第5-2話:正義
――八月十七日 十四時
「行くぞ」
大神の一言が合図となり、私たちは家を出た。気合いを入れて家を出たのに、電車に乗るとなんだかシュールだ。一緒に歩く兎谷はまだ足が完全に繋がってはいないようで、左足を引きずりながら歩いている。
私が心配そうに兎谷の足を見ていると、
「大丈夫大丈夫。痛み止めも飲んだから平気だよ」
「何も言ってないわよ」
「え、そう? なんだか不安そうに見えたからさ」
それはその通りだが、こんな怪我人を無理やり連れてくる必要もないだろうに。私は返す瞳で大神を見た。
「こいつは自分から今回の役割を買って出たんだ、仕方ないだろう」
「でも、ここで無理して傷口が開いたりしたら」
大神は私の返答には目もくれず、代わりに兎谷に声をかけた。
「兎、行けるのか?」
「大丈夫っす」
それをひとつ返事で返した。大神から出た最大限の譲歩だろうに、私はそれを聞いて拗ねるように窓の景色を見た。変わり映えしない茶色の空の下には、これまた変わり映えしない街並みが見えた。
検問所につくと、兎谷はすぐさま車を借りてくる。大神が例のカードを見せると、大きな音を立てて柵が開いた。一昨日C区域に行った道とは別の道だ。車は地上に出ることはなく、地下を通って徐々にスピードを上げていく。対向車は皆無だ、この道を通ることが出来る車は限られているのだろう。上とは違った特別な道、これがA区域への道のりだ。
手元の時計はすでに十七時を指そうとしている。電車で話してから二時間ぐらい黙りっぱなしだ。少し息苦しいのもある、私はなんとなくだが大神に話を振ってみることにした。
「大神さん、いまからどこに行くの?」
「依頼主へ会いに行く」
「依頼主って?」
「王だ。いや、恐らくだが……」
大神は少しの間沈黙したが、私は気にせず話を続けた。
「会って、どうするの?」
「お前を引き渡す?」
「え? ちょ、ちょっと話が違うじゃない!」
「話だと? 何の話だ」
「私を亡命させてくれるって約束はどこにいったのよ、忘れたの!?」
「忘れていない、これが終われば晴れて亡命できる」
「……亡命って、天国とかじゃないわよね?」
「くっく、そんな悪趣味な言い回しはしない。壱でも弐でも好きな国に行くといい」
「そ、そう……よかった」
私はほっと胸をなでおろす。しかし、また別の不安が生まれていた。
「会って、私はどうすればいいのよ?」
「どう? とは」
「だって敵の親玉のところに行くんでしょ? 殺されたらどうするのよ」
「問題ない、お前は絶対に殺されることはない」
「絶対って……」
「今のお前はイレギュラーなんだ、居ても居なくても問題はない。怖かったらトイレでガタガタ震えていてもいいし、屋上から飛び降りてもいい。ああ、でも飛び降りたら天国に逝っちまうかもな」
今のって言葉に私は心底ムカついた。昨日までは私が必要で、今日は必要ないってことなのか。息苦しいからって損をした、私は頬を膨らませながら黙り込んだ。
しばらくするとA区域の検問所が見えてきた。兎谷は例のカードを警備員に見せると柵が開いた。検問所を無事に通過してA区域へと入った。目の前には全面鏡で覆われた高いビル。まるで雲まで届きそうな高いビルで埋め尽くされていた。私が最初に来た港付近とはまた違い、都会の雰囲気で満ちていた。
「着いたぞ」
車は路地の奥に入る。意外なところにある検問所を通ると、鏡で覆われたビルの前で止まった。ここが大神の言う王の住処なのだろうか。王様というぐらいだから、厳格な城の様な建物を想像してしまっていた。立派なビルには違いないが王という肩書きの前では、寧ろ質素な印象を受けてしまった。
私は車の中から辺りを見渡した。周りは様々な警備システムが施されているようだ。いたるところに監視カメラが設置されており、奥には銃器を持った警備員さえも見える。
重要人物が居るって感じね――。
