第4-1話:遺産

――八月十五日 10:00――


 車の走り去る音が耳を通り過ぎる。私はゆったりとした車内で兎谷の帰りを待っていた。車内は冷房が効いているし、座席の柔らかいクッションが実に気持ちいい。


 私たちがいる此処は四十六区の検問所だ。B区域、すなわち地下では車をつかえないが、地上に近いこの場所からは使えるらしい。地上に出ればすぐ中心部というわけではなく、公共の交通手段がないこ出口では車が必須だ。


「ふぁ……」


 私は不意に欠伸が出てしまった。昨日から一睡も出来ていないせいだ。瞼も重く、目もしばしばしてくる。大神と朝まで話をした後、私たちは寝ずに検問所まで来た。


 ここまで来るのに電車を乗り継いで三時間ほどの距離。環境への配慮の為だろう、このB区域では電車しか交通機関がなかった。そのせいかどの電車も満員で座ることすら出来なかった。


 私はやっと座れた心地よさにすぐさま目を閉じてしまう。車の時計はもう十一時を表示していた。


 急がなくちゃ――。


 キュルキュルと、兎谷が車のセルスイッチを回す音が聞こえる。私は眠い目を少しだけ開いた。車がゆっくりと動き始める。

 兎谷がBランクのカードを検査官に見せ、大勢の警備員が見張るなか小さなゲートを通過した。久々に見る本物の太陽の光が私の顔を照り付ける。


「暑いわね」

「寝とけば? 二時間はかかる」

「そうするわ……」


 私はまた目を閉じた。昨日といい今日といい、結局私は彼らに巻き込まれる形で従っている。しかし今すぐこの国を脱出したい、その気持ちが変わることはない。


 でも、一人ではどうやって船に乗れるのかわからない。私があの船に乗れたのは大神が言うとおり運がよかっただけなのだろう。もう一度亡命する手段を手に入れる可能性は限りなく低い。仕方なく大神たちに従うしかなかった。


 大神が出した条件はすごく魅力的だ。あと三日従えば難なく亡命できる。大神が約束を守ればの話だが、いまは信じるしかない。人任せな案だが、私にとってはこれが最善策のはずだ。

 

 車は海岸線を止まることなく走り続けている。ほんの少しだけ窓を開けると潮の香りが漂ってきた。夏の日差しは強く、海面に反射した光がまぶしい。対向車線からは大きな荷物を積んだトラックばかりがすれ違う。おそらくB区域に物資を輸送しているのだろう。


 トラックから出る排気ガスの臭いに開けたばかりの窓をゆっくりと閉めた。


「暇そうだな」


 運転している兎谷が話しかけてくる。


「当たり前でしょ」

「寝とけばいいのに、なんかないかな」


 兎谷がダッシュボートのを探し始める。しかしすぐさま諦めた。この車はレンタルだし、気の利いた音楽CDなんかが入ってるわけもなかった。私は鈴からもらったプリントを再度見返した。プリントには簡単な地図と住所が載っている。私が居たすぐ傍、C区域の住所が記されていた。


「ふぅ……」


 溜息が漏れてしまう。またあの町に戻ることになるとは思わかなった。それに名前も分からない人探しだなんて無理がある。うろ覚えの風貌だけで探すのはかなり難しいだろう。


「大丈夫さ」

「何が大丈夫なのよ」

「大神さんの言うことに無理なことはない。なんらかの確証がある、きっとすぐ見つかるさ」


 私の心中を察したような一言、そんなに顔に出ていただろうか。私は両手で顔を拭いながら返事をした。


「ふ~ん。信頼されてるのね」


 兎谷の一言には大丈夫の理由なんてかけらもなかった。理由もなしにただ大神を信頼しているように聞こえる。


「信頼……ねえ。うーんちょっと違うけど、まぁそんなもんか」


 兎谷はハンドルから片方の手を離し、軽く頭を掻きながら呟いた。それは信頼しているけれど、私から図星を付かれたのが恥ずかしい。そんな印象を受けた。


「あの人は、大神さんは父親じゃないわよね」

「はっはっは。あんな若くて恐ろしいのが父親だったら、反抗期なんてあったもんじゃないな。ま、上司みたいなもんさ」


 兎谷は笑いながら胸ポケットに手を入れ、煙草を取り出した。しかし、私に気をつかったのかすぐに元の場所に戻した。


 車は海岸線をひたすらに走る。兎谷と話したおかげで眠気が取れてきた。二時間ほど走り続けると、やっとCランクの町が見えてきた。


 Cランクを囲む鉄条網と検問所が目に入る。Cランクにもゲートがあるが、入るときはフリーパスだ。車に乗ったまますんなりと通過した。兎谷はそのまま車を走らせ小さな漁村に路駐した。


「うお、あっちーな」


 車から出ると真夏の太陽が私たちを照らした。この暑さのせいだろうか、商店街には人気がなく静まり返っている。聞こえるのはけたたましい蝉の声だけ。辺りを見渡すと、すべての店にシャッターが下りていた。


