第5-6話:正義
――屋上を涼しい風が吹き抜けていく。昼間の熱を奪っていくような涼しい風、大神は遠ざかっていくヘリコプターを見ながら口を開いた。
「行かせてよかったのか? あんたならヘリぐらい撃ち落とすだろうと、あんな真似をさせたんだが」
「私が動いたらお前に殺されるかもしれんのでな。それに、もうあんな餓鬼に用はない」
久条は大神を睨み付けながらリボルバー式の拳銃を懐から抜いた。
「やはり私がもう一度、この国の王にならねばならぬようだ」
久条はそのまま引き金を引いた。パンッと乾いた銃声が辺りに響く、
「ほう」
しかし大神の頭を狙ったであろう銃弾は、大神をすり抜けたように屋上の扉に穴を空けた。
今まで大神が背を預けていた扉、頭があった位置にははっきりと弾痕が浮かび上がっている。大神が一歩、二歩と久条へ近づき、手に持った銃を久条に向けた。屋上に静寂が訪れる。まるで時が止まったかのように、二人とも銃を構えたまま動かない。地上でしか見ることの出来ない夕日だけが、止まらない時間の存在を感じさせた。
この静寂を破ったのは大神だった、一歩、二歩とまたしても歩みを進め、
「知ってんだぜ、お前に銃が当たらないことぐらい」
大神が手に持った銃を投げつけると。その瞬間大神の足元にあるコンクリートが音を立てて砕けた。
「な、貴様!」
久条は驚いた表情で身構えた。大神は凄まじいスピードで走り出している。その踏み込んだ衝撃でコンクリートの床が壊れたのだ。残像すら見えそうな速度、その速度のまま大神は久条に向かって高速の蹴りを放った。
ガキンと金属と金属がぶつかり合うような鈍い音が響き渡る。久条は大神の蹴りを受け止め、そのまま流れるように受け流した。大神はまるで合気道や柔術のように、後方へ投げ飛ばされるが、くるりと一回転し足から着地した。
たった一合の衝撃で、お互いのズボンの膝から下が燃え尽きた。そこから垣間見えるのは、肌色のメッキが剥がれた金属の鈍い光。先ほどの金属音の正体はこれだろう。
「小僧、お前も戦闘用の機械義肢(オートメイル)か」
機械義肢。科学の発展に伴い、玖国では地下のシェルターという生活面だけでなく福祉の面にも力を入れていた。
使えない人間はすぐさま切り捨てるが、使える人間が事故や病気でその価値が失われないよう、義肢はこの数十年で飛躍的な進歩を遂げていた。
「おっさん、そんな言葉よく知ってるな」
大神の言葉に久条は口元を緩ませながら返した。義手、義足と種類は様々だが機械義肢(オートメイル)という言葉は軍用であることしか示さない。
「私はこの国の舵取をしてきた。この国に関して、知らないことなどない」
「へぇ……」
大神もまた、久条に対して口元をにやりと歪ませた。
「貴様もよく調べ上げたものだ。私が機械義肢者だと知って四肢を捥いできたのか。しかし残念だ」
「残念?」
「ああ、せっかく機械義肢にしてもだ。戦いというのは」
久条は右手の人差し指で自分の頭をトントンと叩いた。
「ようは、ここなんだよ」
「くっくっく……同感だ」
大神はこみ上げる笑い声を抑えることもなく、そのまま足に力を入れた。先ほど久条が頭を叩いた行動、これはただ頭を使えということではなかった。
本来ならば手足の不自由な人たちのためにある義肢。しかし機械義肢(オートメイル)と呼ばれる戦闘用の義肢には膨大な利点と重大な欠点があった。
義肢を装着すればたちまち百メートルを三秒台で走り、一トンもの重量を動かせる人外的な能力を備えた機械義肢。だが、それを扱う人の生身の部分。すなわち脳や心臓が耐えられない。
かつては義肢の兵士の軍事応用も考えられたが、膨大な予算をつぎ込む割に戦局を変えられるような兵士は作れない。次第にこの計画は薄れていくことになってしまう。
大神が物凄い勢いで近づいてくるにも関わらず、久条は少し考え込むように眉間に皺を寄せた。そしてまた大神の勢いを受け流そうと手を前に伸ばす。だが、大神は久条の目前で急ブレーキをかけた。
「ほう」
「死ね……」
大神はそのまま拳を前に突き出す。一発一発に死臭が付きまとう、しかし久条はそれを受け流しながら口を開く余裕さえも見せた。
「しっかりコントロールできている、それ故にわからんな」
その表情に大神は歯を食いしばり、ギアをひとつあげた。だが、それでも久条は話すのをやめない。
