第3-6話:玖国
――雨が降る。冷たい雨が降る夕方。空は雲に覆われ、街は徐々に明るさを失っていく。
母は家で夕食を作り、父が仕事から帰ってくる。そして幼い彼女が疲れた父を迎えに行った。家族三人の幸せな家庭。
しかし、それは一発の凶弾で粉砕された。突如軍は彼女の家を占領し、囲んだのだ。国の正規軍が彼女の父親を組み伏せる。頼もしかった父は、優しかった母は、彼女の目の前で崩れ落ちた。
その銃口は彼女にも向けられた。しかし母親が彼女を逃がす。遠目から崩れ落ちる母親を見てしまった彼女は必死で逃げた。
父を置き、母を見捨て、死ぬ気で逃げた。恐怖が彼女の足を動かし続けた。だが、幼い彼女が大人の足から逃げられるはずが無い。しかし、追手は来なかった。彼女を見失ったのだろうか。
近くにあった藪の中に彼女は隠れ続ける。どのくらい時間が経ったのだろうか。既に太陽は落ち、街には明かりが灯っている。住宅地に鳴り響いた凶弾。だが、住人は何食わぬ顔で何時も通りの生活を送っている。まるで、彼女だけが世界から取り残されたような感覚に陥る。
途方に暮れ、行く当ても無かった彼女は結局家に帰るしかなかった。恐る恐る家の中を覗き見ると、そこには変わり果てた両親の姿があった。彼女は大声で泣いた。まだ、兵隊が近くに居るかもしれない。それでも彼女は泣く事を止められない。目の前の残酷な現実に彼女の心は脆く砕け散った。
雨の音がする。廃人寸前だった彼女は、雨に打たれる両親に毛布を被せる。ポタポタと落ちる雨音と一緒に、軍人が一人彼女に向かって歩いてきた。
しかし彼女は座ったままだ。もう逃げる気力すらないのだろう。軍人は彼女に銃を向ける事は無く、変わりに一通の手紙を差し出す。中に入っていた物はCランク行きの通告書だ。
「**********」
軍人は彼女に何か言ったかのように聞こえたが、彼女には聞こえない、届かない。
軍人は両親の遺体を担ぎ、その場を立ち去ろうとする。彼女はそれを見て大声で叫んだ。しかし、彼女の声は泣き疲れて言葉に成らない。軍人を追う体力も無くその場で転んでしまう。彼女が起き上がる事は無い。軍人の後ろ姿を、見えなくなるまで見つめていた――。
「愛ちゃん! 愛ちゃん!」
私は誰かの声で現実に引き戻された。強い嫌悪感、吐き気と頭痛がいっぺんに襲い掛かる。この夢を見たのは初めてじゃない。でも、だからといって慣れるものでもなかった。
「愛ちゃん、大丈夫?」
鈴がタオルを持ってきてくれる、私は思わず顔をうずめた。
「辛いことを思い出させてしまったかもしれんが、教えてくれ。なぜお前の親は処分された?」
わからない、私はタオルに顔をうずめたまま首を小さく横に振った。
「そうか残念だ。恐らくだがお前の両親は何かタブーを犯したんだろう。何かはわからないが、恐らく俺たちにも関係のあることだ。いま世間は揺れ、二十年前と同じ事が起ころうとしている」
大神は苦虫を噛み潰した様な顔をして話し始める。二十年前に何があったのだろうか。
兎と鈴は顔を見合わせている。どちらも心当たりはなさそうだ。鉄だけが腕を組んだまま聞いていた。
「このおかしな政策、『D政策』が施行されたのは、今から二十年以上も前の事だ。『D政策』後に『D』と呼ばれて国民の間で知れ渡る事になる。常識的にこんな馬鹿げた政策が許されるはずは無かった。しかし、時代がそんな狂った事を受け入れてしまった」
大神は煙草を取り出して火を点けた。
「ある程度は知っていると思うが、海の侵食による国土の減少、それに伴う人口密度の増加。様々な問題が出たが最も重要な問題が食料だった。
深刻な食糧問題は大量の餓死者を出した。餓死は恐ろしい。皆に平等に降りかかる悪夢だ。この餓死を無くせる、という政策はとても魅力的だったのだ。こんな馬鹿げた政策に頼る程、国は末期だった。
しかし、急な人口減少など出来るはずが無い。国民の暴動や反感を買ってしまってはそれは只の独裁になる。故に『D』は非常にゆっくりと行われた。最も重要な食料を管理し、配給を餌に国民を判別したが、すぐに処刑など昔の法律では考えられない。
まずは身寄りの無い老人、重罪を犯した犯罪者。処刑しても誰も気が付かない者たちを殺していった」
「ちょ、ちょっと待ってください」
思わず兎谷が話しを遮った。
「どうした?」
「なんか俺の知ってる歴史と全然違うんですけど……」
「そりゃそうさ。お前は当時一歳ぐらいだろ、まぁ大人しく聞いてろよ」
大神は腕を組みなおして話を続ける。
「Dは年に千名程処刑した。残酷な話しだがそれでも年間の自殺者より少ない数だ。国は水面下で人を殺し続けたが国民が気付く事は無かった。しかし、飢餓を無くすほど多くは無い。そんな中一人の反対派議員が叫んだ。
