第5-3話:正義

「こちらです」


 黒服に案内され、赤絨毯の階段を上る。先にはエレベーターホールがあり、頭上の表示板にはⅠからⅨまでの数字が記されている。私は黒服と一緒にエレベーターに乗り込んだ。


 エレベータの中ではお互いに何も話さない。私はさっきのメイド服の女性が言った、久条という名前を思い出していた。


 久条……たしか泉さんが言っていた、あの男の名前だ――。


 チンとエレベーターが止まる音が聞こえた。表示板はⅦを指している。私はエレベーターの前に敷いてある赤い絨毯に足をつけた。


「失礼いたします」


 私を降ろすと黒服は階下に戻って行ってしまった。私は独り取り残されてしまう。七階は一階と同じように赤い絨毯が敷いてあるが、ただそれだけだ。


 一階とは違い綺麗な装飾はないが、横一面ガラス張りの廊下からはA区域の街並みを一望できる。しかし、そんな景色を楽しむ余裕なんて、今の私にはない。


 部屋なんてひとつもない、廊下だけね――。


 私は導かれるように赤い絨毯を歩いた。そして大きな扉の前で立ち止まった。私の背丈の倍はあるだろうか、三メートル近い扉にはこれまた派手な装飾が施されていた。悪趣味なドアノブに手を掛けて扉を押した。大きな扉にしては、音も立てずにすんなりと開いた。


「ほう、馬子にも衣装とはまさにこのことだな」


 大きな部屋の奥から声が聞こえる。コツ、コツと高い足音が響き渡る。私はゆっくりと扉を閉め、部屋の奥へと足を進めた。


 久条……やっぱり、あの地下水路で私たちを襲った男だ――。


 久条と私は、部屋の中央で向き合う形でにらみ合う。地下水路の時は暗くてよく見えなかったが、白髪で眉間に皺が寄ったその顔は五十歳ぐらいに見える。身長は鉄ぐらいだろうか、二メートル近い大柄な初老の男。軍服のような服装に紅いマントを羽織り、胸には沢山の称号、腰には西洋のサーベルのような剣を携えている。


 相対していると久条の威圧感に押されて尻もちを付いてしまいそうになる。私は声が裏返りそうになるのを必死に堪えて、気丈に言葉を返した。


「いきなりこんなもの着させて、随分な物言いね」


 私の精一杯の返答に久条は小さく笑い始めた。


「くっくっく、確かに失礼だったかな。いかに我が娘とはいえ」


 突拍子もない発言に思わず目を見開いてしまう。しかし、私の記憶にこんな男の姿はない。私の父親はただひとりだけなんだ。


「あんたなんかに育てられた覚えはない!」

「ふん、私も育てた覚えはないがね」


 私は思わず声を荒らげてしまう。私を挑発しているつもりなのだろうか。落ち着き払っている久条を必死で睨み付ける。すると久条は笑っていた口元を引き締め、見下すような目で私を見た。


「どうだったかね、あの男はお前を愛してくれたかね」

「お前に父さんの何が分かる」

「ふん、お前は何も知らないようだ。いい機会だ、全てを教えてあげようじゃないか」


 久条は席を立ち、私に向かってゆっくりと歩き始めた。


「お前の母親は私の妾の一人としてやってきた。正妻と子宝に恵まれなくてな。だが、程なくして正妻との間に子供が出来た。しかし私は彼女を気に入ってね」


 嘘だ、何を言っているのか意味が分からない――。


「そ、そんな話をするために私を拉致させた訳? 何のために呼び出した!」


 すべてはこいつのせいなんだ。私が亡命に失敗したのも、大神に依頼をだしたこいつのせいなんだ――。


「その強気なところが母親によく似ている。しかし、そんなに怒っていては肌に悪いぞ」


 こんなときに久条は冗談まで言い始めた。私は敵意を持って久条を睨み付ける。久条が前に出るたびに一歩下がってしまうのが情けないが、私にはこれぐらいしか出来ることがなかった。


 そんな私に呆れたのか、久条は溜息をつきながら横に置いてある椅子へと腰かけた。


「私が王の地位から身を引くとき、次の王を選んだ。勿論、正妻との間に出来た子供だ。しかし、王を決めるときに古い仕来りがあってな。聞いたことぐらいはあるかね?」


 どうやらこちらが本来の話のようだ。私は何も言わずに首を横に振る。


「邪魔な兄弟共を殺すのだよ。王族の血が流れているというだけでな。残酷だとは思わんかね」


 殺す? 王族の血が流れているだけで――?


 私は心の中で久条の言葉を反芻する。とたんに冷や汗がどっと噴き出してきた。


「わ、私が本当にあなたの子供ならば、既に死んでいるはずだけど?」


 声が震える。違う、唇が震えているんだ。嫌な予感がする、とても嫌な予感が――。


「お前達は逃げたのだ。母親はお前を守るために、国命に逆らう重罪人になってまで……」


 血がどんどん冷たくなっていく。足はがくがくと震えが止まらない。立っていることさえも難しく思えてしまう。


「理解したようだな。そう、お前の母親はお前を守って死んだのだ。美しいとは思わんかね? これが家族愛とでもいうのか。だが、あの男は哀れなことにな。自分の子ではなく、他人の子のために死んだのだ」


 その言葉に、私はずるずると床に座り込んでしまった。


「嘘……。全部、私のせい?」


 コツ、コツと足音が聞こえる。でも私は頭を上げることすら出来ない。目の前には堅そうな革靴が映る。私はそのまま両脇を持ち上げられ、久条に抱きかかえられてしまった。


「お前が生きてくれていてよかったよ。王の代わりが出来るのは、お前しか残っていない。若くしてこの世を去った王の変わりに、お前が次の王になるのだ」


 久条は私は抱えながら扉を開けた。

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