第5-4話:正義

「さぁ授与式に行こうじゃないか。これからはお前が国を司るのだ」

「国を……?」

「そうだ、これからはお前が王なのだからな。玖国の王は久条の血を引いておらねばならん。何世代も玖国を繁栄させた我が久条家の人間が、玖国をより良い未来へ導く者なのだ」


 久条は意気揚々と赤い絨毯を歩いていく。久条に抱きかかえられながら、私は朦朧(もうろう)とした意識の中で呟いた。


「そんなことの為に、父さんと母さんを殺したの?」

「そんなこととはなんだ。国に王が居ないんだぞ、玖国の民にこの世界を生きる道筋を示さなければこの国は滅びてしまう」


 国が滅びる? 国が、玖国がこいつのせいで――。

 父さんを母さんを犠牲にしないと生きていけない国なんて……滅びてしまえばいいんだ――!


 私は体に火がついたように、久条の体を蹴って拘束から逃れた。そんな私の姿が気に入らなかったのか、先ほどまでの笑顔は消え、久条は私を睨み付ける。


「私は……お前の、国の、操り人形なんかじゃない!」


 憎しみが私の震える足を止めてくれた。二本の足に力を込め、私は大声で解き放った。


「こんな腐った国を作ったのは、あなたでしょう!」

「腐ったとは心外だな」


 余裕たっぷりに呟くその姿に、私の怒りは更に激しさを増した。


「なにがD政策よ。人の命を淘汰(とうた)する国に、未来なんてない!」

「ふん。お前は若いから知らないだけだ。海に浸食されたこの国に国民全員が暮らす場所などない」


 久条の返答に一歩踏み出し、私はなお吼えた。


「生きるために国民を差別し、殺すなんて……。人の命は皆平等のはず」


 私の言葉に久条は呆れたかのように笑い始めた。しかし、目は笑っていない。眉間には皺が寄り、まるでいたいけな娘を叱るような優しい目を私に向けた。


「まさに夢見がちな小娘といったところだ。人は今まで戦争を終わらせたことなどない。常にどこかで、生きるために、人は人を殺しているのだ」

「だからと言って、人を殺していい理由なんてない!」


 久条は先ほどよりも大きな溜息を吐いた。


「お前は見たことがないから言えるのだ。小さい子供が、家族の亡骸の横で叫ぶのだぞ。パンをくれ、パンをくれ、とな。この国もつい最近まではパンひとつで殺人すら起きたのだ。人の命などパン以下。だがなそれでも人は……生きていたいのだよ」


 久条の悲しそうな目に、私は反論できなかった。


 大地が人で覆い尽くされ、食料は満足に行き渡らずに餓死者まで出始める時代。そんな時代に王だった久条にとって、D政策は苦肉の策だったに違いない。私の頭の中に、地下で出会った人たちの笑顔が映し出される。


あの人たちの笑顔は、餓死の恐怖から解放された笑顔だったんだ。

でも、それでも……父さんと母さんの命がパンよりも軽い命だなんて、信じたくない――。


「同じよ……」

「同じ、だと?」

「Dのせいで、殺された親を泣き叫ぶ子供は、この時代でも消えていない!」

「阿呆が。数は減っておる」

「数の問題じゃない!」


 私の瞳にはいつの間にか涙が溜まっていた。濁っていく視界をドレスで拭った。久条は少しの沈黙のあと、口を開いた。


「国はな……個を救えんのだ。国家を守るために、個を切り捨てる場合もある」

「そんな国に……何の価値があるっていうの?」


 私の言葉に呆れたのか、それとも無駄だと思ったのか。目を尖らせながら私に近づいてきた。


「ちっ、貴様には今から死ぬほど勉強させてやる」

「勉強? 洗脳の間違いでしょ?」


 久条の手をかいくぐり、私は赤い絨毯を必死で駆け抜けた。もうこんなところには居たくない、エレベーターへと向かって全速力で駆け抜ける。


「愚か者が、ここからは逃げられんよ」


 久条の声が遠く微かに聞こえた。私はエレベーターのボタンを押すが、


「うそ、反応しない」


 壊れているのか、それとも止められたのか。私は脇にある階段を目指して走る。下に行くか、上に行くか……もちろん下だ。


 私は階段を下り始める。しかし、ドタドタと大勢の足音に足が竦(すく)んでしまった。


「どこだ?」

「こっちじゃない、探せ! 探すんだ!」


 久条が連絡したのか、大勢の黒服たちが階下を走り回っていた。


 下には行けない、上に行くしかない――。


 私は大神の言った言葉を思い出した。トイレで震えていることすらも出来ない。


 私は絶対に諦めたりしないんだから――!


 天国とまで言われた屋上への階段を一歩づつ踏み出した。私は最後の階段を上り、屋上へと続くであろう鉄製のドアノブをひねった。

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