第4-4話:遺産


 ――藪の中から虫たちの鳴声が聞こえる。私たちは夜の山へと足を踏み入れていた。


「爺。まさかAランクに入るんじゃないだろうな。俺はまだ死にたくないぞ」

 兎谷が愚痴を吐く、それも当然だった。A区域に無断で侵入すれば即処分されてしまうだろう。A区域との境界線を示すフェンスが遠くで見え隠れする。兎谷の話によると、何重ものセンサーと高電流のフェンスで防衛されているようだ。私も思わず冷や汗が出てくる。


 そんな私たちに目もくれず、泉は目の前の山道を登って行った。ようやく着いたのはとある廃墟だ。辺りに照明はなく、不気味な建物がコンクリートの壁に覆われている。私は門の前にあった錆びた表札にライトを当てた。


「排水所?」


 見るからに使われていない施設には門には重い錠が掛けられていた。


「こっちじゃ」


 泉が壁を乗り越えて中へと入っていく。兎谷に引っ張られながら壁を乗り越え、施設の中へと入った。扉を開けるが勿論照明はなく、暗闇で何も見えない。私と兎谷はヘルメットに付いているライトのスイッチを押した。


「うおっ! な、なんじゃこりゃ!?」


 私も兎谷と同様、驚きを隠せなかった。中に入ったとたん出迎えたのは、下が全く見えない長い縦穴。それが地下深くまで続いている。ライトの光で照らしても、底が見えない程深い穴だ。


「ここは外郭放水路(がいかくほうすいろ)への入り口じゃよ。もう使われておらんがね。電気も通ってないからゆっくり歩くぞい」


 穴の周りには螺旋上に階段が設置してある。私たちはヘルメットのライトだけを頼りに、ゆっくりと地下へ降りていった。


「爺、説明が足りねえよ。なんなんだよ此処は」


 兎谷からの質問に、泉は顎鬚を触りながら答えた。


「簡単に説明するとな。外郭放水路というのは人工的に作った地下の川じゃよ。大雨が降ったときに小さい川が氾濫するのを防ぐためじゃ。氾濫しそうな川の水をここに集め、氾濫の心配がない大きな川に流すのじゃ。ちなみにこの縦穴は五十メートル程かのう。さっさと歩くんじゃな」


 私たち三人は螺旋階段をゆっくりと降りる。五十メートルがこんなに長く感じたことがあるだろうか。辺りは暗く、ライトがないと殆ど見えない。転ばないようにゆっくりと、足場を確かめるように進んだ。


 そしてようやく一番下に辿り着く。目の前には鉄の扉。泉が扉に鍵を挿して重い扉を開ける。扉の先はまさに別世界だった。


「うわぁ……」

「なんだこりゃ、すげえ……」


 私と兎谷は思わず感嘆の声を上げた。そこは大きな柱が何本も立ちそびえる地下の巨大な空間。驚きを隠せない私達を横目に、泉は上機嫌な様子だ。


「ここは調圧水槽じゃよ。ここに水を貯めておくんじゃ」


 目の前にある柱の大きさに圧倒される。泉の説明はほとんど耳に入らなかった。長さは二十メートルほどだろうか、幅も二メートルはありそうな柱が部屋の奥まで何本も連なっている。


 その大きさは、まるで巨人の世界にでも迷い込んだ気分だ。先が霞んで見えない柱の森。私たちが入ってきた扉はすでに見えなくなっていた。


 そんな中、泉があるひとつの柱の前で立ち止まった。その柱にある小さな窪みの中に手を入れる。中から取り出したのは小さな箱、それを見て泉は懐かしむように口を開いた。


「ここは裕福な国じゃった。最後に大きな戦争があったのは二百年ほど前じゃろうか。

 その間、この国は争いもなく平和な時期が続いた。二十年前のあの日までは……。これは恐らく争いを起こすひとつの原因となるじゃろう。だが、それがこの国を変えることが出来るのなら……仕方あるまい」


 泉が私に小さな箱を手渡してくる。指輪ケースの様な白く小さい箱、私は横に付いているボタンを押した。中から出てきたのは長方形の小さな板、メモリーチップだろうか。


「あんたの両親が作った物が入っておる。それさえあればこの国と戦争できるらしい。この国の防衛力を崩せる程、と聞いておる。それが両親の残した、あんたへの贈り物じゃ」

「これを、父さんと母さんが……」


 私は箱を見つめながら思い返していた。私の目的はこの国から逃げること。そのためには大神の命令に従わなくてはならない。大神がこのメモリーチップを使って玖国と戦おうとしても、逃げるためには従わなくてはならない。


 でも……これはここに隠しておいたほうがいいのでは――。


 ふと昨日歩いたBランクの街並みが頭に浮かんだ。この国に住む人々の笑顔、それを戦争で壊すかもしれないこのチップは、本当に受け取るべきなのだろうか。




 コツン、と足音が響いた。私たち三人以外、誰もいないはずの空間。その空間にコツ、コツと足音が響き、それは徐々に大きくなっていく。


 人が居る――?


 私が振り返る最中、泉と兎谷は懐から銃を抜き、近づいてくる足音の方へ銃口を向けた。ヘルメットに付けられたライトが暗闇を照らすと、うっすらと人影が浮かび上がる。


「それを渡してもらおうか」


 光の中浮かび上がった影。紅いマントを羽織った大きな男が立ちふさがる。四方には銃を持った兵隊達が、私たちに向かって一斉に銃口を向けた。


「勘がいいのう。それともつけておったか。上手くなったもんじゃ、久条よ」


 泉は銃口を向けながら、紅いマントを羽織った男に向かって呟いた。


「先生にお褒めいただけるとは、明日は雪でも降りますかな」


 紅いマントを羽織った久条という男は不気味に語り掛ける。久条が口走った先生という言葉、二人は知り合いなのだろうか。泉は銃を持っていない左手を背に合わせ、兎谷を呼びつけるように指を前後に動かした。それに気が付いた兎谷は、ジリジリと泉へ近づいていく。


「この先にもうひとつの縦穴がある。 そこから逃げるんじゃ」


 言葉と一緒に鍵を手渡した。泉の目は今まで一緒に居た人物とは思えないほど、鋭い目つきをしている。兎谷は鍵を受け取ると首を小さく縦に振った。そのまま私の手を固く掴んでくる。


「行くぞ」

「え? でも」


 泉さんはどうなるの? 私たちだけ逃げる? そんなこと――。


「うわっ」


 私が言葉を発する間もなく、兎谷に抱きかかえられた。私を持ったまま兎谷は勢いよく走りだす。


「行け」


 兎谷が走り出すのと同時に久条の声が聞こえた。それと同時にけたたましい足音が響き渡る。


 私は兎谷に抱きかかえられたまま、徐々に小さくなっていく泉の背中を見つめることしか出来なかった――。

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