第6-1話:生と死の狭間で
久条が亡くなったあの日からこの国は変わった。
D政策は廃止され、各区域の検問所は全て取り外されることになる。すぐに全員移住という事は無いが、ランクによる制限や制約はもう無い。
久条の遺言通り愛が時期国王となったが、元々王政自体国民に浸透していないこの国では知っている者の方が少なかった。愛は政治なんて分からないと言い拒否したが、久条の遺言が一ノ宮を諦めさせなかった。何百年も昔から続いてきた君主制を途絶えさせる分けにもいかず、兎谷や大神からの進言もあってか愛は渋々王座に座る事になった。
渋々とは多少誇張があるかもしれない。なぜなら愛自身は既に目標を終えているからだ。
愛の目的は国を出て、新しい世界で生きる事。それは冒頭でも書き綴ったが、個人の世界とは個人の主観でしかない。D政策が無くなった玖国は、愛にとって新しい世界と言っても過言ではなかった。
王になれば最悪の世界を自分自身で新しい世界に出来る。しかしそれは愛一人の願いだけでは済まず、玖国民全員を巻き込む可能性が出てくる。
その一点に愛は恐怖していた。己の理想が他人の理想と決して同じ事は無いだろう。それでもD政策だけは消し去りたい、その思いが強く膨れ上がっていた。
この願いは全玖国民の願いに一番近いはずだ。そう願い、愛は国の頂点に立った。もう彼女の目が曇る事は無かった。
そして四ヶ月の月日が流れた――。
――兎谷は車を走らせる。既に必要ない検問所を通りすぎ、Cランクへと足を運んだ。愛が王になってからの劇的な国政の変化に、国民は様々な反応を見せた。
しかし全て一ノ宮がうまくやったようでさほど混乱もなかった。多少不満があると言えばAランクの国民だろう。だがB以下の連中にとっては嬉しいことばかりだった。
王が代わったといっても、今年二十歳になったばかりの愛が政権を握ることは、非常に難しいことだろう。愛は表舞台にはそうそう出てこない。元から王なんて決まりは表立ってはいなかったから仕方がないとも思う。
兎谷が愛を最後に見たのは二ヶ月前の即位式のときだ。綺麗なドレスに身を包んだ愛に兎谷は戸惑った。美しい彼女が、さっきまで自分の隣に居ただなんて……とてもじゃないが思えなかったからだ。兎谷はブレーキを踏み、車をとある港に止めた。
「う~、冷えるな」
バタンと車のドアを閉める乾いた音が波の音に紛れていく。十二月の海は荒れに荒れていた、今年ももうすぐ終わろうとしている。
「よっと」
兎谷はジャケットを羽織り堤防へと足を進める。なんで真冬にこんな場所にいるのか、それはあの爺さんのせいだった。兎谷は地下水路で助けてもらって以降、泉の様子をたまに見に来るようになった。泉を置いて逃げてしまった、その負い目も少しはあるだろう。
泉は出会ったときと同じように、堤防で釣りをしている。もうD政策はなくなったのに、泉は海に住み続けていた。
「爺さん」
兎谷は泉に声をかける。そして手土産にと持ってきた酒を掲げた。泉はそれを見て気をよくしたのか、いそいそと釣り道具を仕舞いながら立ち上がる。
「爺さん、なんか釣れたのかよ?」
泉がバケツを見せてくる、中には小魚が何匹か泳いでいた。
「てんぷらにでもするかの」
「いいね」
二人は顔をにやけながら共に家路を歩く。海辺の風が冷たく突き刺さるが、それでもお互いに笑顔だった。
「しかし、なんでわしなんかに構うんじゃ? 友達おらんのか?」
「爺ぃ、人が好意で付き合ってやってるのによぉ」
兎谷がここに来る理由としてはもうひとつある。それは愛からのお願いだった。 泉をひとりにさせたくない。国事に奔走せざる得えない愛にとって、泉の様子を見に来るのは非常に難しい。愛は泉に新しい住居を提供したが、泉は丁重に断っていたのだ。
兎谷は泉の自宅に入り、釣った魚を酒のつまみにしながら、二人は他愛もない談笑をしつつ酒を飲む。泉はそれが嬉しかったに違いない、ちびちびと酒を交わしながら話題は愛の話になった。
「愛ちゃんも大変じゃなぁ。D政策が終わったからといって暮らしは一向に楽にならん。逆に昔のほうがよかったじゃろう。確かにDがあった頃は殺伐としていたが、逆に諦めがついたもんじゃ。ここまで落ちたなら、もう終わりだ……とな」
泉は当時のD政策を思い出しながら呟いた。空いたグラスに兎谷が酒を注ぎながら口を開く。