「ゴーストタウンってやつ?」

「いや、人は居るはずよ。でも暑いからみんな閉めてるんじゃないかしら。こんな暑いのにお客なんて来ないしね」

「ま、田舎ってそんなもんか」


 兎谷は私が朝見ていたプリントを見返していた。


「えーっと、こっちか」


 兎谷は地図を見ながら細い路地に入っていく。その後ろ姿を、私は急いで追いかけた。


 路地を通って着いたのは小汚いトタン屋根の小屋。どうやら廃工場のようだが、周囲の窓ガラスは割れ、地面は雑草ばかりで荒れている。人が入らないように入口には鎖で封鎖されているここに人が居るとは考えにくい。


「あったあった、いつも迷うんだよね」


 だが、兎谷はようやく見つけたとばかりに小屋の中に入っていった。私も急いであとに続く。小屋の中は暗く、日の光が入ってこない。暗闇の中兎谷が手さぐりで電灯を点けた。


 明るくなった部屋の隅で人が座り込んでいるのに気が付く。潜んでいるのは、どうやら老人のようだ。


「おや、兎谷さん。何か御用ですかな」


 老人は長く伸びた白い髭を触りながら私たちに話しかけてくる。


 おかしい、どうみても六十歳をゆうに超えているのでは――。


 私が首をかしげていると、兎谷がその疑問に答えてくれた。


「俗にいう、Eランクってやつさ。書類上では死んでいる人間。でも六十を過ぎても生きたいと思う奴は大勢いる。でもこの国では生きていられない。そういうやつは命を掛けて亡命するか、金で死亡診断書を書いてもらって法的に死ぬのさ。ま、生き残っても死ぬのと同じだと思うけどな」


「ふぉふぉふぉ」


 老人は兎谷の言葉に笑って見せた。老人は戸籍も、家族も、自分の名前すらすべてを捨てて生きていた。私の神妙な顔つきのせいか、老人はまた髭を撫でながら口を開いた。


「ふぉふぉ。生きることは辛い、死んだほうがマシだと、そんな奴等もたくさん居た。じゃが、生きることはこの上なく素晴らしいことじゃよ」


 老人は微笑みながら私に目を合わせてくる。でも私はその目を見ることが出来なかった。


 老人の三割も生きていない私にとって、生への答えなど出せるはずもなかった。

会話が途切れると、兎谷が一歩前に踏み出した。


「大神さんから連絡が来てるはずだ。そいつを探している」


 兎谷は懐から金を出す。待ってましたとばかりに、老人は嬉しそうに金に手を伸ばした。だが彼はひょいと老人の腕をかわし、厳しい目を向ける。


「おいおい。まだ情報をもらってねえぜ爺、呆けたか?」


 兎谷の今まで見せたこのないような表情に驚いた。目はつりあがり、眉間に皺を寄せ、老人を睨み付ける。老人は絶えず髭を弄りつつ、苦笑いしながら口を開いた。


「あれは、どこに居ったかの。最近はめったに姿をみらんなぁ。確証はないが、夜に街外れの岬にいってみるといい。あいつは釣りが好きじゃったからのう」


 その情報を聞いて、兎谷は老人に先ほど出したお金を手渡した。兎谷が私に視線を向ける、そして外へ向かって手招きした。私は先に歩き出した兎谷を追う。にこやかに手を振る老人を後ろ目に見ながら、小屋を出た。


 外に出ると蝉たちの声が大きくなったような気がした。夏の日差しは加減を知らない、身体中をジトジトした汗が流れ始める。夏独特の焼けた匂いが地表から蒸気の様に溢れる。


 それはコンクリートだったり、少ない土の地面だったり、様々だ。先に出た兎谷が来た道を戻り車に乗る。車内のクーラーが無性に恋しい。私も急いで車内に飛び込んだ。


「まぁこんなもんだろう。愛ちゃん、例の情報屋と出会った時間と場所は覚えているかい?」


 そういわれて私はやっと気が付いた。ヒントは私自信が持っているんだ。なんで兎谷は最初に私に訊かなかったのだろう。私はあの夜の事を思いおこす。


「えっと、この町の先にある小さな港よ。私も釣りに行ってたもの。時間は覚えてないけど、たしか夜だったわ」


 私が思い返した事は、さっきの老人が言ったこととほぼ同じだった。兎谷は私の言葉に、満足そうな表情を浮かべた。


「そうか、なら大丈夫そうだ」

「……試したの?」

「いや、そんなんじゃないよ」


 その言葉はどちらを疑って出た言葉なのだろう――。


 突如兎谷は車のアクセルを踏み、岬ではなく町中に向けて車を走らせた。


「ちょっと、どこ行くのよ」

「まだ昼だ。Eランクの奴らは昼間は動かないよ。見つかれば即処分対象だからな。それよりも腹が減っただろ? 飯でも食べにいこうじゃない」


 目処がついて気が楽になったのか、兎谷の表情は先ほどの様な険しさはなくいつもどおりの穏やかな表情に戻っていた。

 それを見て私も思わずほっとした。大神や兎谷が時折見せる独特の雰囲気、私はそれが少し苦手だった。

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