第6-2話:生と死の狭間で

――「愛様……愛様」


 誰かが私を呼ぶ声が聞こえる。身体を少し揺すられながら私は目を擦った。寝ぼけ眼を開くと私のお世話係をしているメイドの姿が見えた。


「愛様、一ノ宮様から緊急のお電話です」

「緊急?」


 私は電話を受け取りながら横目で時計を見た。時計の針は二時半を指している。


 こんな夜更けになんのようだろう――。


「もしもし」

「夜分遅くに申し訳ありません。準備が出来ましたら会議室の方へお願いいたします」

「わかりました……何があったのでしょうか」

「弐国からの攻撃です、お急ぎ願います」


 私が口を挟む前に電話は切られてしまった。受話器からは規則正しい不通音が流れている。私はそのまま受話器をメイドに返した。


 攻撃……? 弐国から――?


 意味がよく理解できない、私は混乱しながらも素早くスーツに着替える。メイドに髪を梳かしてもらいながら、軽く化粧をした。私が居るのは前国王、久条が住んでいたビルだ。


 まさかここが自宅になるとは思わなかったが、歴代の国王は必ずここに住む義務があるらしい。天井に吊るされたシャンデリア、洋風なつくりの部屋と豪華なインテリアの数々。寝に帰るだけのこの部屋では、四ヶ月たったいまでもまったく落ち着かない。


 私が王に即位してからの四ヶ月を一言で表すと、多忙というのが一番しっくりくるだろう。半ば強制的に王にさせられてしまったが、国を変えるチャンスなんて全くといっていいほど無い。それに私は国民の支持を受けたわけじゃない、ただ血縁というだけだ。


 ただ運がいいだけ、でも私はこのチャンスを最大限に活かしたい。だがその為に覚える事が無数にあり、ただの勉強と付き合いだけで四ヶ月もたってしまった。いくら権限があっても、何もしらなければ判断のしようがない。私はいまこの国を知ることに全てを費やしていた。


 その中でも驚いたのは一ノ宮の存在だ。一ノ宮は二十代の若さで玖国の総理大臣に着任していた。一ノ宮は私の目から見てもとにかく優秀だった。本来なら総理とか敬称を付ける必要があるのだけれど、呼び捨てでいいのは一ノ宮からの希望だった。


 それに一ノ宮は「私が選ばれたのはD政策のおかげ」とも言っていた。人の命が六十歳までと決められている状況では、年老いた知識人よりも若い指導者が欲しいと久条の要望があったそうだ。


玖国(うち)らしいと言えば、それまでなんだけど――。


「よしっ、行ってきます」

「いってらっしゃいませ」


 私はメイドに見送られ、門の前に付けてあった車に乗り込んだ。


 国会に着いたのは夜中の三時を回ったところだった。指定された会議室へと足を運ぶと、ちらほらと空清は見えるが数名の議員と一ノ宮が私を待っていた。


「遅くなりました」


 私は会釈をして用意された席に腰を下ろす。すると私が来るのを待ち構えていたのだろう、すぐさま一ノ宮が近づいてくる。


「お電話です」

「私に?」


 私は受話器が受け取ると、会議室に備え付けられているモニターから相手の姿が見えた。


「メリークリスマス、久条様」

「え、ええ。メリークリスマス」


 私はモニターに映った姿を見て思い出した。 相手は弐国の大統領、Adolf fon Hermann(アードルフ フォン ヘルマン)

 ヘルマンとは前回のサミットで会ったことがある。紅く充血した瞳に金髪の髪、それに顔に彫ってある666というタトゥーはとてもじゃないが国の代表とは思えなかった。


 私は初めて出会った時の兎谷よりも強烈な印象を受けていた。兎谷からはチンピラという雰囲気がにじみ出ていたが、ヘルマンからは何か狂気じみたものを感じ取ってしまったからだろう。


 サミットは本来なら前の久条に代わって私が出るはずだが、前回は一ノ宮の助手という立場で参加させてもらった。まだ政治に精通していない私を矢面に立たせる必要はない、と一ノ宮からの配慮だった。

 だが、あの時からヘルマンは知っていたのだろうか。久条が死に、玖国のトップが若返ったことは玖国の中でも数人しか知らないトップシークレットのはず。私は声が詰まらないよう、ひとつ咳払いをした。