「俺はいいと思うぜ。人の間引きなんて見たくもない。それが当たり前の時代が、異常だったんだ」
「それは上の人間の意見じゃよ、Cランクは違う。上に行こうと頑張る輩もおれば、もういい、と諦める輩もいる。なんと言えばいいのか、難しいのう。でもわしはここで頑張る輩が嫌いじゃなかった。Cに落ちたことが逆に原動力になっていたのも確かじゃ。この国には、無能な人間を住ます土地なぞ無いからのう」
泉は兎谷が持っていた酒を手に取り、兎谷のグラスへ酒を注いでいく。
「傲慢(ごうまん)、だよな」
「そうじゃな。人の価値なんて人が決めるものではないしの。難しいことじゃのう。でもそれを考えさせるくらい、人はこの星を壊し、住みにくくしたのじゃ」
泉はそこで話を切り、ごろんと横になった。
「なんだ爺、寝るのか?」
「今宵はちと酔うた。寝る」
兎谷は溜息混じりに毛布を差し出した。泉は毛布を手に取ると、すぐさま寝息を立てはじめる。
「いい気なもんだぜ」
憎まれ口を叩きながら兎谷は煙草に火を点けた。そして愛のことを思い返していた。
「どうすれば世界が変わる、かなんてそんな大それたこと俺には分からねぇな」
兎谷も煙草を咥えたまま、ごろんと横になる。
「Dは必要だった、か……大変だねぇ国のお偉いさんは」
泉の言葉はまさしくD政策についての確信を得ていた。もともとD政策とは国を安定させるための苦肉の策だったはず。つまり、D政策を廃止するにはなんらかの対抗策が必要のはずなのだ。
しかしその対抗策が耳に聞こえたことは一度もない。兎谷から漏れ出た労いの言葉は、その対抗策に頭を悩ませている愛に向けられたものだった。
「二時か」
兎谷は横にあった時計を見る。時刻は十二月二十五日の二時、もう真夜中だった。兎谷は煙草の火を灰皿に押し付け、たったひとつの電気を決して布団を羽織った。
「ん」
ドン、と小さい破裂音が海のほうから聞こえた気がした。その音はまるで花火のようにドンドン、と数を増やしながら聞こえてくる。そしてそれは次第に大きく鳴り響き始めた。
「あ~そうか。今日はメリークリスマスってやつか。なんで俺はこんな爺と一緒なんだろう、ありえねぇわ」
ドン、ドン、ドン、花火の音は徐々に数を増していく。
「五月蝿いな~これじゃ寝れないぜ。なんだってこんな夜更けに……夜更け?」
兎谷は布団から飛び起きる。時刻は二時十分、やはり見間違いではない。
「馬鹿な、誰がこんな時間に花火なんか見る」
兎谷はゆっくりと窓から顔を出した。
「う、うおおおおおお!」
「なんじゃい、五月蝿いのう」
兎谷の叫び声を聞いて、泉も身を起こした。泉が眠たい目を擦りながら見たその光景、それは花火なんかではなかった。
「せ、戦艦か?」
ドン、とまたひとつ大きな音が聞こえた。窓の外にいるのは大きな軍用船、その船が玖国の大地を砲撃している。D政策廃止のおかげで無人となったC区域が吹き飛ばされていく。ゴン、と泉の家に何かがぶつかった。おそらく吹き飛ばされた民家の破片だろう。しかしそのおかげで兎谷は金縛りから逃れることが出来た。
「爺! 逃げるぞ!」
兎谷は泉の腕をつかみ駆け足で外へとでる。外へ出ると頭上を閃光が駆け巡り、無数の光が夜を染め上げていた。
「綺麗じゃのう」
「馬鹿か、逃げるぞ!」
兎谷は一目散に車へと走った。その間にも無数の砲弾が二人の上を通り過ぎていく。車にたどり着いた兎谷はすぐさまドアを開け、車内へと転がり込んだ。
その瞬間、
「うおっ!」
大きな音と光が数メートル先で弾け車体を揺らした。兎谷はアクセルを思い切り踏み込み、道なき道をひたすらに走っていく。すでに道路は砲弾の雨でボロボロだった。そんな中、助手席から外を見ていた泉が呟いた。
「あれは弐国の船じゃ」
「弐国? 友好国じゃねぇのかよ!」
またしても大きな音が間近で聞こえる、バックミラーに映るはずの民家はもはや跡形もなかった。
「戦争かよ、くそったれ!」
短すぎる平和はたった四ヶ月で幕を下ろした。人の歴史において、平和とは戦争の準備期間にしか過ぎないと唱える人もいる。もちろん戦争を体験せずに生涯を終える人もたくさんいるだろう。だが歴史という規模で考えれば、平和とはあまりにも儚い。
兎谷と泉を乗せた車は、運よく砲弾にあたることはなく旧B区域まで避難することが出来た――。
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