第3-5話:玖国
「せんせ~お帰り、ご飯できてるよ~」
黒い帽子を被った男が部屋の中に入ってきた。
紺色のジャケットに白いスーツ、そして服にはじゃらじゃらと多種多様なアクセサリーが付けられている。まるで夜のホストかバーテンダーの様な恰好をした男に、鈴は嬉しそうに近寄った。
男はさっき紹介された鉄よりも幾らか身長が低い。でも凄く嫌な、威圧感を感じる。鉄とは全く違った違和感。あえて言うならこの男が入ってきた瞬間、部屋の温度が何度か下がった気がする。
そんな冷たい目をした男の視線に耐えられず、私は視線を逸らして兎谷を見た。普段調子のいい兎谷でさえ背筋を伸ばして緊張した面持ちだった。男が席に座り、帽子をテーブルの上に置くと低い声を放った。
「お前が、脱走者か」
私は何かされたわけでもないのに、恐怖で言葉が詰まった。しかし、ここで黙る理由はない。私は下唇を噛んで身体の震えを止めた。
「あなたがここのリーダーね?」
「そうだ」
「なんで私を拉致したの?」
「依頼だ」
男はそれだけを発した後、食事を口に運び始めた。私の問いにそれ以上は答えてくれない。
依頼、これが答えだとでもいうのか。そんなものに納得できるわけがない。私が再度質問を投げかけようとしたが、
「お前はなぜ亡命した。生きるのが嫌になったか? それともこの国に絶望したか?」
その質問に私は怒りで頭が沸騰しそうになった。私は手が痛くなるほど強く握りしめ、恐怖を抑え込んだ。
「嫌になんかなってない。生きるために亡命したのよ。それを邪魔してくれてどういうつもり!?」
「……生きるため、か」
男はまるで私を馬鹿だと言わんばかりに失笑した。私の顔は怒りで真っ赤になっていることだろう、最早我慢の限界だ。しかし男は私の反論に口を挟んだ。
「亡命なんぞしたけりゃさせてやる。だが、その前に協力してもらおう」
「協力?」
いったい何に協力しろというのか。男の言葉は意味不明な問いばかりだ。私が返答に困っていると、男が私に向かって手を伸ばした。
「自己紹介が遅れたな、俺の名は大神(おおがみ)だ」
大神と名乗る男が、「お前は?」と言わんばかりに顎で促してくる。先ほどとは打って変わって友好的な態度に思わず気後れしてしまった。大神が何をしたいのか、私にはさっぱり見えてこない。私はゆっくりと口を開いた。
「音疾よ……。協力って何をするのよ、話もなく、握手なんかできないわ」
私は手を出さなかった、これが精一杯の抵抗だ。私の意を汲んでくれたのか、大神が手を引っ込める。
「正論だな、長くなるが聞いてもらおう」
大神はいつの間にか片づけられていたテーブルに肘をのせ、腕を組みながらゆっくりと話始めた。
「うちはな、分かり易く言うと便利屋みたいなもんだ。誰からのどんな依頼でも受ける。政府の依頼も多い。国のお偉いさんは自分の手が汚れるのを嫌うからな。 お前を攫ったのもそんな依頼のひとつだ」
便利屋、なら私を攫ったのも便利屋としての仕事なのだろうか。
「本当ならお前は今日にでも依頼主に引き渡すはずだったが、今回は依頼主もそうだが内容も気になってな」
大神は胸ポケットから煙草をだし、口にくわえて火を点けた。紫煙を吐き出しながら私ではなく兎谷の方へ視線を向ける。
「おい兎」
「はい」
兎谷は大神の呼びかけに素早く対応する。今日見た彼の遊び人のようなイメージは無くなっていた。
「お前、この国は誰が舵を取るか、知っているか?」
「え? えーっと、総理大臣とかですかね。あの最年少の……」
「ま、普通はそう思うよな。残念だが不正解だ」
大神は私に向き直った。話の出汁に使われた兎谷は不機嫌というよりも、何も言わ
れずほっとした表情を見せている。大神は私の目を見ながら話を再開した。
「この国は絶対王政のような習慣がまだ残っている。一次は無くなったらしいが、今のような民主制に変わってからは表に出なくなった。
お前の拉致を依頼したのは前国王。引退したのになぜ権力を持っているのか、詳しいことはわからない。こいつが一昨日急な依頼を持ってきた。こいつはうちの先代と知り合いだったから、依頼が来ることは珍しくない。
だが、依頼が小娘一人の拉致ってのが気になった」
大神の拉致が、まるで子供のお使い程度に聞こえてしまったのが嫌だった。こいつらは依頼さえあれば犯罪でもなんでもするのだろうか。私の拉致なんて楽な仕事とでも思っているのだろう。
「急に依頼を持ってきたからには、よほど知られたくない事情があるのだろう。時間も無く、急いで兎を向かわせた。
後で鈴が調べて分ったがあの貨物船は海軍の物だった。あのまま乗っていればお前は海上で捕まり、即Dランク行きってわけだ。地獄への片道切符ってとこだな、天国かもしれんが……」
そこで大神は失笑し始める。それは誰に向けての笑いなのか。煙草を灰皿に押し付け、話しを続ける。
「依頼主も立場的に海軍には頼れなかったのだろう。陸軍と海軍は常にいがみ合っているからな。だが、なぜお前をそこまでして救いたかったのだろうか?」
大神は私を厳しい目で睨み付けてくる。まるで私の反応を一瞬たりとも見逃さないように。そんな刺すような視線に思わず目をそむけた。少しだけの静寂がリビングに流れる。
誰も口を開かない。聞こえてくるのはいつのまにかパソコンの前に座っている鈴がキーボードを打つ音だけだった。
何をしているのだろう――。
私が視線を鈴の方へ向けると大神が鈴に訊いた。
「鈴、何か見つかったか?」
鈴は大神の問いに首を振るだけった。鈴の返答を見て、大神はニヤリと不気味に笑った。
「そうか、思った通りだ。こいつの音疾という姓は母親のものだ。そして音疾家は『D』の元、全員処分されている。そうだろ?」
大神が私に向かって何か呟いている。でも私には理解できない。肌という肌からどっと汗が噴き出してくる。
大神は……すべて知っているのだ――。
「おい」
また大神が私に向かって何か呟いている。でも私はそれどころじゃない。あの日の記憶が戻ってくる。額を流れる汗が止まらない。服を滲ませる勢いで身体から溢れ出ていく。それでも大神は構わず話を続ける。
「お前の家族は全員処分されたのに。なぜお前だけ生き、また連れ戻そうとするのか。理解できるか……?」
そんなこと、わかるわけがない――。
徐々に視界が狭くなっていく。過去と現実が頭の中で重なり合う。私は思い出してしまった、幼いころの記憶を……。
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