第4-7話:遺産

 ――兎谷は一人取り残されてしまった。いや、それを自分から望んだのだろう。


「あー。死んだな、俺」


 胸ポケットから煙草を取り出し、火を点けながら小さく呟いた。


 兎谷は思っていた。女の足と男の足ではどうしても差が出る。追手は捕まえようと思えばすぐ捕まえられたはずだ。でもここまで逃げれたのは、すでに包囲が完了していたからだろう。


「きっと、上も駄目かもな。袋の鼠ってわけだ。嫌だね、趣味が悪いよ」


 でもここに二人で留まるより、上に逃げたほうが還れる可能性は上がるだろう。そう信じるしかなかった。


 煙を吹き出す。肺から出る紫煙が心地よい。兎谷はもう一度バッグの中身を漁った。


「武器はなし、か。これじゃ映画の脇役だぜ……まぁ悪くないかな」


 奴等の足音が聞こえる。煙草を階下へ投げ捨てた。


「終わりだな」


 彼の脳裏にその言葉がはっきりと焼きついた。


 最後の仕事になってしまった。今の彼の目的は、彼女が上へ逃げるまでの時間を稼ぐことだ。


 武器も無く、弾薬も無く、脚も無く。それでも彼は戦うだろう。闇の中から聞こえる足音に只々息を潜めていた。


「……B級映画のラストシーンってとこかな」


 カランと小さな音と共に、目に飛び込んだのは閃光弾。兎谷は条件反射で目を閉じる。同時に上からは銃器の音が鳴り響いた。


「ホント格好付かないね、あんたは」


 鈴だ、何故此処に? でもそんなことはどうでもよかった、助けがきたのだ。彼は痛みを堪え、なんとか立ち上がろうとする。しかし、片足だけでは歩くことすら間々ならない。


 小さな鈴に肩を借り、ようやく階段を上り始める。


「重い~。もっと力はいんないの?」

「無茶言うなよ。片足ないんだぜ」

「そうだ、忘れてた」


 鈴が階段で何かを探している。階下からは拳銃の音が何発か聞こえる。相手の応戦が始まったのだ、しかし地の利は明らか、銃撃戦においては上を獲ったほうが圧倒的有利だ。上から銃器の音がけたたましく鳴り響く。この弾幕では顔も上げられないだろう。用事を済ませた鈴が兎谷の元に戻ってくる。


「よしいくよ! 早く上って! こんなところで死なれちゃ困るの!」

「死んだら二階級特進ってか?」

「バカね、うちは軍隊じゃないのよ」


 兎谷は鈴に肩を借りてゆっくりと上を目指す。身長差がありすぎる二人にとっては、肩と言うより背中を借りると言うべきだろうか。


 銃器を撃っているのは恐らく鉄だろう。ともかく急がなくてはならない。兎谷のヘルメットに付いたライトが階段を照らし出す。鈴が後ろを振り返るが追手は来ない。拳銃の音も徐々に減っていった。ライトが扉を明るく映し出す。階段を上ってきた二人に鉄が気づき、撃つのをやめて扉を開けた。


「で、出口か?」


 兎谷は生きて脱出する事が出来た。あの絶望的な状況下から足を失いながらも生還出来たのだ。


 夜空に佇む星達が、まだ数時間しか経っていない事を告げる。だが、兎谷はまるで何ヶ月も地下に居たような感覚に襲われていた。それほど地上の空気は美味だった。


 ああ、空気がうまい。こんなに旨いと感じたのはいつ以来だろうか――。


「鉄ちゃん、引き上げよう」


 鉄は鈴の声に頷き扉を閉める。扉の傍には一台の車。その中から愛が飛び出してきた。


「よかった……」

「大丈夫だって言ったろ?」


 兎谷はニコリと笑って見せた。愛の顔は溢れた涙でボロボロになっている。そんな感動の再開に水を指す様に鈴が二人の間に割り込んだ。


「ほらほら、感動の再会はあとあと」


 二人はすぐさま現実に戻される、確かに時間は無い。銃声が止んだのなら追手は大急ぎで向かってくるだろう。だが、久条達が張った罠のお蔭か、追いつかれる事は無かった。


 まさに自業自得、追手は自分で自分の首を絞める形になってしまう。愛達四人は負傷している兎谷を抱えて車へ乗り込んだ。鉄が急いでアクセル踏みこみ戦場から脱出する。車中では皆、安堵の息を漏らした。


 愛は緊張が緩んだのか、そっと目を閉じてしまう。長い一日に疲れたのだろう。今は眠らせてあげたい。兎谷の脚は重症だが、痛み止めの薬と応急処置を施したおかげか呻き声は徐々に少なくなっていった。


「どこの病院だ?」


 鉄が運転しながら呟く。


「あ~一般のとこじゃまずいよね。ならおじさんの所じゃない?」

「了解」


 その言葉に兎谷が嫌そうに目を曇らせた。


「行きたくねぇなぁ」

「贅沢言わないの」


 鈴に叱られ、兎谷は嫌々ながらも言う事を聞く。鉄が車をB地区の病院へと急がせる。鈴が愛と同様に今にも瞼を閉じそうな兎谷に気が付いた。


「お疲れ様、兎。寝ててもいいよ」

「あ、ああ」


 その言葉を最後に、兎谷の意識は微睡みの中へ吸い込まれていった――。

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