「見たところ二十代後半の貴様が、なぜ機械義肢を持ち、なぜコントロールできる」
「五月蝿(うるさ)いぞおっさん」
大神は拳を引いた反動で大きく足を蹴りあげた。しかし久条はその足を踏み台にし、後方へ大きく回転しながら距離を取った。久条が見せた曲芸じみた行動に、さすがの大神も目を奪われてしまう。
「もう私も歳だからな、どうしても口が滑ってしまうものよ。それにしてもわからんな、この計画は私が終わらせたはずだが……」
久条の溜息じみた発言に大神が口を挟んだ。
「玖国の研究者どもは皆、頭がいっちまってるからな」
「ふむ、独自で進めておったのか。科学者というものはどこまでの己の欲望に忠実なことよ。そしてやつらはいつも我々の常識を覆す」
久条はあえて常識という言葉を選んだようにも聞こえた。
人は空を飛べない、遠く離れた人との会話は出来ない。これらの何世紀も続いた常識を科学者たちは非常識へと昇華させていった。そして科学者たちはまた、常識を覆す。
「俺はお前とは違う。俺は……俺はお前の様な中途半端じゃないんだ」
距離を取っていた久条に向かって、大神はまた足に力を込めた。先ほどまでの走りとは違い、今度は一足飛びで久条の目の前へと飛んだ。
「なっ!」
久条は見えていないのか、大神の拳を受け流すことが出来ず、今度は組み合う形となった。両手を互いに合わせての力比べでは分が悪いと判断したのか、久条はすぐさま足を出す。大神は久条の足が見えると、またしても一足飛びで後ろに跳躍した。
その運動力はあまりにも人間離れしすぎていた。久条は驚いた表情で大神を睨み付ける。
「中途半端だと。まさか貴様、脳に手を出したのか」
「……」
「実験動物の生き残りか、ならその若さも分かる。貴様は機械義肢者などではなく、機械そのものなのか」
「……俺は人間だ」
「はっ、人間の定義でも決めたいのか。もう貴様に人間の部位などあるまい」
その言葉に大神は床のコンクリートを踏み抜いた。その威力は先ほどとは違い、コンクリートの破片は大神の目の高さまで浮き上がる。
「調子に乗るなよ。俺をこんな風に変えたのは、お前ら国のせいなんだぜ」
大神の表情が苦悶に歪み、そして久条を睨み付ける。大神はここまで準備し、針の隙間を縫って王の場所まで辿りついた。その原動力になったのはひたすらに純粋な怒り。復讐という名の心が彼を動かしている。
「拉致でもされたか、運が悪かったな」
久条がいつもの声色で呟いた。まるで自分には関係ないとばかり、人事で終わってしまうような感想に大神の怒りは更に燃え上がる。
「運だと? 他にも俺と同じ様な境遇の人間はたくさん居た。だが、俺だけ。俺だけが生き残った。貴様を殺すために何にでもなった。貴様への憎悪が俺をここまで変えさせたんだ。おかげで今は……いい気分だぜ」
「……本当にそうか?」
その言葉に空気が変わる。顔を出していた夕日はすでに見えず、辺りに少しづつ夜の帳が訪れる。
昼と夜との境界線で二人は向き合った。大神は浅い呼吸を繰り返し、またしてもリミットを外した。大神は脳にすらメスを入れているのだろう。いや、入れられたという方が正しい。
脳とは人間にとって最も重要な器官だ。だが、科学が進歩した玖国でもその内容は完璧に解明されていない。この脳を制御できれば、機械義肢の性能を十分に引き出せるだろう。
しかし、それを人間の脳が許さない。仮に脳によるリミッターがなかった場合、成人男性の平均筋量は約五百㎏持てる計算になる。しかし、こんなことが本当に可能だろうか。
十分の一の五十㎏でさえ普通の人間には難しいだろう。それは大切な筋繊維や腱が壊れないよう、脳がリミットを掛けているからだ。そのため人は本来の十%から二十%ほどしか力を発揮できない。もしもこれが自由に解放できたならば……。
大神は久条へ向かって突撃する。足元が爆ぜ、音と共にコンクリートの破片が宙を舞った。一足飛びに久条の懐へと踏み込む。ただ勢いに任せるだけでは久条に受け流されてしまうだろう。だから大神は久条の手前で片足でブレーキをかけ、返す足で踏み込みながら拳を放った。
閃光のような拳が久条へと襲い掛かる、少し遅れて新幹線でも通ったような風圧に久条の短い髪が左右に揺れた。
「くっ」