『この政策がエスカレートしてしまえば、皆殺される!』
『無能な独裁者を許してはならない!』と。
だが、彼の言葉は国民に浸透する事は無く。案の定、反対派議員は異常者扱いされた。俄かには信じがたい事を、声高らかに演説する姿はまさに異常者そのものだったからだ。
生まれてきてから培った常識が彼を否定した。誰も自分の世界を否定する異常者をまともに相手にする人間は居なかった。
叫んだ議員の予想通りに、『D』はどんどんエスカレートする。判別による国民の住居の強制変更。配給の差別化、異常なまでの情報規制。
しかし、これだけでは何も変わらない。国民が気が付かない程度の排除をしても解決にならない。
無意味な政策、そして減らない餓死者。国民の怒りは徐々に溢れ始めた。政策の存在に気づかずとも、食糧難の不満に国中でデモが始まる事となる。そしてついに食料の底が見えてしまった。ここで国は初めて国民を明確に差別化した。
AからDに分けた国民達の中から、今で言うCの国民には必要最低限の食料すら渋り始める。まさに大を生かすために小を見捨て始めたのだ。この差別化が引き金になった。
国からしてみれば少しでも餓死を減らす為の苦肉の策だった。だが国民の怒りはついに爆発し、大規模なデモが起こなわれる。このデモに何十万人もの人が参加した。
人の壁は国会を覆い、国は一時的に機能を停止する。これを治めるために、国は軍隊を出動させる。それでも治まらない。膨れ上がった敵意、強い覚悟があれば人間一人で戦車を止める事だって出来るのだ。治まらない人の波、デモを鎮圧する為に国は最悪の手段を取る事になる」
大神の淡々とした言葉に、私は思わずごくりと生唾を飲みこんだ。
「それは、国民に向けての無慈悲な一斉射撃。そしてついに、『D』は公の元に晒された。施行されてから六十歳以上は全て安楽死させられ、抵抗した者は問答無用で処刑。
玖国は歴史上初めての恐怖政治を誕生させた。国の人口は大幅に減り、皮肉にも国民は生き残る事が出来た。誤解が無いよう付け加えておくが、他国も各々の方法で生きながらえている。海面上昇による移民を受け入れた大国では紛争が絶えることはない。だが、その紛争のお陰で経済は周り、同時に人も減った。
結果さえ見れば、紛争で若者が死ななくて済むのだから玖国の政策は成功と言えるかもしれない。
しかし、成功と思われた玖国の政策だが、こんな非人道的な事をしても追いつかない程国は病んでいた。それから明確にランク別けされたが、それでもAとBしか満足に食べれず、餓死者が出た。C以下の国民は怒りに怒り狂う。それも当然だった。
法律とはいえ、自分の命と引き換えに親を殺されたのだ。ついに国民は立ち上がる。大規模な紛争の始まりだった。しかし紛争と呼べるものでは無く、大量虐殺と言ったほうが分かり易い。A、Bランクにはもちろん軍隊も含まれていた。対するCランク以下の住民には満足な武器すらない。石槍対銃器では、結果は見えすぎていた。
数でも物資でも負けていた反乱軍に勝ち目などない。これが『D』の醜悪なところだ。ここで国民全てが立ち上がることが出来れば、結果は変わっていたかもしれない。だが、立ち上がったのは餓死が出たCランクの住人のみ。既に安全地帯に居るA、Bの住民は死を恐れた。
国はCの国民を反乱軍とし、正義の名の下に蹂躙する事になる。僅か一カ月も満たない紛争。反乱軍は女、子供含めて三百万人以上の死者を出す。国は連帯責任と称し、単純に人口を減らしたかったのだろう。身内が暴動に参加しているだけでDランクへと連行し、処刑を行った。
人口が極端に減ったおかげで食料が行き渡り始める。国からすれば紛争とは大規模な『間引き』に過ぎなかった。極端な人口減少で餓死者は突然居なくなる。食料の心配がなくなると途端に争いは無くなった。皆この生活が素晴らしいと思ってしまったのだ。最悪を知った国民は、それだけで満足できたのだ――」
大神はそこで話を切った。私は大神の話を聞けば聞くほど吐き気がしてくる。それは兎谷も鈴も同じようだった。
国が、人を間引いた――。
私はそれを頭に思い描く。なんとも無慈悲な光景が浮かんできた。そんな屍の上でこの国は成り立っている。頭の中に今日出会った街の人たちの笑顔が浮かんでくる。空を奪われたなんてとんでもない。餓死の心配がない。すべてが制限されていても、これだけで彼らは幸せだったんだ。
「吐き気がしたよ。こんな国に生まれて恥ずかしいとすら思った。まさにこの世の地獄だった」
大神の言葉がリビングに響き渡った。その言葉が空気を伝わり、各々の体に響き渡る。
