第3-3話:玖国
「今日だけよ」
兎谷はそれだけで充分だったようだ。私たちは公園を離れて街へむかって歩く。
辺りを見渡すと街路樹に沿って、道の両脇に立派な家が所せましと立ち並んでいる。閑静な住宅街だ。私が見てきた地上とは少し違うが、地中とは思えないほどよく似ている街並みに感心すら覚えた。
脇道抜けると、すぐ近くに繁華街があった。進むにつれて辺りが人で賑わい始める。歩いているとエプロンを着た商店の店員に話しかけられた。
「よぉ兎。ん? 誰だその娘」
「俺の彼女」
「はっはっは。嬢ちゃん、そいつだけはやめといたほうがいいぞ~そうだ。いいのが入ったんだよ、見ていかないか?」
「なんだよ、またかぼったくる気かよ。しょうがね……あ」
突然兎谷の動きが止まった。
「どうしたの?」
「財布忘れた」
「え?」
私はその言葉に呆れかえった。しかし、店員は驚いた様子もなく笑い始めた。
「おいおいまたかよ~はっはっは」
まるで毎度のことの様な対応だ、頻繁に忘れているのだろうか。
「悪いねおっちゃん、ツケにしてくれ」
「嬢ちゃんに怒られても知らねぇぞ。まったく……ほら」
店員は苦笑いしながら兎谷に商品を渡した。このやり取りはいつものことなのだろうか。
だとしたら兎谷はちょっと抜けている人物なのかもしれない。いや、店主の様子からすると抜けてるのだろう。見た目と合わせると余計残念な人間に見える。
しかし兎谷は街の住人達から頻繁に声を掛けられている。兎谷のフランクな性格もあってか、印象に残りやすいのだろう。それによく名前が知られているようだ。
でも、言い訳だとしても『俺の彼女』は気に食わない。私は兎谷に聞こえないよう、小さく溜息を吐いた。
「はあ」
私は話し込んでいる兎谷を横目に、壁に背をあずけた。耳からは街の喧騒が聞こえてくる。賑やかなのはいいことだ、私のいたCランクの街と違ってこの街は活気で満ちている。
私は空を見上げながら、ふと気が付いた。
街の中心部のはずなのに、地上では当たり前のビルや車がまったく見られない。おそらくだが空気の循環が地上より悪い地下では、環境を害するものを全面禁止にしたのだろう。
高いビルがないのは、光が平等にあたるようにだろうか。それにしても整備が整ったこの街は、まるで地下の楽園のように見える。新しい人類の住処、そう思いたくもある。だからだろうか、この街の住民はみんな笑顔だった。
「ほい」
私が街に見とれている最中、兎谷がアイスを持ってきてくれた。いつの間に買ったのだろうか。断るのも申し訳ないので私は遠慮がちに受けとった。
「あ、ありがとう」
私は受け取ったアイスを一口なめた。ひんやり冷たくて美味しい、Cランクではアイスなんて贅沢品だ。嬉しい顔が漏れてしまったのか、兎谷は私を見ながら嬉しそうに笑っている。私はすぐいつもの顔に戻した。
兎谷は私の一歩前を歩く。いや、私が一歩後ろを選んで歩いている感じだ。いつのまにか私たちは商店街の中心にきていた。大通りの周りには様々な店が立ち並んでいる。空に気遣ったのか、天井には仕切りまでしてある。立派なアーケード街だ。
私が立ち並ぶ店に目を奪われていると、兎谷が口を開いた。
「ここに来ればなんでも揃うな。地上と地下でそんなに差はないと思うが。まぁネズミとかもたまに売ってるけどな」
「ね、ねずみぃ?」
「食ったことないか? ネズミも結構いけるぞ」
私は思わずネズミが食卓にあがる風景を思い描くと背筋がゾクゾクと震えた。
「それにしてもよかったな、今日俺が休みで」
「え、あなた働いてるの?」
「見えないか」
私は思わず訊いてしまった。兎谷の風貌を改めてみるが、とても仕事しているようにはみえない。そこらへんにいる遊び人とばかり思っていた。私の反応をみて、兎谷が笑い始める。嬉しいのか、可笑しいのか。
「またテストを受けるのも嫌だからなぁ」
「どういうこと?」
「二十歳で政府のテストを受けるが、そこで終わりじゃない。確かにそのテストで区別はされるが、その後は社会貢献度ってやつでまた区別される。一度Aになったからって一生Aクラスとは限らないのさ」
競争社会とでも言えば聞こえはいいのか、生きるために働くことは至極当たり前のことだ。だが区別は終わらない、生きるために働くのではない。
死なない為、落ちない為に働く。同じ様で違う気がした。見方を変えれば、普通の青年に見えなくもない。だが、なぜ昨日あの場所に兎谷は居たのだろうか。そしてなんで私を攫ったのだろうか。
わからない、すべては夜。夜になればわかるはず――。
私はそう自分に言い聞かせた。
「ちょっと待っててくれ、買い物があるんだ」
私が頷くと、兎谷は近くにあるスーパーに入っていった。私はまたしても一人で街を見渡すことになった。私は傍に置いてあったジュースのロゴが入っている赤いベンチに腰を下ろし、貰ったアイスを口の中に放り込んだ。
「何やってるんだろう……私」
呆けた顔で街を眺める。所々聞こえる笑い声や、威勢の良い売り文句が聞こえてくる。そんな賑やかな場所で一人呆けている私が、すごく異質な存在に思えた。
「私が土を奪われたように、此処の人たちは空を奪われてる」
私は小さく呟いた。誰にも聞こえないように、誰にも届かないように。この空気の中ではそれが禁句であるように思えた。
早くこの世界から抜け出したい――。
そんな悲観的な愚痴すらも溢れてくる。この世界は異常なんだ、たった一言ですべてが崩れるような代物だ。早く此処から逃げ出したい。しかし何処に行けばいいのかわからない。右も左もわからない初めての街では、闇雲に動く気にはなれなかった。
私はCランクから無断で抜け出しているんだ、警察にでも捕まったらどうなるかわからない。
「はあ……」
私の溜息と同時に、向かいの店から兎谷が出てきた。
「お待たせ、少し早いけど帰ろうか。掃除をしないと五月蝿いからな」
私は頷いて立ち上がった。アーケード街を出ると、心なしか日の光が強くなっているように感じた――。
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