今まで余裕の表情だった久条の顔が歪み始める。機械化された目のおかげで大神の拳は見えている、だが反撃に転じられない。ひとつ避けた後にはふたつ、みっつと飛んでくる。
その圧倒的な速度の差に久条は自分の身を守ることしか出来ない。
「はぁっ、はぁっ」
大神の息が徐々に荒くなり球の様な汗をかいている。そのことに久条はいち早く気がついた。まだほんの数秒しかたっていないのに、大神の疲れ様は異常だった。久条は攻めに転じず、防御に専念する。そのことに大神も気が付いたのか、拳を開き、久条の服を右手で掴んで思いっきり地面に投げつけた。
「あぐっ」
投げつけられた久条の体はその衝撃に鈍い声をあげ、まるでピンボールのように高く跳ね上がった。二メートルほども跳ね上がり、無防備になった久条の体をめがけて必殺の拳を振るう。
「死ね」
大神の拳が久条の体を突き抜けるその刹那、久条が素早く掴まれている腕の関節を極めに行く。久条の全体重が大神の右手に圧し掛かり激痛が走った。
このままでは左手に力が入らない、大神は仕方なく足で久条の腕を蹴り飛ばす。交通事故にでもあったかのように、久条の体は吹き飛ばされた。屋上の扉を突き破り、その姿は見えなくなっていく。
「この死にぞこないが……」
大神はこの間に大きく深呼吸した。同時に蒸気のような汗が吹き出し、身体中が赤く染まっていく。燃えるように赤く染まった身体はもはや人とは思えないほどだ。
コツン、コツンと足音が聞こえる。久条の足音だろう、大神はそこから動くことはなく膝に手を付いたまま久条を待った。
「貴様は欠陥品なのだな」
久条が屋上の壊れた扉の隙間から姿を現した。久条が身にまとっていた紅いマントはボロボロになっており、軍服は破れ金属の手足が顔をのぞかせている。そして頭からは大量の血が流れていた。
「そんな姿になっても、よく口が回るおっさんだな」
「くっくっく、そうかね。私の頭は人間なのでな、脆いものだ。だが、ダメージは五分と言ったところか」
大神は浅く呼吸を繰り返し、身体の熱を冷ますように服を脱いだ。上着を脱ぎ捨てた大神、その金属の体に久条は目を奪われる。
「これは……本当に全身機械義肢なのだな」
「違う」
大神は親指で左胸を指差した。
「ここだけは俺のままだ、お前らなんかにはやれない」
「ほほう、これで納得がいった。お前の動きに脳は付いていけても、心臓が付いていけないのか」
呼吸が落ち着いた大神は膝から手を離し身体を起こした。
「充分だ、お前を殺すのに五秒あれば充分だ」
「はっはっは、いままでに何秒たった? それはお前が動ける限界時間じゃないのか?」
「……これからだ」
大神が身構える。足を肩幅まで開き、腰を浅く落として久条を睨み付けた。
「む」
対して久条も身構える。両方の手を前に差出し、大神の攻撃を防ぐような防御の姿勢。
それに変わって大神はまるでスタート前の陸上選手のような姿勢を見せた。大神の力強い攻撃に対して、久条は常に柔らかい防御の姿勢。
まさに、
「柔能く剛を制す、ってところか?」
大神が言葉を漏らした。大神は更に力を溜めているように見える。球の様な汗が蒸気となって蒸発していく。それが夜と重なって大神の体は暗い渦を巻いていく様にも見えた。
久条は何も答えない、大神の姿が不気味だったのか、それともこれから来るである衝撃に対して集中力を高めているのか。
「その続き、知ってるか?」
大神は口元を歪ませた。久条は何も答えない。
「弱能く強を制す。そいつは弱者の戯言でしかないんだっ」
大神が動き出す。またも爆発したかのように足元のコンクリートが砕け散った。すでに屋上は爆撃でもあったかのように凹凸している。大神が久条へ到達し、拳を振り上げるまでもう一秒もないだろう。
久条は目を閉じながら集中していた。達人と呼ばれる人間との違い、それは己の引き出せる集中力の違いにある。呼吸を整え、ただ一つの事に集中し、久条は己のリミットをひとつひとつ解放していく。久条は見えているのだろうか、高速で動く大神の姿が。
「うおおおおお!」
久条が吠える。大神が繰り出すのは渾身の右、それを捉えようと腰を落とし、両手を合わせた。
激しい交差。音速を超えたであろうその数瞬、音は遅れて聞こえ、焦げたような臭いが辺りに立ち込めた。久条の手は大神の拳を捉えた。