大神の心の叫びに、皆放心していた。
「昔話はこの辺にしとこう」
大神にとっても気持ちのいい話ではなかった様だ。灰皿に置いた煙草が燃え尽き、灰だけになっている。大神は新しい煙草に火を点けた。
「問題はここからだ」
更に大神は話しを続けた。
「餓死が無くなり、何年も経つと住居と食料を得るのが当たり前になりつつあった。しかし人の慣れが慣性が悲劇を薄れさせていく。人は忘れる生き物だ。幸福が長く続けば続くほどそれは幸福ではなくなる。
Bランクの住民は満たされない幸福に、何が足りないか考え始める。何があれば幸せなのか。それは人生において最大のテーマだろう。餓死が無いように食料があれば幸せなのだろうか。住む家があれば幸せなのだろうか。満足な金があれば幸せなのだろうか。幸せの基準など、人それぞれだ。
家族が居れば幸せと言う人もいれば、居ない方が幸せと言う人もいる。だが、Bランクの誰かがひとつの不満を言い始めた。それは多くの住民に認識され、共感を得る事になる」
大神は人差し指を天井へ向けた。私は奪われた空のことを思い出し、口を挟んだ。
「空?」
「そう、彼らが求めたものは 空 だった。お前も此処の空を見ただろう?」
私は夕焼けに染まっていく空を思い出した。確かによく出来た作り物だと思う。だが、所詮は作り物。本物の空には遠く及ばない。確かに凄い作り物だが、この中で一生を過ごせと言われて過ごせるだろうか。本物の空を知っているなら尚更だ。
空を返せ……か――。
なんとなく私もその意見に共感してしまう。私が小さくうなづくと、大神はニヤリと口元を緩ませた。
「と言うのは建前だが。まぁ立派な理由のひとつにはなる」
「建前?」
私はオウム返しに投げかける。
「足りない頭を使ってよく考えればわかることだ。
このシステム、太陽光やら酸素循環やら様々だが。地下に住む奴等にとってはどれも命に関わるものだ。
しかし、システムを稼動させるために必要な電力、管理体制はどれもBランクの住人ではなくAランクの奴等が管理している。Bランクの連中はようやく気がついた。次に国が壊滅的状況に陥った時、『間引き』されるのは、俺達Bランクだと……」
大神の話に背筋がゾクゾクと震え始める。この国は何も変わっていない。こんな悪夢のような政策を実行したにも関わらず、何も変えられないのだ。大量虐殺が、只の延命策にしか過ぎない。
「もう俺達Bランクの住人は立ち上がるしかない。Aの奴等に脅えながら生きるか。戦って空を得るか。もう、考える必要すらないだろう」
大神の話には妙に現実味があった。兎谷と鈴の二人は呆然としていた。考えたことも無かったのだろう。私とは違う、地中に住むのが当たり前の二人には、仕方のないことかも知れない。大神は椅子から立ち上がり、窓から偽者の星を眺めた。
「近々でかい内戦があるだろう。お前はその為に協力してもらう」
「協力って、私に武器を持って戦えとでも言うの?」
「女の細腕じゃ邪魔なだけだ。そんなことは期待していない。話を戻すが。なぜ、依頼主はお前を救ったと思う?」
だからそんなことわかるわけがない――。
私は静かに首を振った。
「……」
大神は帽子を触りながら、私からほんの少しだけ目を背けた。大神の言った利用価値、その言葉に私は奥歯をぐっとかみしめた。
「話は以上だ。お前が聞きたかったことなどこの程度だろう」
大神がズレた帽子をなおしながら私に訊いてくる。たしかに私が知りたかった以上の情報だった。しかし、ひとつだけ気になった点がある。
「協力ってなによ」
返事とばかりに、大神は懐から一枚のカードを取り出した。
「お前を保護した事は連絡してある。急いでいるのかもう許可証を送ってきた」
大神は手に持ったカードを私に差し出した。表には22XX年8月17日0:00~8月17日23:59と書かれている。
「Sランクカードってやつだ。昨日兎に持たせたBランクのカードとは格が違う。こいつはどんな場所、交通機関、区域を自由に移動、利用できるカードだ。但し同乗者三名でしか使えないってのがネックだな。ちっ、俺も出向けってことかよ」
大神に運転させるまいとの配慮なのか。運転手と私を含めての三名分だろう。今日は八月一四日の二十二時。三日後には行かなくてはならない。
「これはチャンスだ。こんなカード、億の金をだしても俺等には買えねぇ。これが成功したら亡命でもなんでもさせてやる。俺が保障しよう」
大神の話に熱が入り始める。気づけば偽物の空が白く霞んできた。
この国の永い夜が明けようとしている――。
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