろうか、どこか近代的でスタイリッシュな印象を与えた。

「立てるか?」

 マントの男は近づいてきて、倒れているハヤトに手を差し伸べた。その人物は丁度月を背にした格好になって逆光となり、顔は陰に覆われて確認することは出来なかった。

 ハヤトは警戒したが、相手は落ち着いており敵意はないらしい。全く事情は飲み込めなかったが、先ほどの様子からも、どうやら自分を助けてくれたらしいことは分かった。ハヤトは彼の手を掴んで起き上がった。

 ハヤトの呼吸はまだ乱れており、起き上がったものの、足はガクガクと震えてふらつく。膝に手をついて呼吸を整える。

 その間にマントの男は、地面に倒れている黒服の男に近づくと、膝をついてその服を調べ始めた。

「そいつらは――一体?」

 ハヤトは息を切らしながら、言葉を紡ぎだした。マントの男は、倒れた男のスーツの内側を調べながら、落ち着きを払った声で答えた。

「アメリカ空軍の人間だ」

「――え?」

 ハヤトの耳に入ってきた言葉は、脳の表面を上滑り、その意味を解釈することが出来なかった。

 頬から顎に冷えた汗が流れ落ちる。

「アメリカ空軍だよ。正確に言えばAFRL、アメリカ空軍研究所の人間だ」

 マントの男は、黒服の男の内ポケットから取り出した手帳を見た後、ハヤトの方に投げた。ハヤトは慌てて手を出して受け取る。

 手帳は黒い皮革で覆われており、金の箔押しでU.S.AIR FORCEという英文字、星形の両脇に翼が描かれたマークがあしらわれている。開くと男の顔写真と細かい文字で書かれた英数字があった。

 ハヤトは体中の汗が急に冷たくなるように感じられた。

「アメリカ空軍?一体何で?――というかあんたは誰なんだ?」

 ハヤトの頭の中は溢れ出てくる疑問でいっぱいだった。

 マントの男は、黒服の男の内ポケットから取り出した紙を手に持ち、ハヤトの方にゆっくりと近づいてきた。身構えたハヤトに、男は手に持った紙を広げて見せた。そこに写されているものを見てハヤトは我が目を疑った。

「お前はアメリカ空軍に狙われている」

 紙にはハヤトの顔写真が写されていた。どこで手に入れたのだろうか、正面からと横からの顔写真が鮮明に写されており、その下には英文で何か書かれている。

 ――信じられない。

 アメリカ空軍から自分が狙われる理由などひとつも見つからないのだ。

「俺が?いや、あり得ないよ!俺はアメリカに行ったこともないんだ。きっと人違いか――何かの間違いだ」

 その時、倒れていた黒服の男の一人が素早く立ち上がり、背を向けているマントの男に拳を振り上げて襲いかかろうとするのが目に入った。

 マントの男はハヤトの表情からそのことに気づいたようで、素早く後ろを振り向き、左の掌を広げて突き出した。

 すると、掌から青白い光を放つソフトボール大の球が目にも留まらぬ速さで放たれた。光のボールの後には放電現象が渦のように巻き起こり、鋭い轟音が鳴り響いた。

 その青白いボールは襲いかかろうとした黒服の男に直撃し、男は5メートルほど後ろに宙を舞って吹き飛んだ。

 ハヤトは、とっさに顔をかばった腕の間からその信じがたい光景をしっかりと目撃した。

「な、なんだ今のは!?」

「スタンボール、制圧用のリングプログラムだ――大丈夫、彼は死んじゃいない。もっとも、強烈な電気ショックのためにしばらく目覚めないだろうけどね」

「――」

 ハヤトは彼の口から出てくる言葉を理解できずに、混乱のあまり口をパクパクさせた。

 その様子を見た黒マントの男は、深くかぶっていたフードを外した。

 ――――

 月明かりに浮かび上がったその顔を見て、ハヤトは心臓が止まりそうな衝撃を受けた。

「俺はセレネ共和国広域捜査局統括本部地球課機動捜査官ヤツカだ――そして、お前の双子だ」

 ハヤトの目の前には、ハヤトと全く同じ顔の人物が立っていた。目、鼻、口、輪郭、おまけに髪型まで、そっくりそのまま写しとったかのようである。だが、全く同じ顔の造形であっても、その瞳から受ける印象は明らかに異なっている。その瞳には強い信念を秘めた光が宿っていた。

