第7話 描写はおいしい

 僕は本を食べる。比喩になるかもしれないが、本の文字を味わい、脳内で味覚を補完してフルコースをごちそうする。

 蝉が鳴く夏休みのひと時。学校がないのをいいことに近くの図書館に通って朝から晩まで読書で腹を満たす。

 司書のお姉さんはパソコンに向かって難しそうな事務の仕事に勤しんでいる。キーボートを叩く音以外、館内は静寂に包まれる。

 窓際の左端、一番後ろが僕の特等席。

 本を三冊手に取って、机に重ね、いざ読む前に館内を観察する。

 入り口付近で音を立てて仕事する司書のお姉さんは頑張り屋。

 勉強に勤しむ浪人生のカリカリと筆を走らせる音は前菜。

 何人もの老夫婦が新聞を送る音は心地よいパサッを、僕のパサッ欲を満たしてくれる。パサッ最高。

 静かなるオーケストラに精神を安らぎを得た僕は、いざ食事に取り掛かる。


 本の味は雑多であり、僕はがっつり系のハンバーガーを好む。胃がもたれるガツンとした本は多数存在し、読後は濃すぎる味に辟易しながらも絶妙なカタルシスを感じて余韻に浸る。まるで自慰行為だ。最高の快楽を迎え、射精した後にはむなしさがぽつんと取り残される。読書の場合は逆で、濃すぎる文章に嫌々しながらも最後まで読んでしまいラストに感動する。快楽はすべて最後で絶頂する。

 読書にポケティは必須アイテム。いつもズボンに忍ばせて読書中に濡れた瞳をきれいにするのにティッシュを使っている。

 ページをめくるたびに僕の食欲は旺盛になり、気づけば人は立ち代わり入れ替わり最後には僕だけが館内にぽつんと残される。

 時間が過ぎるのを忘れて快楽に酔いしれた僕は、いつも司書のお姉さんに謝罪をして頭をさげ、館内をあとにする。

 こんな日が、あと30日も続く。夏休み最高。

 もっとも僕の高校生最後の夏休みは今年で終わり。ああ、残念。


 中学時代にもっと本を読んでおけばよかった。中学時代、病気で引きこもりがちだった僕は国語の授業を受けておらず、大好きなヘッセの文章を知らない。

 少年の日の思い出は高校生になって初めて読んだヘッセの短編だった。


「今日もごちそうさまでした」


 僕は本を食べる。図書館でお世話になった本たちは腹を満たし、エロ動画やエロ本では到達しない無料の快楽を提供してくれる。こんな便利なところがタダなんて、国は頭がおかしいんじゃないだろうか。本当に感謝感激です。

 そうして僕は男子トイレの三番目の個室トイレに入っていく。カビの生えた窓ガラスと漂白剤の刺激臭が自慢の住処。トイレの個室は安心感を与えてくれる。

 誰もいない邪魔されない時間。僕は読んだ文字を反芻して大便をする。

 生卵のくさった臭いがする。胃を壊したのかもしれない。大なり小なり排便の臭いというものは嫌なものだ。生き生きと吐き出される汚物は生気に満ち満ちており、僕の気分は億劫になる。下痢はつらい。便秘もつらい。でも僕には本がある。

 きっと今度はもっと素敵な物語が読める。何故なら僕は永遠に終わらない夏休みをずっと繰り返しているのだから。

 10年前の今日。図書館に立ち寄った青年は、帰りに車に轢かれて命を落とした。

 死後の後悔は本を読めなかったこと。図書館の本をすべて読み終えたら成仏するだろう。トイレの花子さん、もとい、トイレの花太郎さんは今日も明日も、誰にも悟られずに館内を散策し、本を食べるのであった。




「新作のホラーケータイ小説。どうかな?」


 俺は妹に1000文字の短編を見せた。描写をバリバリした脂っこいギラギラの豚骨ラーメンみたいな短編だ。


「下ネタ多い、くどい、あと下ネタ多い」


 妹は下ネタの多さを指摘する。

 そこはネタバレ、読書でオナピーした主人公がトイレの個室でさらにオナピーするのかと思いきや、実は10年前に亡くなった幽霊でしたってオチだ。


「下ネタはだめかな?」


「読みにくい、読みにくい、比喩がおかしい。あとパサッって何よ? パサッ欲ってお兄のオリジナル擬音でしょう」


「ケータイ小説だから適当でいいんだよ」


「擬音多すぎ」


 その後、妹に数か所ダメ出しを食らった。

 ホラー短編に応募する自信作だっただけにちょっとへこむ。


「だいたいね、いつもスカスカな文章書いてるお兄がなんでいきなり無駄描写いれまくったの?」


「それは……だな……」


 だって会話だけのテンポ良い音楽を聴いた後は文豪になりきって洗練された文章というものに挑戦してみたくなるではないか、とは口が裂けても言えない。


「文豪になりきって洗練された文章というものに挑戦してみたくなるではないか――あっ!?」


 どうやら脳内で思ったことが口に出ていたらしい。

 妹は一介のアマチュアケータイ小説家がなにを偉そうなことをのたまっているんだと呆れている。


「パサッ、と下ネタの中、あえてヘッセをチョイスしたあたり、妙に文化人をきどっているお兄がうざい」


 妹のボディーブローは辛辣で、現実の俺まで短編ホラー小説の主人公のように腹を下してしまいそうだった。


「あと、せっかくのおいしそうな本の描写の後に、ウ〇コ描写出されて吐き気がする。味音痴なのよ。このウ〇コ」


「そうか、そうか、つまりきみはそんなやつなんだな」


 最高の誉め言葉をありがとう、ウ〇コを連呼する妹よ。

 俺は恥ずかしさのあまりベッドに入り、布団をかぶって狸寝入りを開始した始末だった。

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