第5-5話:正義
ギィと蝶番がきしみながら扉が開く。外に出ると夏の帳が心地よい風と共に私を出迎えてくれた。
大きな太陽がA区域の街並みを柑子色(こうじいろ)に染め上げていく。B区域の作り物とは違った色合いがとても美しく見えた。
私は屋上の中央へと足を踏み出す。コンクリートの床には大きくHと書かれたヘリポートがあるだけだ。私は辺りを見渡すも、屋上へ逃げられたのはいいが他には何もない。柵はなく、少し高い段差に囲まれているだけだ。
私は屋上の端へ行き、恐る恐る下を覗いて見るが、
「そこから飛び降りでもするかね。やめた方がいい、この高さから飛べば生きてはおれん」
突如、久条の声が後ろから響いた。私はぐっと奥歯を噛みしめ、情けない顔していたであろう、頬を引き締めた。
諦めるわけにはいかない――。
死ぬためにこんな場所にきたんじゃない。しかし対抗できる策なんてなかった。抵抗できる事なんて、私がここから飛び降りるぐらいだろう。久条が一歩づつゆっくりとこちらへ向かって歩いてくる。
誰か――!
私が目を閉じかけた瞬間、久条がいきなり飛びのいた。
何が起こったのか、屋上の入口のほうへまるで獣のように飛びのき、あらぬ方向を見つめていた――。
*****************************
――パンッと小さな音がした。
放たれた銃弾は空気を切り裂き、遥か遠くに見える人影へとまっすぐに飛んで行った。
ここは愛が居るビルから遠く離れた別のビル。屋上には鈴と鉄の姿があった。鈴は大きな双眼鏡を持ち、鉄は寝そべった体制で鈴の背丈ほどもある大きなライフルを構えていた。
「あ、あいつ避けたんじゃない? ちゃんと狙った?」
「運のいいやつだ」
狙撃だ。鈴は双眼鏡で目標の動向を逐一報告し、鉄はそれに合わせて狙いをつけて引き金を絞る。先ほど久条が飛びのいたのはこの銃弾によるものだったのだろう。
「ん? なんかあいつこっち見てない?」
「五百メートル以上も離れたビルの中だ、見えるはずがない」
鈴は双眼鏡から見える久条の姿を見定める。すると小さい光が微かに目に映った。
「あいつ撃ってきたよ、私たちの位置バレてるんじゃない?」
「バレてたとしても、絶対に当たらん」
鉄が狙いを見定めながら再度引き金を絞る。すると、背にあるコンクリートの壁が鈍い音をしながら剥がれ落ちた。
「がっ」
「鉄ちゃん、目標止まってるよ。早く次弾を撃って……なにやってんの?」
鈴は双眼鏡から目を離し、蹲(うずくま)っている鉄に近寄った。
「う、撃たれた……馬鹿な、五百メートルだぞ」
鉄がそういった後、三秒ほど遅れながら壁に五つの穴が開いた。拳銃の射程距離はどんなに長くても五十メートル程度。相手が拳銃を持っていても問題ないように安全地帯に居るつもりだった。
しかし正気の沙汰とは思えないほど正確な射撃が飛んでくる。鈴は急いで双眼鏡をしまい、鉄に肩を貸しながらその場を立ち去った。物陰に避難し携帯を取り出す。
「撤収。鉄ちゃん負傷、撤収します」
「了解」
電話から聞こえてくる声は大神のものだった――。
********************************
――久条は突然銃を取り出し、私ではなく虚空へ向けて放った。久条はリボルバー式の拳銃は六発すべての銃弾を吐き出し、新たな銃弾を装填しながら私へ問いかけた。
「これがお前の策か? お粗末だな」
「お粗末なのはどちらかな」
突如、屋上に響き渡る男性の声。大神の声だ、屋上の扉に背を掛けながら、手には拳銃をもちながら久条へと狙いを定めている。
「ほう、よく此処まで来れたな」
突然の大神の登場にも、久条は先ほどまでと同じ余裕もった表情で言葉を返した。私は見知った顔を見て少しだけ安心した。
大神は私を助けに来てくれたに違いない。大神の銃口は背中を向けている久条へと向けられている。一歩でも動いたら大神はなんの躊躇(ためら)いもなく撃つに違いない。
数秒がやけに長く感じられた。大神は銃を構えたまま、久条は私の目の前で眉間に皺を寄せながらも口元はにやけている。絶対絶命のはずなのだが、この余裕はなんなのだろう。
「……何の音?」
私は耳に聞こえてきたバタバタと大きな音に耳を取られる。すると、ビルの階下からいきなりヘリコプターが轟音を連れて顔を出した。
「馬鹿な! なぜヘリがここを飛べる!」
久条の先ほどまでの笑みが消えた。ポケットから通信機のようなものを取り出し、大声でまくしたてる。
「私だ、警備の連中は何をやっておる! おい、聞こえんのか?」
