フィフティーンス・ナイト

清水A璃阿

1 プロローグ

○2012年5月1日 月齢9.8


 青く美しい地球を望む静かな宇宙空間で、目にも留まらぬ速さでその空間を裂く銀色の物体があった。宇宙空間にいるため、比較物がなく、そのスピードがどのくらいなのかは分からないが、恐らく音速を超えた信じられない速さなのだろう。

 物体は明らかに人工的なものだ。鏃のような、薄く、流線的なボディに、二本の尖った尾が伸びている。中間よりもやや後方、側面には小さな翼のような物が備えられている。飛行機――航空力学を無視したような、この形状の機体が地球上で飛べるとは思えないのだが、そう形容して差し支えないかもしれない。ここは宇宙空間なので、宇宙船と呼ぶべきか。その機体の全体は、まるで水銀でできているかのようで、一切の継ぎ目がなく、滑らかな銀色の光沢を放っている。

 銀色の機体は何かから逃げるように、青い地球めがけて、蛇行し、駆けていく。

 いや、実際逃げているのだ。

 銀色の機体の後方から、暗い宇宙空間に完全に溶け込んだ、真っ黒な機体――こちらは扇型の形状だ――が、5、6、いや、それ以上、獲物を集団で追い立てる狼のように飛んでくる。

 その黒い機体は、銀色の機体めがけて、青白い光線を放った。が、その光線は銀色の機体をかすめて宇宙空間に消えていった。

「おい、奴らプラズマキャノを装備している!」

 銀色の機体の内部で、男――いや、女?の声が響いた。

 その人物は、黒いヘルメットで顔全体を覆っており、戦闘機のコックピットを彷彿とさせる狭い空間に一人で座している。内部は暗く、よく見えないが、計器やスイッチといった設備は見当たらず、つるんとしたデザインだ。おそらくこの人物がこの機体を操縦しているのだろうが、不思議なことに、その手は、両脇に設置された銀色の出っ張りを握っているのみで、ほとんど動かしていない。

「駄目だ、やっぱり繋がらない!ヤツカ、月に一旦引き返そう!」

 今度は、明らかに男の声が聞こえてきた。しかし、この船内には先程の人物一人しかいないのである。

「いや、この数だ。月に引き返しても、向こうに着く前に撃ち落される。ティグリス、このまま地球に突入するぞ!」

 ヤツカと呼ばれたコックピットの人物は、姿の見えないティグリスと呼ばれる男に言った。

「正気か!?通信できないんだぞ!?」

「撃ち落されるよりマシだよ。奴らの機体は大気圏突入には備えられていないモデルだ。地球に入りさえすれば、追ってこない――それに一刻も早く向かわないと……」

 その時、機体に強い衝撃が走った。

「後部に被弾した!」

 ティグリスが焦ったように報告した。ヤツカはヘルメットの下で舌打ちをした。

「ティグリス、大気圏までの距離は?」

「あと610デレットだ!」

「……もう少しのはずなんだ」

 ヤツカは口の中で自分に言い聞かせるように呟いた。

 後方に被弾し、銀色の機体の後部が黒く変色しているとはいえ、さほどダメージはなかったらしく、今までどおり滑らかに飛行している。その姿は宇宙空間を自由に泳ぎまわる小型魚のようで、その動きは、人が操縦しているようにはとても見えない。それは、後方から追ってくる無数の黒い機体も同様である。

 黒い機体が時折発射する青白い光線を巧みにかわしながら、銀色の機体は地球を目指す。

 地球の大気圏が目前に迫ったところだった。もう一度、機体にひときわ強い衝撃が走った。ヤツカは座席で前後に激しく揺さぶられた。

「ヤツカ!推進装置をやられた!」

 ティグリスが叫んだ。滑らかに飛んでいた機体が前後左右に揺られ始める。

 そして、黒い機体たちは一斉にピタリと制止した。

「敵の動きが止まったな。大気圏に入ったか」

 ヤツカはそう言ったが、少しも気を抜いていない。

「ティグリス!復旧できそうか?」

「無理だ!被害が大きすぎる!」

 機体がガタガタと小刻みに振動を始める。大気圏突入の合図だ。

 機体の腹部全体が大気との摩擦熱で赤く染まり始める。が、機体の後方はその中でも特に赤みを帯びており、スプレーを噴射したような炎が勢い良く上がり始めた。

「駄目だ、機体が持たない!燃え尽きるぞ!」

 ティグリスが警告し、ヤツカは手を握りしめた。

「駄目か……仕方ない、機体は捨てる!」

 その声がかき消されるほどの轟音がコックピット内を包み込む。機体は激しく振動し、その振動で今にもバラバラになってしまいそうだった。

 ヤツカは、座先の下に手を入れ、レバーを思いっきり引いた。

 ガツンと、骨の芯が震えるような強い衝撃が走り、コックピット内は粘度の高い透明な液体で一瞬にして満たされた。

 銀色の機体の中央から、ヤツカを乗せたコックピット部分が、球形となって機体の斜め上方に放出される。

 その瞬間、機体は中央から真っ二つに折れて、激しく燃え上がりはじめた。目が眩んでしまいそうな眩い光だ。ヤツカを乗せた球状の部分は、摩擦熱で赤く染まりつつも、形を保って地表に向かって落下していく。

 地球上から見たら、願い事が3つは叶ってしまいそうな、大きく尾の長い流れ星に見えたに違いない。

 銀色の機体は大気圏で燃え尽き、ヤツカを乗せた球体は、南大西洋に向けて落下していった。

 大気圏外で留まっていた黒い機体の群れは、その様子を見届けると、静かに、地球の第一衛星――白く太陽光を反射する月へと引き返していった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る