 ハヤトは目の前のヤツカと名乗る人物の言葉を聞いてしばし呆然としていた。この眼前の自分そっくりの人物は何を言っているのだろうか。

「ちょっと、ちょっと待ってくれ――双子だって?俺に双子がいるなんて聞いたことがない」

「そうだろうな。父さんは、お前を月とのいざこざに巻き込みたくはなかったんだろう」

 父さんが?――ハヤトは気になったが、それ以上に引っかかる言葉を耳にした。

「待ってくれ――月だって?」

「ああ、月だ」

「月っていうのは――」

「地球の第一衛星。空に浮かんでるあの月だよ。俺はあそこから来たんだ」

 ヤツカは夜空に浮かんでいる丸い月を指差して答えた。あまりに突拍子もない言葉に、ハヤトはポカンと立ちすくんでいる。

「にわかには信じられないだろう。しかし、残念ながら詳しく説明している時間もない。地球に危険が迫っている。もうじき新たな追手もやってくるだろう。場所を変えて話をしよう。どこか信頼出来る人物にかくまってもらえる場所があるならそこがいい。心当たりはあるか?」

 強引に話を進めるヤツカに、ハヤトはたまらず声を上げた。

「待て待て!俺はあんたの事は何も知らないんだ。そんなあんたを無条件に信頼して連れて行けって言うのか?あんたが味方だって保証はどこにある?――そもそも俺には何がなんだかさっぱり……」

 不安と混乱が入り混じった表情で、語気を荒げて語るハヤトを、ヤツカは冷静に見つめていた。ヤツカは眉をひそめてしばらく思いを巡らせた後、両手を上げた。

「お前の気持ちは痛いほど分かる。俺を味方だと証明する手段もない。だが、もしここでお前が逃げ出せば、俺は力づくでお前を止めるだろう。なぜなら、お前に危険が及ぶからだ――俺はお前と地球を助けたいだけなんだ。頼む、協力してくれ、ハヤト」

 ハヤトは、自分そっくりの顔をしたヤツカに見つめられると妙な気持ちになった。その瞳は真っ直ぐで、嘘を付いているようには感じられない――

 しかし、いきなり現れた素性の分からない人物を信じろと言われたって無理な話であった。確かに先ほどは助けてくれたのかもしれない。だが、その米空軍がどういった理由で自分を追っていたのかさえ分からないのだ。

 その時、「ガァー!」という鳴き声が空から聞こえてきた。見上げると、カラスのジャックが頭上を旋回しているのが見えた。

 ヤツカは素早く左の掌を広げてジャックの方に構えた。

「待て!アイツは俺の相棒だ」

 とっさに叫んだハヤトの声を聞き、ヤツカは構えた腕を少しだけ緩めた。ジャックは少しづつ高度を下げると、その構えたヤツカの左腕に降り立った。

 これにはハヤトも驚いた。ジャックは自分以外の人間には中々懐かない。他に懐いているのはユキだけであるが、彼女もかなりの時間を要した。それに今の仕草からすると、彼はハヤトと同じく左利きらしい。この様子を見ると、先ほどの気持ちも揺れ動いてきた。

 ――彼は信頼に値する人物なのかもしれない。

「ジャック、こっちだ」

 ハヤトが左腕を差し出すと、ぴょんと跳ねて飛び移った。

「かくまってもらえる人なら心当たりがある。ただ、その人は俺にとって大切な人だ。その人達には危害を及ぼさないと約束できるか?」

「分かった。約束しよう」

「着いたら俺にも分かるようにしっかりと事情を話してくれ。あんたのことについてもだ」

「努力しよう」

 ヤツカはハヤトの目をまっすぐに見つめて答えた。自分の顔をした人物に見つめられていると、どうも調子が狂う。

 ハヤトは視線を逸らし、宙を見つめた後、深く息を吐いた。

「俺の幼馴染のユキの家がこの近くにある。アイツなら信頼出来る。ここから1キロくらいだ。そこに行こう」

「よし、急ごう。目立たないように陸路を使おう」

「陸路?」

 ハヤトはその言葉に引っかかり問い返したが、ヤツカは表情も変えずに口を結んだままであった。ハヤトは、これ以上ここで突飛なことを言われたら、固めた決心が鈍りそうな気がしたので、それ以上問いたださなかった。

 ハヤトは投げ捨てた鞄を取り、二人は月明かりの中、ユキの家に向けて走り出した。

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