「無駄だぞ、おっさん」
久条の慌て様が面白いのか、大神はまるで子供の用な笑顔で笑い始めた。
「貴様……何をした?」
「知らねぇのか、自分の部下がやってたことぐらい知っておくべきだったな」
大神は久条を見下したような目をして、次に私を指差した。
「こいつの父親はな、この国の元情報管理者だ。それに優秀な科学者でもあったそうだぜ」
そして私が地下で手に入れたチップを見せびらかす。まるでチェックメイトと言わんばかりに銃の撃鉄を下げた。だが、久条は不敵な笑みを浮かばせるだけだ。
「そいつで防衛システムを破った……それだけか?」
「……」
「くっくっく……はっはっは」
「何が可笑しい? もうお前は終わりなんだ」
「終わりだと? 我が心臓はいまでも脈打っているが?」
「うるせぇ野郎だ……」
大神は銃に力を込める。だが、久条はお構いなしに話続けた。
「これだけか? 貴様もそのチップの中身を見たのだろう? その成果が本当にこれだけなのか?」
大神は指に力を込めつつも、久条の言葉を待っているように見えた。そして久条はゆっくりと初めて大神に相対する。
「能無しどもはあれを見ても使い切らんか。やはりこの国にはまだ、私が必要のようだ」
「きゃっ」
久条が動いた瞬間、ヘリコプターに備え付けられていた機関銃が火を噴いた。屋上のコンクリートに無数の穴が開き、まるで生き物のように久条へと襲い掛かる。しかし久条は先ほど見せたような反応と身のこなしで、素早く射線上から逃れた。
私と久条との間には弾痕の川ができる。私は川から数メートルも離れていたが、凄まじい衝撃に思わず吹き飛ばされそうになった。
「愛!」
轟音の中で私を呼ぶ声が聞こえた。私は辺りを見渡すと、ヘリコプターから身を乗り出している兎谷の姿が見えた。
「来い!」
兎谷が私を呼んでいる。ヘリコプターは屋上の端で上下にホバリングをしている。屋上からヘリコプターまでの距離は、そう遠くないはず。
あそこまで行ければ――!
私はいまにも抜けそうな腰を歯を食いしばりながら立たせた。
「兎ー!」
私は大声で兎谷を呼んだ。それに気が付いてくれたのか、兎谷は大きく手を振りながら、身体全体を外へ出した。
兎めがけて、飛ぶんだ――。
私は何かに押し出されるように走り出す。私が走り出すのと同時にヘリコプターも動き始めた。ゆっくりと私に向かってくる。兎谷の姿がどんどん近づいてくる。タイミングなんてわからない、飛んで届くのかもわからない。
兎に会いたい。その一心で私は屋上の端から飛んだ。
「あ、あああああ!」
浮遊感、身体中を寒気がするほどの浮遊感が私を襲った。兎谷の顔が間近に見える、でもあとどれほど離れているのかわからない。私は彼に向かって千切れる程に手を伸ばした。
「愛!」
私の手には兎谷の体温が、私の体は力強い手から暖かい腕の中へと運ばれていく。私は地面に激突していない。何もなかった両方の手のひらには、しっかりと兎谷の手が握られていた。
「よし、上げてくれ!」
兎谷の一声でヘリの高度があがり、先ほどまで立っていた屋上が徐々に小さくなっていく。しかし、
「え?」
「え?」
またしても寒気がするような浮遊感が私を襲った。でも、それは兎谷の命綱ですぐさまおさまった。
「大丈夫か?」
「ああ、軽く死にかけた」
「あ、あんたねぇ!」
ヘリコプターの操縦者であろう男の声が聞こえてくる。私はその声でようやく安堵の息を漏らした。最後に何かしらミスをするのが、なんだか兎谷っぽくて安心すら感じられた。
「よっと」
「わっわっ」
兎谷が私をしっかりと抱きかかえる。繋いでいた手を解かれ、私も兎谷もお互いに抱き合っていた。私は思わず顔が熱くなってしまう。
「よく頑張ったな」
兎谷のその一言に、恥ずかしさ半分嬉しさ半分。でも兎谷の暖かさに、私は思わず腕の力を強めた。
「私は、何もしてない」
「ん?」
「いや……なんでもないわ」
なんだか無理にいじけるのも馬鹿らしくなってしまった。
いまは、このままで居たいな――。
でも兎谷と目が合うのは恥ずかしい。私は目を逸らして、夕日に照らされているビルの方向を見た。先ほどまでいたビルはいつの間にか小さくなり、屋上に立っている二人の姿はよく見えない。
「大神さんが気になるかい?」
「ええ、残してきてよかったの?」
「よかったもなにも、全て大神さんの指示通りだよ」
「え、ならなんで……」
私は兎谷に訊いてみた――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます