第3-4話:玖国

 ――ゆっくりと日の光が無くなっていく。夕方の太陽を演出しているようだ。


 時刻は十八時、街の上空は美しい夕日のグラデーションに包まれていく。もうすぐ照明は消えて、辺りには夜が訪れるのだろう。私はその光景をベッドに座りながら窓越しに眺めていた。


「よくできた偽物ね」


 私は外を見なが呟く。ゆっくりと暗くなっていく様は、地上となんら変わりはないだろう。そんなことを思いながら外を見ていると、バタンと玄関が開く音が聞こえた。誰か帰ってきたのだろうか。


「おつかれーっす」


 隣の部屋から、兎谷の労いの言葉は聞こえた。誰か帰ってきたみたいだが、返事は聞こえない。私は家に響く音に耳を澄ませると、またバタンと玄関が開く。


「たっだいま~」

「おつかれーっす」


 今度は元気な少女の声が聞こえた。おそらく朝会った少女だろう、ドタドタと足音が近づいてくる。部屋の扉が勢いよく開いた。


「たっだいま~ごめんね~お腹すいたでしょ? すぐ晩御飯作るね!」

「あ」


 私が口を開く前に少女は部屋を出て行った。トントンとリズムよく響く包丁の音。同時に良い匂いも漂ってくる。その匂いに私の腹の虫がなった。


「おなか減ったな……」


 私はベッドを降りて、扉に手を掛けようとした。でもドアノブを回すことはなく、私は首をぶんぶんと左右に振ってベッドへと戻った。


 これが友達や知り合いなら手伝いに出ていくことは当然だけど、悪い言い方をすれば私はいま捕虜みたいなものなんだ。


 危機感が足りない、私は再度自分に言い聞かせた。部屋の外に耳を澄ませながら、外の景色を眺め続けた。しばらくすると部屋の扉がノックされ、兎谷が顔を出した。


「飯だってよ、鈴が呼んでる」


 私は警戒心を持ちながらも、それを悟られないようになるべく無表情を保ちながら部屋を出た。リビングでは見知らぬ大男が一人、席に座って私を睨み付けている。私は反射的に目をそらしてしまう。すると、


「こっちこっち」


 朝に出会った少女が私に向かって手招きしていた。少女の綺麗な顔を見ていると、固くなった心が少し柔らかくなったような気がした。私は手招きされるがままに椅子に腰を下ろす。


 テーブルの上には美味しそうなスープとハンバーグ。昼間兎谷が話したネズミが頭を過ったが、考えないことにした。その他には焼きたてのパン、色彩豊かなサラダ、グラスにはワインと思われる赤い液体が注がれている。私が食卓をまじまじと見ていると、少女が元気よく手を合わせた。


「ひとり居ないけど冷めないうちにね! いただきまーっす」


 少女の声に兎谷も手を合わせた。


「いただきま~す」


 大男は小さく頭を下げ、スプーンに手を伸ばす。


「ん」


 私も慌てて手を合わせた。


「い、いただきます」


 突然のことでよくわからないが、目の前の食事は美味しそうだ。兎谷が美味しそう

にハンバーグを貪っている。目の前の食事のせいなのか、兎谷の子供のような姿なのか。どちらかはわからないが、私の警戒心がどんどん薄くなっていくのを感じていた。


「ん……」


 隣に座っている少女が笑顔で私を見つめている。私と目の前にある食卓を交互に見ながら、天使のような笑顔を私に向けている。


 私が箸をつけないことが不安なのか、その笑顔は徐々に泣き顔へと変わっていく。結局その視線に耐えられず、私は料理を口に運んだ。


「美味しい……」

「え、ホント? ありがと~」


 横に居る少女の顔に花が咲いた。先程の不自然な笑顔とは違う。周りの人まで嬉しくなってしまう様な、そんな笑顔だった。


「私、御幸(みゆき) 鈴(りん)っていうんだ。よろしくね!」


 鈴と名乗った少女が元気な声で自己紹介してくる。私も慌てて言葉を返した。


「私は音疾 愛。よろしく……」


 いきなり拉致されたのに、なにがよろしくなのか納得いかなかった。だが、鈴の前では何故か怒る気になれない。私の答えに鈴はニッコリと笑いながら大男を指さした。


「あっちのでかいのが鉄ちゃん。本名は鉄(くろがね) 真識(ましき)。めんどいから鉄ちゃんね」


 私は鈴が指さした方向を見る。鉄ちゃんと呼ばれた男は何とも言い難い威圧感があった。私と鉄の視線が合わさる。


「鉄だ。テツでいい、昨日は乱暴してすまなかった」


 その言葉と声で私は思い出した。顔は彫りが深く、がっちりとした体型。短い黒髪は体育系の人間を思わせる。迫力があって怖いがその声には聞き覚えがあった。もう痛みはない腹部に手を当てる。昨日、私を路上で気絶させたのは鉄だろう。


「んで、あれがうさちゃんね」

「名前ぐらい言ってくださいよ~」


 私の様子を気にすることなく今度は気の抜けた声が響いた。すかさず兎谷のツッコミが入ったが、鈴は可愛く舌を出した。兎谷もそんな鈴の仕打ちには慣れたものなのか、諦めた様な表情をして何事も無かったかのように食事を口に運んだ。その仕草が微笑ましくて、思わず笑みが零れてしまう。


 美味しい食事が始まった。夕食を頂きながら私は思い出す。夜になるまでの時間に、聞きたいことは整理できた。なぜ攫ったのか、そしてなぜ保護したのか。この人たちは何者なのか、その目的は? 整理しても聞きたいことは山積みだ。


 私はテーブルを囲む三人の中から、一番話しかけやすい鈴に聞いてみることにした。


「えっと、鈴さん。ちょっといいですか?」

「鈴でいいよ~どうしたの?」


 鈴から馴れ馴れしくも思える返事が来る。少々不快な気もしたが、なんだか鈴の前では怒る気になれない。私は軽く咳払いをして、鈴へ訊いてみた。


「兎谷さんから、色々話して頂けると聞いていたのですが」


 私は丁寧に鈴を問いただす。この状況を早く説明してほしい、馴れ合いはごめんだった。


 兎谷が言っていた「夜になればわかる」その言葉を信じて夜まで我慢したのだから。私の気持ちを分かっているのか、それとも知らないのか。鈴は変わらない緩い口調で答えた。


「せんせ~が全部話してくれるよ。もうすぐ帰ってくるから」


 待っててね、と笑顔を浮かべた。まだ一人帰ってきてない人がいるようだ。先生と呼ばれる人物。どうやら鈴も話す気は無いらしい。いや、本当に何も知らないだけなのか。先生とやらの帰りを待つしかない。


 そう思った矢先に玄関が音をたてて開いた。

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