第4-6話:遺産

――走る。


 兎谷に抱えられていた私も腕の中から降り、一緒に全速力で地下を駆け抜けた。追手はすぐ後ろに迫ってきているが、撃ってはこない。このデータが壊れるのを恐れているのかそれとも別の理由があるのか。何かは分からないが、武器が拳銃一丁しかない私達には好都合だ。


「見えた。走れ! もうすぐだ!」


 泉の言うとおりもうひとつ出口がある。兎谷は鍵を取り出し鍵穴に挿し込む。鍵を開けるのに少々手間取ってしまったが、なんとか中に入ることができた。


「いくぞ! 走れ走れ!」


 中から鍵を閉め、長い螺旋階段を駆け足で上り始める。階下から乾いた銃声が聞こえた。同時に金属が倒れる音、追手がドアを壊したのだろう。私たちはさらに上へ上へと階段を駆け上る。


 暗闇を照らすライトの光だけが頼り。ヘルメットを持っている兎谷が先行する。半分は上れただろうか。距離感は既に失っている、だが追手は見えてこない。

 

 逃げ切れるかもしれない――。

 

 そんな思いからか、少しだけ安堵の息が漏れてしまう。私は疲れてきた足に活を入れ、薄暗い階段を二段飛ばしで駆け抜けた。


「痛っ!」


 突如目の前の兎谷が派手に転んだ。私の安堵が伝染してしまったのか、転がった拍子に頭をぶつけてしまいヘルメットが地面に転がった。


「痛ぇ! だっさいなあもう」


 兎谷も愚痴を垂れる余裕すらあった。すぐさま両手を付いて立ち上がる。だが、歩こうとするとまた転ぶ。立ち上がって、また転ぶ。


「ちょっと、何してるのよ」

「いや、なんかうまく……」


 私は肩を貸すため、兎谷に近寄った。すると、ぬるっとした階段に足を取られそうになり、思わず手すりに寄りかかる。カタンと、ヘルメットが足に当たりころころと地面を転がった。鈍い光が、兎谷の足元を照らした。


「あ……ああああああああ!」


 兎谷が狂気じみた叫び声を上げる。私はライトが映し出す光景に、思わず目を瞑った。


「ない! くそったれ! 脚がない!」


 彼の足首から下が……無くなっている。


 綺麗に切り取られた左足からは夥(おびただ)しい程の血が流れ、どす黒い表面からは白い骨が見え隠れしていた。ライトの光が脚を切断した凶器を映し出す。


「これは、ピアノ線?」


 細く長い糸の様なモノの上に兎谷の血が浮いている。


 罠? こんなもの見えるわけがない。足元を確認するのがやっとなのに――。


「がああああああ……」

「だ、だ、大丈夫!? と、とにかく血を止めないと!」


 兎谷は玉の汗をかき、苦悶の表情を浮かべている。私は急いでポケットのハンカチを取り出し兎谷の足を縛った。だけど、こんなもの気休めにしかならない。


 なにか、なにか血を止めれるようなものは――!?


 私は泉が用意してくれたバッグの中に手を伸ばす。しかし使えそうなものは何もない。コツ、コツと追手が階段を上る音が耳に届いた。

 

 まずい……まずいまずいまずい――。 


 冷静さを欠いているのはわかっている。だが、それでも落ち着かなければ。私は必死に頭を回転させる。


 どうしよう、どうすれば? どうすれば兎谷を救える――?


 考える……考える。でも、時間が足りない。私はもう恐怖に狼狽することしか出来ない。


「あ~あ」


 兎谷が突然、気の抜けたような声を出した。それはまるで雑談でもしているかのような、いつもと変わらない声色。兎谷の突然の変化に、私は驚いて固まってしまった。状況は何も変わっていない、けれど兎谷は跪(ひざまず)いた体勢を立て直し私の目を見た。


「出口はもうすぐなのに。最後の最後で、ドジかぁ~」


 兎谷の口から諦めの言葉が出始める、しかし緊張感がなかった。兎谷は腰に付けていたナイフと手に持っていた銃を私に手渡した。


「これでひとつひとつ解除しながら行くしかない。ゆっくりだ、ゆっくり行けばきっと大丈夫」

「で、でも。脚が……とにかく血を止めないと!」


 どうすれば、どうすれば彼と共に還れるのか――。


 不安と恐怖が同居し、混乱する頭の中で必死に戦う。しかし考えている間にも血だまりは量を増していく。兎谷の顔からはどんどん血の気が引いていき、早くなんとかしないと死んでしまうかもしれない。


 嫌だ、私のせいで……死ぬ――?


 焦る思いは徐々に速度を増していく。私はもう何がなんだかわからな、


「!?」


 不意にパンッと大きな音と頬の痛みが私を襲った。兎谷が私の頬を叩いたのだ。私は兎谷の顔を見つめてしまう。玉の汗を掻きながら苦痛に顔を歪める。だが、兎谷の顔は一転して厳しいものへと変わった。


「自分のことだけを考えろよ。俺に構ってる暇はねえ。それを渡せばこの国を出れるかもしれないだろう? ここに居たら二人とも捕まっちまう」

「で、でも血が!」


 兎谷は自分の服を破り、ハンカチの上からきつく結んだ。それは気休めにもならないが、兎谷の穏やかな表情が私の心を引き戻してくれた。


「なっ。これで大丈夫だ」

「でも、捕まったら殺されるかも」

「大丈夫だって。いいか、罠に気をつけてゆっくり進めよ。できるな?」

「でも、でも……」


 出来るわけ、ないじゃない。見捨てるなんて、出来るわけないじゃない――!


 私の言葉は声にはならなかった。


「出来る……な?」


 兎谷は今まで見たこともないような、優しい笑顔を私に向けた。なんでそんな顔ができるのか、私は不思議で堪らなかった。


「私はあなたを見捨てようとしてるのよ!? それなのに、なんで、そんな顔するのよぉ」


 不意に涙が頬を伝う。


 なんで……他人の為にここまで出来るの? おかしい、おかしいよ――。


 兎谷は私を慰めるような、そんな優しい声色で答えた。


「この国を出たいんだろ?」

「そ、そうだけど、こんなの」

「俺もな、出たかったんだ」

「えっ」

「こんな国捨ててな。違う国で暮らそうと約束してたんだ でも、それは叶わなかった」

「いまからでも……駄目なの?」

「もう遅いんだ。だから、愛ちゃんにはそれを叶えて欲しいのかもな」


 覚悟を決めたような兎谷の表情に、私は口を開くことさえ戸惑ってしまう。追手の足音がどんどん大きくなっていく。兎谷は後ろを振り返った。だが、笑顔は崩さない。


「行け。俺のことは大丈夫だから」

「うん。うん……」


 兎谷から優しく頭を撫でられる。私はゆっくりと頷き、慎重に階段を上った。ナイフを縦に振りつつ、一歩づつ足を進めた――。

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