それに人どおりがまったくと言っていいほど無い。此処を歩いているだけで撃たれそうな気さえする。車道は一車線しかなく全て一方通行だ。さっき通った検問所を抜けると、別の世界に入ったような感覚すら覚える。
大神がビルの前にいる警備員と何やら話をしているのが見えた。そして車へ戻ってくると、私が座っている後部座席のドアを開けた。
「行け、ここからはお前独りだ」
私は初めて指示をもらった。なんて心細い言葉だろうか、私は唇を強く噛んで立ち上がる。
「行けばいいんでしょ」
私は力任せにドアを閉めた。心臓の音が速くなっていくのを感じる。視界の端に映る警備員が自動小銃をカチリと鳴らした。
私は意を決して歩きはじめる。ビルに備え付けてある短い階段を上り、鏡の扉の前に立つとゆっくりと扉が開いた。
「うわぁ……」
私は思わず感嘆の声をあげてしまった。ビルの中に入ると高い天井と、美しいホールが私を出迎えてくれる。
天井には西洋風と思われる絵画が描かれており、その下にはシャンデリアでライトアップされた赤い絨毯が奥の階段まで敷かれている。とてもじゃないが、玖国に居るとは思えない造りだ。
「綺麗……」
私が部屋の装飾に見とれていると、ゆっくりと扉が閉まった。自動扉なら私が立っている位置でまた開くはず。でも扉は一向に開こうとはしなかった。
出られない、ってわけね――。
私はゆっくりと足を前に向けた。
「ようこそいらっしゃいました」
私が少し目を離した隙に、いつの間にかホールの中央に一人の若い男性が立っていた。
赤いメガネをかけた二十代くらいの若い男性。いや、男物の黒いスーツを着ているだけの女性かもしれない、そんな中世的な顔つきをしている。
「どうぞこちらへ」
黒服に案内され、私は階段の脇にある小さな部屋へと連れて行かれた。中には小さめのシャンデリアと大きな鏡がある。
それと、
「メイドさん?」
シックなドレスを着た女性が立っていた。女性が私に向かって一礼する。私はよくわからないまま突っ立っていると、女性が私の後ろに回ってぐいぐいと背中を押してきた。
「ちょ、ちょっと」
「どうぞ、そのまま進んでください」
言われたまま、押されるままに前に進むと、シャワールームに通された。
「どうぞ」
「いや、なにが……」
「どうぞ」
目の前の女性は全く表情を崩さない。私は流されるようにお風呂へ入らされ、何やらエステサロンにでも来たような待遇を受けた。
行ったことなんてないけどね――。
シャワーから上がると、髪を丁寧に梳(と)かれ、何やら豪華な服を着せられる。これも西洋のドレスだろう、まるで王侯貴族にでもなったようだ。ドレスを着るなんて生まれて初めてだし、ちょっとしたお姫様気分に浸ってしまう。
「お疲れ様でした」
「う、うわ……」
部屋に備え付けられている大きな鏡に映ったのは、見たこともないような私の姿だった。
いつも縛っている髪は下ろされ、腰のあたりまで伸びている。そして肩がはだけた真っ白いドレスに、赤いリボンがちょこんと添えられていた。
私は思わず鏡に向かって手を差し出した。当たり前のことだが、鏡に映っている女性も同じように鏡向かって手を差し出した。
信じられないけれど、本当に私なんだ――。
驚きと恥ずかしさが同時に襲ってくる。でも、ほんの少しだけ嬉しくもある。今度は裾を両手で少しだけ持ち上げてみた。ぎこちなさだけが目立つが、まるで童話のシンデレラみたいで、私は魔法に包まれているよう、
「愛様」
「ひゃ、ひゃい」
「申し訳ありませんが、久条様がお待ちです」
「え……」
メイド服を着た女性はそれだけを言って扉に近づいた。私も転ばないように裾を持ち上げて女性の後を追った。
「お綺麗ですよ」
扉を開けた瞬間、黒服からお世辞が入る。私は思わず顔を引きつらせてしまった。メイドの女性はそこで一礼し、私を黒服に預けるようにして部屋へと戻っていった。
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