第3話 冷凍坂先輩と初めてのお仕事。

 僕の職場は5階だった。広いオフィスの中に、たくさんの机が所狭しと並び、小さなついたてで遮られてその間にパソコンが置かれている。妹に放心状態で職場すら忘れてしまったという雰囲気でなんとか職場の場所を聞き出した(妹はこれから戦闘服に着替えると言ってロッカーに向かった。資本主義にしのぎを削る会社を的確に捉えた一流のジョークだろう。未だキャラがいまいちつかめない)はいいものの、自分の席はわからない。途方に暮れながらふらふらと部屋をさまよっていると、座席表が柱に貼ってあった。優しい。きっと記憶喪失もしくは異世界転生した僕のためにある座席表だろう。座席表の上には「生産性向上」「健康第一」という張り紙が貼ってある。ため息をついて、自分の席に座った。


 パソコンのログインパスワードはいつものものだった。なるほど、確かに以外と転生しても違和感なく生きていけるものだ。さて、ここまではいいとして、僕はどうすればいいんだろう。携帯電話を握りしめて泣けばいいんだろうか。


「僕の人生は、めでたしめでたしと結ばれた物語の後」


 とりあえず、テキストエディタにそんな文言を入力してみる。そして即座に消す。あてもなく、メールソフトを開いてみる。冷凍坂真冬という名前の人からメールが届いていた。名前からして寒そうだ、この人が、冷凍メーサー(昔の自分が命名)先輩?


「あ、四季くん。おはよう。昨日頼んでいた仕事は終わった?」


 振り返ると、そこには目つきが鋭く、髪は真っ黒で邪魔にならない程度にそっけなく、しかし、清潔感は残す感じに切りそろえられていて、しゃんとした細身にスーツが似合う女性がいた。あら、この世界美人が多いわね。


「あ、おはようございます……えっと……(社員証の名札を盗み見る)冷凍坂先輩。まだ終わってません」

「ほう、いい度胸だ。いつもみたいに言い訳せずに、すっぱりと答えたところは評価してもいいが、昨日頼んでた仕事が終わるまで家に帰るなと行ったはずだが?」

「えっ、このご時世に長期残業の強要ですか。僕の世界ではパワハラですよ」

「ここも君の世界だと思うんだが……なんか今日、やけに強気だな」


 多分だけど、もういろいろどうでもいいんだと思う。


「まあいい、すっぱりと答えたところに免じて、今日は見逃す。今日こそ【ボタン検知プログラム】をテスト完了するんだぞ。新人におあつらえ向きの、ちょうどいいサイズのプログラムなんだ、さっさとクリアして次のステージに行け」

「御意」

「御意!? なんか今日の君との会話は調子狂うな……」


 投げやりな会話。まじまじと冷凍坂先輩の背中を見送る。なんか、冷凍メーサーというあだ名ほどの恐ろしさは感じなかった。それとも、冷凍メーサーらしく激昂せずネチネチと責められる感じなのだろうか。依頼されたプログラムは、冷凍坂先輩のメールに丁寧にその場所と、変更内容が記されていた。

 というか僕、新人なのか。妹とは双子? それとも、妹は高卒で僕は大卒みたいな? 確かに妹の顔の出来ならば、それを才能に戦っていけそうだ。勉強を武器にして相手を殴る必要は無いのかもしれない。


 ****


 そしてドキドキのはじめての出社は、粛々とプログラムを書いて終わりを告げた。ここが異世界と仮定するならば不思議なことだが、プログラム自体は僕の曖昧な記憶の中にあるものと一致しており、プログラムコードに魔法の呪文が書いてあるとか、そういうファンタジー的様相は呈さなかった。これならかける、そう思って書いたコードは、なんとかテストを通過。冷凍坂先輩にその結果を送ると、


「よし、結果をコミットしろ」


 という簡潔な返事が返ってきた。ちなみにここでいうコミットとはライザップではなく、できたソースコードを、みんなが書いてまとめてあるところにアップロードするということである。僕の書いた部分は、何かよくわからない巨大な建造物の一部に過ぎない。ボタンを押したことを巨大な建造物の別の一部に伝える。それが何をするかはわからない。


 まあしかし、仕事というものはよいものである。嫌な日常の気持ちを忘れさせてくれる。仕事が終わると僕は、きっとナツさんに、未だ顔も知らぬナツさんに返すメールに苦しむことになる。僕はそれを忘れる大義名分を失うのだ。


 実は、今日分の仕事が終わったのはもっと前で、僕は過去の自分が作った「仕事メモ.txt」とか「機材配置図」とか「新人研修発表資料.ppt」とかそういうものを眺めて詮無くやるせなくだらだらしていた。「早く先輩方から吸収して、独り立ちしたいです、よろしくお願いします」と若干自信がなさそうなフォントで小さく書かれて締められた資料。いかにもやる気が足りない新人がその場しのぎで書きそうな発表資料。僕はサラリーマンとしては凡百のクズに分類されるんだろうなあと自己分析する。仕事メモなんてひどい。


・冷凍坂先輩は、言い訳をすると怒る

・冷凍坂先輩は、忙しいから謝る時はメールで謝っておくと顔を見ないですむから楽

 ・とおもったけれどそうでもなかった。次の日物凄い怒られた。僕のせいで冷凍坂先輩に怒られた先輩に。


とりあえず、今日わかったことを入れておく。


・冷凍坂先輩は、強気に出ると怒らない。


 さて、そろそろ退社しなければならない。彼女へのメールも返さねばならない。いや、むしろここですでにいろいろなことが終わってしまったらしい彼女と別れて、新しい恋をしたら童貞の続きが、ときめくような恋愛ができるんじゃないか? そんな風にも思う。いや、しかし、異世界に飛んできて一番初めにやることが「彼女と別れること」なんてそんなの前代未聞だし、なにより、もともとアイデンティティレベルで童貞だった僕に、世間のモテる人間たちすら嫌がる「はっきり別れを切り出す」なんてできるわけがないではないか。


 何かにすがるように振り返ると、僕の対角線上の席で冷凍坂先輩がものすごいスピードで電話をしたり頭を抱えたりキーボードをたたいたりしている。あ、メールだ。


「件名:今週末の戦争について」

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