だが、捉えただけだった。高速で近づいてくる衝撃が予想できても、それと受け止めることはまた次元の違った話だ。大神の拳は久条の身体をいとも簡単に貫き、久条はそのまま壁に叩きつけられ、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
久条の差し出した両腕。片方は肩口から捥げ、片方は歪な方向へと変形している。頭からは大量の血を流し、昏倒としているなか、それでも久条は口を開いた。
「今日はなんと酷い日だろうか。娘からは罵倒され、そして……」
久条は大量の血を吐き出した。咳き込むたびに身体から血が逆流していく。
「まだ息があるのか……」
大神は座り込みながら呟いた。ダメージはないはずだが、心臓が限界を超えたのだろう。全身から汗が吹き出し、先ほど人とは思えないほど赤く染まった身体は、赤を通り越して徐々にどす黒く染まっている。
これがリミットを外した代償だろうか。ほんの数秒、だが大神は何日も遭難したかのように消耗していた。大神はゆっくりと立ち上がる。歩くことすら息切れしそうな体で、それでも一歩づつ近づいた。倒れている久条に向かって拳を振り上げる。
「終わり……だ」
「待ってください!」
突如屋上に悲痛な声が響き渡った。その声の主は、愛を案内した黒スーツだ。
「一ノ宮(いちのみや)か」
屋上の扉から一ノ宮と呼ばれた黒服が顔を表れる、そして小走りで久条のもとへ駆け寄った。
「もう久条様は限界なんです。脳に腫瘍ができていて、本当は動くことすら困難なはずなんです」
「脳腫瘍だと」
全身を機械化しても脳だけは出来ない。脳の代用品など存在しないのだ。それが当たり前であり、大神のように成功した例は他に見ない。一ノ宮の一言に大神の動きは止まった。
「余計な……こと……を」
大神の下で久条が憎まれ口を叩く。しかし一ノ宮は構わず口を開いた。
「久条様は国を守るために一心不乱に働きました。国のために自分の命すら顧みず、働いたのです。自分の選択が、多くの悲しみを生み出すのは分かっていました。でも、それでも国民の命を、玖国を救いたかった。その最後が守りたかった人達に殺されるなんて、あまりにも悲しすぎます!」
一ノ宮は涙を流しながら大神に懇願(こんがん)した。その姿を見て大神は振り上げた拳を躊躇(ちゅうちょ)してしまう。大神は久条に向かって問いかけた。
「なんだおっさん……死ぬのか」
「……ああ」
その返答に大神はふらふらと立ち上がり、久条のもとから離れていった。一ノ宮は大神の後ろ姿を目で追ったあと、久条の口元へとさらに近づいた。
「お前は本当に余計なことばかり……ぐっ」
「大丈夫ですか!? 今医者を」
一ノ宮は無線で医者を呼ぼうとしたが久条がそれを退けた。
「いや、もういい。私は十分に生きた気がする」
「何言ってるんですか、この国にはまだ貴方が必要です」
一ノ宮の瞳からは、溢れんばかりの涙が見える。それを見た久条は少しだけ微笑んだ様な気がした。
「こんな年寄りには、もう何も変えられない。私だって分かってた。Dなど、こんな陳腐な策しか取れないようでは、国は変わらないのだ」
「仕方がなかったんです! あの時はこれが最善の策だった」
「あいつなら変えられる気がするのだ。あの娘なら、悲しみを生まない未来を……」
久条は最後の力で手を空へと伸ばす。それは何を掴もうとしたのだろうか。
「も、もう目が」
「後を頼む、じゃぁな……」
最後の瞬間、久条は確かに目を細め口元を緩ませた。悲しい叫び声が夕暮れに木霊する。大の大人が涙も隠さずにただひたすら泣いていた。大神は顔を見せず、その場を静かに立ち去った。
D政策という恐怖の政策を貫いていた時代が終わった。大神の言った革命は成功に終わったのだろうか。しかし、久条が、Dが無くなっただけでこの世界は変われるのだろうか。
玖国の国民は変わらなければならない。彼らは独裁という枷を外した後、どう生きることが出来るのだろうか。彼らは歩まなければならない。それは久条が最後に掴もうとした未来。
誰も泣かず、理不尽に苦しまず、飢えることなく、誰もが裕福な心を持つことが出来る。
久条が死の間際に願った、幸せな未来を――。
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