「ヘルマン様、本日はどのようなご用件で」

「か~これだから玖国人は。何をそんなに急いでいるのか、すぐ本題を聞きたがる」


 癇に障る声でヘルマンは言葉を返してきた。その声に隣で聞いていた一ノ宮の眉間に皺が寄る。


「もうちょっと会話を楽しもうとかないの?」

「ヘルマン様、大変申し訳ありませんがこちらは夜中の三時ですので」

「ええ、知ってますよ」


 その言葉に一ノ宮の顔がニコニコしながら十字の皺を寄せる。隣にいる一ノ宮が怒ってくれているせいで、私はなんだか冷静になれた。

 そう、これはただの電話ではない。国と国との国交なのだから。私が黙っているとヘルマンが続けて口を開く。


「いや~すいません。長くなるとお肌に悪いので手短にいいますね」

「え、ええ……どうぞ」

「いや~本当に申し訳ないのですけどね、弐国もちょっと苦しくなってきてしまいましてね~。大変恐れ多いのですが、援助をお願いしたいのですよ」

「援助、とはどういうことでしょうか」

「玖国の食糧と資源のうち、三割ほどお借りしたいのですがね。いや~うちも移民が増えすぎちゃいましてね、お宅も大変だとは思いますが……」


 電話の向こうでヘルマンは聞きたくもない美辞麗句を並べはじめる。私はヘルマンの質問の意味がわからず、なんだか呆けてしまっていた。三割もの食料や資源なんて、譲れるわけがない。お借りしたいだなんて、返す予定もなければ譲るのと同じだ。それにそんな予定があっても、玖国にはそんな余裕はない。私は横目で一ノ宮に目配せした。


 一ノ宮はゆっくりと首を横に振る、至極当たり前のことだ。私は電話の向こうでしゃべり続けているヘルマンに向かい、気丈な声で返答した。


「無理だとわかっていらっしゃるのに、お訊きになるのですか?」

「だよね~無理だよね~。だから、貰いにに行きますわ」


 挑発とも取れるヘルマンの言い草にさっきまで落ち着いていた私も苛立ってきてしまう。


「そのようなふざけた電話をするために……ご苦労ですわね。それより玖国に向かっての砲撃はどのようにご説明して頂けるのでしょうか、国連も黙ってはいませんよ?」

「こくれん~?」

「そうです。それに我が国は壱国と軍事同盟を結んでいることくらいご存じですよね。貴方は壱国に戦争でも仕掛ける気ですか?」


 電話越しにヘルマンの笑い声が聞こえ始める、そしてその笑い声は異様なくらいに長く響き続ける。


 なんなんだこいつは、いったい何を考えているのかわからない――。


「戦争だよ」

「なっ」


 突然ヘルマンの口調が変わり、声のトーンが低くなる。受話器越しでも威圧感が伝わってくる。ヘルマンの、弐国の代表の言葉が重く圧し掛かってきた。


「私は本気だ」

「ば、馬鹿な……戦争などしてなんの意味があるのです!」

「はっはっは、君たちもつい最近までやってたじゃない」

「戦争なんかやっていません」

「はっは、違う違う」

「何が違うのですか!」


 私はいつのまにか全身に汗をかいていた。背中から流れてくる汗が気持ち悪い、心臓がばくばくと破裂しそうなくらいに鼓動している。


 戦争だけは……絶対に嫌だ――。


 ヘルマンがまた笑い始める。今度は短く、しかし笑っているというよりもまるで呆れているような笑い声。私は今すぐにでも受話器を放り投げたい衝動に駆られた。そして笑いを止めたヘルマンは、ゆっくりと私に言った。


「間引き、だよ」


 その単語に私は息がつまり、呼吸さえも止まってしまいそうだった。私は不意に一ノ宮から聞いた話を思い出す。


 一ノ宮は言った。D政策は他国に漏れることなく施行してきた。インターネットなどの情報封鎖はほぼ完璧にだったが、人の口に戸は立てられない。それにあれほど亡命が流行ってしまった。

 幾ら警戒網を敷いてもその隙間を縫うように亡命していった人もいるだろう。いずれ玖国の恥部ともいえるD政策は他国に漏れる可能性があります、と。


 そしてその可能性は最悪の現実となって降りかかってしまった。私は何も言えずに受話器に耳を傾けていた。ヘルマンは私が呆けているのがわかったのだろうか、軽く舌打ちをし、言葉を投げかけてくる。


「まだわからんのか能無しが、死ねと言っているのだよ。我が国のために、その土地をあけ渡せ」


 がちゃんと受話器を降ろす音と共に電話が切れた。プーッ、プーッと規則的な不通音が流れている。呆けていた私から、一ノ宮がゆっくりと電話を受け取った。


 私はしばらくの間、何も考えられずにいた。それは周りに座っていた議員たちもおなじようで、会議室はいつの間にか水を打ったかのように静まり返っていた。


「せ、戦争だと……馬鹿げてる」


 一人の議員がぼやくと、それに続いてざわつきが広がっていった。


「弐国は何を考えているんだ」

「壱国と国連に連絡を」


 震えていた声は次第に大きくなり会議室は熱気に包まれていく。騒がしくなる議員たちに向かって、一ノ宮が静かに呟いた。

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